「左近殿…何故このような…」
「すんません、真田さん」

気を抜けば沈みそうになる心のうちを隠すように敢えて平静を装いながら、いつもの調子で詫び入れもなく言って、左近が刃を構える。
しかし、必要に迫られ臨戦態勢をとった幸村の姿に、刃を掲げたその手がぴたりと止まる。

「おいおい、イカサマはいけねーなぁ」
「何のことにござるか?」
「あんた、真田さんじゃないだろ…なぁ、忍さん?」

見目は完全に幸村そのものだ。けれど、中身が違っている。
そう言えば、幸村の顔をしたそれがうっそりと口角を上げた。

「存外あっさりと見破られちまったな」

黒い羽根を舞い散らせ、それまで幸村の形をしていたものは常の忍装束を纏い本来の姿へと立ち戻る。

「イカサマはどっちだって話だけどね。大将がいったい何をしたって?ただあの人なりに懸命にそっちの要求に応えてきたじゃないか」
「……」

それなのに、と鋭い眼光が向けられ、そんなことは重々承知している左近は返す言葉もなく沈黙する。
だってそうだろう。寧ろ、本物でなくてよかったなどという感情は、決して抱いてはならないものなのに。確かに一瞬心を過ったそれに、動揺を上手く隠せるほど左近は人間ができていない。

「あんただってわかってる筈だ。うちの大将に落ち度はないってね」
「それでも、もう決まったこと。命令は、絶対だ」
「それを下したのは石田三成ってわけだな」

佐助の問いに左近は答えないが、それは疑いようもない事実だ。
幸村を討ち取るなどという命を左近が実行するとすれば、それを下したのは石田三成に他ならない。左近にそんな命を下すとしても、また同じこと。
もし仮にそれを命じたのが他の者であったなら、今回のようなことにはなっていないだろうし、もっと別の道もあっただろうに。

(俺様の変装をすぐに見破っちまうくらい、大将のことをよく見ていたくせに…)

「真田さんはどこだ?」
「教えると思う?」

そんなわけないよね、皮肉混じりに佐助が笑う。

(このご時世ではこんなこと別に珍しくもなんともないけど…)

力尽くで聞き出そうにも、相手が忍である以上結果はとうにわかりきったこと。
どれだけ己が身を痛めつけられようとも、決して情報を漏らしたりはしない。

「俺の邪魔をするなら、あんたを先に殺す」
「それは俺様の科白だっての」

(あの人を裏切り、傷付けたことは、何より重い)

双刀を構えた左近がいざ足を踏み出すよりも先に、佐助が一歩早く地を蹴る。
二人の刃が交わらんとするほど距離が近付いた刹那、左近の目に飛び込んできたのは鮮やかな赤。
動揺に一瞬動きが鈍ったところを、ひとたび忍の姿に戻った佐助の獲物が捉える。
寸でのところで身を引いたものの、鋭く切り込まれたそれを躱しきることは敵わず、刃の掠めた先から薄っすらと赤が浮き上がる。

「くっ…」
「そんなんじゃ俺様は殺せないぜ?」
「猿飛!」
「っと、悪いけど、ここらで一旦退かせてもらうよ」

(とりあえず一矢は報いたことだし)

次の瞬間、左近の振り被った刃が敢え無く空を切る。
一太刀を難なく躱した反動で背後にあった木へと飛び移った佐助が、ぶらぶらとやる気がなさそうに手を振ってみせた。

「どういうつもりだ!」
「ここであんたを殺してやりたいのはやまやまなんだけどね…」

左近が感情を昂ぶらせて吠える一方、佐助はそれまでの飄々としていた雰囲気を一変させた。静かな、寒々しいまでの憎悪が左近を包む。
尽くしてきた同盟に裏切られ、大切な人の命を狙われた佐助の怒りは、それこそ渦を巻く闇よりも深く禍々しいものであった。
こんな時代だ。いつかこんな日がくるだろうと予想しなかったわけではない。けれど、いざそうなってみたところで「あぁ、やっぱりか」なんて納得できるわけもない。

「けどさ、あの人も色々と考えてるみたいだから」
「主の命を狙う敵を前に、尻尾巻いて逃げるってのか」
「…調子にのってんじゃねーよ」

左近の挑発に、ガリッと力強く木の幹に爪を食い込ませた佐助から、ぞくぞくと身体を震わせるような殺意が湧き上がる。
仄暗い中に確かに強い感情を宿した瞳が、左近を射抜く。

「見逃してやるって言ってんだよ、若造。それに、万に一つもありはしないけど、俺様が死んだら大将が泣くんでね」
「……っ」

刀を握る左近の拳に、ぐっと力がこもる。
それは、思わず脳裏を過った幸村の泣き顔を想っての反射的なものだった。
感情を押し隠せぬ若いそれを見て取って、佐助はまるで哀れなものでもみるかのように目を眇めた。

「あんたに大将が殺せるのかね」

ぼそり、呟いた佐助の身体が足元から生じた闇に溶けるように消えていく。
小さく溢されたそれを聞き咎め、びくりと肩を揺らした左近の瞳にまだ当惑の色があるのを確認した佐助は、薄ら寒い笑みを浮かべた。

「あんたに大将は殺せないよ」

(殺せない、殺させない)

本当の意味では、きっとあの凶王にだって。

(あんた等に大将は殺させない、あんた等に大将は渡さない…例え髪の一本だって)

情をもってしまったのが運の尽きだと愚かな若者に向けた言葉は、同時に自身の主に対しても向けられるもので。闇に溶けた佐助は誰に見咎められることもなく苛立たしげに唇を噛んだ。

何をすることもできず、ただ佐助の姿が消えるのを見ているしかなかった左近は、ぐるぐると揺すぶられる精神のまま、その姿が完全に消えてしまった後も茫然自失とその場に立ち尽くしていた。

(あぁ、本当に…情の厚い人間にはどうにも生き辛い世の中だ)




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