毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


指導(059)


「あと15分煮込めば、甘みが出てきますから!」



体調はいいものの、王宮料理人の仕事に戻れない日々が続くある日の夕方。働けないせいで料理勘が失われるのを危惧したわたしは、医務長に声をかけていた。治療食の改善案についての話し合いが目的だ。

医務室の患者に提供する食事の調理担当は、国によって異なる。イムチャックでは王宮料理人が担当していたし、煌帝国では医務官が兼務していた。幼少期に暮らしたレーム帝国ほどの大国であれば、医務室専属の料理人がいて。

国ごとに異なる患者の料理番は、東国同様にシンドリアでは医務官の仕事。そこに王宮料理人は一切関与していない。つまり、医務室の患者たちにどんな食事が提供されているか、副料理長のわたしは一切知らなかった。

しかし、患者として治療食を口にし続けたわたしは、現状の治療食に強い抵抗を感じていて。端的に言えば、栄養は十分だがおいしくない。栄養価の数字だけを追った現状の治療食は、食材本来のおいしさが損なわれてる。

食事たるもの、おいしくてなんぼ。そう両親から教えられて育ってきたわたしには、今の治療食が我慢ならなくて。医務長に直談判した結果、医務官の手間になるような凝った調理法でなければ、との条件付きで治療食の改善を承諾してくれていた。これが、昨日までの話。


医務長の許可を得た翌日、医務室内の調理室にわたしはいる。まずは今までの調理方法を見ようと、昼食の調理に立ち会うのが目的だった。しかし、調理途中のものを味見すれば味はしない。おいしくないとわかっている料理の提供に我慢ならないわたしは、越権行為とわかっていながらも医務官の調理に口を挟んでいた。

「食べやすさも大事ですが、全部柔らかく煮ればいいわけではありません!熱を入れすぎれば栄養は逃げますし、食感の違いだって食を楽しむ要素の一つなんですから」

「は、はあ…」

「それに毒がない南海生物は火を通さなくても食べられますから、お刺身やぶつ切りでもいいわけで。あとは…」

最初は口出しだけのつもりだったが、料理人の血が騒ぎだしたわたしは気づけば包丁を握っていて。ただの立ち会いだったはずのこの場は、完全にわたしの料理指導と化していた。

王宮料理人が医務室の治療食に関与しないシンドリアにおいて、これが越権行為であることは明らか。未来の患者のおいしい食事のために、自分で考案したレシピの試作品をわたしは作りはじめる。

わたしの前で鍋を振っていた医務官は、明らかに煙たそうな顔をしていた。医務長に許可を得ている王宮副料理長とはいえ、一患者にすぎない人間のこうした振る舞いをうざく思う医務官の気持ちは、わたしにもよくわかる。しかし、止める気はない。

栄養満点で味のしないご飯より栄養満点でおいしいご飯のほうが患者にとって幸せなのは、誰の目にも明らかな事実。最終的にシンドリア国民の身体と心の健康に繋がるのであれば、目の前の医務官1人に嫌われたって構わない。



「ゴンベエさん!」

パタパタと足音を立て、調理室の戸を開けたのはジャーファル様。すっかり仕事モードのわたしは、入口付近の水道で手を洗うよう恋人に指示する。わたしの指示に従って手を洗い、足拭きマットに靴底を数回擦りつけてから政務官は調理室に足を踏み入れた。

「どうされたんですか?そんなに慌てて」

「医務室を訪ねたらゴンベエさんの姿がないうえに、寝台に"縄票"が置かれてたので」

以前恋人にもらった"縄票"には、彼が身に着ける本物と違って殺傷能力がない。入院生活で弱った腕の筋力を鍛え直すために縄票を借りたいと元暗殺者に申し出たときに、殺傷能力のある武器を模した安全な"縄票"をいただいていた。湯浴みと就寝以外でわたしが"縄票"を外さないのを、ジャーファル様はご存知だ。

