Short | ナノ


負けヒロインにさよなら【前編】(練白龍)


ある土曜日の夜。突然スマートフォンの通話で想い人に呼び出されたわたしは、新宿・歌舞伎町の居酒屋に来ていた。店内での合流はわたしの勘違いだったようで、店内を確認しても呼び出した張本人は不在。待つべきとわかっていても夕食時の空腹には勝てず、一人でわたしは食事を始めていた。

「権兵衛」

「白龍…どうしたの?その格好」

入店から十五分後に駅前でよく見かけるチェーン店に現れたのは、ダークグレーのスーツに身を包んだ想い人・練白龍。普段と異なりセットされた髪型が白龍の顔のよさを引き立てている。歌舞伎町という土地柄もあり、周囲から見ればわたしたちは完全に"ホストと客の同伴"だ。

「結婚式…今日だった」

何事もなさそうに答える白龍に「そう」とだけ答え、わたしはいいちこをグラスに注ぐ。ジャケットを脱ぎながら想い人は「ボトルを入れたのか」と問う。白龍が焼酎は得意でないのは、もちろんわたしも知っている。それでも焼酎を入れたのは白龍の到着時刻が読めなかったからだ。

「そうだよ。何杯もビールやウイスキー頼むより安上がりだし」

ボトルと一緒に注文したアイスペールの氷を四つグラスに入れて、左手でグラスを揺らす。「ビールでいいよね」と確認した後、想い人の返答を待たずにわたしは卓上の呼び鈴を右手で押した。

「二次会は?」

わかりきった答えを待つ間に店員が来て、ドリンク表にある国内メーカーのビールを白龍に代わってわたしが注文する。

「課題があるって言って欠席してきた。当日欠席だし参加費も払ってきた」

自分から尋ねておいて「ふうん」とだけ返しながら、わたしはグラスに沈む氷を回す。端から見て新郎新婦とかなり親しくしていた白龍の二次会欠席に落ち込む主役たちの姿は、式に参列していないわたしにも容易に想像できた。

今日の新郎・アリババくんと新婦・モルジアナさんは、わたしたちの高校の同級生。新郎新婦とわたしは"共通の友達"を介して数回会話した程度で、当然結婚式に招待される間柄ではない。

新郎新婦と白龍は高校からの仲だが、わたしと彼は四歳からの仲でいわゆる幼馴染。大学こそ違うものの、中学・高校の六年間は白龍と同じ学校に通っていた。新郎新婦とは比べ物にならない長さの付き合いだからこそ、人生の八割をともにする幼馴染がどんな思いで結婚式に出席したかは理解しているつもりだ。

ずっと揺らしていた左手のグラスを持ち上げて麦焼酎のロックに口をつけようとしたものの、それは白龍のビールを運ぶ店員によって阻まれて。黒いTシャツを着た店員の背中が小さくなるのを見届けてから、どちらからともなく「おつかれ」と声を掛け合う。テーブルの中央で小さな音を立ててジョッキとグラスがぶつかった。

「白龍もバカだね。ずっとモルジアナさんを待ってたんでしょう?」

幼馴染を待ちながら一人で飲む間に酔いが回ったようで、麦焼酎を一口飲んですぐ思っていたことが口をつく。自分の発言によって鋭くなる白龍の視線を感じながら、すでに半分ほど手をつけてある塩辛にわたしは視線を落とす。

「それはおまえも同じだろう?」

二重の意味で驚いたわたしは塩辛に目もくれず、まっすぐ対面の想い人に視線を向けた。"おまえも同じ"ということは、"ずっとモルジアナさんを待ってたんでしょう?"という問いの答えは"イエス"。そして"おまえも"ということは、わたしの長い片想いに白龍が気づいている。

わたしが白龍に恋したのは四歳のときだ。わたしと同じ曜日、同じ時間にピアノ教室に通っていた年上の生徒の弟が白龍で、兄姉にくっついて教室に来た白龍を見かけたのがすべての始まり。つまりわたしの一目惚れだった。

