記憶の始まりから、赤司は黒子の傍に居た。
自分を黒子のパートナーだと言い、目覚めたばかりで何もわからない黒子に吸血鬼という存在について一から教えたのも赤司だ。その後、吸血鬼についての文献や物語なんかを読みもしたが、当然ながら赤司が語る以上のことは書かれておらず、真実とは違うことが書かれていることもしばしばだった。
吸血鬼というものは、人間のようにこまめに睡眠をとる必要はない。眠くなれば眠り、又眠らなくともなんら支障が出ることはない。
しかし、数百年に一度、長い眠りを必要とする。それは、赤司から聞いた話。何故それが必要なのかは赤司にもわからないのか、詳しいことは何も語らなかった。
黒子と赤司は睡眠のサイクルが違い、赤司が眠っている間黒子は起きているし、逆に黒子が眠っている間も赤司が眠ることはない。
自分たち以外にも吸血鬼はいるらしいのだが、黒子は会ったことがなく、他がどうなのかは知らない。黒子の世界は赤司が全てだったと言える。
そんな赤司が今から数十年前に眠りにつき、まだ当分目覚めることはないだろうと思っていた──…。

ふっと意識が浮上する。開けた視界に映るのは見慣れた天井だ。

「目が覚めたか?」

隣から聞こえた声に目を動かすと、ベッドの横の椅子に腰かけた赤司の姿が映る。
そうだ、赤司君が目を覚ましたのだった、とまだ霞みのかかる頭が一気に動き出す。

「大丈夫か?」
「えぇ…大丈夫です」
「そうか。…そういえば、テツヤが眠っている間にあの二人が来たよ」

上体を起こそうとしていた黒子はピクリと反応を示し、中途半端な位置で動きを停止させる。
赤司が言う二人とは、黄瀬と青峰のことに違いない。

「それで…二人は……」

ドクドクと心臓が騒ぎ始める。恐る恐るといった風に口を開いた黒子に、赤司が微笑む。

「テツヤのことを心配していたけれど、今は眠っていると伝えたら大人しく帰ったよ」
「そう、ですか」

それだけで、二人からすれば素性の知れぬ赤司からのその説明だけで、二人は本当に大人しく帰ったのだろうか。
中途半端だった体勢を立て直し上体を起こせば、椅子に腰掛ける赤司とだいたい同じくらいの目線になる。どうにも納得しかねるという様に目の前の色違いの双眸を窺っていると、赤司が徐に口を開いた。

「あぁ、けど、あいつらがここに来ることはもうニ度とないかもしれないな」
「えっ…」

一瞬何を言われたのか理解できなかった。
驚愕に彩られた瞳に映る赤司は、愉快そうに笑っていた。

「何を…したんですか」

尋ねながらも、最悪の想像が頭を過ぎる。

「ただ、記憶を消しただけさ。…何だ?僕があいつらを殺すとでも思ったのか?」
「…いえ、それなら…いいんです」

滅多に感情を表に出さない黒子が血相を変える様を見て、赤司は可笑しそうに言った。
それを受け、どうしてそんなことをしたのかなどという愚かなことを口にしたりはしない。黒子は吸血鬼で、黄瀬と青峰は人間。それが全てだ。そう納得しながらも、黒子は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
黄瀬と青峰の中から、黒子という存在が消えた。
黒子と関わっていた時間はなかったものとなり、恐らくは別の記憶にすり替わった。
それは、いずれ遅かれ早かれそうなると覚悟していたことではないか。それが今だっただけの話だ。
覚悟していたはずなのに、予想以上の衝撃を受け放心してしまった黒子を、赤司はそれまでとは変わって静かな瞳で見つめた。

「お前もわかっているとは思うが、僕らと人間の中に流れる時は同じじゃない」
「…はい」

何故今更そんなわかりきったことを口にするのだろうかと思いつつ、黒子は頷きを返す。

「人間は僕らからしてみれば、ひどく儚くて、そして脆い」

そう言った赤司の目は確かに黒子に向けられていたが、どこか遠くを見ているような印象を受けた。
何かを思い出しているような、そんな目をした赤司に、もしかしたら赤司にも今の黒子のような過去があったのだろうかとなんとなくそう思う。聞いてみようかとも思ったが、その視線に気付いた赤司が、それまでの空気を一変させるような冷たい表情を見せたため、言葉に詰まる。