「医務官に居場所を尋ねたら、ここにゴンベエさんがいると聞いたものですから…」

「心配おかけしました」と、恋人の黒目がちな瞳を見てわたしは一言告げる。いくらリハビリに有効とはいえ、衛生を最重視する調理場に"縄票"を持ち込むわけにはいかなかった。

「いえ、調理中に"縄票"を外すのは当然です。…で、何を作っているんです?」

「新しい治療食の試作品です。…今作り終わったのは、たんぱく質メインの料理です」

調理室に入って1時間ほどで作った3品を、政務官に見せる。先ほどまで不服そうだった医務官が小皿を用意していると、再び医務室の扉が開いた。

「珍しくおいしそうな匂いがしたので…」

扉を開けたのは、今日の料理番ではない医務官。手を洗って調理室に入った医務官たちは、作り方をわたしに問う。「レシピはここにありますから」と一晩で書き上げた巻物の束を調理台にわたしが置けば、医務官たちは巻物を手にして広げはじめる。

退院してしまえばこの調理室にわたしが立つことはなくなるわけで。どんなに試作品がおいしくても、医務官たちの手で再現できなければ無意味。普段の王宮厨房で使うような調理器具やテクニックを使わず、手間をかけずにおいしく作れるレシピを用意していた。

「いつの間にこれだけの量を…?」

「面会時間以外は暇ですから」

メインと数皿の小鉢で構成された料理を、栄養素ごとに一月分考案していた。"一月分"といっても、調味料や食材を変えるだけで無限大にレパートリーは増えるわけで。巻物の分量に比べれば、レシピの考案にたいして頭は使っていない。

とはいえ、食材ごとにベストな加熱時間や他の食材との相性もあって。栄養価だけでなく味もこだわりたいわたしは、レパートリーを多めに用意していた。もっとも、レシピの量が少ないとローテーションのスパンが短く、わたしのような長期入院の患者が飽きる可能性も考慮してある。

試食してもいいか医務官の1人に問われ、わたしは首を縦に振った。料理番の医務官に用意してもらった小皿に試食品を盛り、医務官たちに提供していく。

「昼食がまだでしたら、ジャーファル様も召し上がりますか?」

わたしの問いに、満面の笑みで恋人は頷いた。付き合って初めての手料理が治療食の試作品とは、仕事中毒同士とはいえ色気がなさすぎる。わたしですらそう思うのに、ピスティちゃんやヤムちゃんが知ったらがっかりするに違いない。そう思いながら、ジャーファル様の分をよそった。

「…全然違いますね」

「なんで今まで王宮料理人に監修を頼まなかったんだろう?」

医務官の1人が口にしたのは、この入院生活でずっとわたしも抱き続けてきた疑問。理由をご存知ですか?とジャーファル様に問うが、彼も首を捻る。料理も医療も専門外の政務官は、"餅は餅屋"と関わろうとしなかったという。

治療食に求められるのは、1人1人の体調や病気に合わせた栄養価のコントロール。大人数の料理をまとめて作る王宮料理人にとって、細やかな配慮が求められる治療食作りが負担になるのは事実だ。

また、必ずしも栄養学や生物学にすべての王宮料理人が明るいわけではなくて。栄養価を無視した濃い味つけの治療食を提供される懸念も、少なからず医務官サイドにはあったはず。

「なるべくしてなったんでしょうね」

持論を展開すると、医務官たちは納得した様子を示す。「ゴンベエさんには栄養学の心得があるんですか?」と、医務官たちの横でわたしに問うのはジャーファル様。

「栄養"学"というほど大層なものではありません。ただ…栄養価を考えながら献立を作るよう、幼少期から両親に言われて育ったので」

無意識のうちに栄養バランスを考える癖がついてる。それだけだ。とはいえ、それも仕事中だけの話。プライベートでは適当な食生活を送ることも珍しくない。丸1日揚げ物しか口にしない日もあったり、1日6食ほど食べる日もあったりする。



