バレーを通してしか見たことのなかったそいつは、ウザいほど前向きで、とことん明るくて。小さい体でよく動いてよく飛んで、そしてあの影山とコンビを組める程度の変人。
そんな認識しかなかったそいつに、眼前の光景に、俺は不覚にも目を奪われた。

最初に見つけたのは、日が沈み辺りが暗くなる中、項垂れて震えるひどく頼りない小さな背中。
次いで覗いた頬を伝う透明な滴が、ぱたりぱたりと地面を斑に湿らせていた。
それでも、大きな瞳から零れるそれが涙で、そいつが泣いているのだと認識するのに時間がかかった。
もしそうなら、子供がするようにわんわんと大声を上げて泣きそうなものなのに、あまりにも静かに泣いていたものだから。
ただの知り合い程度の相手では何故泣いているのかなんて見当もつかなくて、きっと見ないふりをするべきなのだろうと、いつもの自分ならそうするだろうことを考えてふと視線を落とした先。その体が地面から僅かに浮き上がっているように見えて目を疑う。
いくら相手が常に飛んでいる印象があるからといってそれはないだろう。目を擦って改めて視線をやれば、やはりそんなはずもなく、きちんと地に足が付いていて安堵する。
深呼吸でもするように息を吐き出して、俺はまだ少し躊躇いながらゆっくりとそいつに近付き、声をかけた。
まさか誰かに見られているとは思っていなかったのだろう。びくりと肩を跳ねさせて、驚いたようにこちらを向いたそいつは、俺の顔を見て更に目を瞠った。



「で、どうしてこんなところに?」
「……」
「どうして泣いてたんだ?」
「……」
「……」

ハンカチなんてものは生憎と持ち合わせていなかったから、鞄から取り出した部活用のタオルを押し付けて、状況を理解できていないそいつに涙を拭くように促した。
確か日向という名前の烏野高校の一年生。下の名前までは知らない。
部活は同じだとしてもそれほど面識があるわけではなく、共通の知人である影山を介したことで言えば、日向が自分にあまりいい印象を抱いていないだろうことは明白で、それ以前に認識されているかどうかも怪しいものだ。
どうして声をかけてしまったのかと早くも後悔しながら、何か言わなければと直球の質問をぶつけるも、だんまりを決め込んだ日向は目すら合わせようとはしなくて。
それがまた意外だった。対戦相手を真っ直ぐに見つめている印象が強かったせいだろうか。
まぁ、泣いているところを見られて決まりが悪いというのもあるんだろうし、質問の答えが余程言い辛いことなのかもしれない。

「日向、だったよな。俺は…」
「国見、だろ」
「…知ってたんだ」
「当たり前だろ」

まずは自己紹介からかと口を開けば、ここにきて初めて日向が言葉を発し、それが自分の名前だったから余計に驚いた。
まさか覚えられているとは思ってなかったから。
目を瞬かせた俺にちらりと一瞥をくれた日向の視線はすぐに地面に落とされて、逡巡するように数度口を開いたり閉じたりを繰り返す。
急かすことなく観察でもするようにジッと待っていると、覚悟を決めたように顔を上げた日向が、反して独り言でも溢すようにぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
何か反応してしまえばそこで話は終わってしまいそうな弱々しさに、俺は大人しく耳を傾けるのに徹していたけれど、内心受けた衝撃は結構なものだった。

――日向は、叶わぬ恋をしているらしい。

想い人に気持ちを伝えに来て、見てわかる通り素気無く断られた、と。それも、告白するのは何も今日が初めてではないらしい。
よくやるものだなとそこは他人事だったが、よりにもよってその相手が自分のよく知るあの及川さんだということで、そうも言ってられなくなった。
両方男であることよりも、及川さんであるということが一番の衝撃で、思わず日向の趣味を疑ってしまう。
好きになった相手が悪すぎると、つい「ご愁傷様」なんて言葉がするりと口をついてしまって、やってしまったと思っていると、真ん丸に見開かれた瞳が俺を見た。

