炎色反応(練紅炎) | ナノ


Silicon(番外編)


「で、ですが、お嬢様…」

「心配しないで!私だって、来月には社会人になるのよぉ?学生生活最後の飲み会くらい、お友達だけでワイワイさせてほしいのよぉ」



終わったらちゃんと連絡するから、と付き人の夏黄文に念押しした私は、スマートフォンの画面をタップしてLINE電話を終了させた。左肩にかけたミュウミュウのショルダーバッグにスマホをしまい、店の前で待たせていた友人の元に小走りで向かう。

大学の卒業式を2日後に控えた今日は、大学で所属していた競技かるたサークルの追い出しコンパ。要するに、卒業生を送り出す飲み会だ。

サークルを引退したのは3年生の終わりで、それっきり丸1年会わなかった人たちもいる。引退後は就職活動に精を出す同期が大半のなか、就活らしい就活を私はしなかった。お父様の経営する煌々商事への就職が、遠い昔に決まっていたから。

その代わり、お兄様に教わって株や投資を勉強したり、義弟のお友達の元にホームステイしたりして、将来の煌々商事の経営陣になるべく知見を広めていた。どれも有意義な経験だったし、就活していればできなかったことばかりだと思う。

あとは、彼氏さえできれば文句なしの大学生活だった。夏黄文が目を光らせていたのもあって、恋愛らしい恋愛とは無縁だった私の大学生活。もっといえば、中高とも女子校出身で、同級生たちのような恋愛をしたことがない。

いいなと思う殿方がいなかったと言えば嘘になる。しかし、一方的に私が熱を上げただけで、過保護な付き人に関係なくその殿方には相手にもされなかった。大学1年生の頃の初恋は、いい思い出になりつつある。

"地方の大企業の御曹司"を、夏黄文が紹介してくれたこともあった。しかし、あんな豚みたいな男性は死ぬほど嫌だ。性格が悪いのは百も承知だが、それでも彼の実家の企業が傾いてよかったと思わずにはいられない。それがなければ今頃あんな男性の元に嫁いでいたと思うと、想像するだけで身の毛がよだつ。

「私だって…結婚を意識せずに、純粋な恋愛をしてみたかったわぁ」

誰にも聞かれない声でつぶやき、4年間通い続けた駅のロータリーに集う友人たちに私は手を振った。



追いコンの"主役"である私たち4年生は、少し遅れて会場入りする。今年の追いコン会場は、母校の最寄駅近くの学生街にある飲み屋の大広間。大広間といっても、我が家のリビングの半分ほどの広さしかない。

「紅玉先輩、今日は付き人さんいないんですか〜?」

「飲ませるとテンション高くなって面白いから、最後にあの人と会えるの楽しみにしてたのに〜」

大広間に入るなり、さっそく私は夏黄文のことで後輩にいじられる。友達付き合いにまで顔を出す夏黄文に、少なからず私はうんざりしていた。しかし、なんだかんだ後輩たちも夏黄文を気に入ってくれたとわかれば、私も嬉しくなる。今日は夏黄文を追い返してしまい、後輩たちにも彼にも何だか申し訳なくなった。

「4年の先輩も揃ったから、飲み物回しますねー!足りなくなったらすぐ教えてくださーい!」

幹事を務める後輩の声とともに、下手側から瓶ビールと烏龍茶のピッチャーが回ってくる。栓抜きで瓶ビールを開けて同じテーブルを囲む同期たちの分を注ぎ、乾杯の音頭を待った。



18時の乾杯から1時間ほど経てば、ぽつりぽつりとOB・OGが姿を見せる。東京近郊にいる先輩だけとはいえ、卒業後も先輩たちに会える数少ないチャンスだ。

私たちのサークルには、サークル内でお付き合いする先輩たちもいた。追いコンでは結婚報告を受ければ、破局報告を受けることもある。半分ほどカシスウーロンの入ったグラスに口をつけてぼんやりしていると、不意に私の右側に圧迫感を覚えた。

