Short | ナノ


エプロンの君【後編】(練白龍)


白龍に連れられて権兵衛がやって来たのは、彼のアルバイト先のケーキ屋。いつものような甘い香りや賑わいは、定休日の店内にはない。定休日のケーキ屋ならゆっくり話せるからと言って、適当な席に座るよう権兵衛に白龍は告げた。

バイト先で落ち着きを見せる白龍に対して、想い人と二人きりでケーキ屋にいる事実に権兵衛は顔を強張らせる。突然校門の前に白龍が現れたと思いきや、定休日のケーキ屋に連れられて。ここに自分が来るためだけに、親友二人に反省文を書かせてしまっている。白龍の意図が見えない権兵衛は、小さくため息をついた。

「待たせてすいません」

そう言って店の奥から戻った白龍の手には、ティーポットと二つのティーカップを乗せたトレイ。権兵衛の前のテーブルにトレイが置かれると、ふわりとアールグレイが香る。自身の通学鞄を対面の席に置いた白龍は、権兵衛の右隣に腰を下ろした。

「…初めて権兵衛さんが来た日も、こうして二人で紅茶を飲みましたね。権兵衛さんは覚えてな」

「覚えてますっ!あのとき出してくださったのも…アールグレイでしたよね?」

権兵衛の言葉に、白龍の顔に光が宿る。二人の脳裏には、二月ほど前の同じ出来事が浮かんでいた。



ある雨の土曜日。財布とスマートフォンだけを手に、自宅から十五分の場所に権兵衛はいた。すれ違う人たちはみな傘を差していて、強い雨に打たれる女子高生を一瞥する。さすがにセーラー服一枚で冷たい雨に打たれれば、晩夏の夜とはいえ権兵衛の身体は震えはじめていて。

肩に張りつく制服に気持ち悪さを覚えた権兵衛は、視線だけを動かして雨宿りできる場所を探す。たまたま権兵衛の目に飛び込んだのは、灯りの点るケーキ屋。田舎町で他に行く宛もなく、灯りに導かれるようにその扉を権兵衛は開けた。

「いらっしゃ…大丈夫ですか?今すぐタオルをお持ちしますから!」

雨に濡れた権兵衛を見るなり、レジにいた従業員が慌てて店の奥に向かう。しばらくして戻ってきた店員は、ふかふかのタオルを権兵衛に手渡す。

「ありがとうございます…」

タオルを手渡されて初めて店員を視認した権兵衛は、その整った顔立ちに息を呑む。その店員こそが練白龍で、これが二人の出会いだった。

肩や頭を拭きながら店内を見渡すと、客は権兵衛一人。店内の壁時計は十九時四十分を指していて、隅に置かれた掃除用具からも閉店が近いと察した。小さなため息を権兵衛がつくと、白龍が声をかける。

「今は僕しかいませんし、時間は心配なさらないでください」

「…ありがとうございます」

適当な席に使ったタオルをかけ、ケーキを注文しに権兵衛はレジに向かう。真っ先に目に飛び込んだいちごのタルトを選んだあと、暖を取ろうと壁の上部に書かれたドリンクメニューに権兵衛は視線を移す。

アールグレイを飲みたかったものの、財布には五百円玉一枚。紅茶を諦めた権兵衛は視線をケースに戻し、いちごのタルトだけを注文した。ケーキは席に持っていくと白龍が言うため、会計を済ませた権兵衛はタオルを置いた席に戻る。

スマホを眺めてケーキの到着を待っていると、ふわりと茶葉の香りが権兵衛の鼻孔を刺激した。権兵衛が顔を上げると、いちごのタルトとともにティーポットとティーカップをトレイに乗せた白龍。

「わたし、紅茶は頼んでいな」

「サービスです。あんな雨のなか傘も差さないで、身体が冷えているでしょう?風邪を引かれたら大変ですから」

申し訳なさで権兵衛はいっぱいになるものの、一度始まった茶葉の抽出は止まらない。自分が断ればせっかくの紅茶が棄てられるかもしれない、と思った権兵衛は、遠慮がちに白龍に礼を告げた。