「まぁ、所詮人間なんてものは僕らにとっては餌でしかない」

そんな奴らのことなんてどうだっていいだろう、と残忍な表情で突き放すようなことを口にする赤司に、黒子は瞠目する。

「お前は今、僕のことをひどい奴だと思っているかもしれないが、テツヤだって同じだろう?」
「何の、ことです…?」

意味がわからなかった。確かに黒子は吸血鬼で、本来ならその考えが普通なのかもしれないが、黒子は人間のことをそんな風に捉えたことはただの一度もない。

「今テツヤが考えていることは的外れだな。…テツヤ、僕は目覚めたんだよ?」
「……あ」
「次は、お前が眠りにつく番だ」

赤司の口から決定的な言葉が告げられる。そう、赤司が当分目覚めることはないだろうと思っていたから考えたこともなかったが、次は黒子に眠りが訪れる。そうすぐのことではないとは思うが、そう遠くもないことだろう。
しかも、黒子の眠りはその体の弱さに比例して長い。
眠りとはいつ訪れるかもわからなければ、いつ目覚めるのかも見当がつかず、自分で決められるものではない。長い時で二百年余り眠り続けた黒子は、目覚めた時の世界の変わりようにひどく驚いたものだ。
それこそ吸血鬼にとっては瞬きの如く一瞬のことでも、世界にとってはそうではなく、そういう瞬間に自分達と世界との時の流れは違うのだと実感する。

つまり、もしこのまま眠りについて、次に目覚めた時には、確実に黄瀬と青峰はもうこの世にいないということだ。
生きる時間が違うことなどわかりきっていたはずなのに、歯車が狂い出したような運命はもう時間が残り僅かしかないことを告げている。

「そんな…」
「だから、人間には関わるなと言ったんだ」

ショックを受ける黒子に、眉を顰めた赤司が吐き捨てるように言った。
その赤司の瞳には、目から透明な滴を溢す黒子の姿が映る。
人間に深く関わってはいけない。それは、再三赤司が忠告していたことだ。
吸血鬼としてはまだ若い方である黒子が人間と深く関わりを持ったのは、今回が初めてのことだった。

普段使用することのない涙腺は、まるで止め方がわからないとでもいうように次々に涙を溢れさせ、赤司はそれをただ静かに見ていた。

「すみません…」
「いや、構わない。もう少し、休んでいた方がいいみたいだな」

赤司が優しく黒子の頭を撫でる。
黒子はされるがままその手を受け入れ、目を閉じた。

「それじゃあ、僕はそろそろ部屋に戻ることにするよ。一人で考えたいこともあるだろうし」

ゆっくり休むといい、そう黒子を気遣うように赤司が椅子から腰を上げる。

「ありがとうございます」

そして、部屋を出ようとした赤司がふいにドアの手前で足を止め、黒子を振り返った。
何か言い忘れたことでもあったのだろうかと再びベッドに横になろうとしていた黒子も動きを止めそちらに目を向ける。

「あぁ、そうだ」
「どうしました?」
「もし彼らが自力でテツヤのことを思い出せたら、その時はまたこの家に招いてもかまわないよ」

思いつきのように軽く言った赤司の予想もしなかった言葉に、耳を疑う。
そんなことがあるはずがない。二人はもう黒子のことを思い出すことはない。
二人の命の時間も、自分に残された時間も、驚く程に短いのだから。
その限られた時間の中で、二人が黒子のことを思い出すなど不可能だ。
ましてやそれを行ったのが赤司であるのだから尚更だ。

「そ、んなこと…出来るわけがない」
「どうかな…あいつらならもしかしたら…」
「え…?」

小さな呟きは黒子の耳には届かず、聞き返しても、赤司はそれ以上何も答えずに部屋を出て行ってしまった。
赤司の真意がわからず、頭の中は混乱する一方で、黒子は静かに閉められたドアをただジッと見つめていた。

赤司がどんな表情でその言葉を口にしたのかなど知る由もなく。




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