貞宗が本丸にきて凡そ二週間。それだけの時間があれば、元来好奇心旺盛な性格ゆえか呑み込みの早い彼はもうすっかりこちらの世に馴染んでしまった。
明るく人懐こい貞宗は他の刀たちとも上手くやれているようで、間もなく光忠の教育係の任も終わりを迎えそうだ。
今日もまた一歩。その時に近づくように、貞宗は光忠を含まない編成での初の遠征に旅立った。
「土産期待しててくれよ」と出発前から大成功を謳う貞宗からは光忠と離れることへの不安や寂しさなど微塵も感じられず。逆に光忠の方が子を旅に出す親のように物さみしさを覚えながらも、そんな彼のことを誇らしく思った。
刀の振るい方は知っていても、箸の持ち方はわからない。そんな時分から見守ってきた貞宗の成長に感慨深いものを覚えながら、光忠も負けてはいられないと気合いを入れる。
貞宗を見送ったその足で内番道具が仕舞われた納屋に向かい必要なものを準備していると、開けたままにしていた扉の方でかたりと音がした。
内番を割り当てられている誰かだろうとつられて振り返った先。心の準備もなく飛び込んできたその姿に、手にしていた箕を思わず取り落としてしまう。
「何だよ、お化けでもみたような顔して」
言い訳のしようもないこちらの反応に目を丸くした獅子王が、地面に転がる箕と光忠を交互に見やって首を傾げる。
確かにここってちょっと薄暗いよな、と辺りを窺いながら彼が納屋の中へと足を踏み入れるのを、微動だにせず見つめる。
獅子王が歩を進めるたび、一歩も動けないでいる光忠との距離が縮まっていく。
任務以外で彼の方から声をかけられたのはいつぶりだっただろう。
貞宗がきてまだ二週間なのだから、長い時を生きる自分たちにとってはほんの短い時のはずなのに、随分と久しぶりのように感じてしまう。
それほど広くない空間では、獅子王が目の前に立つまでにそれほど時間はかからない。
手を伸ばせば触れる距離に彼がいる。そう思った刹那、考えるよりも先に体が動いて、彼の白い頬にそっと触れていた。これが夢幻ではないのだと確かめるように。
今は低めの体温が、じわりと掌に染みるようだ。触れても離れていかない、実体をもった彼がここにいる。
光忠の視線の先で、少し位置をずらせば触れる唇がゆるく弧を描く。
「貞宗のやつ、もう遠征に行ったんだってな」
何を言ってくれるのかと、正直期待した。
自身の名より先に彼の口から紡がれたそれに、ハッとする。夢から現実へ、一瞬にして引き戻された気分だ。
高揚していた気持ちが、見る間に温度を失っていく。
こうして二人きりになること自体久しぶりで、つい元の距離感に戻ったように錯覚してしまったが、今回もまた彼は近侍としてここに来ただけなのではないか。貞宗のことで何か確認したいことがあって、それだけで。
自身の早とちりを悟り、拒否されなかったために彼の頬に添えたままだった手を名残惜しさを振り切るように引っ込める。
「貞ちゃんは呑み込みも早いし、できない自分をそのままにはしておけない性格だからね」
「まるで来たばっかの頃の誰かさんみたいだな」
「……」
過去に付き合いがあるとそういう部分も似るものなのか。それとも持ち主の影響か。
彼はそんなことを言いたいわけではないのだろうが、勝手に言葉の裏を想像してしまう。
常々考えていた。獅子王が光忠を避けるようになった理由を。
貞宗にも意見を貰ったが、光忠が一番可能性があると考えているのは、繋がりだった。
獅子王はこの本丸に初期からいる刀だ。この本丸には刀工や持ち主の縁で関わりの深い刀も多く、口には出さないまでも皆待ち望んでいる相手がいて、その邂逅の瞬間を彼は幾度も目にしてきたことだろう――けれど、獅子王の元には誰もいなかった。
決して喜ばしいばかりではないだろうが、互いを知り合う刀たちの姿をみて、彼は何を思っただろう。
面倒を見てきた刀たちが他の刀の元へ向かう背を、何度見送っただろう。心から良かったと己のことのように喜びながらも、自分の隣には誰もいない寂しさをどれほど蓄積させてきたのだろう。
手の中から零れる砂のように、するすると。
仲間にはなれてもその輪には入ることができず、唯一といえる鶴丸が伊達の括りに扱われてしまえばそこにも加われない。
それがどういったものなのか、本丸にやってきたときにはすでに鶴丸や大倶利伽羅がいた光忠には、想像することも難しい。
本人も気付かぬうちに心の奥底に眠っていた寂しさや羨ましさが、今回のことをきっかけに表に出てきてしまったのだとしたら。光忠たちの姿をみているのが辛くて傍を離れ、鶴丸といることを選んだのだとしたら。
自分にできることは何なのか。考えても考えても正しいと思える答えには辿りつけない。
日々そんなことを考えているからこそ、唯一関わりがあり、光忠よりも先にこの本丸で獅子王に出会っていた鶴丸にだけ、心騒ぐのかもしれない。
けれどそんなことを本人に告げるのはあまりに酷な気がして、策を見つけられないままに時だけが流れた。
「この調子じゃ、あとちょっとってとこだな」
「え」
「ったく、どこいったんだあのヤロー」
「こっちの方には絶対近づかないと思うけど」
「いいや、敢えて逆をつくってこともあるかもしれないだろ」
返答に窮する光忠を見ないままにぼそり溢されたそれは、近づいてきた高めの声にかき消され光忠の耳にまで届かない。
「あれ?こんなとこで何やってんだ?」
「獅子王、今日は内番の担当じゃなかったよね?」
薄暗い納屋内を照らすように光が差し込む扉からひょっこり姿を見せたのは、愛染と蛍丸だ。
獅子王と光忠を交互にみた二人は、疑問を抱いたらしい獅子王の方に視線を移して首を傾げた。
「あ〜ちょっと貞宗のことで確認をな。お前らは何やってんだ?」
――あぁ、やっぱり彼は僕に会いに来てくれたわけじゃなかったんだ。
獅子王の口からそう断言されてしまい、わかっていたことなのに気分が落ち込むことを止められない。
自分たちで聞いておきながら「ふ〜ん」と気のない返事をした二人は、今度は獅子王からの問いに眉を下げた。
共に内番に割り当てられている明石を探している。
その台詞までがいつもお決まりの流れになっているくらい、この二人が本丸内を歩き回っているだいたいの理由がそれである。獅子王もまたわかっていて聞いたのだろう。予想通りの返しに苦笑が溢される。
「じゃあ、俺もちっと手伝ってやるよ。手は多い方がいいだろ」
言うが早いか、獅子王はそちらに向かって歩きだす。これから内番に向かわなければならない光忠はそのあとには続けず、雲がかかった心のように薄暗い空間に立ち尽くす。
きっと彼はこのままこちらを振り返ることなく去ってしまうに違いない。
声をかけることもできないでいるくせに、ただ奇跡を待つだけでは格好が悪い。
「獅子王くん、」
「わりぃ、光忠。またな」
特に何を言いたいわけでもなかった。それでもせめてもう一度こちらを向いてほしいと込めた願いは、あえなく散ってしまった。
こちらを見ないまま手を軽く上げただけで、彼の姿が光の中に消えていく。
愛染と蛍丸。来派の刀に囲まれて、彼は何を思っているだろう。
近侍として仕事をさぼろうとしている刀を探す使命感に燃えている、それだけだろうか。
いくら自分が心配したところでどうにもならないとわかってはいても、考えずにはいられない。自分の想像だけで彼の行動を制限することなどできないのに。
それにしても、蛍丸と愛染と並ぶ獅子王の姿はまるで違和感がない。こんなことを彼の前で口にすれば機嫌を損ねてしまうだろうな、と考えたところで途端に虚しくなって、落ちた箕を拾うためだと言い訳をしてその場に蹲る。
「うおっ!?いたのか光坊…ちと驚いたぜ。そんなとこで何やってんだ?」
「……」
「さては貞坊が遠征に行って寂しいんだろう?」
今一番聞きたくなかった声がふいに頭上から落ちる。
なんてタイミングで現れるんだ、この刀は。