「本当に…閉店時間は気にしなくていいので、ゆっくりしてください。早上がりしたところで、僕は家にいたくないので…僕を助けると思ってください」

居場所を提供してくれる白龍の優しさが、今の権兵衛には染みる。白龍の発言が方便とわかっていても、一人ではない安堵で権兵衛の目からは無意識に涙が溢れた。

「えっ…どうして泣くんです?ケーキや紅茶、変な味でもしましたか…?」

商品を置いてレジ締めの作業中だった白龍は、涙する客に慌てて駆け寄る。しかし、タルトのフィルムは剥がされていないし、紅茶に至ってはまだティーカップに注がれてすらいなくて。商品に問題があるわけではないと安堵する反面、目の前の客を放っておけない白龍は、レジに施錠してから客の対面に腰を下ろす。

「僕でよければ、話くらい聞きますよ。…家族や友達に話しづらくても、見ず知らずのケーキ屋の店員なら話せることもあるでしょう?」

それを聞いた権兵衛は、小さく頷いてからぽつりぽつりと自らの置かれた状況を口にした。自身が高校二年生で、学びたいことがあって四年制大学への進学を希望していること。しかし、"女は大学なんて行かなくていい"と前時代的な父は考えていて、彼に対して何も言わない母のことも話した。

「わたしの高校はバイト禁止だし…一度就職して自分で学費を稼ぐしかないのかなって」

「…」

実は白龍の通う高校も、アルバイトを禁止している。しかし、高校卒業後に折り合いの悪い義父の庇護下を離れるため、学校にも両親にも内緒で働いていた。同窓生に知られるのを避けるべく白龍が選んだのは、高校から電車で三十分の距離にある住宅街の小さなケーキ屋。

とはいえ、洗濯したエプロンや帰宅後の甘い香りで、あっという間に同居中の姉たちにはバレて。義兄や学友への隠蔽工作を手伝ってもらう代わりに、彼女たちの来店は許していた。

自分は隠せているからといって、見ず知らずの女子高生に校則違反をしてまでバイトするのは白龍も勧められない。それでも、どこか自分と重なる権兵衛を、白龍は放っておけなかった。

その後も根気強く親身に白龍が権兵衛の相談に乗っていると、机上の彼女のスマホが震える。すぐに帰ってくるように、との権兵衛の母からの着信だった。気づけば閉店時刻から二時間が経っていて、晩夏とはいえ外は暗い。

「帰らなきゃ…でも、帰りたくない…」

「…家が嫌になったら、いつでもここに来てください。僕一人のときなら閉店時間を過ぎても構いませんし、毎回ってわけにはいきませんが、ケーキも紅茶もサービスしますから」

そう告げる白龍は同年代のはずなのに、やけに権兵衛には頼もしく映る。時間も時間だから家まで送ると白龍は言うが、まだ閉店作業も残っていて。これ以上迷惑をかけたくないから、と身体を拭いたタオルを手に、逃げるように権兵衛は店を飛び出した。

洗濯したタオルを持って数日後に権兵衛がケーキ屋の前に行くと、窓越しに白龍が見える。雨の日の少年に告げる感謝の言葉を権兵衛が反芻していると、突然店のドアが開いた。

「やっぱり!この前の大雨の日のお客様ですよね?」

「は、はい…」

接客用とわかっていても、太陽に照らされた少年の笑顔はあまりにきれいで。練習した言葉が頭から抜け落ちる代わりに、権兵衛の視線は店員の左胸に落ちる。"Hakuryu. R"と書かれた小さな板で、恋に落ちた相手の名前を権兵衛は知った。



