Short | ナノ


甘いものは別腹だから(マスルール)


「…いい?」

「聞かれてダメって俺が言ったことある?」

「ないけど…親しき中にも礼儀ありっていうでしょう?」



ここはシンドリア南西部のとあるレストラン。徒歩数分のところにシンドリア王国海軍の基地があり、いつも店内は海兵たちで賑わっている。そのレストランに、俺は付き合って半年の彼女ゴンベエ・ナナシノを連れて来ていた。

「いつもありがとう、マスルールくん。じゃあ遠慮なくいただくね」

そう言って目を細めたと思えば、俺の目の前に運ばれた料理にゴンベエの視線は釘づけ。湯気の立つ大皿を左手で恋人の前に押し出すと、卓上に置かれた小皿を彼女は手に取る。同じく卓上に置かれたスプーンで手際よく二十分の一程を掬って小皿に乗せたあと、ゴンベエは両手で俺の前に大皿を押し戻した。

「アバレケブガニはいいの?」

「…マスルールくんが頼んだ料理だから」

アバレケブガニはゴンベエの大好物。口では遠慮するものの、顔には"食べたい"と書いてあって。少しやると言えば、恋人は顔を輝かせた。アバレケブガニを切り分けようと卓上のナイフを探っていると、個室の扉が開く。入室したのはゴンベエの料理を運びに来た店員で、彼女の前に大皿を置いて立ち去った。

「マスルールくんも…わたしの料理少し食べる?」

「…いや、いい。どうせあとで食べるから」

自分の料理を取り分けた俺へのお礼に、自分の料理を差し出そうとした恋人を俺は退ける。その理由を察したようで、対面のゴンベエは頬を膨らませていた。

「そんなことないもん、今日は完食するんだから!あとで食べたくなっても知らないからねっ」

「…はいはい」

適当にあしらうと、寂し気にゴンベエは視線を落とす。おいしい料理が何よりも大好きな恋人は、その料理を周囲と共有することを好む。共有を拒まれ肩を落とす恋人に俺が抱く罪悪感はほんの少しで、さほど問題視していない。俺がゴンベエの料理を食べるのは既定路線だから。

「…じゃあ温かいうちに食べよう」

「ん…いただきます」

ゴンベエが出してくれた取り皿を端に避けたあと、手を合わせてから互いの皿に俺たちは向き合った。



「それでね、ヤムさんったらひどいんだよ!」

「…魔法のことになるとああだから、ヤムライハさんは」

同じ魔導士である親友の愚痴を零しながら、アバレオトシゴにナイフを入れるゴンベエ。自分より魔法研究を優先する天才魔導士の愚痴は、十回会えば七回は聞かされている。ヤムライハさんに関する真新しい情報は、今回も何一つない。

ゴンベエの話に生返事をしながら、盛りつけられた料理の下層部に敷き詰められた米を口に運ぶ。それを何度か繰り返していれば、少し機嫌の悪そうな声色で名前を呼ばれた。皿から視線を上げると、「話聞いてないでしょ?」とゴンベエは眉間に皺を寄せていて。

「聞いてる」

「本当に?…あっ、マスルールくん。口にお米ついてるよ」

そう指摘するゴンベエは、自身の唇の左側を指さす。俺から見て左側ということは、恋人から見て右側。そう判断して唇の右側で米を探せば、反対側と彼女に指摘された。

「…」

「え?」

「…ん」

年下の恋人らしく顔を寄せて「ゴンベエが取って」と口にして軽く顎を突き出してみたものの、目にも留まらぬ速さで彼女は首を振る。もっとも、恋人のつれない反応は織り込み済み。突き出していた顎をあっさりと引き、再びアバレケブガニを俺は口に運んだ。

ゴンベエと俺の出会いは、シンドリア王宮の清掃員として雇用された彼女の就任式。魔導士にもかかわらず、ある理由で宮廷魔導士ではなく清掃員として恋人は職を得ていた。その理由は、極度の潔癖症。

握手すら好まないゴンベエは、就任式でのシンさんとの握手も嫌々で。公的な場なので握手こそ交わしたものの、自席に戻ってすぐ水魔法で手を洗ったほど。それを目にした政務官から式典後に呼び出され、シンさんに失礼だと叱られていた。

俺がゴンベエを知ったのは、そこに居合わせたのがきっかけ。入宮早々に政務官に雷を落とさせる者なんて稀だからこそ、自分との接点のない人を覚えるのが得意でない俺が彼女を覚えられたのだ。

「マスルールくんがくれたアバレケブガニ、すごくおいしい」

「…それは何より」

先に取り分けたアバレケブガニは、どうやらゴンベエの気に召したようで。小さい口いっぱいに料理を詰め込む恋人を眺めつつ、俺も自分の皿を空けるべく一口大にカットされた肉にフォークを刺す。

俺の料理を先にゴンベエが取り分けたのも潔癖症が理由。親兄弟だろうと彼氏だろうと、人が口をつけたものは食べたくないらしい。

俺の口についた米を取ろうとしなかったのも、一度口に入れたスプーンで掬った米を触りたくないから。たとえペーパーナプキン越しに米を取っても、そのペーパーナプキンに触れた手を洗わないと気が済まないという。

しかし、そんなゴンベエとも彼氏彼女らしい関係性は育めている。就任式で存在を認知した清掃員と再会を果たしたのは、シンドリアに彼女が来て半年後。清掃員としてではなく、天才魔導士の親友として顔を合わせた。

魔導士の親友ができたと語るヤムライハさんに、その子を紹介しろと先輩が迫ったのがきっかけ。先輩命令によって俺も加わり、四人で食事会を開いたのだ。それ以降は長らく友人関係が続き、付き合いはじめたのが半年前。シンさんとの握手にすら嫌悪を隠さないゴンベエに抱きつかれれば、さすがに好意に気づくわけで。

