進言された通りきちんと食事を与えられ、飢えは満たされているものの、別の部分では陰りがチラつき始めていた。
以前にも感じたことのあるそれは、眠りの前兆であるとすぐに気が付いた。
常より間を置かず訪れようとしているそれに、やはり今回は色々と狂いが生じている気がして、もしかしたら自分が人間と関わったせいかもしれないと漠然とした不安を抱く。

赤司は黒子の気持ちが落ち着くと、何故か二人のことを聞きたがった。
赤司が眠っている間の出来事を目覚めてから報告のような形で話すのは毎回のことで、今回はほぼ二人のことしか話すことがなかったのもあって、黒子は言葉を選びながらも黄瀬と青峰について語った。わざわざ改めて聞かずとも、赤司はその間のことも概ね理解しているのだが、どうも黒子の口から直接聞きたいらしい。

話しながら二人と過ごした日々を思い出していると、それが随分昔のことのように思えた。そして、もうこの記憶を持つのが自分しかいないのだと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気になる。思い返してみれば、本当に今回の記憶は二人のことばかりで、それだけ自分が二人と共にいたのだと、その時間がかけがえのないものだったのだと今更ながらに実感した。

赤司と一緒にいる時間は食事を除き、眠っていた間のことを話したり、読んだ本の感想を言いあったり、そんな他愛ない会話を交わしもすれば、同じ空間にいるにも関わらず互いに無言で本を読み耽ることもしょっちゅうだ。
大半は赤司と一緒にいて、同じ家にいながら別々に行動するということはあまりない。
ストックも残っているからか、赤司は目覚めてから一度も狩りに出かけていないようだし、二人揃ってあれからずっと家に籠もりきりということになる。故に、どれだけの時が過ぎたかなど見当もつかず、又考える意味もない。家の中の時の流れはまるきり別次元のように感じられる。いや、赤司の力に覆われたこの空間は、確かに別次元なのだ。


その日、目を覚ました黒子の体は気怠さに支配されていて、少しの動作すら億劫に感じられた。
怠くてベッドから起き上がれずにいると、コンコンと部屋のドアがノックされる。
短く返事を返すと、ゆっくりとドアが開かれた。
入ってきたのは勿論赤司だ。

「調子はどうだ?」
「……」

黒子が動けないのをわかっていたように赤司が問う。きっとわかっていたからわざわざ部屋まで来たのだろう。

「もう、時間がないみたいだな」
「そうみたいです」

あと幾つもしない内に、黒子は眠りに落ちる。ちょっとやそっとじゃ覚めることのない深い眠りに。抗うことの出来ない強制的なそれに。
赤司がベッドに近づき、身長のそう変わらない黒子を軽々と抱き上げる。
所謂お姫様抱っこというやつだが、黒子は抵抗しない。いや、出来ないというのが正しいか。
開け放ったドアから廊下に出ると、そのまま一階へと下り、更に普段は使われることのない地下へと続く階段を下っていく。
心地良い振動に揺られながら、黒子は目を瞑った。
脳裏には、自然と黄瀬と青峰の姿が浮かぶ。

「テツヤ」

そんな黒子の考えを読んでか、赤司が呼びかける。
重い瞼を押し開き、どうやら目的地に着いたらしいことを知る。
目の前には、二つの黒い棺が並んで置かれていた。
地下にあるこの場所は、一面大きさの不揃いな石が上手く組合わさって出来ており、地面には赤い絨毯が敷かれているだけで棺の他には何もない、蝋燭が数本灯るだけの薄暗い空間だ。
その棺の片方に赤司が黒子を横たえる。
黒い棺の中は血を思わせるような真っ赤なシルク生地の布が敷かれていて、その両色は黒子の白さをよりいっそう際立たせた。

窮屈ではないが広くもないといった箱の中、ほとんど仕事をしなくなった頭で考えるのは、やはりもう会うことのない二人の人間のことだった。
ぼんやりと宙を見上げていると、赤司の顔が視界に映り込む。

「赤司君」
「ん?」
「お願いが、あるんです」
「何だ?」

赤司の声はひどく優しく耳に響いた。
その瞳は声同様、黒子を愛しむような優しい色をしている。
けれど、ぼんやりと霞がかる黒子の視界ではそれを判別することはできない。

「僕の中からも…二人の記憶を、消してくれませんか」

それは時折、ふと思い立っては打ち消してきたことだった。
覚えているから辛いのだ。けど忘れてしまいたくはない。そう思っていたのに、やはりこのまま眠って二度と会えないのだと思えばやりきれない気持ちになった。
夢にまで見てしまいそうで、そうして起きた時の喪失感を考えて胸が潰れてしまいそうだった。
だから、いっそ忘れたいと願った。とても身勝手なことだとわかっていても。
二人が忘れても自分が覚えている。そのつもりだったのに。
結局、自分は強くはなりきれなかったらしい。いや、普段の黒子なら決してそんなことは口にしなかっただろう。体も心も弱っているから、ついついそんな言葉が溢れたのだ。

いくら待っても、赤司からの返事はない。
黒子は不審に思って、今一度赤司の名を呼んだ。

「それは出来ない」
「…何故、」
「お前のためにならないからだ」

厳しい一言が、胸に刺さった。
たった一言。それだけで十分だった。
二人のことを忘れてしまったら、黒子はきっとひどく後悔するだろう。また、忘れたが故に同じ過ちを繰り返さないとも限らない。
二人と過ごしたことで得られたものを失くしてしまうことにもなるのだ。
霞みのかかる頭でも、その程度のことは理解できる。
黒子は己の愚かな発言を恥じた。

「すみません」

赤司はとても優しい。全て自分のためにしてくれることだと黒子もわかっているから、赤司には逆らえない。

「いや…。それに、そんなことをしなくても、もしかしたら眠っている間に忘れてしまうかもしれないしね」

もし次に目が覚めた時に、それでも消したいと望むならその時は消してあげよう、と赤司が言った。
さっきの言葉で、黒子がもう二度とそんなことを口にはしないとわかっているだろうに。
赤司はとことん黒子に甘い。
甘やかされている自分が可笑しくて、黒子は目元を緩めた。

「ありがとうございます」

その言葉を最後に、ふっと意識が底の方へと沈みゆく。

赤司が大切なものを扱うように黒子の髪を優しく梳いた。

「おやすみ、テツヤ」

よい夢を…。

感覚のなくなりつつある唇に、チュッと触れるだけのキスが落とされた。




[*前] | [次#]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -