Short | ナノ


1/365【side her】(練紅明)


この日は三百六十五日で特別な一日。

十二月某日。テレワーク中の自宅で、インターホンが鳴り響く。手を止めて応答してもよかったものの、作業のきりが悪い。別の部屋でテレワーク中の恋人に応答してもらうべく、軽く腹からの発声を意識しつつ彼の名を呼んだ。しかし、同居人の足音は聞こえず、もう一度インターホンが鳴った。

「…そっか」

この時間から昼休憩前までオンライン会議がある。今朝の食卓での彼氏の発言を思い出したわたしは、急いで玄関の扉を開けた。扉の前で待っていた宅配業者はやや不機嫌そうで、捺印やサインは不要と言ってわたしの両腕に荷物を乗せてすぐ立ち去る。

何かを送ったと実家からは聞いていないし、インターネットショッピングをしたわけでもない。身に覚えのない荷物の送り状に視線を落とせば、アルファベットが並んでいて。見慣れない英語の住所表記を一行ずつ読み進めると、宛名は恋人で、差出人には古くから知った名前。



「紅明、紅炎さんから荷物が届いてるよ」

「兄上から?」

オンライン会議を終え、茶渋が沈むマグカップを片手に自室から出てきた恋人・紅明をわたしは呼ぶ。会議中だけ襟付きシャツに着替える彼氏は、すでにトップスもチャコールグレーのスウェットに戻っていた。水に浸けたマグカップをシンクに置いて、もこもこの冬用スリッパをペタペタと鳴らしてリビングに来た紅明は、身に覚えがないと口にする。

「住所はニューヨークだったけど」

紅明の兄・紅炎さんは、ニューヨークの一等地で働く商社マン。実父が社長を務める総合商社・煌々商事の跡取りで、昨春からアメリカ支社に出向していた。次男である恋人も、長兄が籍を置く東京本社に勤めている。

「…確かに住所は兄上の現住所と一致していますね」

スマートフォンの電話帳で確認しながらつぶやく紅明は、ぱっと右手のひらをわたしに向けた。すかさずカッターナイフの刃を二枚分出して、持ち手側を恋人の右手に乗せれば、謝意を告げて彼は封を切る。

透明なビニールテープに切れ目が入った段ボールを紅明が開けると、一通の手紙と大きめの袋が二つ。ブランド名と思しきロゴが袋に入っているが、名前を見ただけではわからない。強い筆圧で"紅明"、"権兵衛"と書かれた付箋が、梱包用のビニールテープでそれぞれの袋に固定されている。

「"今年も帰国できそうにないから、お歳暮を兼ねたクリスマスプレゼント"だそうです。…兄上からクリスマスプレゼントなんて、もらうの初めてですが。まあ、開けてみましょうか」

紅明の発言に、自分の名前が書かれた付箋の袋をわたしは手にした。袋は軽く、中身は柔らかい。端に貼られたビニールテープを丁寧に爪で剥がし、袋ごと傾けて中身を取り出す。畳まれたそれを両手で広げ、正体を察したわたしのテンションは最高潮に達した。

「可愛いっ!紅明のも早く見せて」

背後から両肩に手を置き、恋人の左肩に顎を乗せて開封作業を見守る。紅明の袋から出てきた贈り物は、わたしのそれより一、二回りほど大きなセーター。紅炎さんからの贈り物を褒め称えるわたしに間髪容れずに「はぁ?」と口にした彼氏の頭上には、大きな疑問符が浮かぶ。

「権兵衛とは長い付き合いですが…美的センスはイマイチだったんですね。これが可愛いだなんて…うちの兄上といい勝負です」

「違う、これはダサいから可愛いの!アグリーセーターって知らない?」

眉間に皺を寄せたままの彼氏から離れて昼食をテーブルに並べるわたしの問いに、ゆるゆると彼は首を振った。祖父母が孫に編んでくれる愛情たっぷりのダサいセーターを、いわゆる"ダサカワ"として楽しむ欧米の風潮だ。

「このご時世だしアメリカには行けないって話をしたとき、アグリーセーターのことを紅炎さんに話したの。覚えててくれたうえに弟とその彼女にプレゼントしてくれるなんて、できた人だよね〜知ってたけど」

