毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


郵便(019)


非番二日目。食堂で朝食を摂ってから、わたしは私室に籠っていた。シンドリアに来て十日以上が経ち、そろそろ両親に文を書こうと思ったのだ。

最後に両親と文を交わしたのは、バルバッドを発つ直前。シンドリアの王宮料理人の求人に応募し、書類選考に通過した旨を簡素に伝えただけ。その文を送ったのは一月以上も前。つまり、シンドリアでの面接結果をまだ両親には伝えていなかった。

色々あって、両親とはほとんど文のやり取りをしていない。文をもらっても返信せずに放置していて。この前海洋国家から送ったのが、初めて自発的に送った文だった。

今回だって、決して前向きな気持ちではなくて。それでも、音信不通でどの国にいるかもわからない一人娘を両親は心配しているに違いない。住んでいる国くらいは伝えておかねば。そう思っていた。

「…何書こう」

シンドリアはいい国で、国王も八人将もいい人ばかり。ルルムちゃんの夫・ヒナホホさんやその家族、ミストラスの弟・スパルトス様との出会いも書ける。幼少期のわたしの恩人であり両親もよく知る二人が、すでにこの世にいないことも。

旧知の二人を思い出すと、泣きそうになる。二週間ほど前まで、二人が他界していたなんて考えたこともなかった。イムチャックなりササンなり、自国で元気に暮らしているとばかり思っていたのに。

涙をこらえ、バルバッドから持ってきた羊皮紙を机から取り出す。羽根ペンを手に取り、手元の紙に適当な線を数本引いて試し書きをする。インクも羽根ペンも性能に問題ないことを確認してから、わたしは簡潔に現状を綴った。

<前回の続きですが、無事にシンドリアで王宮料理人として採用され、働き始めました>

「あれも書かなきゃ」

<お父さんのレシピを料理長は何冊も持っています。どれもジャムや油で汚れていて、使い古されていました>

他にも、さまざまなことを書く。東国で一度買ってもらって以来初めて自分で買って食したパパゴレッヤに、久々に食べた食用の砂漠ヒヤシンスのことも。元国軍兵や元皇女の侍女にお墨付きをもらったパルテビアのレシピへの感謝も記して。

羊皮紙いっぱいに、書ける限りをわたしは詰め込む。書き始めには予想できなかったほど、内容の密度は濃くなった。その証拠に、書き出しに比べて後半の文字はかなり小さい。

しかし、日付と署名を入れれば完成する文をわたしはぐちゃぐちゃに丸める。今まで両親との間にあったことを考えれば、こんな呑気な文を送るわけにはいかなくて。新しい羊皮紙を取り出し、シンドリア王宮で働き始めた旨と、最低限伝えるべきこととして二人の訃報を伝える文を書き直した。

「やっと終わった…」

紐で括った羊皮紙を机の脇にどかし、今度は送り状を手に取る。両親の住む小国の住所と今住むシンドリア王宮の住所を、それぞれ所定の位置に書く。実はシンドリアの住所を書くのは、これが初めて。

送り状に記した住所を見て、ようやくシンドリアに引っ越した実感が湧いてくる。両親からの返事が届けば、また違った実感が湧いてくるのだろう。そんなことを考えながら、先ほど机の脇にどかした羊皮紙を手に取る。机の端で丸まっている書き損じをゴミ箱に入れたあと、わたしは王宮内の郵便局に向かった。



昼食時の王宮郵便局。予想外に多くの人で賑わっていた。郵便物を出してから食堂に向かう人が多いのだろう。そうわたしは推察する。

昼番が続き、仕事に慣れてきて周囲を見る余裕も生まれて。ここ数日で、食堂に通う官職たちの習慣をようやく把握できるようになっていた。あと十分も経てば、厨房が戦場のごとく慌ただしくなるに違いない。

「…結構並んでるな」

郵便局から外に伸びる行列には、十数人が並んでいた。まだ王宮外の郵便局を知らないわたしには、王宮郵便局の行列に並ばない選択肢はない。いち早く郵便物を出すべく、わたしは最後尾に加わる。ものの数分で後ろに何人か続き、さらに列は伸びていく。

「ゴンベエ?」

声がしたほうを振り返れば、そこには国王。予想外の人物に、わたしだけでなく周囲も騒然とする。それもそうだ。いくら気さくなシンドバッド様とはいえ、普段郵便物を出すなんて雑用はしない。それくらい、普段国王と接点のない官職でも当然わかっている。

「国王…どうされましたか?」

左手に持っていた巻物を慌てて脇に挟み、頭を下げて拱手しながら問う。

「仕事で疲れたから、ちょっと王宮内を視察に…さっ!」

突然わたしの左腕を掴んだ国王は、郵便局の柱に隠れる。主に引きずられる形で柱の陰に入ったため、わたしは半分ほど進んだ列から離脱してしまった。

それだけでなく、何かから逃れるように身を潜めているのか、国王は可能な限りわたしを柱の陰に押し込もうとして。"七海の覇王"もまた柱の陰に入ろうとしているわけで、脇に挟んだままの郵便物が押し潰されそうなほどわたしたちは密着している。