「……引かれて、気持ち悪いって言われると思ってた」

俺の反応が予想外だったらしく、ぽつり零れた日向の本音に、普通はそうだよな、と改めて考える。
いつもの自分なら、間違いなくそう思って、おまけにそのまま言葉を音にしていただろう。
そうならなかったのは、本当に相手が及川さんだったからか、それとも、それを言ったのが日向だったからなのか。
自分でも不思議で首を傾げていると、視界の隅で日向がまた泣きそうに目を潤ませたから、それどころではなくなってしまった。
咄嗟にらしくもなく慰めの言葉を探すけれど、やはり普段からしないことは急に出来るわけもなく、非常にぐだぐだなものになってしまった。
でも、涙は形にならないで済んだのでホッと胸を撫で下ろす。

「ありがとな。話聞いてもらえて、ちょっとスッキリした」

今まで誰にも話せなかったから、と日向はにっこり笑った。
涙の気配の消えたそれを見て、笑顔が似合う奴だと思った。

「俺、諦めない!もっともっと頑張ってみる」
「そっか。また話したくなったら聞いてやるよ」
「…じゃあ、またな」

面倒だから世話を焼いたりはしないけれど、話を聞くくらいなら構わないと、それでもまだらしくないことを言った。
何かを堪えるように俯いて、再び顔を上げた日向は笑顔のまま俺の横を駆け抜けた。
振り返ることのないその背を見送りながら、ふと思い出した光景に、やはりあれは気のせいだったのだと考えて、俺も足を踏み出した。


それから数度、お互いの中間地点にある喫茶店に寄り合って話を聞いてやったが、日向の涙を見たのはあの一度きりだった。
どうにも日向が泣いているのを見ると調子が狂うので、そうならずに済んでホッとした。
あんなチャラい人のどこがいいのかと気になったことを尋ねれば、格好良くてバレーが上手いところ、と如何にもな解答が返ってきた。
これは恐らく日向の言語力の問題で、本当はもっと伝えたいことがあるのだろうけれど。
確かに及川さんは男として憧れる部分は無きにしも非ずだ。でも、それを気の迷いだと思わせるほどに、あの人は性格が悪い。人としてどうかと思わされることもしばしばで。
それが恋愛感情なんてものになる理由は全く以て理解できず、推し量るのも難しい。
けれど、それと同じように理解できないのは、どうして及川さんが日向に冷たくするのかということだ。
選手としての日向は相当気に入っている様子だったのに。そもそも男という点はどうしようもないし、あの人が女好きなのは知っているけれど。
日向は小さくて男にしては可愛らしい容姿をしているし、自分にそんなものがあったのが驚きだが、庇護欲というものを刺激される。図らずしも、この俺でさえ邪険にできずにいるというのに。
間違っても期待なんてもたせないようにというモテる男の処世術なんだろうかと、そんなことを考えながら、あれ以来、自分が及川さんを見る目も随分変わってしまったように思う。
あんな風に日向を泣かせておいて、素知らぬフリで女の子たちと戯れているあの人を見て、胸に生まれる不快感は何なのか。
そのために会っているのに、及川さんの話ばかりする日向に覚えるもやもやとした気持ちは何なのか。
日向に泣かないで欲しいと思っているのに応援する気にはなれなくて、励ましの言葉も出てこない。
じゃあ、いったい俺は及川さんと日向にどうなって欲しいのだろう。
考えずとも答えは見えている気はするが、今はまだ気付かないふりをしていたくて目を閉じた。
そんな俺でも、ただ話を聞いているだけの存在であっても、日向は懐いてくれていたから。
俺と話している時の日向は大抵笑っているし、時折顔色を曇らせてもすぐに笑顔に塗り替えられるから、俺はあのことをすっかり忘れてしまっていた――…。


「日向っ!」

呼び馴染んだ名を音にしながら咄嗟に掴んだ日向の腕は、男にしては細い方だったけれど、驚くほどのものではなかった。
体は見てわかる通り小さく、そのジャンプ力は目を瞠るほど凄まじいけれど、それでも足はしっかりと地面を踏みしめていたのに。
今、目の前にある日向の体は地面から数十センチほど浮き上がっていた。
そのままどこかへ飛んで行ってしまいそうで、俺は焦ってその手を取った。