「…あれから何度も、毎週のように権兵衛さんには来ていただいて感謝しています。権兵衛さんのことを店長に話したら、喜んでいましたよ」

やはり自分は客の一人でしかない、と権兵衛は痛感する。白龍を目当てにケーキ屋に通う客なんて、いくらでもいるはずで。可愛い恋人がいるのに言い寄る客を、迷惑に白龍が感じている可能性は十分にあった。それに気づけば、玉砕覚悟で告白するつもりだった権兵衛は急に萎縮していく。

「もちろんお客様としても権兵衛さんが来てくださると嬉しいんですけど、俺個人としても嬉しくて、楽しみにしていて…」

白龍の顔はほんのり赤く、どことなく表情はぎこちない。やはり迷惑なのかと権兵衛は感じる反面、白龍の発言は逆で。不安と期待が混ざる自分に困惑しながら、少し冷めたアールグレイに権兵衛は口をつけようとした。

「あなたが好きです…権兵衛さん。…すいません。ケーキ屋でしか会わないし、出会ってからも短いし、お互いのこともほとんど知らないのに…気持ち悪いですよね。それでも、どうしても伝えたくて」

白龍の言葉に、口元に寄せようとしていた権兵衛のティーカップが止まる。想い人から好意を告げられた嬉しさよりも、権兵衛にとっては驚きが勝っていた。玉砕覚悟で権兵衛が考えていた告白の文言と白龍のそれは、ほぼ同じだったから。

しばらく権兵衛が言葉を失っていると、「やっぱり迷惑でしたよね」と白龍。驚きゆえに黙っていたのであり、迷惑だなんて思っていない。慌てて釈明すれば、一瞬安堵の色を白龍は見せる。しかし、すぐに白龍は真剣な顔に戻った。

驚きが鎮まって冷静になると、白龍が彼女持ちだと権兵衛は思い出す。二股を承知で付き合う気など皆無で、白龍との関係性が白紙になる可能性を理解しつつ権兵衛は口を開いた。

「…わたしも、好きです。でも…二番目も割り切った関係も嫌です。だから、どうしていいかわからなくて」

「えっ…何でそうなるんです?」

訳がわからないと言いたげな白龍と権兵衛の間に、微妙な空気が漂う。恋人がいるのに他の女性を口説くなんて、言語道断。きつめの口調で権兵衛が質せば、白龍の眉間に皺が寄る。

「彼女なんていませんよ!…一度もいたことないんですから」

首まで真っ赤にする白龍は、嘘を言っているようには見えなかった。とはいえ、恋人でなければ"おうち"なんて言葉が女性から飛び出すとは思えない。それに、一人で街を歩かせたくないと口にできる間柄なんて、権兵衛の頭では恋人くらいしか考えられなくて。盗み聞きがバレるのを承知で、その点を権兵衛は指摘した。

「えっ…?…あっ…もしかして、そういうことですか?」

何かを納得した素振りの白龍は、ぶつぶつと独り言を口にしながらスラックスの右ポケットからスマホを取り出す。少しの間スマホに視線を向けた白龍は、「この人たちですか?」と権兵衛に画面を向けた。そこには、"実家が太い可愛い系彼女"と"ナイスバディな美形お姉さん"、そして白龍が三人で写る写真。

画面からは、予想していたような三角関係の修羅場とは縁遠い関係性が伝わる。権兵衛が頷けば、大きなため息を白龍はついた。

「…まず、右側の女性は俺の姉です。弟の俺が言うのもおかしいですけど、これだけの美人が一人で歩くと、変な勧誘や男が寄ってくるんですよ」

呆れを隠さない口調で白龍が紹介するのは、黒髪ストレートの巨乳美女。よく見れば"美形のお姉さん"と白龍は、顔立ちが似ていた。校章バッヂを取りに戻ったとき、いかに自分が動揺していたかに権兵衛は気づかされる。

たまたまその日はボディーガードの李青舜が休暇で、代理も用意せずに一人で白瑛がこの店に来ただけ。あたかも当然のように言ってのける白龍に、権兵衛は目を丸くする。普通の若者には、ボディーガードなんてつかないのだから。