「…それなら兄上と付き合えばいいでしょう?」

紅炎さんを褒めちぎると、わかりやすく頬を膨らませる紅明はとても可愛い。話題を問わず兄の話をすると、昔からなぜか彼氏はむくれる。「焼きもちやいてるの?可愛い」と返せば、即座に頬を萎ませて「焼きもちなんかやきません」と紅明。

「それより…なぜ兄上と連絡を?」

やっぱり焼きもちだ。口にはしないがジト目の彼氏にちょっとした優越感を覚えつつ、刻み海苔のタッパーと粗挽き胡椒をテーブルの中央に置く。「お昼ご飯にしよう」と恋人に声をかけて、紅炎さんと連絡していた理由を濁した。

紅明が原因だなんて、とても言えない。しかし、長年の付き合いだけあって彼氏の目はごまかせないようで。威勢のよさを欠いたテーブル越しのわたしを、じっと紅明は見つめる。

「言ってください…どうせ私の愚痴でしょう?」

「愚痴なんて言ってないよ。ただ…楽しくクリスマスを家で過ごすにはどうしたらいいかな、って相談しただけで」

大雑把に言えば、紅明は"クリスマス否定派"。それを知ったうえで好きになって付き合っているわけで、そういう彼氏を今更否定するつもりはない。ただ、わたしとて人並みにクリスマスを楽しみたい気持ちはあるわけで。

「…それで兄上がこのセーターを?」

「た、ぶん…"家から出ずにクリスマスを楽しめるものを贈る"とは聞いてたから。本当に贈ってくれると思ってなかったから、さっきまで忘れてたんだけど。あとでお礼のLINEしないと」

「まあ、これを着るだけでいいなら悪くないですね」

紅炎さんが弟に選んだのは、真ん中に髭の長髪男性と、その下に"BIRTHDAY BOY"の文字が描かれたもの。色使いはいわゆるクリスマスカラーで、何とも言えないダサさだ。わたしのは赤地で、前後両方にジンジャーマンがでかでかと描かれている。

「でしょう?」

そう言ってお昼ご飯のたらこパスタを頬張るわたしは、紅明にはさぞ満足気に映るだろう。クリスマスも家から出たくない。そうゴネた彼氏と破局寸前の大喧嘩をしたのは去年の今頃。一年前は紅明が譲歩してくれたから、今年はわたしが譲歩するつもりでいた。

「"これを着るだけ"って言ったけど、クリスマスバーレルがないとごねるくせに…」

「ごねません」

「ごねたよ、高二のとき!駅前のケンタッキーはすごい行列だったから諦めてファミチキたくさん買ったのに、"オリジナルチキンじゃないと嫌"ってほとんど食べなかったじゃん。"深夜のフライドチキンは美肌の大敵"って紅覇くんも食べてくれなくて、結局紅炎さんとわたしで食べたんだよ」

紅覇くんは紅明の弟で、兄たちと同じ会社への入社が決まっている大学四年生。父同士が学生時代の親友で、わたしたちは家族ぐるみで付き合いがある。練家と名無しの家で唯一同級生として生まれたのが紅明とわたしで、長らく"一番距離が近い異性の友人"だった。

好きになったのは記憶にないほど早かったのに、玉砕したら紅炎さんや紅覇くん、妹の紅玉ちゃんとの関係も壊れてしまう気がして。告白できずにいたせいで、ついに紅明が彼女を作ったのは高校時代。失恋のやけくそでわたしも彼氏を作ったものの、長くは続かなかった。

長続きしないのは紅明も同じ。幼馴染として歴代彼女全員を紹介してもらったが、なぜか一年以上続いた元カノはいない。ついに紅明から告白されたのは就職直前で、今までの彼からすれば奇跡的に数年間の恋人関係が続いている。

「それは高三です。白瑛さんの家に泊まって紅玉が不在だった年ですから。チキンの食べすぎで具合が悪くなって、塾の直前講習を休んだでしょう?それで化学を教えろと私に泣きついたじゃないですか」

「え、そうだっけ?…でも何でそんなことを紅明が覚えてるの?わたしと違って成績優秀だったし、塾に行ってたわけじゃな」

「権兵衛のことですから」



七、八年前の懐かしい思い出にギャーギャー騒いでいたわたしは、紅明の発言に口を閉じた。へ?と間抜けな返事をすれば、たらこパスタの最後の一口を飲み込んだ恋人は、タオルで口元を拭う。