世界的な大企業の創業者一族に生まれた白龍と、ごく平凡な共働き家庭に生まれたわたし。住む世界が全然違うのは今ならよくわかるが、小学生のわたしにはわからなくて。国公立大学への進学を条件に、初恋の男の子が通うエスカレーター式の私立学校の中等部受験を親に認めてもらったのだ。

今日の新郎は高等部からの学友で、新婦は高一の年明けの転校生。モルジアナさんが転校してきた時点で、白龍との出会いから干支一周の月日が経っていたのに。幼馴染が初めて心を奪われた女の子は、ずっとそばにいたわたしではなく転校生だった。

初恋の女の子に告白して振られて、彼氏ができたと彼女から報告されて、二人の結婚式に招待されて。表面上はけろりとしていてもその度に落ち込む想い人を、ずっとわたしは間近で見ていた。

白龍と違って好きな人に告白すらできない意気地なしのわたしは、今日まで想いを胸に秘めたまま。四歳から築いた幼馴染のポジションを失うことを、わたしは何より恐れている。その証拠に中高生時代のわたしは"白龍の幼馴染"として学内で名を馳せ、先輩後輩問わずしょっちゅう恋愛相談を持ちかけられていた。

顔のよさを自覚していても、自分に向けられた恋愛感情には鈍感な白龍。今も幼馴染にわたしの気持ちを悟られていない自信はあったのに。そう思えば、グラスに残るいいちこの水面が細かく揺れた。

「報われない初恋の相手を待ち続けて、二十歳で彼氏の一人もいないなんて」

「ほっといて!」

思わず声を荒げると、周囲の視線がわたしに一極集中していることに気づく。端から見ればホストと客が喧嘩しているわけで、ファミレスやカフェで男女の喧嘩に向けられる眼差しと比べて、わたしへのそれはやや下世話なものだ。

「ほっとけるわけないだろう?権兵衛にも幸せになってほしいと思ってるんだ」

「わたしの幸せが何かも知らないくせに」

白龍が振り向いてくれない限り、彼の言う"幸せ"をわたしが手にできる日は来ない。右手に掴んだままのグラスを傾け、絶対に口にできない本音をわたしは麦焼酎と一緒に飲み干す。しかし、わたしの本音に気づかない幼馴染は返答に詰まっている。

とはいえ、もう二十歳なのは事実。叶わない初恋にいつまでも執着しているわけにはいかない。かといって今の関係性を崩すのだけは避けたいわたしは、"幼馴染で一番の女友達"のポジションをキープしたまま恋心を封印することを選んだ。

「でも…わたしだって諦める心積もりはできてるんだから」

自分の退路を断つように、あえて初恋を諦める旨を本人に伝える。初恋の相手が自分と気づいているはずの白龍は、なぜか素っ頓狂な声をあげてわたしの発言に首を傾げた。「デートするの」と端的に説明すれば、想い人の整った顔が眉間から崩れる。

「デート!マッチングアプリでマッチした人と!」

おしぼりの隣に置かれたスマホを操作してアプリを開き、相手の顔写真が見える状態で幼馴染に画面を向けた。相手は同い年で、写真を見る限り白龍より線は細い。黒い長髪を後ろで一つに束ねていて、人の目を惹く深紅の瞳が魅力的。アクセサリーは太めのゴールドが好みらしく、どの写真でも同じものを身に付けている。

「やめとけ、こんな軽薄そうな男」

「人は見た目によらないんだよ。確かにチャラそうだけど結構かっこいいじゃん!」

さっきまでは"さっさと彼氏を作れ"と言っていたのに、デートの予定があると言った途端に不機嫌を隠さない顔で"やめとけ"だなんて。確かに白龍と違うタイプだが、同じタイプの男性を探せば初恋の相手の面影を探さずにいられない。つまりわたしが選んだのは、あえて好みの系統から少し外れた男性だ。

「だいたい白龍には関係なくない?」

「関係ないって、俺は」

「わたしの幼馴染。それ以上でも以下でもないんだから」

何か言いたげな白龍を遮るように、わたしは言葉を被せた。わたしたちは幼馴染であり、それ以上でも以下でもない。こうして自己暗示をかけなければ、"俺は"の続きを期待せずにいられないから。

