いつものようにさぼり場の一つである屋上に足を踏み入れた灰崎は、今や自分の指定席となっている場所にある人影を認めて足を止めた。
何も視界を遮るものなどないそこにぽつんと座るその姿が、今にも空に溶けてしまうんじゃないか、なんて柄にもないことを灰崎に思わせるそいつは、同じ空色の瞳をぼんやりと遥か上空へと向けていた。
端から小さなその身体を、まるで何かから隠れでもしているように更に小さく丸めて。

気配を察したのか、怯えるようにこちらを向いた空色は、しかし灰崎の姿を捉えた途端に、ホッと安堵の息を漏らした。
これまでではありえないその反応に、己の内から不快な塊が込み上がってくる。
だいたいにしてそんな反応をされる謂れのない灰崎にとって、それは不可解であり不名誉でしかない。

「優等生のお前がこんなところにいるなんて、どういう了見だ?」

とっくに授業開始を知らせる鐘は鳴った。そうでなければ灰崎がここに来るわけがない。
誰もいないだろうはずの場所で、こんな珍しい奴に会うとは微塵も予想していなかったのだから。
悠々と昼飯後の睡眠を貪ろうと意気込んでいた気持ちは、その存在によりすっかり消え失せてしまった。
何より、明らかに何かありましたといった風なこいつにちょっかいをかける方が楽しそうだと、直感的に判断したのだ。

「僕にだって、たまにはそういう気分の時くらいあるんですよ」

どうせ教室にいたところで気付かれることの方が稀なのだからと、黒子は何の感情も滲まない声で言った。
便利なもんだな、とその部分に関しては割と本気で羨ましく思いながら、相変わらずの無表情に近付き、隣に腰を下ろす。

黒子は距離をとるでもなく、席を外すでもなく、変わらずそこに居座り続ける気のようだった。

それからは暫し沈黙が落ちる。
そもそも自分と黒子に共通の話題などなく(あってもそれはこちらにとって不愉快なものに違いない)、特に言葉を交わしたいとも思わないのだから当然そうなる。
授業中で静かな空間で、ただ空を見上げボーッとする時間が続く。
灰崎は本来人の気配を煩わしいと思う質だが、もともと存在感が薄いせいか、この空間は不思議と居心地悪くはなかった。

「灰崎君は、やはりバスケは嫌いですか?」
「あぁ?」

ふいに口を開いた黒子の言葉に、思い切り眉を顰める。
灰崎に対してそんな話題を振ってくる者など、今となっては皆無だった。
だからこいつと話なんてしたくないんだ、と滲んだ苛立ちを隠しもせず吐き捨てるように返す。

「嫌いだね。バスケも、キセキとか呼ばれて調子にのってるあいつらも、ぜーんぶ大っ嫌いだ」
「っ!」

声を大にして言い放つと、隣で華奢な肩がびくりと跳ねた。
自分は別に変なことを言ったつもりはない。それはきっと黒子にしてみれば予想通りの返しだったはずだ。それなのに、この反応はどういうわけだ。

「あいつらと何かあったのか?」

それくらいしか、今の反応の理由など思い付かない。
あいつら。キセキの連中は、驚くほどこの影の薄い野郎にご執心だ。
そういえば最近の奴らの様子がどこかおかしかったと、たまたま目にしただけの数人の面を思い浮かべる。
その中でも、やたらに校内中を歩き回る糞モデルと、あるいは自分以上に粗暴に振る舞う野蛮なガングロの姿は、灰崎の目に留まるほどに目立っていた。
そんなキセキとこの黒子の様子から、なんとなくの状況を理解する。

「別に、何もありません。仮にあったとしても、君に話すつもりはない。…ただ、今は彼らに会いたくないんです」
「会いたくない?ったって、部活では嫌でも顔合わせんだろ」
「部活には、行ってません。…学校も……」

その先は言葉にならずとも察しがついた。
自分からすればバスケ馬鹿と呼んで差支えないこいつが部活に行かないなんて相当だ。
そして、避けられているキセキの面々を差し置いて、自分がこうしてこいつを見付けたのだという事実に、どろりと黒いものが体の奥から沸き上がるのを感じた。

「そんなにあいつらと関わりたくないなら、俺の傍にいればいいんじゃね?」
「は?」

予想もしなかっただろういきなりの提案に、黒子はあからさまに眉を寄せるが、灰崎はそんなことなど気にすることなく、寧ろあの無表情が崩れたことにほくそ笑みながら言葉を続ける。

「あいつらが自分から俺に近寄ってくることはまずない。俺と一緒にいれば、絶対に安全だぜ?」

そう、奴らが何を好き好んで灰崎を訪ねて来るわけもない。
逆に嫌厭されているからこそ、この提案には絶対の自信があった。

「彼らは勿論、僕は君にも会いたくはなかった」

だからそんな提案は受け入れられない。
再び無表情を貼り付かせた黒子は、すっぱりとそう答え頭を振った。
本人を目の前によくも言ってくれるものだ。そうは思っても、自分の行いを自覚している灰崎は別に怒りを覚えるでもない。

「あいつらの鼻を明かしてやろーぜ。それに、俺は意外とお前のことは嫌いじゃない」
「…僕は君のことは好きじゃない。けれど、少し考えさせてください」

それは、灰崎からしたら同意しているも同じに受け取れた。
黒子という男は、その儚げな外見からは想像もつかないほど真っ直ぐで頑固な性格をしていて、嫌なことは嫌だとすぐに跳ね付けるような奴なのだから。
愉快気に口角を上げた灰崎は、隣の空色に距離を近づけ、横一文字に引き結ばれている唇に己のそれを押し付けた。
瞬間、腹に鋭い痛みが走り、隣から空色が姿を消す。

「何をするんですか、君は」
「あぁ?お前をあいつらから救ってやる前金的な?」

ずきずきとキスの代償にしては重すぎる一撃を食らった腹を押さえながら、勢いよく立ち上がった黒子を痛みに眇めた目で見上げる。

「誰も、そんなことは頼んでいないし、了承してもいない」
「お前も大概面倒くせぇのな」

そんな、救って欲しそうな、助けを求めるような目をして俺の前に現れておいてよく言う。
自分は別にこいつを助ける気なんて毛頭なく、キセキ共の鼻を明かすために利用しようと考えているだけ。
だから、こいつもこちらを利用するくらいの気持ちでいいのだと、軽く自分の手を取ればいいのにと、灰崎は未だ煮え切らない様子の黒子を呆れた顔で見やる。
ただ、それに何の代償も伴わないとは保証しかねるが。
既に唇を奪った後では、それももう今更か。

「ほら、こんなに簡単じゃねえか」

それでもまだ手の届く距離にあった黒子の腕を掴み、力任せに引き寄せれば、抗う素振りを見せながらもその小さな体は灰崎の腕の中に落ちてきた。

今、この距離にいるのは自分だけだ。
そう考えると、思わず笑いがこみ上げてくる。

黄のモデルも、青のエースも、赤の皇帝だって、今のこいつには必要ない。
自分の傍にある黒子の姿を目にした時、あいつらはその表情をどんな風に歪めるだろうか。

灰崎は己の腕の中に小さな空色を捕らえたまま、沸き上がる愉悦を抑えきれずに声を上げて笑った。



(もっともっと堕ちればいい)




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