「…何年前だろうと、好きな相手のことなら一挙手一投足を覚えているものでしょう?」

「そうだ、けど…」

日頃の愛情表現に乏しい彼氏が、ストレートに想いを口にするのは久々で。思わず暖房を消したくなるほど、急に身体がぽかぽかしてくる。思いがけぬ甘い言葉にどぎまぎしたままのわたしをよそに、キッチンの電気ケトルをセットしに紅明は席を立つ。

「…紅明は余裕なんだな」

食後の紅茶を用意する彼氏に聞かれない声でつぶやいたわたしは、ダイニングテーブルの上に置かれたたらこパスタの空き皿を重ねる。木製のサラダボウルとフォークをたらこパスタの皿の上に重ねてキッチンに入り、シンクに置こうとすれば、ナチュラルに一人分の距離を取る紅明。

食器用洗剤をスポンジに一プッシュして、右手で泡立てながら隣の恋人に視線を移した。色違いのマグカップとティーポットに電気ケトルの熱湯を淹れて、冷蔵庫についたタイマーで三分を測る。いつもと変わらない光景なのに、色気の欠片もない家事姿なのに、やけに恥ずかしく感じてしまう。

本当に紅明はわたしを好きなのだろうか。紅明の告白で付き合いはじめても、恋人ならではの行為をしても、その疑問は常に頭にあった。

生まれたときから一緒の幼馴染。紅覇くんならともかく紅明とあり、彼氏彼女の仲になって関係性は大きく変わらなくて。付き合いたても同棲を始めたときも、ラブラブとは程遠かった。だからこそ。

「権兵衛…さっきからどうしたんです?」

「えっ」

自分の世界に入り込んでいたところを呼ばれ、はっと我に返る。何が?と返すと、ずっと紅明を見つめていたと彼は言う。ティーポットを片手にわたしの答えを待つ彼氏の目力は、練家特有のそれだ。

「…さっきわたしを"好きな相手"って言ってくれたの、すごく嬉しくて」

「…」

答えを口にしたわたしをじっと見つめる紅明は、大きなため息をついてティーポットを置く。そろそろ三分が経つ頃で、マグカップを温めているお湯を捨てるのかと思いきや、彼氏の両手はわたしの後頭部と腰に。髪と地肌の間に紅明の指が入ったと思えば、腰を屈めた彼に口付けられる。

昼休憩が終わってすぐ、今度はわたしがオンライン会議。それを紅明は知っているはずだ。メイクと髪を直すのを考慮すれば、イチャイチャなんてしていられない。

しかし、淡白な紅明にしては珍しく、何度も何度も角度を変えて吸い付くようなキスを繰り返して。さらに普段の癖で、後頭部の髪がくしゃっと揉まれる。

濯ぐだけのサラダボウルとスポンジで、抵抗しようにもわたしの両手は泡まみれ。紅明に体重をかけられた拍子に、抵抗手段に思考を巡らせるわたしの左手から音を立ててサラダボウルが落ちる。

手ぶらの左手で押し返せばいい。それはわかっている。しかし、いくら上下ともにユニクロのスウェットでも、彼氏の服を泡で汚すのは気が引けてしまう。

「あいたっ!…何す」

もこもこの冬用スリッパの上から紅明の足を踏めば、ようやく唇が離された。しかし、依然として両手は後頭部と腰に回されたまま。

「お昼ご飯のあと、すぐオンライン会議って言ったじゃん!それに歯磨きも、口をゆすいですらないのに…」

午前中に軽くメイクしてあって、軽く化粧直しをして口紅を塗れば完成だったのに。鏡を見ていないにせよ、化粧直しの範囲が広がったのは間違いない。

「権兵衛、結婚しましょう」

紅明が発した脈絡のない一言に、わたしの思考は停止する。ガッツポーズと大声が飛び出そうになるほど、紅明からの求婚自体は嬉しい。しかし、本当に結婚したいのだろうか。返事を待つ本人を目の前に、そんな疑問が頭をよぎった。

二十代半ばになれば、学生時代の友達にも既婚者が現れはじめる。同棲中の彼氏に話が及ぶと、必ず友達から結婚について聞かれていた。

仕事も楽しいし、今すぐ結婚しなくても。そう思っていたのも今は昔で、友人たちに追及されるほど意識するようになって。とはいえ、結婚願望を紅明に伝えたり匂わせたりするのは避けてきた。結婚などしてもしなくてもいい、と恋人が考えているのはわかっていたから。

「えっ、何でそうなるの?わたし怒ってるんだけど…結婚をちらつかせれば簡単に宥められるとでも思」

「そんなんじゃありません。プロポーズくらいはクリスマスに、と私だって思ってたんです」

じゃあなぜ今。わたしの問いへの彼氏の答えは、長年知る練紅明らしさとはかけ離れていた。

「"私の好きな相手ってことが嬉しい"って、さっき権兵衛が言ってくれたでしょう?そのとき…衝動的に"あなたが欲しい"と思いまして。…それは別として、化粧も髪も崩してすいませんでした」

後頭部に置かれたままだった紅明の右手が髪と頭皮の間に潜り、優しく手櫛で髪が整えられていく。ありがたい一方で頭皮に入る適度な刺激の気持ちよさに、このままでいたい気持ちが芽生える。名残惜しさから思わず恋人に視線を向ければ、わたしの目をまじまじと紅明が見つめていて。

「…何?」

「返事は?」

断るなんて選択肢はない。おそらく、いや絶対、それは紅明もわかっている。とうの昔からわかりきっていた答えを、ずっと待ち望んでいた問いへの答えを口にするだけなのに。言葉の重さが喉元に押し寄せ、全身を緊張が支配する。

「もちろん、わたしでよければ…よろしくお願いします」

震え声の返事に安堵の色を浮かべた紅明は、再びわたしを抱き締めた。しかし、先程の反省を活かし、右手はわたしの背中に回されている。わかりきっていた返事とはいえ、やはりプロポーズは紅明にとっても一世一代のイベントだったようで。自然と恋人はわたしに自身の体重を預けていた。

「でも…やっぱりクリスマスまで待ってほしかったし、クリスマスじゃないにしても他の場所があるでしょう?プロポーズ記念日だって、すごく特別なんだから!」

世界で自分が一番幸せと自惚れられる特別なひとときを、特別な場所で迎えたかったのに。よりによって自宅のキッチンなんて。わたしが溢した些細な不満に、眉間に皺を寄せた紅明は面倒くさそうな表情を見せる。

「クリスマスなんてどうでもいいと言ってるでしょう?…クリスマスに限らず、特別な一日なんかどうでもよくて。普通の三百六十四日を権兵衛と過ごすほうが、私にとってはずっと大事なんです」

「紅明…」

顔を上げれば返事の前よりずっと穏やかな表情の紅明と目が合って。婚約者の近づく気配に、軽くつま先立ちをしてそっと目を閉じる。紅明の長い前髪が鼻を掠めたとき。

スカートのポケットに入れたスマホから鳴ったのは、チャットツールの通知音。オンライン会議になかなか入室しないわたしを心配した、同僚からのメッセージだろう。

「ごめ、行かなきゃ…」

「いえ、こちらこそすいません。それより化粧は?」

「これ以上待たせられないから、喉が痛いって言ってマスクする」

キスのときに触れられていない場所、頬の上は食事前の化粧が崩れていない。マスクをすればごまかせると判断したわたしは、玄関に行って不織布マスクの箱から一枚抜き取った。耳かけ部分を広げながら部屋に戻ろうとすると、部屋の手前で紅明の右手がわたしの左手首を掴む。

「本当にそろそろ仕事に戻らないと」

「一応伝えておきますが、"ここ"は二十五日まで待ってください」

廊下で膝まづいた紅明は、わたしの手の甲を上に向かせて薬指の付け根付近に短く唇を落とす。視線が絡んだのは一瞬なのに、その眼差しも長い睫毛もあまりに色っぽくて。見とれているうちに手が離されたと思えば、扉が空いたままの部屋にわたしを押し込め、バタンと扉を閉めた。

急いでオンライン会議に参加したものの、画面越しでも伝わるほど顔が真っ赤だったらしい。手櫛で整えられただけで軽く乱れた髪も、"昼休みは寝込んでいたに違いない"との憶測を生む原因になって。退勤までに度々「辛かったら今日は休んで」と言われるほど、同僚たちに心配かけてしまった。

十二月二十五日に手渡された婚約指輪によって、"わたしの婚約者は世界的大企業の次男坊"と改めて思い知らされたのは別の話。



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