毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


羨望(040)


その話を最初に聞いたとき、忠誠を誓う相手の発言ながら、私は耳を疑った。しかし、皇女に告げてしまった手前、シンドリアに皇女が来ると決まった手前、どうしようもない。シンに言われるがまま書類を置き、ゴンベエさんの婚約者として彼女と向きあう。

シンドリアを思って、私との偽装婚約を引き受けてくださったゴンベエさん。国のためにも彼女のためにも、時間を無駄にはできなかった。

テラスの長椅子に、2人して腰を下ろす。小机には、アクティア産の豆を挽いたコーヒーが二つ並ぶ。2人して同じ豆を好いてるのを、ふと私は思いだした。

「コーヒー好き同士ですから、"仲よくなったきっかけ"には困りませんね」

そう言いながら、マグカップにゴンベエさんは口をつける。彼女の言葉に肯定の意を示し、私もコーヒーを味わった。コーヒーに精通している自負が私にはある。すべての職業料理人のコーヒーがおいしいとは限らないものの、彼女が淹れるコーヒーはおいしい。

相手が国王や国賓だとしても、物怖じしないどころか堂々と対応するゴンベエさん。王宮副料理長として国賓の前に出る機会の多い彼女は、高確率で国賓たちに気に入られていた。そんなゴンベエさんとなら、偽装婚約の任務で失敗するとは思えない。失敗するとすれば、偽りの関係がばれるときけだろう。

「私たちも綿密に打ち合わせすべきですが、皇女の訪問まで時間があります。今日は遅い時間ですし、ゆっくり過ごしましょう」

私の言葉に、満面の笑みを彼女は浮かべた。食堂で見かける仕事中のゴンベエさんとは違い、とてもリラックスした様子だ。

遅い時間だからゆっくり過ごそうなんて言いつつ、本当は"婚約者"になった彼女に対してどう接すればいいかわからなかっただけ。王族や皇族と接し慣れているゴンベエさんとはいえ、出席者として晩餐会や舞踏会に携わるのは初めてだろう。

そう思えば、彼女を私がリードしなくてはいけない。それなのに、"婚約者"を意識しすぎてしまう。二月後には終わる偽りの関係なのに。

私と同じように、"婚約者"の私をゴンベエさんも意識しているのだろうか。そう思い、視線を隣の彼女に移した。普段のゴンベエさんとは異なり、満月を見上げる横顔は憂いを帯びていて儚げだ。そんな横顔に、半年ほど前の王宮の屋根での出来事を思いだす。もっとも、当時の彼女は今のような憂いを纏ってはいなかった。

何度も私を呼ぶゴンベエさんの声に気づき、慌てて視線を彼女に合わせる。目が合うと、脇に抱えていたブランケットを私の膝にゴンベエさんが広げた。数時間前の仕事中にふと顔を上げたとき、ソファーで眠っていた彼女に気づいてかけたものだ。

「ジャーファル様もお疲れですね。何度呼んでも気づかないなんて」

「…すいません。ゴンベエさんも無理しないでくださいね。ただでさえ忙しいのに、シンのせいで仕事を増やしてしまって」

流れのままに、疲れを理由にしておく。疲れていないと言えば嘘だが、ゴンベエさんの声に気づかない理由は他にもあった。しかし、私の口からは到底その理由は言えない。

あくまで"偽装婚約"のパートナーであり、微塵も私を異性として意識していないであろうゴンベエさん。横顔に見惚れていたなんて言えば、彼女が困惑するのは目に見えている。ただでさえ面倒ごとを増やしているのだから、余計な負担をゴンベエさんにかけたくない。

体調を気遣う私の発言に謝意を告げてから、「忙しいといえば」とゴンベエさんは話題を切りだした。

「昨日でヒナホホさんの部屋に通う任務が終わり、紫獅塔でわたしの暮らす理由がなくなりました。緑射塔の部屋に移るべきでしょうか?」

婚約者同士の甘い時間にもかかわらず、ゴンベエさんが口にしたのは事務連絡。王宮料理人の私室は、厨房に近い緑射塔に宛がわれるのが通例だ。しかし、ヒナホホ殿の部屋に通うゴンベエさんの移動時間や労力を考慮し、例外として紫獅塔の部屋を与えていた。

「いいえ、このまま紫獅塔にいてください。私の婚約者ですから、そばにいるに越したことはありません」

私の返答に、暗がりでもわかるくらいにゴンベエさんは顔を赤くする。シンと決めたことではなく、たった今独断で私が決めたことだ。本来は緑射塔に転居すべきだが、彼女には紫獅塔にいてほしい。うまく理由は言語化できないが、そう私が思った。

2人の間に沈黙が流れたのは、ほんの一瞬。室内から主のイビキが聞こえてくる。少し待つよう伝えてブランケットをゴンベエさんの膝にかけ、室内に戻ってシンを叩き起こした。彼の机上には、先ほどより一回り小さくなった書類の山。目を覚まして私の頭を引き寄せたシンは、うまくいってるか?と小声で尋ねた。

「何をシンが期待してるか知りませんが、うまくいってますよ。それより、仕事をさっさと終えてください」

そう言って、シンの右手に羽根ペンを私が握らせる。仕事をシンが再開したのを確認してテラスに戻ると、ゴンベエさんの姿がない。慌てて長椅子に近づくと、長椅子に座ったまま小さく背中を丸めて眠るゴンベエさん。私が膝にかけたブランケットは、背中を覆うように肩にかけられている。