のんきに見当違いなことを言う黙っていれば作り物めいたその顔が、今は見る者を煽るようなにやけたものになっているだろうことは容易に想像がつく。苛立たしさが増して余計なことを口にしてしまいそうで、抵抗の意味も込めて顔は上げないでいることにした。
「あぁ、それとも…今さっき獅子王がいたようだが、そっちと何かあったのか?」
「っ」
本当に、どこまでがわざとなんだろうかこの刀は。
咄嗟に顔を上げてしまった光忠の目には、やはり予想していた通りのにやけ面が映る。わかりやすく反応してしまったせいで、その笑みがより深まる。まったくもって不覚を取った。
「…鶴さんは、」
どこまで知っているのか。
つい口走りそうになった言葉をすんでのところで呑み込む。これ以上墓穴を掘ってなるものか。
たったそれだけでも言わんとしていることは十分に伝わってしまっただろうが、鶴丸はもうそこに触れるつもりはないらしい。
「貞坊は遠征を大成功させて帰ってくるだろうから、今夜は御馳走だな」
「当然、そのつもりだよ」
「甘いなぁ、光坊は」
自らも発言しておきながら甘いとはどういう了見なのか。
隠しきれず含まれた棘をさらりとかわし意味深に笑うこの刀のことを、自身が理解できる日は生涯こない気がする。
「…安心しろ、お前さんは愛されてるぜ」
「何を…」
「さてさて、今日の夕餉が楽しみだ」
「ちょ、鶴さん!」
また突然何を言い出すのかと思えば、言及する隙も与えず風に舞う木の葉のようにひらりとその姿が消える。
慌てて扉に駆けよるが、薄暗さに慣れた瞳は強い光に驚いたようにちかりと眩む。漸く落ち着いて辺りを見回した頃には、すでにその姿は光の世界に溶けるように消えてしまっていた。
日の昇り具合からするに、いつの間にか結構な時間が経ってしまっていたらしい。
誰も来ないということは、まだ明石は見付かっていないのだろうか。
鶴丸の去り際の台詞も気になるが、豪勢な夕餉を準備する時間を確保するためにも、今はひとまず目の前の仕事に集中しなければならない、というのに。
つかの間触れた彼の頬の感触がまた残っているようで、道具に触れることを躊躇してしまった己に呆れた。


「どうも、お世話になりました。んで、改めてこれからもよろしくな、みっちゃん!」
「どういたしまして。これからもよろしくね、貞ちゃん」
遠征も宣言通りの大成功を収め、その後の初出陣でも派手に暴れ大活躍を果たした貞宗は、とうとう一人前として認められた。それに伴い、光忠の教育係の任も終了だ。
だからといって仲間として相棒として、自身と貞宗の関係はこれからも変わることはない。
「今度は俺がきびしーく鍛えてやるから覚悟しろよ」
「うっ、獅子くんほんとに厳しいんだもんなぁ…」
近侍としての獅子王と何度か手合わせをしたことのある貞宗が、その時のことを思い出したのか苦虫を噛み潰したような顔をする。
新参刀が近侍と手合わせをすることは、この本丸での初出陣前の通過儀礼となっている。
今でこそ背中を預けられるまでに成長したが、光忠もその折は散々だった。
仕方のないことながらその情けない姿はあまり思い出したいものではないのだが。出陣前の仲間を鼓舞するような獅子王の勇ましい姿が忘れられず、記憶をそっと手繰り寄せてしまう。
「ほどほどに頼むよ」
「こればっかりはいくら光忠の頼みでもダーメ」
これからは近侍である獅子王の世話になることも増えるだろう貞宗をよろしく頼む意味合いも込めて言えば、けらけらと楽しそうに彼が笑う。
今日の獅子王は一段と機嫌がいいらしい。いや、獅子王だけではないか。
貞宗が一人前と認められたのに加え、新しい仲間が増えたこともあり、今夜は揃って祝いの宴が催されていた。
主役たちへの祝いの席はすでに幕を閉じ、今は大広間に散り散りになった刀たちが思い思いに酒に話に盛り上がっている。
他人のことを自分のことのように喜ぶことのできる彼だ。貞宗が一人前になったことも、仲間が増えたことも、心から喜ばしく思っているのだろう。
少量ではあるが酒が入っているせいか頬を薄っすら桜色に染めて貞宗に絡む姿は、見ていて微笑ましい。
めでたい席に嫉妬などという醜い感情は似合わないと、少々の強がりが混じっていることには目を瞑ってほしい。後片付けのことも考え、酒に逃げることも許されないこの身がもどかしい。
彼の姿をこんなに近くでみることができているのだから、それこそを有り難く思うべきだ。
そうして自身を納得させていたのに、獅子王は貞宗を祝い尽くしたあとは新たな仲間を歓迎すると言って無情にもそちらへ行ってしまった。
酒宴はこれからが本番だというように料理や酒の追加要請がひっきりなしにかかり、脱落する刀が出始めるまで厨と大広間の往復を強いられる羽目になったことで、それを残念に思う間もなかったのは幸いだったかもしれない。
潰れた刀たちの面倒を見、宴の後片付けを終えた頃にはどっと疲れがきていて、軽く肩を揉みながら自室に向かう。
同じようにこちら側に回っていた厨番やその他の面々の解散間際の有り様や、宴を満喫し尽くして夢へと旅立った刀の数などからして、明日の朝は多少ゆっくりになっても責めるものはいないだろう。
すでに明日のことへと頭を切り替えながら障子の前に立った瞬間。灯りがついておらず無人のはずの室内から、あるはずのない気配がした。
いつの間にか大広間から消えていて、もうすでに寝てしまっただろうかと思っていた彼の気配を、自身が間違えるはずもない。
どこにも消えはしないとわかってはいても、焦る心は止められない。
勢い付けて障子を開け放つ。こちらが気付いたのだからあちらも気付かないはずはないだろうに。
開いた障子にこそ反応したように、勿体ぶっているのかと焦れるほどにゆっくりと彼がこちらを振り返る。本当に意図してそうしたのかもしれないし、光忠の気が急いているせいでそう感じただけかもしれないが、彼がそこにいる事実に変わりはない。
すぐにでも横になりたいと思っていたほどの疲れは、獅子王の姿を目にした瞬間にどこかへ吹っ飛んでしまった。
「おかえり、お疲れさん」
最初の勢いはどこへやら。自身の部屋に彼がいる光景を目に焼き付けるように棒立ちになって動けない光忠を、彼が不思議そうに見つめてくる。
小さな溜め息がなんとか耳に届いたかと思えば、つかつかと近付いてきた彼に腕を掴まれ室内に引っ張り込まれる。後方でかたりと障子の閉ざされる音がして振り返った矢先、胸の辺りに衝撃が伝わった。
「あ、の…獅子王くん…?」
まるで頭突きでもする勢いで獅子王が胸に飛び込んできて、光忠の背に腕が回される。
見下ろす先にある金糸が、静かな夜にほのかに輝いてみえる。
自身の体を締め付ける細い腕の感触に、これが夢や幻やではないのだと身に沁みて知る。
もはや懐かしい気のする香りに酒の臭いが僅かも含まれていないことから、これが酔ったうえでの間違いなどではないことも。
胸に顔を埋める彼の表情はこちらからでは窺えず、何の言葉もないのでは宙ぶらりんなこの腕をどうしたらいいものかもわからない。
男としては情けない限りであるが、光忠にとってはそれほどの事態なのだ。
「なんだよ、ぎゅってしてくれねーの?」
「…っ」
光忠が理性と本能の狭間で揺れていると、獅子王がそっと顔を上げる。
上目に見つめられ、拗ねているようで笑いを含んだ声でそう言われては、用途を与えられた腕で彼を抱きしめる以外の選択肢は存在しない。
あれほど頑なに光忠を映さなかった瞳がまっすぐに向けられていることへの言い様のない喜びを、どう表現すればいいのかもわからない。
久しぶりに触れる獅子王の体は相も変わらず華奢で、想いのままに力をこめれば壊れてしまいそうで、慈しむようにそっと腕に抱く。
互いを補給するかのようなその時間は、長いようでもあり、一瞬のようでもあった。