「みんな、久しぶり。ここ座ってもいい?」

「せ、先輩…!」

右隣にいるのは、私が1年生のときに4年生だった先輩。3年の終わりで引退のため、彼の現役時代を私は知らない。しかし、公務員試験が終わるなりサークルに顔を出すようになった彼は、当時の1年生だった私たちに指導してくれたのだ。

「練さんたちが卒業とは…早いね」

にこりと微笑みながら、先輩は烏龍茶のピッチャーを傾けた。私の近くにあるビール瓶を右手に取ったところで、あることを思い出して手が止まる。

彼にはお酒を飲ませてはいけない、と他の先輩たちから聞かされていた。先輩の酒癖は悪く、絡み酒だったり言葉遣いが悪くなったりするらしい。飲んだあとの記憶が先輩にはないらしく、普段の人となりがいいだけに、余計にたちの悪さを感じさせた。

「みんな、どこに就職するの?…練さんは聞くまでもないかな」

「…そうですけど、私にも聞いてくださいよぉ!」

冗談っぽく目を細める先輩に、思わず私は頬を膨らませる。柔和な笑みを浮かべて私に謝罪する先輩に、ちょっといいなと思ってしまう。先輩の同期の1人は、チャラい自分の見た目を棚に上げて彼を元ヤン扱いする。さまざまな"武勇伝"も聞かされていたが、信じるなんてとても不可能。

大学の看板学部を首席で卒業して今は公務員だし、普段はとても優しい。キャンパス内を近所の保育園の子たちがお散歩しに来たとき、園児たちにとても懐かれていたのを見たこともある。

熱心に後輩を指導してくれた先輩に恋心を抱く同期も、決して少なくなかった。恋心こそ抱かなかったものの、私も先輩の隠れファンの1人だ。

大学の先輩でキャリア官僚の彼氏なら、お父様やお兄様たち、夏黄文も認めてくださるんじゃないか。そう思っていたとき、私の対面にいる同期の問いで、恋人の存在が明るみになった。

「えっ、先輩、彼女いるんですかぁ…?」

知らなかったのは私だけのようで、心の中でがっくりと肩を落とす。どこで出会ったどんな人かと問えば、大学を卒業してから出会ったと先輩は答えた。

「私の代は横の繋がりが強いから、卒業後も他大学と飲む機会があって。在学中は面識なかったんだけど、そこで意気投合したんだ」

顔を赤らめて恋人の話をする先輩は、一切お酒を口にしていない。出会いを話すだけで先輩を真っ赤にさせる恋人は、さぞ素敵な人なのだろう。

「結婚しないんですか?先輩、もう20代半ばでしょう?」

「…私は真剣に考えてるんだけど、あと2年は待たないと」

学生で彼氏もいない私には、まだ結婚なんて遠い話。しかし、今年26歳になる先輩にとっては、結構現実的な話題のようだ。

改めて先輩の顔をまじまじと凝視する。色白肌の童顔で、とてもアラサーには見えなかった。紅炎お兄様と3歳、紅明お兄様と2歳しか違わないなんて、とても信じられない。

"あと2年"と口にした先輩は、神妙な面持ちになる。「今すぐじゃなくて?」と、そんな先輩に私の同期の1人が問うた。

「実は…まだ彼女は学生なんだ。来月から博士の2年生で。順調に行けば3年間で卒業できるって聞いてるから、卒業まで待つつもり」

先輩曰く、恋人は化学を研究しているらしい。大学名を聞けば、先輩の恋人と同じ大学に通う2学年下の義弟を私は思い出す。白龍ちゃんは私の1歳下だが、1年間の浪人生活を経て今の大学に入学した。煌々商事に入るようお父様は仰ったが、研究の道を志す義弟は院進を希望している。

