毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


初回(024)


「今日は、厨房の設備を借りてお菓子を作りましょう」



ピピリカさんとキキリクくんを相手に、わたしは告げた。

ヒナホホさんの部屋にある設備で、十分料理は作れる。しかし、焼き菓子などを作るのに必要な高温を出力できる設備は部屋にない。高温の設備が必要なときは、料理長の許可を得て"予備の厨房"を利用することになっていた。

「晩餐会など大人数での食事の準備に使う、予備の厨房があります。予備の厨房は普段使わないので、仕事中の料理人の邪魔にはなりません」

「父ちゃんの分も作ってくるからね!」

にこりと微笑むキキリクくんは、一目散に部屋を飛びだす。高温の設備を扱うため、予備の厨房は危険な場所でもある。キキリクくんの面倒はわたしが責任をもって見るので、下の3人はヒナホホさんとお留守番だ。



予備の厨房に到着すると、洗面台まで案内して2人に手を洗ってもらう。その間に貯蔵庫から材料を運びだし、作業台に置いた。

「まずは小麦粉を測りましょう」



真剣に生地をこねるキキリクくんを横目に見ながら、焼き窯を40分に設定する。

「10分ほど待たないと窯の温度が上がらないので、予熱時間を含めて40分にします」

わたしの言葉に、さっとピピリカさんがメモを取る。キキリクくんに視線を移すと、すでに生地がちょうどいい硬さになっていた。力のあるイムチャックなら、生地をこねる時間が短くて済むことに気づく。

「羨ましいな」

次回からはもっと早く予熱を始めないと、無駄な時間が増えてしまう。今回は初めて厨房を借りるので、道具のしまい場所を教えていれば10分はあっという間だった。予熱で温度が上がった焼き窯に鉄板を入れる役目は、ピピリカさんに頼む。数百度に熱された焼き窯に近づくのは、12歳のキキリクくんには危ない。

焼きあがるまでの30分間、キキリクくんを連れてピピリカさんは部屋に戻るという。お菓子の焼き上がりを見計らって、ヒナホホさんたちを連れてきてくれるらしい。2人を見送ったわたしは、換気のために窓を開けた。



「ゴンベエ、ちゃんとやってるじゃない」

声がしたのは、普段使う厨房と繋がっている扉。そちらに顔を向けると、料理長がいた。昼番勤務中の彼は、これから休憩に入るという。

焼き窯で膨らむ生地を見て、この前のお菓子と同じものか問われる。"この前"とは、ヒナホホさんと2人で厨房を訪れたときのことだろう。お菓子に合う紅茶を見繕ってもらうために、一つ手渡したのだ。

「よく覚えてますね」

「仕事柄、料理として完成されたものを食べる機会が多いでしょう?だから、いい意味で未完成な家庭の味は、舌が覚えてるんだよね」

なんとなく、彼の言わんとすることはわかる。生まれたときから、王宮で提供される一流の料理をわたしも味わってきた。世間一般に比べれば、わたしは相当舌が肥えているはずだ。とはいえ、両親の教育方針で市街地や市場に出て、王宮外の食事も積極的に口にしてきた。

完成された王宮の味と、いい意味で未完成な家庭の味。どちらがいい、どちらが悪いという話ではない。おいしさの質が違うのだ。

しばらく料理長と雑談をしたあと、真剣な顔で彼は話を切りだした。

「ゴンベエ、実は…」



料理長との話が終わり、休憩中の彼を食堂に残して予備の厨房にわたしは戻る。返事は急がなくていいと言われたが、早い方がいいだろう。考える時間をいただいたものの、わたしの返事はほとんど決まっている。約三月の変化に思いを馳せながら、厨房の扉をわたしは開けた。

「…何してるの?」

焼き窯の前にいたのは、マスルール様。わたしの声に短く振り返った彼は、視線を焼き窯に戻す。

「…匂いがしたから、つい」

彼曰く、王宮の入り口で匂いを嗅ぎつけ、予備の厨房にやって来たという。ファナリスの五感は優れていると聞いていたが、改めてそのすごさを実感した。

「もうすぐ焼けるし、よかったら食べてく?ヒナホホさんたちも来るから」

わたしの誘いに、マスルール様は頷く。先日、シャルルカン様とマスルール様とも、わたしは友達になった。市街地で1人夕食を摂っていたとき、ピスティちゃんと彼らと相席したのだ。

わたしたちが友達になったところで、八人将と"一介の官職"には変わらない。敬語は使わないものの、敬称の"様"はつけ続けている。シャルルカン様はそれすらも不満そうだったが、なんとかそれで納得してもらった。

温水を入れた薬缶を火にかけ、ティーカップ7個にお湯を注ぐ。紅茶はまだ早いので、2歳の末っ子のためにミルクを熱する。

「マスルールじゃねえか」

そう言って扉を開けたのは、ヒナホホさん。ピピリカさんと子供たちも、彼と一緒に予備の厨房に足を踏み入れた。

「ヒナホホさん、先に座る場所を確保してもらえますか?」

大人数で座れる場所は食堂に多くない。比較的空いてる時間帯とはいえ、打ち合わせなどで使われている可能性があった。これから熱々の鉄板を取り出すので、行動が予測できない子供たちを火傷させたくない、と伝える。その意見に納得したヒナホホさんは、キキリクくん以外の子供を連れて食堂に向かう。

30分の経過を報せる音が鳴り、わたしはミトンを手に取った。キキリクくんの手が熱いところに触れないよう、ピピリカさんに注意してもらい、その隙に焼き窯を開ける。

懐かしい香りが厨房いっぱいに広がった。刺した竹串に生地が付かないのを、キキリクくんに確認してもらう。

「ついてないよ!」

「完成だよ、やったね!」

ヒナホホさんたちのところに持っていくため、バスケットにお菓子を詰める。ピピリカさんとキキリクくんにお菓子を運んでもらう間に、マスルール様とわたしは紅茶を淹れた。



「…」

光の速さでお菓子を消費する子供たちを前に、わたしたち大人は紅茶を啜るしかできない。これもまた、"イムチャックだから"なのだろうか。

「もっと!」

「ゴンベエお姉ちゃん、もっと!」

かわいい笑顔でせがまれるものの、残念ながら彼らの期待に応えられない。今日の材料は、すでに使いきってしまった。食材はヒナホホさん持ちで用意していただいてるので、厨房の材料を使うわけにもいかない。しかし、彼らをがっかりさせたくない、とわたしは頭を悩ませる。わたしの左隣で、子供たちに言って聞かせるのはピピリカさん。

「ゴンベエお姉ちゃんに頼らなくても、今度からは私が作るよ!」

そうだ。この場を設けた目的は、わたし以外にルルムちゃんの味を再現できる人を増やすこと。このお菓子をピピリカさんが作れるようになれば、今は作れなくてもこの任務の意味はある。

あの日ヒナホホさんと料理長に頭を下げに行ってよかった、と心から思う。ピピリカさんの言葉に嬉しさが込み上げ、空のティーカップを思わず口元に運んだ。



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