まだ足りないと心は訴えるが、やがて獅子王の方からそっと体を離す。
これまでのことの説明をしてほしいという思いのあった光忠も、名残惜しみながらもその身を解放する。
ジッと言葉を待つ光忠に、獅子王が困ったような笑みをもらす。とりあえず座らないかと促されて漸く、話し合いをするには不適切な状態であったことに気付く。
自身はよほど余裕がなくなっているらしい。当然といえば当然だ。
それだけの時を、光忠は今か今かと待っていたのだから。
「まずは今までのこと、謝る。お前のこと散々振り回しちまって、ほんっとーに悪かった!」
話し合いをするに際し照明に淡い光を灯した室内で、正面に座った獅子王が開口一番そう言って額が畳に付きそうなほど頭を下げる。
そこまでされるとは思っていなかった光忠は、勢いに面食らってしまう。
突然の態度の変わりようには驚かされたし、おおいに戸惑いもした。日がな一日獅子王のことを考えてしまうくらいには振り回されていたことも事実だ。
それでも光忠が考え出したそれが理由だとするならば、彼にこんな風に頭を下げさせるのは違う気がした。
「頭を上げてくれ。確かにびっくりしたけど、それは獅子王くんのせいばかりじゃないだろう」
「…いや、やっぱ俺が全面的に悪い。最初は確かに、それが貞宗のためだって思ったんだ」
「…うん?」
顔は上げてくれたものの瞳は伏せたまま紡がれる彼の言葉に、光忠の思考が一気に疑問符で埋め尽くされる。
「俺はこの本丸が好きだから、貞宗にもそう思ってもらいたかった」
それが光忠を避けることにどう繋がるのか。首を捻りながらも続く彼の話に大人しく耳を傾ける。
「ただでさえ知らない刀の多い中で、馴染みの光忠にはべったりくっついてるやつがいて、おまけに自分に嫉妬むき出しってんじゃ、こんなところ嫌だって思っちまうだろ。だから、そうならないように距離を置いた。近くにいたらどうしても触れたくなるし、そうするしかないって思って。けど変に意識し過ぎて必要以上に冷たくなっちまったみたいで…ごめん」
――あぁ、どうしてだろう。
獅子王の語る中に、光忠の憂慮していたことなど欠片も在りはしなかった。
彼が仲間思いであることなど知っていたはずなのに。
彼を孤独にしてしまっていたのは、己の方だった。
自責の念に駆られ、今なら鶴丸の用意した落とし穴に自ら飛び込むことすら吝かではない。
「ごめん、獅子王くん!」
「へ…?何でお前が謝るんだよ」
「僕は君に、とんでもなく申し訳ない考えを押し付けてしまってた…」
目を瞬かせる獅子王に、今回のことを光忠がどう考えていたかを懺悔する罪びとのような気持ちで告白する。
審判の時を待っていると、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた彼がとうとう堪え切れないというように吹き出した。
「獅子王、くん?」
「ごめ…そこまで思い悩ませてるとは思わなかった…だいたいの予想はついてるだろうと思ってた俺が悪かった、ほんと。…俺にとって、この本丸にいるみんなが等しく仲間だ。過去を共有できなくても、今がある。それだけで十分だと思えるぜ。それにそんなことで寂しがってちゃ、今傍にいてくれるやつらにも失礼だろ」
「あぁ、本当に…獅子王くんには敵わないなぁ。…格好悪いよね、僕」
どこまでこの刀は格好いいのだろう。これから先、幾ら時を重ねたってきっとこの刀には敵わないのだと、惚れた弱みを抜きにしても思ってしまう。
「恋する男は格好悪いもんだって、主が言ってたぜ」
俺のことを想うあまりそんなことまで考えちまうお前が愛しい。なんて言われたって、なんの慰めにもならない。ただ男前すぎる彼への想いが更に募っていくだけだ。
仲間のことを心から思い、こんな風に笑える彼は、太陽のように温かく眩しい。光忠の自慢の恋人だ。
「光忠も大切な仲間だってのに、甘え過ぎてたな、俺」
