「おい、大丈夫か?」

日は西にだいぶ傾いていて、もうそのオレンジはほとんど窺えない。それでも、夜といってしまうには少し早い時間帯。
黒子は一人、ふらり街へと下りていた。
商店がひしめく賑やかな通りから少し逸れた通り。人の行き交いは少なくはないが多くもないといったその場所で、完全に紛れ込んでいたと思っていた黒子は、いきなり服の袖を引かれ驚いた。
自分に向けられたであろう少し高めの声がした方を反射的に振り返れば、視界の下方、健康的な褐色の肌をした活発そうな少年と、その少年に隠れるようにしてこちらをチラチラ窺う、少女に間違えてもおかしくない程に端正な顔をした少年の姿があった。何故少年とわかったのか、それは黒子が吸血鬼であるからに他ならない。
自分を見上げる少年達は、その見た目から察するに恐らく六、七歳というところか。
袖を引いたのも、声の主も、この様子を見るに手前の少年の方だろう。

「何がですか?」

身を屈めるようにして少年達に視線を合わせれば、後ろにいた隠れるには幾分か無理のあるキラキラ眩しい金髪を有した少年がびくりと肩を揺らした。その反応から、余程の人見知りであることが窺える。

「さっきからふらふらしてっから…具合悪いんじゃねーのか?」

対して、一切物怖じしない少年が真っ直ぐな力強い瞳で見つめてくる。
黒子は表では平静を装いながら、裏ではこんな子供にまで存在を気付かれてしまうほどに己の力は弱まっているのだろうかと不安を抱いた。普段から存在感が薄く、意図すれば気配をほぼ完全に断てるのは唯一といっていい自分の特技だ。それが失われてしまえば、自分にはもう何も残らない。
気分は後方で沈み行く夕日のようにどんどんと沈んでいく。その間にも、中途半端な中腰をとっていたため足腰の丈夫でない黒子にはその体勢がきつくなってくる。上がるか下がるかで迷ったものの、黒子はそのまま更に腰を落とししゃがみ込む体勢をとった。
そのおかげで変化した視界に、ある事に気が付く。
それは、自分に気付いているのがこの目の前の少年二人だけなのではないかということだ。立ち止まる二人の少年を余所に、周りの人間達は足を止めない。たまにこちらに目を向ける者はいるが、それは少年達に向けられたもので、自分には向いていないように思う。
つまり、黒子の姿は他の人間の気を引くほども見えてはいないということだ。だとすれば、この少年達が特別なのだろうことに思い至る。子供は驚くほど感受性が豊かだとよく言われている。だから、きっとそういうことなのだろう。
なんだそうだったのか、と自分の中で完結させ安堵した黒子の頬に何かが触れた。
伏せていた視線を上げると、それまでおどおどとこちらを見ているだけだった少年が近くにいて、自分に手を伸ばし頬に触れている。
黒子がしゃがんだことで今度はこちらが少年達を見上げる形になり、自分より小さくなった黒子に警戒心が和らいだのかもしれない。

「顔色も、悪いっスよ」

しゃがんでいる自分よりやや上に位置する子供ながらに整ったその顔で、心配そうに顔を覗き込まれ僅かに動揺が走る。
動揺はそれだけではなく、久しぶりに感じた他人の体温に対するものでもある。
他人に触れられたのなど何年ぶりだろうか。
知らず知らずのうちに、薄く開いた唇からホッと息が零れた。

「大丈夫です。ありがとうございます」

そう言って目の前にあった輝かしい金髪にそっと手を伸ばし、壊れ物を扱うような優しい手つきで頭を撫でる。触れられるのと同じく、誰かに触れるのも大層久しぶりだ。触れた先からは、少年の自分より遥かに高い体温が伝わってくる。
一方少年の方は、突然のことにその大きな目をぱちぱちと瞬かせ、照れたように控えめな笑みを浮かべた。
少年の頭から手を引いた黒子が立ち上がろうとすると、それがわかったのか打って変わって大人しくその様子を見守っていたもう一人の少年が手を差し出してくる。
手を貸してくれるということだろうと瞬時に理解した黒子は、有り難くその手を取り、けれどあまり力をかけないようにして立ち上がった。
自分より背の小さな少年に立たせてもらうなど、なんと可笑しなことだろう。
思わず、小さく笑みを溢す。
そうして、さっきと同様に礼を述べながらその少年の頭も撫でてやる。
びっくりして目を丸くしたまま固まってしまった少年の褐色の肌が、わかり辛いながらも朱を帯びる。少年はそのまま顔を俯け黙り込んでしまった。

「君達はいい子ですね。心配してくれてありがとうございました。それでは」

“いい子”という言葉に反応し更に顔を赤くした少年達に再度礼を言い、別れの言葉とともに背を向ける。あまり長く人間と接触するのはよろしくない。
歩き出そうと足を踏み出した瞬間、再び袖を引かれた感覚がして足を止める。
本日二度目のそれは、両側から感じた。
視線を左右に動かすと、自分が少年達の間に挟まれている状態だというのがわかる。

「どうかしましたか?」
「俺、黄瀬涼太っていうっス!」
「俺は青峰大輝だ」

金髪の少年に続き、褐色の少年も自ら名乗る。突然の自己紹介に呆気にとられる黒子に、期待に満ちた純粋な瞳が向けられる。こんな子供達が礼儀正しく名乗っていて、おまけに自分を気遣ってくれた相手とあっては、黒子が名乗らないというわけにはいかない。

「ボクは、黒子テツヤです」

別に偽名を使っても良かったのだが、純粋で真っ直ぐな瞳で見つめてくる少年達を見ているとそんなことも出来なかった。

「黒子テツヤ…」

二人が同時に復唱するように、その名を心に刻むように黒子の名を口にした。
他人の口から発せられたそれに、黒子は長年呼ばれていなかった自分の名を改めて認識する。
そして少年達は相変わらず黒子の方をジッと見つめながら、意を決したように口を開いた。

「また、会えないっスか?」
「俺、アンタと仲良くなりたい!」

そう言って黄瀬と青峰は黒子に向かってその小さな手を差し出した。
意表を突かれた黒子は目を瞬かせ差し出された手をまじまじと凝視してしまう。
真剣そのものの表情で、なかなか返事をしない黒子を不安そうに見上げる少年達に、黒子はとうとうその手をとってしまった。

「ボクなんかでよければ」

そう言うと、黄瀬と青峰はパッと目を輝かせて大袈裟なほどに喜んだ。
その姿につられるようにして、黒子も思わず柔らかな笑みを溢す。

これはちょっとした気紛れだ。
数十年、または数百年に一度の気紛れが、今たまたま働いただけだ、と心の中で誰にともわからぬ言い訳をした。



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