「…そういえば」

思い出したように、ジャーファル様にわたしが問う。

「なぜジャーファル様が医務室に?」

普段、公務中に政務官が医務室を訪れることはない。今日も非番ではないと聞いていたし、恋人の来訪には理由があるはずだ。

「実は、早めにゴンベエさんの耳に入れたいことがありまして…」

それは、ウイスキーボンボン事件のウイスキーボンボンについて。念のためヤムちゃんたち魔導士に鑑識を依頼したところ、それが某国のカカオ豆と断定されたらしい。

「ヤムちゃんに確認するまでもなく、あの芳醇な香りは某国のカカオ豆特有のものですよ」

事件を経ても変わらず憧れの対象である某国のカカオ豆について、わたしは熱弁する。そんなわたしに呆れながら、眉間に皺を寄せたジャーファル様は続けた。

「それだけではありません。確認されたウイスキーは、あの国が輸出するウイスキーボンボンに使われていないんです」

「ど…どういうことですか?」

ジャーファル様が仰るのは、わたしも知らない話。左隣の政務官に詰め寄ったわたしは、詳細の説明を彼に求める。

政務官曰く、某国で販売中のウイスキーボンボンの銘柄は五つ。今回のウイスキーボンボンから検出されたウイスキーは、五つの銘柄で使われる酒とは異なった。

さらにいえば、そのウイスキーは某国の国内流通品や輸出品にも含まれていない。わたしの食べたウイスキーボンボンから検出されたのは、某国宮殿内で厳重に保管されているもの。

皇族や国賓たちしか堪能できない極上品で、一般国民にはそのウイスキーの存在すら知らされない。そんな代物が宮殿外に出回るなんて、常識的に考えられないそうだ。

「そんなことまで、なぜジャーファル様がご存知なんですか?」

「ゴンベエさんはご存じなかったですか?…数日前から、シンがあの国にいるんです」

今回の目的は視察返しと見せかけた、ウイスキーボンボンの調査。帯同したマスルール様とともに、某国のウイスキーボンボンを国王が洗いざらい調べあげた。

シンドリア王国の国王なら、国賓として招かれるのは当然で。秘密のウイスキーに国王とマスルール様が辿り着くのも容易だったらしい。"透視魔法"でヤムちゃんに調査結果が報告されたのは今朝のこと。

「あんなウイスキーボンボンを作った皇女がいる国に国王が赴くなんて、いくら"七海の覇王"でも危険すぎます…!」

「…頻繁に医務室に足を運べなくても、みんなゴンベエさんが心配なんです。それに…あんな目にゴンベエさんを遭わせた皇女を許せないんです」

ジャーファル様の眉間には、深く皺が寄った。試食品を配膳していた皿を持つ左手も、小刻みに震えていて。とっくに事件のことなど過去にしていて仕事復帰しか頭にないわたしなんかより、周囲のほうがずっと心配してくれている。その事実に謝意を告げながらあることに気づいたわたしは、ジャーファル様に問う。

「そういえば…あのウイスキーを調べるために、わざわざ某国のウイスキーボンボンをマスルール様と国王は購入されたんですか?」

「そうですけど…どうかされました?」

肯定の意をジャーファル様が示すと、わたしの心に急速に嫉妬が芽生える。気づけばわたしは恋人の官服の両襟を掴み、ぐっと顔を寄せて彼に迫っていた。

「あの国のウイスキーボンボンを食べるなんて、2人ばかりずるいです!」

顔を近づけたわたしにジャーファル様が頬を染めたのは一瞬で、わたしの発言に彼はため息をつく。政務官同様に、その場にいた医務官たちも"信じられない"といった面持ちでわたしを見ている。昏睡状態にあった1週間、懸命に治療にあたった彼らが呆れるのは当然だろう。

「お土産…!お土産でシンドリアにも持ち帰ってくださるんですよね?」

一縷の望みに縋ろうとジャーファル様に問うわたしに、彼は頭を振る。某国のウイスキーボンボンの価格帯はわたしも知るところで、国王やマスルール様とていくつも買えるわけではないのはわかっていた。

それでも調査分の購入で精一杯だったと伝えられれば、その場にわたしは崩れ落ちる。ジャーファル様に抱き起こされたものの、その日の残りをテンションが低いまま過ごしたのは言うまでもない。



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