「国お…」

事態を把握できず声を出そうとすると、国王の左手がわたしの口を覆う。いつの間に国王の右手がわたしの腰に回されていて、ここから動けそうにない。

「あいつはどこに行ったんだ…!」

その声は、わたしがすべての事情を察するのに十分すぎる情報を含んでいた。国王の表情が気になって顔を上げれば、気まずそうにしていて。口を覆う手のひらからも、"七海の覇王"の緊張がひしひしと伝わってきた。

サボり癖のある国王に手を焼いている。数日前、わたしにそう零した人がいた。列の後方に並ぶ人たちに国家元首の居場所を尋ねる声の主は、その人と同一人物。

「すいません、王を見かけませんでしたか?」

ジャーファル様は、最後尾の女官に声をかける。王宮郵便局の周囲の者たちの視線が、政務官と女官に集まった。たとえ国王に視界を阻まれようと、静寂と緊張に包まれた王宮郵便局の空気は伝わる。

国王を差し出すのか、それとも政務官を欺くのか。周囲の人間は、固唾を飲んで女官の言葉を待つ。長い沈黙の間、わたしの腰に回された国王の腕にぐっと力が入る。

「私は…国王の居場所は存じ上げません」

女官が選んだのは後者。国王の安堵からくる吐息が、わたしの頭皮を掠める。しかし、依然として柱の陰にわたしたちは隠れたまま。

「そうですか…急に呼び止めてすいませんでした」

女官に謝罪した政務官は、すぐそばの標的から遠ざかっていく。緑のクーフィーヤが消えると、緊張感が和らいだ王宮郵便局に穏やかな空気が戻る。しかし、柱の陰から国王が動く気配はない。少し待っても動かない主の左手を、わたしはポンポンと叩いた。

「…ああ、悪い」

我に返った国王は、ようやくわたしを解放する。逃亡の片棒を担いだ女官にお礼を告げた国王は、にこやかな笑みを振り撒いてその場から去って行った。



国王が去って少しして、ここに来た目的を思い出し、脇に挟んだままの郵便物を手に取る。幸い潰れずに済んだものの、国王に手を牽かれて列を抜けてしまっていて。わたしは最後尾から並び直しを余儀なくされた。

ため息をついてから辺りを見渡し、最後尾がある郵便局の入口付近に立つ。最初に並んだときに比べれば、列は短くなっている。とはいえ、軽く見積もっても十五分はかかるだろう。

暇な非番で急ぎではないものの、これが勤務日の休憩時間だったら。両親への文だから投函が遅れようと問題ないが、急ぎの郵便物だったら。他の官職の仕事はわからないが、休憩時間はあっという間に過ぎるもので。そう思えば、国王に声をかけられて列を離脱したのがわたしでよかったかもしれない。

そうはいっても並び直すとなると、最初に並んだときより列が短くても時間は長く感じるもの。初めて来た王宮郵便局の陳列棚は、一度目の列でじっくり見ていて。新鮮味に欠けたものになっていた。

退屈のあまり欠伸していると、両親に届けるべき文が突然手から奪われる。文が消えた先には、先ほど王宮郵便局を去ったはずの国王。

「悪い、俺のせいで並び直しているんだろう?」

「え…」

言うまでもなく、答えは"イエス"。しかし、"あなた様のせいで並び直しています"などと、"一介の官職"にすぎないわたしが言えるはずない。

かといって、ここまでの時間経過を考えれば、"ノー"と言うのも嘘っぽくて。"イエス"とも"ノー"とも言わないわたしに痺れを切らせた国王は、短く微笑んでから文を手にしたまま列の前方に歩き出した。

わたしは列に残ったたま爪先立ちで紫色の頭を追うと、主はすでに列の先頭にいて。先頭にいた人に一言声をかけ、国王がわたしの文を郵便局員に差し出す。

「う、そでしょ…」

国王の特権により、最初に並んだときと変わらない順番でわたしの文は処理された。本来の待ち時間通りに手続きを終えたこと自体は、わたしにとってはありがたいこと。しかし、横入りしたようで、今も列に並ぶ人たちに申し訳なくなる。気まずさから気落ちしていると、列の先頭から戻ってきた手ぶらの国王と目が合う。

「さっきジャーファルから逃げたとき、ゴンベエを巻き込んだ俺が悪いんだ。どうか彼女を責めないでくれ」

今も列に並ぶ人たちに、国王が頭を下げる。列の横入り程度で自国の王に頭を下げられれば、官職たちの抗議など起こりようがない。とはいえ先に受け付けてもらった郵便物はわたしのもので、列を抜けたわたしも国王の隣で慌てて頭を下げた。

「さて、と」

「えっ」

頭を上げた国王は、何食わぬ顔でわたしの右肩に手を回す。思わず変な声を出してしまい、慌ててわたしは口元を手で覆う。

ジャーファル様から逃れるように柱の陰に隠れたときは、もっと密着していたのに。あんな抱き締めるように密着されたことに比べれば、肩を抱かれるなんて問題ではない。しかし、相手は仕える国の王。振り払う選択肢はないわけで、今のわたしには国王の言葉を待つしかできない。

「今もジャーファルから逃げているんだ。王宮の外までは追って来ないだろうから、昼飯がてら付き合ってくれないか?」

他の男性の誘いなら、わたしは断っていた。しかし、自国の王を相手に"一介の官職"が誘いを断れるはずがない。おそらく、それをわかっていて"七海の覇王"はわたしに声をかけている。

「仰せのままに」



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