毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


忘物(075)


両親のシンドリア滞在は、約10日間。初日に会えなかった八人将にも、日を改めて両親を紹介した。

ドラコーン様に会ったとき「脱皮した皮は食せますか?」と、問うたのは父。かつてのわたしと同じ疑問を投げかけて、サヘルさんを苛つかせた。

子供たちはイムチャックに帰郷中のため、ピピリカちゃんと一緒に会ってくれたのはヒナホホさん。ラメトト首長やルルムちゃんについて、わたしたちも知らない話を聞けたのは、思わぬ収穫だった。

「こんなに小さかったのに」と母が感嘆したのは、スパルトス様に会ったとき。こちらでもダリオス騎士王やミストラスについて、スパルトス様も知らない話を両親がしてくれた。



「今度来るときは、連絡してください」

「わかったよ。シンドバッド様やジャーファルさんにもよろしくな」

「シンドリアをゴンベエが出たら、今度こそパパゴラス鳥の内臓を食べましょう」

両親の乗る船は出港し、水平線に吸いこまれていく。完全に彼らの船が視界から消えたのを見届け、わたしは踵を返した。

最後に両親と会ったのは、煌帝国を出た22歳のとき。5年も会ってなかったのか、と自分たちでも驚いた。禍根が残れど、わたしにとっては世界で1人の父と母。次に会えるのは、いつだろうか。



「ゴンベエさん」

王宮の敷地内に入ってすぐ、マスルール様に声をかけられた。要件を問うと、国王が呼んでいるという。

「…30分後には夜番があるから、夜番明けに行くって伝えてくれる?」

しかし、急を要する話だとマスルール様は言った。しかも、すでにわたしが遅刻する許可を料理長に取っているようだ。そう言われれば、"一介の官職"に拒否権はない。ジャーファルと国王の待つ政務室に、わたしたちも向かった。



「バルバッドに?」

明日の朝、国王はバルバッドに向かうという。ジャーファルとマスルール様を連れて。

「バルバッドに向かう目的や事情は、八人将でもこの2人にしか話していない。これから話すことは、ヤムライハやピスティ、ヒナホホにも黙っていてほしい」

そんな重要事項を八人将でもない"一介の官職"に伝える理由を、わたしは問うた。

「シンドリアの前に、バルバッドでゴンベエは働いていたでしょう?もちろん、過去に仕えた国の内情を口外できないのはわかっています。それでも…できる限りの情報を集めておきたいんです」

国王の代わりに、ジャーファルが答える。シンドリアの前に4年間、バルバッド王宮でわたしは働いていた。あの国の現状を、彼ら以上にわたしがよく知る自覚はある。

「承知いたしました。これからお聞きすることは、口外いたしません」

拱手とともに答えると、国王が口を開いた。



「…」

国王から一通りの話を聞き終えると、驚きのあまりわたしは言葉を失う。彼曰く、シンドリアとの交易打ち切りを、突然バルバッドから通告された。古くから交易のあるバルバッドとの亀裂だけに、この情報はまだここにいる4人で留まっている。

バルバッドにわたしがいた頃から、国政は悪化の一途を辿っていた。しかし、国王から告げられたのは予想以上の惨状。

「それに、先王が崩御されてから国内が乱れ、現王の圧政で国民が苦しんでるとの噂を聞く。それでバルバッドをなんとかしなくてはと思って、現地に向かうことにした」

わたしには、一点腑に落ちないことがあった。"差し支えなければ"と前置きしたうえで、バルバッドのために国王がそこまでする理由を尋ねる。バルバッドはシンドリア建国当初からの交易国だが、"七海同盟"加盟国ではない。バルバッドに対して、シンドリアの国王が手を尽くす理由はなさそうに見える。

「ゴンベエには話してなかったか?せんせ…先王には非常にお世話になったんだ。この国の礎になったシンドリア商会の旗上げを手伝ってくださったし、旧シンドリア滅亡後も、ずっと尽力してくださった。恩人である先王の国に異変が起きているなら、それを俺が止めたいんだ」