「先輩の彼女さん、どうして競技かるたサークルに?文系のうちらですらレア扱いされるのに、理系で百人一首なんてなかなか珍しいですよね」

高校のときから競技経験があったのではないか、と口にするのは私の同期。彼女の発言に、先輩は首を振る。

「…大学に入った頃に好きだった人の影響なんだって。でもその人とはうまくいかなかったみたいだし、それとは関係なく競技かるたを好きになったって聞いてる」

そう口にする先輩は、左手で手酌した。水分が落ちなくなるまで瓶を傾けたあと、右手のグラスを口元に寄せてぐいっと先輩は煽る。テーブルに置いた瓶のラベルで、先輩がやらかしたことに私は気づいた。しかし、時すでに遅し。

「あっ!先輩、それ…ビール…」

「えっ…」



ビールグラス半分のお酒で酔っ払った先輩は、恋人の好きなところを滾々と私たちに語り続けた。それはもう、聞いている私たちが恥ずかしくなるくらいに。

「紅玉ちゃんのテーブルのみんな、迷惑かけてごめんなァ。こいつは権兵衛ちゃんに迎えに来てもらうし、俺たちも一次会で帰るからァ」

「先輩も大声出すと近所迷惑っすよ」

顔を真っ赤にしている先輩の同期のOBが、私たちに謝罪する。一次会で帰るOB・OGの先輩たちに挨拶をしていると、私のスマホが振動した。LINE電話になっていて、画面には付き人の名前と自己顕示欲の塊のようなアイコン。

「何よぉ、夏黄文」

「お嬢様、いけません。一次会で帰るであります!夜な夜なお酒を飲んで睡眠不足になれば、明後日の卒業式に向けたメンテナンスが終わらないであります」

私の卒業式の写真は、お父様の個人用のFacebookに載る可能性がある。寝不足とお酒でむくんだ顔を全世界に晒すなんて、とても私は耐えられない。ただでさえ他撮りで無加工の写真なのに、コンディションが悪いとなれば最悪だ。

とはいえ、こうして学生時代のお友達とワイワイできるのも最後なわけで。なかには地方で就職する同期もいるし、二度と会わない人もいるかもしれない。そう思えば、私の気持ちは二次会に傾いていた。

「いいでありますか?お嬢様、これからお迎えに上がりますからね!絶対に二次会なんて」

「ねえ…夏黄文。可愛い私の後輩ちゃんたちが、夏黄文に会いたがってたわよぉ。最後に一緒に飲みたかったって」

追いコンが始まる前に言われたことを告げれば、電話口でもわかるくらい付き人は揺れている。人から羨望の眼差しを向けられたり、敬われたりするのが大好きな夏黄文。そんな私の付き人にとって、大学生からの会いたいコールが響かないはずはない。

「二次会の位置情報、送るから来なさいよぉ。私の同期や後輩たち、未来の煌々商事の取引相手になる可能性もあるのよぉ。それを夏黄文はわかってて?」

「くっ…」

「こういう場面で地道に種撒きすれば、いつか芽が出たときに夏黄文を私も評価できるのよぉ。私だって、夏黄文を出世させてあげたいんだからぁ!でも、今から成果を上げないと、末娘の私の立場じゃ難しいのよぉ」

最後に出世をちらつかせれば、あっさりと二次会への出席を夏黄文は申し出た。友達や後輩と過ごせる時間を優先して二次会には参加するが、付き人の言う通り卒業式に向けたメンテナンスも欠かせない。二次会でのお酒は、最初の1杯程度にとどめなくてはいけないだろう。

予定より時間のかかったLINE電話を切れば、一次会の締めは私待ちの状態。少し離れた場所で付き人に連絡していた私は、小走りでみんなの輪に加わった。

「お待たせしてごめんなさいねぇ」

付き人の二次会参加を報告すれば、同期や後輩は盛り上がりを見せる。私のお友達が夏黄文に会いたがってたのは、決して嘘ではない。盛り上がりが落ちつくと、幹事の後輩が一次会を締めようと言う。

「じゃあ、最後は一本締めで!お手を拝借!」

一斉に数十人の手拍子した音が、学生街の夜空に響いた。



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