「そう言われちゃうと情けない自分への自己嫌悪でどうにかなりそうなんだけど」
「違うって。そもそも嫉妬心を隠せない俺が情けないんだってば」
獅子王はなにも責めているわけではないとわかってはいても、こればかりはどうしようもない。
暫くは引き摺ってしまうだろう自己嫌悪の渦に揉まれる自身の心にふと投げ込まれた言葉に、訝しむような視線を向けてしまう。
そういえば、さきほどもその言葉を耳にした気がするのだが。
「嫉妬…? それは、獅子王くんが…?」
「…? そりゃそうだろ。みっちゃん貞ちゃんなんて呼び合って、目の前でいちゃつかれて昔話でも始められようもんなら嫉妬爆発で貞宗に当たっちまうところだぜ」
そんな格好悪いことをして光忠に嫌われたくないし、という獅子王の言葉に貞宗の声が重なった。
――そんなこと、僕が思うはずもないのに。
「獅子王くんは、いつだって格好いいよ」
「…へへ、光忠にそう言われると照れるぜ」
本当に照れているのか、獅子王がはにかむように笑う。
口ではそんなことを言いながら、もしそうなった場合は彼の性質上貞宗ではなく光忠の方を責めるのではないかと思うのだが、獅子王は本気でそう考えているらしい。
当事者よりも周りの方が物事がみえているという証明なのか。獅子王にもまた、自分自身では把握しきれていない一面があるようだ。
「貞宗もいいやつだし、大丈夫なんじゃないかって思った時もあったんだ。けど気が合うだけに光忠はこういうのが好きなんだって思ったら、俺より好きになっちまったらどうしようって…光忠が好きなのは俺なんだって牽制しちまいそうな自分が嫌になって、結局ずるずると…」
「獅子王くんと貞ちゃんじゃ好きの種類が違うよ」
「そんなの、絶対変わらないとは言い切れないだろ」
「いいや、言い切れるさ。そういう意味で好きになるのは、これまでもこれからも、獅子王くんだけだ。…こればっかりは、信じてもらうしかないんだけど」
獅子王がそんな風に思っていることが意外だった。それは偏に、光忠が彼を不安がらせないくらいの愛を常に伝えているつもりでいたからかもしれない。
自身の不徳の致すところだとするならば、不安に思う余地もないほどよりいっそうの愛を彼に伝えることにしよう。
まっすぐ瞳を見つめて断言すれば、獅子王はこれまでの格好よさを上回るほどに可愛らしく顔を赤くしてみせた。
少しの間を空けて「わかった」と嬉しそうに笑む彼が愛しくて仕様がない。
我慢できず彼の体を抱き寄せ、胸に抱く。彼もそれを望んでくれているのか、大人しく腕の中におさまってくれた。
「事情はわかったけど、それなら事前に言ってくれればよかったのに」
そうしたら、光忠もここまで妄想を加速させることはなかっただろうとそう言えば、顔を上げた彼の眉間に僅かに皺が寄せられた。
「嫉妬して怖がらせたくないから距離を置くって? 絶対嫌だ」
「そう露骨な言い方じゃなくてもいいんだけど…」
「い、や、だ。…だってそれで納得しちまったら、お前は安心して貞宗に夢中になるだろ。何もわからなければ、俺のことも気にせずにはいられないかなって…思って…」
本当は純粋に貞宗の教育係に専念してもらいたいと思っていたのにそうできなかった。
申し訳なさそうに彼が告白する。格好良くて可愛らしくて、彼は本当にずるい。
それだけ光忠のことを想っていると自らが語っていることを、彼はわかっているのだろうか。
「獅子王くんの思惑通り、頭の中は常に君のことでいっぱいで、あんな馬鹿げたことまで考えちゃうくらい気になって仕方なかったよ。しかも、僕の考えを証明するみたいに君は鶴さんとばかり一緒にいるし」
そのことをまだ聞いていなかったと、意味深な発言をしてくれた刀の名を口にしながら思い出す。
鶴丸の存在があったからこそ、光忠は件の考えがあながち間違ってはいないのではと思ってしまったのだ。