「…そうだな」

わたしに同調した白龍に半分傷つきながら半分安堵し、スマホの画面を閉じる。直前に画面左上の時間を一瞥したところ、わたしの入店から一時間二十五分が経っていた。土曜日の夜の居酒屋となれば滞在二時間の制限があり、あと五分で定員がラストオーダーを聞きに来るはずだ。

ちらりとレジにいた店員を見れば、わたしたちと伝票に交互に目配せしている。"白龍には関係ない"ときつめの言葉をかけたせいで、テーブルを包む空気はひどく重い。

幼馴染が合流して一時間以上経ち、彼も十分食べただろう。まだボトルに三分の一ほど残るいいちこを惜しむ気持ちはあるものの、箸箱の横に置かれた卓番が書かれたプレートを手にわたしは席を立った。

「そろそろラストオーダーだけど、もう帰ろう」



白龍から居酒屋に呼び出された十日後。渋谷での待ち合わせに現れた"ジュダルくん"は、マッチングアプリやLINEで送ってもらった写真のままだった。太めのゴールドのアクセサリーが両腕と首で今日も存在感を放っている。

インカレサークルの副代表に居酒屋バイトに多忙ななか時間を捻出してもらって、デートは二十時から。二次会が始まる時間からデートを始めるほど忙しいのに、個室の居酒屋まで彼は予約してくれていた。

「ジュダルくん…忙しいのに色々ありがとう。わたしがやればよかったのにごめんね」

「いーの、いーの!マッチングアプリは初めてって権兵衛も言ってたし、こーいうのは男がやんねーと」

道玄坂を上る道は混んでいて、はぐれないようにジュダルくんはわたしの手を繋ぐ。わたしたちが向かう先は、ジュダルくん行きつけの二十三時オープンの隠れ家バー。お酒に詳しいジュダルくんに個室居酒屋でカクテルをたくさん教わり、もう少しだけ飲みたくなったのだ。

「あ、ごめ、こっち」

急に進路変更したジュダルくんは右折と同時にわたしの手を一瞬放して、繋ぎ直す。今度はいわゆる"恋人繋ぎ"。まともに男性とデートするのが初めてで手汗が気になって仕方ないわたしと対照的に、ジュダルくんの手は汗を感じさせない。

マッチングアプリで出会った相手とはいえ、まだ初対面から三時間も経っていないのに。急な展開に戸惑うものの、肌寒さを感じるこの時間帯には指と指の間から伝わる温度がたまらなく心地いい。

アスファルトに視線を落としながら歩みを進めていたわたしは、数歩前で手を牽いていたジュダルくんの停止によって立ち止まる。ネオン管で書かれた五文字の英単語や料金表を見れば、彼氏の一人もいたことのないわたしでも現在地はすぐにわかった。

「え、さすがにここはちょっと」

「何堅いこと言ってんだよ」

目的地は隠れ家バーではなかったのか。そうわたしが問えば、「月曜は定休日だったの忘れてた」とジュダルくん。「わりー」と詫びは入れてくれるものの、表情に反省の色は見えない。

「わたしたち付き合ってないし…っていうか今日会ったばかりだし」

「権兵衛が純粋なのはわかるけど、それくらいみんなやってんぜ。…それとも俺のこと嫌い?」

強気な姿勢から一変して切なげな声で問うジュダルくんは、恋人繋ぎを解いた手でわたしの肩を抱く。ジュダルくんはタイプではないが、かっこいい男性に変わりなくて。密着されて嫌いかと問われれば、冷気に触れる頬すら熱を帯びる。

「そんなこ、っ」

嫌いではないがさすがに時期尚早。カクテルを飲み過ぎたのか、呂律も頭もうまく回らない。失敗を自覚したものの手遅れで、ふらつくわたしに口角を上げたジュダルくんはゆっくりと顔を近づけてきた。

ドラマや漫画で見たことのある展開だ、なんて頭で考えながらどうにかしてジュダルくんの顔を押し返そうとする。しかし利き腕は肩を抱く手で固定され、うまく力が出ない。ここまで計算済みと悟り、わたしが抵抗を諦めようとしたときだった。

