二月十四日という今日は、世の男たちがそわそわと落ち着かない一日を過ごすバレンタインデー。
今のご時世、義理以外のチョコレートを貰える確率がどれほどかは知らないが、例え義理だとしても貰えるだけ有り難いというものだろう。
それが親類からにせよ、クラスメイトからにせよ、街頭で配られていた物にせよ、何かしらの気持ちがこもっていることに違いはない。
では、男が男に渡すチョコレートというのはいかがなものなのだろうか。

今年はよりいっそう雰囲気を盛り上げるかのように雪が降り積り、ホワイトクリスマスならぬホワイトバレンタインデーとなっている。
そんな行事とは縁遠いと思っていた黒子だが、今日ばかりは、もしやこの雪は自分が呼んでしまったのではないかと感じずにはいられなかった。
きっと黒子以外にも、そう感じているものが少なからずいるはずだ。本来の自分とは似つかわしくない行動をとってしまった、商業に踊らされてしまったものたちが。

バレンタイは、いわば乙女たちのお祭りである。
男であり存在感の薄い自分には関係ないものだとこれまでは思っていたが、今年は違う。
何の気の迷いからか、たまたま通りかかったバレンタインフェアのコーナーで、真っ先に目に飛び込んできたそれを手に取ってしまったのがそもそもの間違いだった。
この時期に男がチョコレートを買うなど相当のことだが、そういう方面に頓着しない黒子はいつものように店員を驚かせつつもそれを購入した。
“今だけ送料無料”と踊る文字が視界の隅をちらついても、あえて見ないふりをして。
これ以上ないくらいにらしくないことをしてしまった自覚は、それを手にした時からあった。だからこそ、もしかしたら雨か雪でも降るのでは。もしくは嵐でもくるかもしれないとまで自虐的になっていたのだ。
けれど、まさか本当に雪が降ろうとは。
嵐ではなくてよかったなんてことを思いつつ、黒子は視界に広がる雪景色を見やる。
これはこれで風情があっていいではないか。雪の後押しなんてものもあるかもしれない。
今日は寒さと気恥ずかしさから頬を赤く彩った乙女たちが、自分の気持ちをチョコレートに託して想いを伝える日。
周りの喧噪や楽しげな雰囲気など知らん顔で、さげた鞄の中。行き場のないチョコレートが一つ、物悲しくスペースを埋める。

全国的な雪は各地を白く染め上げ、人々を楽しませ、また逆に混乱させてもいるらしい。
京都の清水寺のそれは幻想的なまでに美しく、滅多とみれない銀世界が一面に広がり、人々の心を魅了しているんだとか。
どこで誰が得たのかは知らないが、ふいに耳に入ってきた情報に、その光景を脳裏に思い描きながら黒子は校門に向けて歩みを進める。
放課後になっても雪の勢いは止まず、シンと体の奥まで冷えるような寒さが身を包む。
傘をさして俯きがちになりながら学校の敷地内を出た瞬間、突然横から伸びてきた手に腕を掴まれる。
何事かと驚きも露わに振り返った先、それまで思考を埋めていた白銀の世界を照らすように飛び込んできた鮮やかな金色。
「やっほー、黒子っち」
「黄瀬君」
そこにいたのは、本来こんなところにいるはずのない人物。
寒さに身を竦め、端正な顔を鼻の先まで赤くした黄瀬が、微笑みを浮かべる。
「…どうしてここにいるんですか」
「勿論、黒子っちに会いに来たんスよ」
「わざわざこんな雪の日に、ご苦労なことですね」
「黒子っちへの愛があれば、こんな雪なんてどってことないっス」
寧ろ俺の愛で雪の方が溶けちゃうっスよ、などとわけのわからないことを誇らしげに言う黄瀬を、これまでに得たスル―スキルを発動させて華麗に受け流す。
「一緒に帰ろ、黒子っち」
「はぁ…」
そんな黒子の態度にもめげず、にこにこと笑みを絶やさない黄瀬はいつからここにいたのか、肩に雪を積もらせていて、思わずため息が口を吐く。
他の生徒の目につかないようにと配慮していたのだろうが、傘もささずに物陰に潜んでいたというのだから驚きだ。なにもそこまでして自分なんかを待っていなくてもいいのにと呆れてしまう。
せっかく待ってくれていたのだしと仕方なく黒子が了承すれば、相合傘をしようなどと調子にのった黄瀬を一蹴する。
渋々といった様子で自分の持っていた傘を広げた黄瀬と隣り合って、足元に気を付けながら歩き出す。
ちらりと窺うように見た黄瀬が、どこかいつも以上にテンションが高いように感じるのは気のせいだろうか。
そう思った瞬間。犬は喜び庭駆け回る。そんな言葉が頭に浮かんだ。
そしていったいいつまでこの雪は降り続ける気なのだろうかと考えていれば、隣に並ぶ黄瀬がなにやらそわそわとし始めたのが視界の隅に映る。