ついでに自身が鶴丸に嫉妬していたことも伝わってしまっただろうと、そっと彼の反応を窺いみる。獅子王は目を丸くして口をあんぐりと開け、つかの間呆けていたかと思えば、いきなり電気回路が繋がった玩具のように声を上げた。
「なるほど、鶴丸のやつが光忠が自分に嫉妬してるみたいだって言ってた時は何の冗談かと思ったけど、そういうことか! 光忠の考えならそうなるよな…そっか。あ、鶴丸とは本当に何もないからな! っていうか、俺は別に鶴丸とばっか一緒にいたわけじゃないぜ。三日月とか鶯丸とか、結構あちこち行き来してたつもりだったんだけど…」
「そ、うなんだ…」
思ったことをそのまま口にしているといったように捲し立てる獅子王の勢いに押され、内容を理解するのが遅れる。
つまり、光忠が鶴丸を気にするあまり、そこばかりが目についてしまっていたということか。
しかもその先々で光忠の話ばかりして周りに呆れられたとまで明かされては、もはや何と言っていいのやら。言葉が見つからない。
己の考えは悉く的外れで、いかに周りがみえていなかったのかを改めて気付かされる。あまりの格好悪さにこのまま消えてしまいたい衝動に駆られる。
おまけに鶴丸とのあの納屋でのやりとりまで思い出してしまい、あからさまな態度をとった光忠にあの刀が何を思ったのかと考えれば尚更だ。
顔から湯気が出そうなほどに体温が上昇し、秋の口だというのに暑くて仕方がない。
あの時、鶴丸が「お前は愛されてる」と言っていた意味が今ならよくわかる。
自分はこんなにも彼に愛されている。何をどこまで知っているのかと疑っていたあの刀は、なにもかもお見通しだったというわけだ。
誤解は解けても、鶴丸が自分以上に獅子王のことをわかっていたことに変わりはないわけで。余裕な態度がここにきて改めて恨めしくなる。
責められた義理ではないが、次に会った時には拳の一つも入れてしまいそうだ。
そんなことをすれば、手に取るように事態を把握した鶴丸に新たなからかいの種を与えてしまうことになるのは目にみえているので実行には移さないが。どこまでも厄介な刀だ。
思考を余所にやることで冷静さを取り戻しながらも、未だしつこく熱の残る格好悪い姿を見られたくなくて片手で顔を覆ったまま。彼の顔も見えないのをいいことに、もう一つ気になっていたことを聞いてしまうことにする。
「もう一つ、聞いてもいいかな?」
「うん?」
「夜、部屋にいなかったことも、鶴さんは関係なかった?」
「へ…あー、鶴丸は関係ないかな、あんまり」
どうしても彼と話がしたくて。皆が寝静まった頃に獅子王の部屋を訪ねたことは一度や二度ではない。当然彼も寝ているかもしれないと思いながらも、それでも諦めきれず赴いた部屋の中に、彼の気配はなかった。
おまけに翌朝には眠そうな顔をした現れるものだから、多少邪推してしまうのもやむをえまい。
これまでの話を聞いていれば心配するようなことはなかったと確信できるが、では何をしていたのかと気になった。
獅子王の要領を得ない返答に、つい胡乱げな声を出してしまう。
「あんまり?」
「…夜更かしなじいさんたちと酒飲んだり、その時たまに鶴丸もいたってくらいで。あとは適当に元気が余ってそうなやつ掴まえて手合わせに付き合わせたり…」
前者はともかく後者は今になって申し訳なくなってきたのか、だんだん語尾が小さくなっていく。
恐らく付き合わされた者たちも嫌々付き合っていたわけではないだろう。獅子王と手合わせをする貴重な機会を、むしろ嬉しく思っていたはずだ。やはり自分のことは自分ではよくわからないものらしい。
「よかった…」
そこまで聞けて漸く人心地が付く。
安堵感と脱力感に襲われ、継続して顔を覆ったままの掌に長い息を吐き出す。
もう少しの間、彼にはこの顔をみてほしくない。せめて顔の熱を吸った手袋の温もりが薄れるまでは。
そっと、もう片方の手で彼の肩を抱き寄せる。すぐそばにある体温に触れずにはいられないのも事実だが、これなら顔を見られることはないだろうと打算的な思いもあった。