「やめろ」

わたしの肩を抱きながら顔を寄せていたジュダルくんが、誰かの声とともにアスファルトに転がる。その声には聞き覚えがあるものの、まさか月曜二十三時のホテル街にいるはずがない。ゆっくり振り向いて声の主を確認すれば、わたしの直感が正しかったと証明された。

「は…くりゅ」

起きあがって「何だよこいつ」と白龍を指さすジュダルくんは、幼馴染ではなくわたしを睨む。白龍に向けられた眼光の鋭さは個室居酒屋でわたしに向けた甘い視線とは正反対。先ほどまで恋人繋ぎをしていた男性からの剥き出しの敵意に、ぎゅっと心臓が縮こまる思いがする。

「いいから権兵衛から離れろ、二度と近寄るな」

「ケッ、ホテル前までノコノコついてきてカマトトぶる女なんか、こっちから願い下げだよバーカ!」

いつもより低い声で静かに怒りを表す白龍にときめいたのも束の間、捨て台詞を吐いたジュダルくんはわたしを突き飛ばして渋谷駅方面に駆けて行った。ほんの五分ほどの出来事に脳が追いつかず、呆然とするわたしを白龍が呼ぶ。

その声で我に返って白龍に起こしてもらうと、「大丈夫か?」と彼はわたしの顔を覗き込む。この時間帯だと青い瞳はよく見えないが、灰色の瞳はネオンの光を反射していて。原色のネオンに反射された想い人の顔に、今度はゆるゆると心臓が弛緩していく。

「うん…でも何で白龍がいるの?」

「…そんなことより、あいつの言う通りだ!こんなところまでノコノコついてきて」

わたしの問いに答えず声を荒げる白龍に、びくりとわたしの肩が震えた。それに気づいた幼馴染は短く謝罪しつつも、視線でわたしに答えを求めていて。助けてもらった恩もあるわけで、「自分は答えをはぐらかしたくせに」という言葉は喉元で飲み込んだ。

「だって…隠れ家バーでゆっくり飲み直そうって言われたから。こんな裏通りみたいなところ来たことないし…」

「そんなの、身体目当てに決まってるだろ!酒を飲ませて判断を鈍らせようって魂胆が見え見えだし、こんな時間に土地勘のない場所で初対面の男と飲むな!…まったく、俺が言った通りやめとけば」

「なんで…いつも白龍はわたしの恋路を邪魔するの?」

"心配した"とか"無事でよかった"とか一言でいいから聞きたかったのに。あまりに白龍がわたしを責め立てるから、ついムキになって反論してしまう。

経緯はわからないがわたしを助けに来てくれた幼馴染の発言は正論で、どう考えてもわたしが悪いのはわかっている。「は?」と返す白龍の眉間には皺が寄り、先ほどまでネオンの反射光でキラキラしていた左眼は光を遮断していく。

「白龍がいたら…いつまで経っても恋の一つもできない」

「俺のせいにするな!権兵衛の恋路を俺が邪魔できるわけ」

「叶いもしない恋を捨てられずにモルジアナさんばかり見てたじゃない」

先日挙式した女性の名に白龍は目を丸くする。

「…は?」

「モルジアナさんが転校してきてからの三年間、わたしを白龍が見てくれたことなんて一度もなかった」

モルジアナさんの転校前だってそう。わたしは今日まで十六年間白龍しか見てこなかったのに、わたしを彼が見てくれたことは一度もなかった。気づけばホテル街のアスファルトにぽつぽつと水滴が滴り落ちる。もちろん雨なんか降っていない。

「わたしには見向きもしないくせに、わたしの恋に口出ししないで!」

「…え?」

先ほどまでわたしの発言に「は?」としか返さなかった想い人が見せた、異なる反応。そこに至るまでの自分の発言を振り返れば、告白にしか聞こえないことに気づく。

「あっ」

自分の失態に気づいたわたしは、呆気に取られて動けない白龍を置き去りにして走り出す。幼馴染が追いかけてこないのを一度だけ確認してから、土曜の夜の道玄坂を勢いよく下って山手線に駆け込んだ。



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