「左側の女性も姉なんですけど…俺の家系はちょっと複雑で。血縁関係的には従姉です」

「お姉さんに従姉…」

リボンのように赤い髪を結い上げた可愛い系の女性が従姉なら、"おうち"で顔を合わせるのも当然。二人とも美人だから不安だったと素直に権兵衛が告げると、予想外の反応を白龍は見せる。

「…権兵衛さんが安心できたなら、それで十分です。何より、そうやって思ってくださるのは、権兵衛さんが俺を好きな証拠でしょう?」

「…っ」

自信満々に口角を上げる白龍に、いくら自ら好意を告げていたとはいえ、恥ずかしさから権兵衛は視線を逸らした。顔にこもった熱を冷まそうと、湯気の消えたティーカップに権兵衛が口をつけたところで、「そういえば」と白龍が切り出す。

「"エプロンの君"。あれって…何ですか?」

「…それ、は…その…」

校門の前でその名を聞かれていたのを思い出した権兵衛は、観念したように"エプロンの君"の誕生秘話を口にした。

「…へえ。友達に相談しちゃうくらい、俺を好きでいてくれたんですね」

白龍とは両想いのはずなのに、権兵衛は自分ばかりが好きな気がして。悔しさや悲しさから眉尻を権兵衛が下げたとき、白龍のスマホが鳴った。すいません、と断りを入れて白龍が通話を始めると、彼のスマホから大きな声が響く。

「白龍、権兵衛さんへの告白はどうなりました?」

どうやらスピーカーがオンのようで、少し距離のある権兵衛にも姉弟の会話は筒抜け。耳からスマホを離した白龍は、なぜかスピーカーを切らずに通話を続けた。

「ねっ、姉さん…。告白ならうまくいきましたよ。それより…どういうことです?権兵衛さんの学校、女子校じゃないですか!校内で彼氏なんてできっこないでしょう?」

「あら、おめでとう。"権兵衛さんと彼女の同級生がお付き合いを始めてもいいんですね?"とは言いましたが、"彼氏"なんて言っていません。今どき同性カップルだっ」

そこまで白瑛が言い返すと、通話を白龍は強制終了させる。早々に兄弟喧嘩を聞かれた白龍は、罰の悪そうな顔で恋人に視線を向けた。

「…へえ。お姉さんに相談しちゃうくらい、わたしを好きでいてくれたんですね」

してやったりとばかりの口調とは裏腹に、権兵衛はこの世のものとは思えないほど可愛らしい笑顔を浮かべていて。スラックスの右ポケットにスマホをしまいながら白龍は自席に戻り、ティーポットに手を伸ばそうとする恋人を抱きしめる。

"可能ならばこのまま唇を"と、年齢相応の欲求を持ち合わせる白龍は思っていたものの、腕の中を見れば両手で顔を覆う権兵衛。彼女に拒まれた白龍は、狼狽を表に出してしまった。

「あ…ち、違うんです!その…わたし、兄弟もいないし、普段パパや先生、店員さん以外の男の人と話さないから…。今までは店員さんと客だったからよかったけど、彼氏だと思うと目を合わせるのも恥ずかしくて…」

必死で弁解しようとする権兵衛の瞳は潤んでいて、とても嘘を言っているようには見えない。とはいえ、このまま告白の成功だけを手柄に持ち帰るつもりは、白龍には毛頭なくて。

「大丈夫、権兵衛さんの嫌がることはしませんから。まずは…俺を白龍って呼ぶところから始めましょう?」

白龍の提案に、金魚のように口をパクパクさせながら権兵衛は恋人の名を絞り出す。ただ名前を呼ぶだけで顔を真っ赤にする恋人を愛おしく思う反面、これから先の長い道のりを悟った白龍は、心の中でため息をつかずにはいられなかった。



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