「ほんとうに、よかった…」
これからはまた元のように彼に触れられる。彼に愛を囁いても受け入れてもらえる。
なんでもない瞬間に視線を交わすこともできるのだ。
いつか貞宗に言った言葉も撤回しないで済んだことに、心底胸を撫で下ろす。
「……」
ふいに、腕の中でおとなしくしていた獅子王が身じろいだ。
何をしているのかと思えば、顔を覆う方の腕に彼の細い指が絡み付く感覚が伝わる。
「ッ、ちょ、っと待って、獅子王くん」
もう少し。あとほんの少しだけ待ってくれないだろうか。
手を引かれるものと思って反射的に力のこもった手の甲に、そっと温もりが押し当てられた。
手袋の上からではそれが何であるか判断がつかず、戸惑っている間に今度は何も覆うものがない手首に落とされたそれが彼の唇だと知る。
思わずびくりと強張ってしまった手の力を溶かそうとでもするように熱い舌が這い、更に軽く歯を立てられる。
「なぁ、光忠…これ以上待てねぇよ…ちゅー、したくねぇの?」
「ぁ…っ」
見えていないがゆえに余計に耳を擽る甘えた声。先んじて所有の証を刻むように手首に吸い付く唇の感触に。一度は引きかけていた熱が、渇望する欲を伴って上昇する。
とうとう観念して自制の役割も兼ねていた手を下げる。
光忠の顔をみた獅子王が満足そうに微笑む。やはり彼には到底敵わないのだと、諦めよりももっと愛しさに近しい感情が胸を満たす。
ひどく蠱惑的なその表情から目が離せない。伸びあがってきた彼の顔が近づいて、その目に映る己の顔がぼやけるほどに近くなって、唇が触れ合う。
このまま獅子王のペースに乗せられるのはあまりに不甲斐ないうえに、いいように振り回されてばかりでは男として恋人として本当に格好がつかない。
獅子王を捕える腕を腰に滑らせてぐっと引き寄せ、顔の角度を変えて積極的に口づけに応えれば、細腰がぴくりと跳ねる。
「ん、んぅ…」
「は、ぁ…こうしてまた君に触れられて、本当によかった」
快楽に弱い彼の瞳は、久しぶりなせいもあってかすでにとろりと蕩けている。そこに自身が映っていることに、彼のこんな表情を引き出せるのは己だけであることに、どうしようもなく心が高揚する。
ただ彼の瞳に映れることがこれほどまでに嬉しいものだとは。今回のことがなければ気付かなかったかもしれない。
彼がまだ見ぬ頃から貞宗に嫉妬してしまうほどに己を好きでいてくれて、均衡するほどに仲間を思うとても格好良い刀なのだと知れて。悪いことばかりではなかったと、今なら思える。
だからといって、こんな事態は二度はいらない。
一度で十分、伝わったことがあるのだから。彼の全てを、愛の言葉で埋めてしまおう。
「想像上のことを心配して、疑って、嫉妬してしまうほどに君のことが好きだよ」
「俺も、意識し過ぎて変になっちまうくらい、好きだぜ」
知ったばかりの喜びに浸るように彼の目をまっすぐに見つめながら、久しぶりに彼に告げる自身の想い。彼の言葉を、笑顔を、しっかりと記憶に焼きつける。
熱烈な愛の告白をじっくり噛み締める間もなく、彼の両手が肩に触れて、ぐっと体重をかけられる。
されるがまま身を任せて背を畳につけた光忠の腰に乗り上げた獅子王が、久しぶり故にすでに兆し始めている自身の熱に衣服越しに触れてくる。
「お預けしてた分、今夜は特別に気持ちよくしてやるぜ」
「っ」
反応していることを確かめるようにゆっくりと。もどかしいほどの刺激が与えられる。
光忠の反撃を阻むように、野獣じみた眼光を細める獅子王の唇が再び重なる。
言葉にできないのなら行動で示すまでだ。
長いこと見ているだけだった金糸の髪に指を絡めて、負けじと誘い入れた舌に噛み付く。
近いうち、貞宗に彼を正しく紹介できる日を頭の隅で想像していられたのは、それからほんの僅かの間だけだった。




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