バサリ。
頭上から聞こえた羽音が、自分のすぐそばで消えた。
吹き抜けた一陣の風に煽られるように着物の袂がひらりと舞った。
林の木々を揺らし、昼下がりの木漏れ日の差し込む中降り立ったのは、よくある鳥類のそれではなく、或いは自分よりも大きな存在のように感じられた――…。

いったいそれが何であるのか。知りようがなくとも、恐れを抱いたりはしない。
常から変わらぬ真っ暗な視界の中、黒子は特に気にすることもなく自分の進むべき道を歩んだ。

「え、ちょっと、待ってよ!」

しかし、すぐ横から聞こえてきた声に、黒子は不思議に思いながらも素直に足を止める。
突如出現した気配に、声のした方を振り返る。

「僕ですか?」

他に気配はないため恐らくはそうだろうと思いつつも一応確認をとってみれば、前方にあった気配が動揺に揺らいだ。

「まさか、目が…」
「はぁ、すみません」
「いや、何で謝んの?そっか…無視されたのかと思って焦ったわ」

すみません、とまた口をつきそうになった言葉を呑み込む。
黒子の目は、無意味なものを映すことなく閉ざされ、視界は常に真っ暗だ。
目を開けば僅かな光くらいなら感じ取ることは出来るが、それだけである。
そして黒子は何かの存在を認識した上で気に留めていなかったので、無視と一概に言ってしまえばその通りだった。
何故か安堵している様子の相手の意図がわからず、どうしたものかと逡巡していると、思い立ったようにあちらが口を開いた。

「なぁ、その目、治したいとは思わねぇ?」
「治す?」
「俺があんたの目を見えるようにしてやるよ」
「…いいえ、結構です。もし仮にそんなことが出来るのなら、僕ではなく他の方にしてあげてください」
「……」

何故いきなりそんなことを言い出したのか。自分を憐れんでのことなのかも知れないが、明らかに出来ないことは軽々しく口にするものではない。例えそれが可能だとしても、黒子の答えは変わらない。
生まれついて目の見えない黒子にとっては、もはやこれこそが正常であり、今の状況に特に不便を感じているでもない。ありのままを受け入れている黒子にとって、その申し出はあまり意味のないものだった。
ならば、もっと困っている人にこそ救いの手というのは差し伸べられるべきだと思うのだ。
そう、思ったままを口にすると、驚いたように息を呑む気配が伝わる。
まじまじと観察するように向けられる視線に、黒子は居心地の悪さを感じざるを得ない。

「あの、もういいでしょうか?」

これ以上こんなところで時間を食うわけにはいかない。
今はまだ日が昇っているはずだが、それも直に暮れ始めるだろう。
視界的な意味では関係ないが、日が暮れると動物や妖の類が人に害をなそうと出没するため、今の内に林を抜けてしまいたかった。

「あぁ、待って待って。名前、教えてよ」
「人に名を尋ねる時は先に名乗るのが礼儀では?」
「確かに。なにぶん人と話すのは久しぶりなもんでね。俺は高尾。改めて名前を聞かせてくれる?」
「僕は黒子です」
「黒子…何?」
「テツヤです」

自分は片方しか名乗らなかったくせに、とはもう面倒くさいので突っ込まないでおいた。
人と話すのは久しぶりだと言うのも、黒子も同じようなものなので深くは考えない。

「黒子テツヤ…テッちゃん!」
「は?」
「テッちゃん、ここってよく通るの?」
「…週に一度ほど」
「そうなんだ…じゃあ、また来週、ここで俺と会ってくれる?」

いきなりあだ名を付けられ、いかにも親しげに呼ばれたそれに、黒子は顔に出さないまでも驚いた。
なんとも馴れ馴れしい相手だと、返事に躊躇いが生じるのは仕方のないことだろう。
初対面でこうぐいぐいとこられたのは初めてのことで、どうにも困惑してしまう。

「気が向けば」
「うん。それでいいよ」
「……」

精一杯の答えは快く了承されてしまった。
相手の真意が窺えず、黒子は見えてもいない視界に高尾の気配を捉え続けた。
けれど、その気配からは感情の起伏を読み取ること叶わず、黒子は諦めて息を吐き出した。

「それでは、失礼します」
「またね、テッちゃん」

恐らくは手を振っているだろう相手にお辞儀だけして背を向ける。
何やら奇妙な男に興味を持たれてしまったようだとは思いつつも、それを厭う気持ちは不思議となかった。



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