久しぶりに日向のその姿を見つけた時には既に体は浮いていて、それまで忘れていたあの日の光景が、そっくりそのまま重なった。

――あれは、見間違いではなかったのだ。

さめざめと涙していた日向は自分が置かれた状況を意識してなかったようで、俺の形相に涙に潤む瞳をきょとりと丸くした。
いつもなら見上げているはずの俺と同じくらいの目線なことにも気付いていないらしい。

「自分の体よく見てみろ」
「え…ぅわっ、え、何で、俺…どうなって…」
「とりあえず落ち着いて」

指摘されるまま視線を下ろして漸くそのことに気付いたらしい日向は、軽くパニックになってばたばたと宙で足を泳がせた。
腕を掴んだまま、自分も大概なくせに宥めるように言い聞かせる。
やがて、なんとか日向の様子が落ち着いてくると、比例するように空を切るばかりだったそれは次第に高度を落とし、すとんと地面に着地した。
崩れそうになった体を掴んでいた腕で支えて、俺と日向はわけがわからず顔を見合わせて目を瞬かせた。
暫くして脳が正常に動き始めた頃、どちらともなく今のが現実だったのかどうか試してみようということになった。
そうして奮闘してみたところ、いくらやっても今一度その体が地面を離れることはなかった。
どうやら故意的にできるものではないらしい。
あれがもし現実だとしたら、寧ろ自分でコントロール出来た方が安心も出来るというものなのに。
本当にそうだったかのかもよくわからない現象は、二人の共有する新たな秘密になった。



原因がわかったのは、それから間もないことだった。
気のせいだと思っていた一度目と、まさかと疑念を抱いた二度目。そして、確信した。
どうも日向は悲しみによって体が宙に浮くらしい。
日向が浮くのは決まって及川さんに冷たくされて泣いている時なのだと、それをよく見ていた俺が気付いた。
けれど、原因がわかったところで対処法まではわからず、そもそもどうにかなるものかどうかもわからない。
それなのに、その高度は日に日に増していっているようで、らしくもない焦燥の波に揺られる。

――涙に込めた悲しみを地に残して、その分軽くなった体は宙へと舞い上がるような。

その内、手の届かないところまで飛んで行ってしまうんじゃないかと不安になる。
一度手を離したら戻ってくることはない風船を思い浮かべて、足先からゾッとしたものが這い上がる。
勿論、日向もそれは感じているようで、学校では何でもない風を装っているようだけど、俺の前では弱音を吐いた。あんなに眩しかった笑顔は翳りをみせて、日向ではないけれど、俺も泣きそうだった。

それでも日向は、及川さんを好きだと言うから。

ただひたむきに、あの人への愛を紡ぐから。

こんなに想われているのだから、いい加減応えてやればいいのに。
そう思いながら、それが本心ではないことは自問するまでもなく明らかだった。

――いつの間にか、叶わぬ恋をする日向に、叶わぬ恋をしていた。

どうしようもないことの二乗。ただ虚しいだけの想いを止めることは出来なくて。
ひたむきに及川さんを想う日向を呆れたように見ていたはずなのに、自分もそちら側に回るなんて。まさか自分がこれほど愚かだとは思わなかった。
面倒くさがりの自分が、これ以上ないほど面倒くさい相手を好きになるだなんて、想像もしなかった。
けれど、もうやめてしまえとも、ましてや、俺にしておけなんて言えるはずもなくて。
話を聞くだけで何の力にもなれない自分に、そんな資格があるはずもないから。
もし俺が日向を想って泣いたなら、同じように宙へと浮かぶことが出来るだろうか。そうして日向と共にどこかへと漂って行けるなら、それもいいかもしれないけれど、きっとそうなりはしないから。

俺はただ、悲しみに暮れるその小さな体を抱きしめた。
許しを乞うように、縋るように。

悲しみを吐き捨てて足りない分は、俺の愛で埋めるから、どうかどこへも行ってしまわないで。



****

及川さんは本当に日向をなんとも思ってないノーマル思考でも、自分のせいで泣く日向が見たくてその気持ちがどこまでもつか試してるクズ思考でもいいと思います。そうなれば及→←日←国ですが。
国見の想いが日向に伝わって、次第に氷を溶かすように絆されて幸せになってくれてもいいなと思います。



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