「今日はバレンタインっスね」
「そうですね」
「黒子っちは、誰かにチョコ渡したんスか?」
ドキリ。不意打ちな一言に、心臓が跳ねた。
「どうして僕が…」
渡すだなんて思ったのか、自分は男なのに。そう平静を装って口にしようとした黒子を、黄瀬はそれまでと違い何を考えているのかわからない表情で見つめて、またにこりと笑った。
「じゃあ、誰かにチョコ貰った?」
「…はい。カントクに、この世のものとは思えない禍々しいオーラを放つ物体、自称チョコレートを貰いました」
「へー、そうなんスか…」
それが配られた時のことを思い出し、同時に他のメンバーの苦渋に満ちた顔が浮かび遠い目をしながら答える。それが伝わったのか、黄瀬も憐れむような視線を黒子に向けた。
そっちはどうだったのかと聞き返そうとして、答えはわかりきったことだったと言葉を呑み込む。
しかし、そんな黒子の気も知らず、黄瀬は聞いてもいないのに自らそれを口にした。
「俺、今年は一個も貰ってないんスよね」
「え、そうなんですか?」
「そうなんスよ」
黒子はその意外過ぎる言葉に目を瞠る。
どうしてそんなことが起こり得たのかと首を傾げる黒子に、黄瀬は苦笑を漏らし、コートの端をちらりとまくってみせた。
その下から覗いたのは、明らかに制服とは異なる衣服だ。
「学校、休んだんですか?」
「うん。今日みたいな日は何かと面倒だから」
“面倒”が意味するところは、なんとなく想像がついた。
学校という閉鎖的空間であっても、黄瀬にチョコを渡したいという人間がどれほどいるか。それらを受け取るにしろ断るにしろ手間がかかるということだろう。きちんと整備のされていない校内では、あわやパニック状態にも陥りかねない。
一応手渡し禁止って事務所からのお触れは出てるんスけどね、と笑う黄瀬に、モデルも大変なものだなと思う。
「でさ、黒子っち」
「何ですか?」
「そんな可哀想な俺に、チョコくれないっスか?」
「は?どうして僕が」
「義理でもなんでもいいから、黒子っちからのチョコが欲しいんス」
そのためにわざわざこんな雪の中、学校を休んだ身でありながら黒子に会いにきたのだと、黄瀬はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
そうまでして自分なんかからチョコレートを貰いたいなんて全く奇特なものだと呆れながら、跳ね返ってきた思考に心が痛む。
「チョコなんて、持ってませんよ」
ここでチョコレートを持っていることを認めてしまうのは憚られて、嘯いてぎゅっと握り締めた鞄の中。存在を主張するかのようにがさりとそれが音を立てた。
「本当に?」
がらりと調子の変わった静かな声に、心臓が不規則に脈を打つ。
バッと顔を上げれば、必死に隠そうとする黒子の心とは裏腹に、何かを覚っているような、こちらの考えを見透かすような瞳で自分を見ている黄瀬と目が合う。
もしかしたら、とっくに黒子の心の内など知られてしまっていたのかもしれない。
黄瀬はいったい何を、どこまで知っているのか。ふいに怖くなった。
行き場をなくした、いや、もともと行き場などなかったチョコレート。
渡せるはずがない。届かない。
ちらりと脳裏を掠める赤。決してこちらを振り向くことはない孤高の背中。
手を伸ばしても触れない絶対的な存在。
「……」
ちりちりと胸が焼かれていく感覚。
ぴたり。黒子の心に反応するように、足が動くことをやめた。
黄瀬もまた、黒子に倣って歩みを止める。
幾重もの足跡ですっかり汚れた白に染まる地面に視線を落とし、唇を噛み締める。
黄瀬より身長の低い黒子の俯いたその顔は、黄瀬からは見えてはいないはずだ。
黒子は勢い任せに鞄に手を突っ込み、すぐに触れたそれを乱暴に掴みだす。
「どうぞ」
「本当にいいんスか?」
「構いません」
とん、と顔を俯けたまま黄瀬の胸にそれを突き付けて、受け取ったことを確認して背を向ける。
「すみませんが、用を思い出したのでお先に失礼します」
「あ、黒子っち!」
焦った様子で自分の名を呼ぶ黄瀬には構わず、ぬかるむ地面を滑らないように気に掛ける余裕もなく人混みの中に飛び込む。
どうせあのまま持って帰っていたところでゴミ箱いきになっていたのだから、その手間が省けてよかったではないか。日の目をみることなく暗い場所に追いやられるよりは、少しはあのチョコも救われることだろう。
胸につっかえるなにかを誤魔化すように、弱虫な自分から逃避するようにそんなことを考えながら、黒子は未だ降り続く雪の中を突き進んだ。




黒子が去った後も、黄瀬は暫くその場に立ち尽くしていた。
意地悪をしてしまったと自責の念にかられながら。
手に収まる、ラッピングも何もされていない質素な赤色の箱。
黄瀬は通行人の邪魔にならないよう端に寄ってから、殊更丁寧にその箱を開けた。
綺麗に整列する形のまばらな茶色い粒を一つ摘み、口に運ぶ。
「…はは、…嫌になるくらい甘いなー…」
口に広がった甘さ。心に広がった苦さ。
相俟って、どうしようもなく胸が苦しくなる。
他人のために用意された、その相手への気持ちのこもったチョコレート。
本当に好きな相手から貰った、自分への気持ちの一切ない、義理ですらもないチョコレート。
それでも、投げやりな気持ちだとしても、それを黒子から貰えた事実がただ単純に嬉しくて。
掻き毟られるようなこの感情も、思わず潤みそうになる瞳も、今はぐっと押し込めて。

「ハッピーバレンタイン」



(ただ心に降り積もるこの気持ち)




バレンタイン小説でした。
全然甘くない内容になりましたが、まぁ、私らしいかなと。



[*前] | [次#]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -