俺と日向が付き合いだしたってことは、特に秘密というわけでもなかったけれど、敢えて言い触らすようなことでもなかった。そもそもが男同士なわけだし。
俺としては、可愛い日向が自分の恋人なんだと周りに自慢兼牽制しておきたい気持ちもあったけれど、日向が嫌がると思って自分からは何もしなかった。それでいても、人気者の日向のこと。こちらが何をするまでもなく、事実は一部の人間に知れ渡っていた。
なにぶん日向は素直な性格であるし、さっきも言ったように特に隠すことはしていないから、わかる奴にはわかるんだろう。
そんな俺達が付き合って初めてちゃんとしたデートをするということも、まぁ、そういうことなんだろう――。

待ち合わせ時間十分前に俺が到着した時には、辺りをきょろきょろと見回す小さな橙はもうそこにいた。
普段の格好も結構なものだけれど、私服となるとより幼く見えて、挙動と相俟ってまるで迷子の小学生だ。俺の方はたぶん、年相応に見えているはず。
そして、背後で蠢くよからぬものは、例えどんな格好をしていたって目立つものは目立つ。さすがに言動が怪しすぎて、今日はいつものように女の子達から声をかけられることはなさそうだ。
軽くそちらを盗み見て、―一日ツッコミ役に徹しなければならない――今に始まったことではないけれど―不憫なもう一人に心の中で合掌する。

「それじゃあ、行こうか」
「おう!まずはどこ行く?」
「そうだな…お昼がまだなら、ランチかな」
「ランチ!俺、オムライス食べたい!」
「じゃあ、適当にファミレスにでも入ろうか」

それとなくは予定を立てつつも、あくまで流れに身を任せる感じでデートはスタートした。
幼く見える日向の無邪気なオムライス発言が微笑ましくてつい笑ってしまいそうになる。けれど、ここで笑ったらきっと日向に睨まれるだろうから一応は我慢した。
ただ、常から大きめな日向の声はそっちまで聞こえていたのか、隠れ切れていないその人がぷるぷると体を震わせ悶える姿が視界の端に映った。

「ちょっと、岩ちゃん、聞いた?オムライスだって。チビちゃんがオムライス!何なのあの子」
「いや、お前が何だよ。いきなり呼びつけたと思ったら、どういうことだコラ」
「だって国見ちゃんの初デートだよ?ここは保護者としてしっかり見届けないと」
「誰がいつ保護者になった。つか、こんな保護者絶対いらねぇと思う」
「いいじゃん。岩ちゃんも気になるでしょ?」
「そりゃあ、まぁ…」
「あ、ほら、見失っちゃうよ。はやくはやく!」
「……はぁ」


近くにあったファミレスに入って、日向はデミグラスソースのかかったふわふわオムライスを、俺はクリームソースのパスタを食べた。
会話が弾む、とは俺が相手ではちょっと違うかもしれないけれど、主にバレーのことやそれぞれのチームのメンバーの話で盛り上がった。
衝立を挟んだ斜め後ろの席で何やらこそこそと挙動不審に食事をとっていた人のことは決して知り合いとは思うまい。いつ自分の名が上がるかと期待していたかもしれないけれど、敢えても何もその人の名を出すことはなかった。
腹ごなしを終えたところで次に向かったのは、デートの定番でもある映画館。
特に何と決めていたわけじゃないから、ちょうど数分後に始まる映画を観ることにした。
内容は、コメディタッチのとある一家の話。個性的な俳優が多く出演していて、今話題になってるらしく、タイトルだけは聞いたことがあった。落ち着いた恋愛ものや、次々に人が死んでいく学園ものじゃなくてよかった。嫌いなわけじゃないけれど、日向と観るには何か違うかな、って感じだし。
映画は、ただ座って目の前のスクリーンを眺めているだけでいいから楽だ。ふかっとした椅子に深く腰かけて、背凭れに身を任せる。
隣に座る日向の膝の上には、バレーボールほどの大きさがあるポップコーンの容器がのせられていた。注文時、昼飯を食べた直後で大丈夫なのかと確認したら、「全然余裕」と日向は自信満々に笑っていた。スポーツマンであるし、食べ盛りの子供という印象もあるけれど、この小さな体のどこにそんな容量があるのか不思議で仕方ない。
和やかに会話を交えつつ開演の時を待っている間にも、後方が何やら騒がしくなり、思わず溜め息が漏れる。よくその席が取れたものだ、とは今の席の埋まり具合から言っても無駄だろう。
どうした、食べ過ぎたのか、と案じるように自分を見上げてきた日向にそうじゃないと小さく首を振りながらそのふわりとした髪を撫でれば、俄かに後方が湧いた。周りの迷惑になるから本当にやめてほしい。
気になったのか後ろを振り返ろうとした日向を呼び止め、目で訴えかける。ちゃんと伝わったのか、微かに頷いた日向はもうその気がないというように視線を大きなスクリーンに移した。
目を合わせたら終わり、とはこういう時にも使うものなのだな、と変に感心した。
二人の視線がスクリーンに向かったところで、開演を知らせるブザーが鳴り響いた。自然と周囲の口数も減り、場が静まっていく。
これで少しの間は解放されると思っていたのも束の間。シアター内が薄暗くなり、皆がスクリーンに集中し始める頃になっても尚微かな囁き声が耳に届いて、俺は徐に眉を顰めた。

「ほら、そこで手握らないと」
「いやいや、十番はポップコーンに夢中だし無理だろ」
「じゃあ、お腹いっぱいで眠くなって肩に凭れるとかでもいいよ」
「それより映画観ろよボケ」

図らずしも、言葉に釣られるかのように盗み見た日向は確かに抱えたポップコーンをもりもりとリスのように頬張っている。かと思えば、ぽかんと口を開けて映画に魅入っていたりと、なかなかに愉快だ。…色気は欠片もないけれど。
この調子では、後方でされた会話通りの展開にはとてもじゃないがなりそうもない。
そう思ってたけれど、映画が半分ほど進行したところで、ふいに肩に重みがかかった。
一瞬ドキリとした俺の心が、「チビちゃんやるー」なんて後方から聞こえてきたなんともな台詞のせいで一気に落ち着いたのは言うまでもない。
視線を落とした先では、既に空になったポップコーンの容器を抱き込むようにした日向が、俺の肩に頭を預けていた。さっきまで爛々と輝いていた瞳は潜められ、呼吸はすっかり落ち着いたものになっている。
お腹いっぱいになって眠くなる子供…か。
あの言葉さえなければ普通にどきどきしていただろう状況が、今では本当に言葉の通りになってしまったという気持ちしかなくて残念な限りだ。いったいどんな報復を用意しようか。俺の意識は完全に目の前で繰り広げられる一家の騒動から、別の次元へと移動していた。
とは言っても、自分に全てを委ねて安心して眠る姿にはやはり癒されるし優越感なんてものもあるけれど。
健やかな寝息を溢す口の端に付いていたポップコーンのかすを取ってやると、また後方から声が上がったが、ちょうど場面が盛り上がるシーンだったらしくどっと沸いた他の観客達の声に上手く紛れたようだ。
俺も日向も、そして後方で画面ではなく自分達ばかりを見ているあの人と、それに振り回されるあの人。これでは何のために来たのだかわからないな、とまた一つ場には似合わぬ溜め息が落ちた。


「いやー、腹いっぱいになったら眠くなっちゃってさ。映画、あの後どうなったんだ?」
「ごめん。俺も寝ちゃってたから、わからない」
「そうなのか…」
「今度、DVDになったらまた一緒に観よう?」
「おぉ!」

本当は後ろの気配が煩わしくて内容が頭に入ってこなかったのだけれど、そこはしれっと誤魔化しておく。どちらかの家でDVDを観るという行為に秘められた意味に全く気付かない日向にも、敢えて何か言うつもりはない。
映画館を出ると、すぐのところにゲームセンターがあって、次はそこに行くことにした。
自動ドアを潜った瞬間、いきなり日向が俺の腕を引いて急くように歩き出して、目を丸くする。
何か目当てのものでもあったのだろうかと思っていると、日向は本体の横に大きな看板の置かれたクレーンゲームの前で足を止めた。
バンッと透明なケースに思い切り手をつき、キラキラと目を輝かせている。

「それ、好きなの?」
「お…いや、妹が好きなんだ」
「へぇ…確かに、小さい女の子が好きそうだね」
「だろ。…俺も結構好きだけど」

ケースの中身から俺に視線を移した日向が、先の俺の台詞を受けて少々バツが悪そうに告白する。その頬には若干赤みが差している。きっと日向も俺と同じことを思って最初は”妹が”と訂正を入れたのだ。けれど、結局は正直に話してくれたことが嬉しくて、思わず抱きしめてしまいたくなる。公共の場でそんなことはしないけれど。
妹へのお土産にすると言った日向をその場に待機させて、金を預かった俺は両替機に向かう。別のクレーンゲームの影に隠れて会話を聞いていたその人が一目散に両替機に走ったのなんて見ていない。いくらそんなことをしても、日向がいる限りそこには近付けないのに。あの人は本当に何がしたいんだろう――いや、きっと颯爽と現れて日向の欲しがっているものをゲットして格好いいところをみせたいのだろうけど。
これまで隠れてきた身ではそんなことできなるわけもないのに。元の場所に戻ったその人が、待っていたもう一人に思い切り殴り飛ばされ、両替したばかりで握り締めていた小銭が床に散らばる音がした…のも、きっと気のせいだ。
無視を決め込んで手早く両替を済ませて戻ると、日向が何やら悩むように眉を寄せてケースの中を睨み付けていた。

「どうかした?」
「んー、これ、なんかいっぱい種類あるみたいでさ…どれがいいかなと思って」

ゲーム機の横に立て掛けられた看板には、全六種類と書かれている。
正直、そのキャラクターの形をしていれば表情やポーズなんかはどれでもいい気がするけれど、好きな人からしてみればやっぱり違うものなんだろう。
そう考えながら、看板にのっている似たり寄ったりな画像を見比べる。

「そもそも、選んでる余裕なんてあるの。一番取りやすいのでいいんじゃない」
「…それもそっか」

いつまでも悩んでいても仕方ないと素気無く言えば、日向が納得がいったように顔を上げた。「国見ちゃん冷たい」なんていうのは所詮幻聴だからそれこそどうでもいい。
よし、と意気込んで腕まくりした日向が早速ゲームに挑戦する。
俺はその隣でクレーンの行く末と真剣な表情の日向を交互に見ながら、言われるままに両替してきた小銭を追加していた。
時に叫び声を上げ、くるくる変わる表情はみていて飽きない。
結局、崩してきた分では目当てのものをゲットすることは出来なかった。
もう一回、と息巻く日向を制止して、こうなることを見越して準備していた小銭を投下する。それは勿論自分の金で、挑戦するのも俺だ。さすがに一発で取れるなんて甘い考えはしていないから、保険をかけて一回多くプレイできるワンコインシステムを利用する。
最初はびっくりしていた日向も、俺がプレイを始めると次第に「もっと右、あー、もっと奥だって」と騒ぎながらケースの周りをちょろちょろと動き回り始めた。

「日向、集中できないから大人しくしてて」
「っ、ごめん…」

そちらを見ないまま言えば、落ち込んだような声が返る。見ていなくても、日向が項垂れている姿が容易に想像できた。けれど、今はそれを気にしている場合じゃない。
なにより、これで結局収穫なしなんてのが一番格好悪い。面倒くさいことは嫌いだけれど、格好悪いのはもっと嫌だ。
どこからか「国見ちゃんひどっ!」なんて声が上がっても、俺には俺のやり方があるんだから黙ってろと言いたくなる。
これが成功すれば、きっと日向は飛んで喜んでくれるだろうから。信じて待っていてほしい。
ボーナスを加えた六回をフルに使い、俺は見事にぬいぐるみをゲットすることに成功した。しかも、二つ。我ながら上出来だ。

「すっげー!国見、すっげー上手いんだな!」
「そんなことないよ。はい、あげる」
「え、でも」
「日向のために取ったんだから、素直に受け取って。さっきは、あんな風に言ってごめん」

打って変わって大人しく見守っていた日向が、たちまち興奮したように飛び跳ねて喜ぶ。それだけで俺は満足だった。ちゃんと取れてよかった…と、内心胸を撫で下ろしたのは秘密だ。
躊躇う日向に二つのぬいぐるみを押し付けた上で謝れば、日向はふるふると首を振った。

「あれは、うるさくした俺が悪かったから、いい。これ、ありがとな!でも一つは国見の分…」
「俺は特に興味あるわけじゃないから。日向も好きなんだろ。だから、妹の分と日向の分。あと、お金はいらないから」

おずおずと一つ返そうとした日向の手を押し返す。
先手を打てば、日向はぱちくりと目を瞬かせた。

「初デート記念に、もらって」
「…わかった。ありがとう」
「どういたしまして」

初デート、という言葉に反応したのだろう。日向の頬が矢庭に赤く染まった。
「国見ちゃん格好いい、抱いて!」なんてガヤはその可愛らしい反応に掻き消える。
嬉しそうに二つのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる日向を抱きしめたい気分だ。改めてここが公共の場なことがひどく惜しまれる。

「じゃあ、俺も何か国見にプレゼントする!」
「別にいいよ。俺は、日向のその顔が見られただけで満足だから」
「うっ…国見は、そういうことさらっと言うよな」
「うん?」
「…何でもない!」

はぐらかすでもなく思ったままを言えば、意気込んでいた日向の顔が再び赤くなった。やり場に困るように目を泳がせる様が初々しくて可愛い。
その日向が何を言いたかったのかはわからないまま、頭を振った日向が強い意思を宿した瞳で俺を見据えた。

「でも、やっぱり、俺も何かあげたいから…何でもいいし、何が欲しい?」
「わかった。でも、それはあとでね。とりあえずここを出よう」

自覚のないまま不用意なことを言う日向に微笑む。
受け入れてもらえたことが嬉しいのか、日向の表情がぱぁっと明るくなる。きっと俺が何を欲しがるかとわくわくしていたのだろうけれど、生憎とこの場でもらえるものではないから、不思議がる日向の背を押して賑やかなその場を離れる。

「どうしよう岩ちゃん…国見ちゃんてあんな子だったっけ」
「これまで散々誰かさんをみてきたからじゃないか」
「え、何?」
「反面教師ってやつだな」
「だから何のことなの」



その後、何度となく、これが欲しいのか、何が欲しいんだ、いつになったら教えてくれるんだ、と聞いてきた日向をいなしながら目的なくぶらぶら買い物をして回った。
既に日は落ち始めていて、夕焼け色に染まる空は別れの時間が迫っていることを知らせる。
焦れている様子の日向は、それでもこれ以上は鬱陶しいだろうと判断したのか、もどかしそうにちらちらと視線で訴えかけてくるだけになっていたが、ふいに思い出したように口を開いた。

「そういえば、大王様たち何してたんだろうな?」
「やっぱり気付いてたんだ」
「目立ち過ぎだし、なんかうるさいし、気付かない方がおかしくね?」
「確かに」

たぶん今こっちの会話はあっちに聞こえてないはずだ。気配はするけれど、あっちの会話も聞こえてこない程度に距離はあるらしい。果たして、本人が本当に隠れられていると思っているのかは謎なところだ。

「日向、まだ時間大丈夫?」
「大丈夫だけど」
「じゃあ、ちょっと鬼ごっこしようか」
「鬼ごっこ?…あ、」
「そういうこと。いくよ、日向」

歩みを止めないまま隣に並ぶ日向を見下ろして、悪戯っ子のように口角を上げる。
本当は休みの日まで体を動かすのは嫌だけど、こればっかりは仕方ない。
日向は一度首を傾げたもののすぐに俺の意図を察したようで、軽く目を瞠った。
了承は得ていないけれど、日向が返事をするよりも先に下方にあった小さな手を取って、スタートの合図もなしに駆け出す。
驚いたように俺をみた日向は、俺が笑いかけるとニッと勝気に笑い返してきて、不意打ちのせいで遅れがちだった速度を上げて隣に並ぶ。
「あ、ちょっ」なんて叫びが上がっても、当然振り返らない。むしろ速度を上げた。
手を握ったまま、建物の影をいくつも折れ曲がりながらいくらか走ったところで緩やかに速度を落とし、足を止める。
若干息は乱れているものの、それほど体力の消費にはなっていないようだ。これも日々の鍛練のお陰かと、部活って凄いなと今更ながらに感心した。部活以外で体力を使うことなんてないから、自分がどれだけ鍛えられているかなどわかりようがなかったのだ。
けれど、隣で平然としている日向をみると、些か複雑な気分になる。どこかではそれもそうかと思いながらも、やはり面白くないものは面白くない。
今後の日向との付き合いを考えると、もう少し体力をつけた方がよさそうだ――それはまだまだ先のことに思えるけれど。
息を整えながら辺りを探るも、それらしい気配はなかった。まだ追いついてないだけで見つかるのも時間の問題かもしれないけれど、一先ず撒けたようだ。
ホッと息を漏らすと、無邪気に鬼ごっこを楽しんでいたらしい日向が快活に笑った。

「楽しかったな!」
「それはよかった。それでさ、早速なんだけど、初デート記念もらってもいい?」
「おう、どんとこい!…って言いたいけど、ここ、何もないぞ?」

唐突に要求した俺に、日向は暫し忘れていたらしいそれを思い出したように、漸くかと目を輝かせて、けれど辺りを見回してから怪訝に首を傾げた。
そんな無垢な日向と自分の距離を縮めて、ちゃんと目線が合うように身を屈める。

「好きだよ、日向」
「きゅ、急に何だよ」
「日向も言って」
「うっ…俺も、国見が好きだ」
「ありがとう。…本当に何でもくれるんだよね?」
「お、おう」
「じゃあ、そのままじっとしてて」

潜めるように囁いた俺に、日向は大いに戸惑って赤くなる。それでも素直に言うことを聞いてくれる様が愛おしい。
自分の質の悪さを自覚しながら言った言葉に従って、夕焼けの中でもわかるくらいに顔を赤くした日向は、何の疑いもないまま動きを止め、じっと俺を見つめる。
茜色に溶けてしまいそうな真っ直ぐな瞳がだんだんと近くなって、焦点が合わなくなるほどになったところで、チュッとお互いの唇が触れ合った音が響く。
そこまで指示しなかったせいで閉じられることのなかったそれが、真ん丸に見開かれる。

「ファーストキス、だよね。初デート記念、確かに受け取ったから」

俺が顔を引いたのと同時のタイミングで物凄い勢いで後ずさった日向は、どん、と後ろにあった建物に背を打った。
さっきも結構なものだったけれど、今は耳まで赤くなってしまっている。
疑いもなく言いきってくすりと笑めば、日向はボンッと音が聞こえてきそうなくらい真っ赤になって、まるで林檎みたいだ。

「く、国見の…」
「何?」
「ひ、卑怯者…こんな、聞いてない」
「ごめん、嫌だった?」
「そうじゃなくて、ちがくて…心の準備ってもんがあるだろ。それに、さっきも思ったけど、なんかその、慣れてる感じが…嫌っていうか」

騙し討ちだとは重々承知しているし、怒られるかなとも覚悟していた。
けれど、少し予想とは違う返しがされて、俺は日向の言わんとしていることがわからず目を瞬かせる。

「だから、国見だって、かっこいいし、モテるだろうし…でも、俺は初めてで、わかんないし、だから……」

まさかそんな風に思われているとは想像もしていなかった。
昔から俺を知っている人間は、あの面倒くさがりに付き合いなんて無理だと決めてかかっているから、そんな風に指摘されたのは初めてだ。つまり、日向は俺がそれなりに恋愛経験があって、こういうことにも慣れていると、そう思っているということで。それはどうにも面白くない誤解だけれど、どうやらありもしない過去に嫉妬しているらしい日向は可愛い。
さっきとは違ってここは人目がないから、俺はしどろもどろに言葉を紡ぐ日向との距離を一気に詰めて、その体を抱きしめた。腕の中からひしひしと困惑が伝わってくる。

「一応言っておくけど、俺は誰かと付き合うのも、キスするのも、日向が初めてだから。当然、慣れてるわけもなくて、俺は自分がしたいようにしてただけだよ」
「嘘だ…」
「嘘じゃない」
「じゃあ、何であんなさらっと恥ずかしいこと言えるんだよ」
「日向が素直だから、俺もそうしてるだけだけど」

普段心配になるくらい素直な日向は、殊恋愛に関することとなると途端に恥ずかしくなってしまうらしい。いつものように思っていることをそのまま言えばいいだけなのに、変な話だ。
最初こそ信じられなかったらしい日向は、ぐっと何かを呑みこむ素振りをみせて、やがてぼそりと溢した。

「天然たらし」
「…日向には言われたくない」

そんな言葉を知っていたのかというのと、日向がそれを言うかという二つの意味で驚かされる。言い返しても日向は全然ぴんとこないようで、訝しむような眼差しで小首を傾げた。

「国見、そろそろ…」
「えー、もうちょっと」
「…仕方ないな」

腕の中で身じろいだ日向が解放を望んでいることはわかったけれど、まだ名残惜しくてぎゅうっと抱きしめる腕に力を込め、我がままを言ってみる。
日向は本当に渋々という感じに返事をしたから機嫌を損ねてしまっただろうかとちょっと焦ったけれど、俺との間を阻むようににあった腕が戸惑うように背に回ったことで、日向も満更ではないようだと知れた。自然と頬が緩む。
自分は幸せ者だとひと時の幸福に浸って――いたというのに、それを阻むように遠くから忙しない足音が耳に届いた。
もうとっくに諦めたものと思っていたのに。しつこすぎる。というか、もうそろそろ止めてくれてもいいんじゃないですかね、岩泉先輩…。
心の声が相手に届くはずもなく、同じくそれに気付いたらしい日向の手がそっと背を離れる。
はぁっと重い溜め息を吐き出して、俺も日向を抱く腕の力を緩めた。
出来た空間を利用して、近距離で見つめ合う。

「もう一回キスしてもいい?」
「……んっ」

にっこり笑むと、左右に視線を彷徨わせた後、日向が返事の代わりに目を閉じて顔を突き出した。思わず小さく笑いを漏らしながら、遠慮なく差し出された唇にキスを落とした。
そして、遠くて近い場所から絶叫を上げて駆け寄ってくる及川先輩に顔を見合わせて苦笑を漏らす。
とうとう姿を現してしまった先輩たちがどう言い訳するか楽しみだと嘯きながら、離れようとする日向の肩をそっと抱き寄せた。





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