「…どうしたの?もしかして今度はわたしの顔にお米ついてる?」

ゴンベエと付き合う前を思い出しながら恋人を凝視していれば、俺の視線に気づいた彼女と目が合う。質問に否定で答えてから昔の話を口にすると、幸せそうにゴンベエははにかむ。

「マスルールくんと色々なおいしいものを食べに行きたいなって、付き合う前から思ってたの。だからこうしてマスルールくんと食べ歩きできて、わたしすごく幸せだよ」

そう言ってからフォークを皿に置いたゴンベエは、水瓶に注がれたレモン水を自身のグラスに注ぎ足した。



「あとね、一昨日ヤムさんとランチしてたら、女の子を連れたシャルくんが来て…」

「…」

入店して一時間も経てば、ゴンベエがスプーンやフォークを口に運ぶ時間より、喋っている時間が多くなる。恋人の様子からそろそろと察した俺は、自分の皿に残った米をスプーンにまとめて口に入れた。

これで俺は完食。レモン水で口内をリセットしてから恋人を一瞥すると、予想通りゴンベエのスプーンやフォークは手から離れていて。

「ゴンベエ、まだ残ってる」

「うん…お腹いっぱいで」

ふう、と一呼吸ついたゴンベエは、入店時の二倍近くに膨れた自身の腹をさする。

「残すの?」

"今日は完食する"って言ってなかった?と目で訴えれば、申し訳なさそうな顔でゴンベエは俺に視線を向けた。

「ごめんね、マスルールくん。…お願いしていい?」

もちろんと答える代わりに、ゴンベエの皿を手元に手繰り寄せる。こうなるのがわかっていて、ギリギリ食べきれない量の料理を提供する店に恋人を連れて回っていた。八人将の俺の負担にならないよう、日頃あまり俺に頼ってこない年上のゴンベエが頼ってくれる数少ない機会だから。

どうせゴンベエは食べきれないし一口欲しがるとわかっているから、彼女が注文するものと全然違うものを頼むようにしている。料理がくるまでは一人前を食べきれる、と信じて疑わないゴンベエも好きで。永遠に終わらないリベンジに燃える恋人は、何度見ても飽きない。

おいしいものを食べるのが好きだから、大盛り屋だと知っていてもゴンベエはついてくる。何より、ゴンベエが行ったことのない店に誘えば、大盛り専門店だろうとほかの店に行こうと食道楽の恋人は文句ひとつ言わないのだ。

「マスルールくんって、食いしん坊だよね」

「ん…?」

"迷宮"の入り口みたいな胃袋や大食漢、大食い。これらの類はよく言われるが、食いしん坊と形容されるのは初めてで。その言葉の響きに、俺は思わずスプーンを掻き込む手を止めた。

「いつもいっぱい食べるでしょう?こうやってわたしの残飯も食べてくれるし、謝肉宴の残り物も平らげて料理人に感謝されてるし。てっきり食べるのが大好きなんだと思ってたけど…違うの?」

「…好きとか嫌いでは考えたことないけど」

その二択なら、多分好き。食事自体は嫌いでないし、人と一緒に摂る食事の時間はいつでも楽しみにしている。しかし、自分一人での食事にはさほど興味がない。

一人なら王宮食堂で手短に済ませるか、面倒だったら食事を抜くか。自炊をしない俺からすれば、料理するくらいなら飯を抜いたほうが楽。食べる専門の俺にとっての料理には、調理の手間は一切考慮されていない。最終的に好きと答える理由は、嫌いと言えるほどの理由がないからだ。

「ふーん…少なくとも一日三回は食事の時間がくるのに、それを楽しめないなんてもったいないよ!」

ゴンベエの言うことは一理ある。たとえ食事が嫌いだろうと、生きるために食は避けて通れないわけで。

「ねえ、マスルールくんに嫌いな食べ物はあるの?」

「ない」

端的に返答しながら、質問者が残した料理を口に運ぶ。あと二、三口で完食というところでゴンベエが投げた質問に、スプーンを持つ俺の手が止まった。

「本当に何でも食べるんだね。…じゃあ、一番好きな食べ物は?」

俺の答えを待つ間に、レモン水に口をつけるゴンベエ。両手でグラスを持って水分補給する恋人を見つめながら、答えを俺は口にする。

「ゴンベエ」

端的な回答に、なぜかゴンベエはむせ込みはじめた。すぐに席を立って対面に回った俺は、苦しそうに咳をする恋人の背中をさする。

こんな些細な行為ですら、付き合う前のゴンベエとは考えられなくて。小さなことだが、これは俺たちの関係性が前進している証拠。深呼吸で息を整える恋人を前に申し訳ないが、背中をさすれる関係性が今は嬉しい。

「わたし、食べ物じゃないもん…」

「俺にとっては大好物だけど」

そう言い返せば、茹でダコのように顔を真っ赤にするゴンベエ。彼氏に自分の残飯処理をさせる事実を棚に上げ、恋人は俺を急かしはじめる。

「…もうその話はいいから!早く食べて!ここを出よう!」

「なに?俺に食べられたいの?」

「…バカ!もうしばらくマスルールくんと食べ歩きするのやめるから!」

そのあと店を出るまでゴンベエのご機嫌は斜めだったものの、少し市街地を歩いてからクレープをご馳走すると、すぐに機嫌は元通り。さっきまで満腹じゃなかったのかと問えば、「甘いものは別腹だから」と恋人は微笑んだ。

しかし、そのあとの「それなら俺もゴンベエを食べたいんだけど」という発言がよほど気に障ったようで。翌日から一週間は、食べ歩きを拒否されたのだった。



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