もし話せることがあれば、とわたしに言うジャーファルと目が合う。口外できることを選択しながら、ゆっくりわたしは言葉を紡ぐ。

「"先王の崩御後に国内が乱れ、国民が苦しんでいる"のは本当です。先王が病床に伏してから、現王のアブマド様が国政を一任してました」

わたし自身のことも含め、バルバッドの状況を話した。海洋国家の国力が弱まったのは、アブマド様が代理を務めてから。先王崩御後は国力の衰退が加速したことも、3人に話す。

バルバッド衰退が加速した原因は、その前にわたしが仕えた東国の圧力だ。しかし、それについては他言すべきでないと判断した。

「ラシッド先王の崩御後、諸外国への関税だけでなく、国民の税負担も徐々に増えました。"城に住み込むなら給料は余るはずだ"と、わたしたち官職の賃金が減らされました。わたしの退職時の賃金は、先王が健在だった頃の半分で、先王崩御後は食べ歩きすら我慢していました」

わたしがバルバッドにいたのは、約2年前。昔の同僚もそれ以外の国民も、今もバルバッドにいる人たちは、もっと苦しんでいるに違いない。そう付け足すと、とても深刻な表情を3人揃って浮かべた。

「ゴンベエは夜番でしたね。長時間引き止めてすみませんでした」

他にもバルバッドの情報を提供したのち、わたしにジャーファルが退室の許可を出す。夜番に向かうべく、わたしは政務室をあとにした。



翌朝。3人を見送るため、国に残る八人将と港に来ていた。すべての荷物を積み終え、3人や彼らに帯同する官職たちは国内に残る者と思い思いの時間を過ごす。

荷物の確認を終えてからずっと、ジャーファルの腕にわたしはいた。囃し立てるシャルルカン様やピスティちゃんの声が聞こえる。恥ずかしいから離すよう何度かジャーファルに頼むが、聞く耳を彼は持たない。

本音を言えば、昨夜のうちに顔を合わせて少しでもジャーファルと話したかった。昨日の夜番前の政務室で、帰国時期はわからないと聞いたからだ。しかし、急な出国が決まった政務官には、やるべき仕事が溜まっていた。

朝方に両親が帰国して緊張が解けたうえに、夜番で心身ともに疲れ切ったわたし。とても政務室に行く気力はなかった。長く会えないのだから、無理してでも会いに行くべきだった、と昨夜の自分を恨めしく思う。

「3分後に出港します。みなさん、船に乗ってください」

国王たちの乗る船の操縦士が、港にいる者たちに声をかける。港にいる官職たちからの別れの言葉と、舷梯を踏む官職たちの足音が聞こえた。

「ジャーファルも時間だぞ」と頭上から国王の声が降れば、ようやく政務官の腕が解かれる。わたしたちの身体には距離ができるが、視線は合ったまま。

「ゴンベエ、行ってきます。バルバッドに着いたら文を送りますね」

「…文はいらないから、無事に帰ってきて。それだけで十分だから」

名残惜しそうな顔で、ジャーファルはわたしを見つめる。「ジャーファルさんが最後ですよ」と、甲板からマスルール様が声をかけた。

わたしに背を向けて歩き出したものの、舷梯に足を乗せる手前でジャーファルは踵を返す。最後の一人が乗船しないので、船上で出港を待つ人たちも政務官の様子を窺う。引き返したジャーファルは、大股でわたしに近づいてくる。

「ジャーファル、どうしたの?」

「忘れもの」

ジャーファルに両肩を掴まれたと思えば、状況を把握する前に唇に熱を感じた。1秒ほどで離れると、黒目がちな瞳でわたしを捉えながらジャーファルは言う。

「絶対に帰ってきますから」

わたしにしか聞こえない大きさで告げたあと、両肩を掴んでいた手はすぐに離れる。今度こそ、舷梯の奥に緑のクーフィーヤが消えていった。

汽笛の音とともにエンジン音がけたたましく鳴り響き、船が動き出す。船に向かって手を振りながら、港に残った者は思い思いに叫ぶ。

甲板にはマスルール様と国王が見えるものの、緑のクーフィーヤは見えない。彼の残した余韻に浸りながら、水平線に消えるまでわたしは船を眺めていた。



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