シン曰く、午前中からゴンベエさんは起きていた。夜遅くまで働いてから夜食を用意し、数時間私の仕事を待っていたゴンベエさん。先ほども寝落ちていたとはいえソファーで熟睡できるはずもない。昨日始まったばかりの偽装婚約で早くもゴンベエさんに大きな負担をかけていると気づき、主には聞こえない大きさのため息をつく。

ゴンベエさんを背負って室内に戻ると、書類から顔を上げたシンはニタニタする。彼女を部屋で寝かせると言えば、席を立った彼は扉を開けてくれた。

「ジャーファル、明日の朝議は休んでもいいぞ」

背後でそう言うシンに、一喝したくなる。しかし、シンを睨むだけに留め、なんとか怒りを鎮めた。私の背中で気持ちよさそうに眠るゴンベエさんを起こしたくない気持ちが勝ったから。



腰の巾着にしまわれた鍵は、幸いすぐに見つかった。ゴンベエさんの部屋は綺麗に整頓されてるが、机上だけは例外。大量の羊皮紙と巻物で乱雑に散らかっている。悪いと思いながら机上の羊皮紙を覗くと、レシピか何かが書かれていた。

左手をそっとゴンベエさんから離し、掛布団を捲る。起こさぬよう彼女を下ろそうとしたところで、私は手を止めた。

今のゴンベエさんは、仕事で着ていた官服を纏っている。いくらなんでも、寝間着に私が着替えさせるわけにはいかない。かといって、厨房の調味料や油で汚れた服のまま寝台に寝かせるのは、よくない気がした。

彼女が潔癖症かはわからない。しかし、私が彼女の立場なら、着替えたいし湯浴みもしたいだろう。迷った結果、捲った掛布団を戻す。ゴンベエさんを背負ったまま、私は部屋をあとにした。



彼女の部屋を施錠して向かった先は、自分の部屋。自分の寝台にゴンベエさんを寝かせ、捲った掛布団を肩までかける。私の寝具は、明日女官に取り替えてもらえばいい。起きる気配のない彼女を一瞥して主の元に戻ろうとすると、眠っているはずのゴンベエさんに官服を掴まれた。

「…ゴンベエさん?」

左袖を掴む指を解こうとしたが、思ったより力が強くて手こずる。無理矢理解こうとすれば、ゴンベエさんが起きてしまう。どうすればいいか悩んでいると、寝言で誰かをゴンベエさんが呼んだ。

彼女の呼ぶ名前は聞き取れなかった。唯一はっきりと聞こえたのが、敬称の"様"。私の寝台で眠るゴンベエさんは、誰の夢を見ているのだろう。夢の中で幸せそうに微笑む彼女に、ぎゅっと胸が締めつけられた。

「あなたを見ていると、ときどき羨ましくて仕方がないんです」

ぽつりと口をついたのは、ずっと胸のうちに秘めていた本音。親と同じ仕事に就き、その仕事を心の底から楽しむゴンベエさんが羨ましい。初めてゴンベエさんに会ったときから、いや、彼女に会う前からそう私は思っていた。

両親と同じ仕事に就いた過去を持つのは、ゴンベエさんも私も同じ。しかし、その仕事を心の底から楽しむなんて、到底できない。やらなきゃ死ぬので、両親すら私は手にかけた。

どうあがいても、暗殺者は裏の世界の住人。両親と同じ道を歩んだせいで両親を失った。「私の両親も暗殺者でした」なんて、表の世界で胸を張れるはずがない。

この国で政務官として働きはじめてから、自ら過去を他者に打ち明けたことはなかった。"シンドリアの政務官は元暗殺者"なんて知られれば、国民を怖がらせる恐れがある。それに、足を洗ったとはいえ、人を殺めた私は元犯罪者だ。積極的に第三者に話すべきではない。

自身の過去を隠しているのは、婚約者相手でも例外ではなかった。あくまで私から告げていないだけで、ゴンベエさんに誰かが口外した可能性はある。とはいえ、彼女を見ている限り、私の過去を知ってるとは思えない。

私の過去の象徴でもある縄票。それすらゴンベエさんに見られないよう、かなり私は気を遣っている。南海生物の退治をできるだけ他の八人将に任せているくらいだ。

私の過去をゴンベエさんが知っても、今まで通り接してくれる。それは、なんとなく見当がつく。ゴンベエさんの態度が変わらないとわかっていても、私に一抹の不安が付きまとう。過去を知ってから、今までと変わらず私にゴンベエさんが接してくれたとしても…。

寝返りを打ったゴンベエさんが、わたしのほうに顔を向けた。身体の回転とともにふわりと香るのは、油の匂いや燻香。彼女自身の匂いは感じられない。

ゴンベエさんの顔にかかった髪を、そっと耳の後ろにかけた。そのとき、私の袖を掴むゴンベエさんの力が緩む。右手で彼女の指を開かせ、官服の袖を救出した。

掛布団の外に出た左手を、そっとしまう。手を動かされてもゴンベエさんが起きないのを、しばらくその場で確認する。寝息をたてる彼女の顔を一瞥してから寝台を離れ、私は部屋をあとにした。

「おやすみなさい、ゴンベエさん」



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