毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


求婚(195)


世界同時中継で「ともにフルへと還ろう!」とシン様が提案した3日後。パルテビア行の飛空艇にわたしは乗っていた。

個人の移動なら、本当は煌々商会の転送魔法陣のほうがずっと楽だ。しかし、パルテビアの帝都・クシテフォンでは、転送魔法陣を導入していない。理由は単純で、転送魔法陣はシンドリア商会の看板商品の競合だから。

今回わたしがパルテビアに向かう目的は恋人。"ルフへの還元"を知ってから、ジャーファルに会うのは今日が初めて。今日パルテビアに向かう旨を通信で伝えただけで、"ルフへの還元"に向けた話をしたわけではない。具体的な話は、むしろ今から会って話すのだ。

「…早く会いたいな」

窓の外で小さくなるシンドリアを眺め、1人わたしはつぶやく。"ルフへの還元"が決まったとはいえ明日は勤務日で、パルテビアには1泊する予定。しかし、もしパルテビアにいる間に"ルフへの還元"が始まれば、二度と南国にわたしは戻らない。

飛空艇に乗る前、ドラコーン様とサヘルさんに挨拶した。いつも以上に朗らかな笑顔で「シンドリアという小さいことに囚われず、ジャーファルと幸せになってこい」と仰ったのはドラコーン様。彼もしばらく公務をお休みし、ルフに還るまでを夫婦水入らずでサヘルさんと過ごすそうだ。



「ジャーファル」

「ゴンベエ」

クシテフォンの発着場に下りると、すぐに恋人が駆け寄ってくる。ジャーファルの両腕に引き寄せられたと思えば、すぐに唇が重ねられた。

"政務官"や"シンドリア商会の会長室室長"として、自身の見られ方を意識してきたジャーファル。そんな恋人が人目のある場所で唇を寄せるなんて、滅多にない。

記憶が正しければ、過去に人前でジャーファルにキスされたのは一度だけ。アリババ様に再会する直前、バルバッドに向かう恋人を港で見送ったときのことだ。

「どうしたの?普段こんなところでしないのに…」

「嫌だった?」

人目につく恥ずかしさこそあれど、好きな人に愛情表現されて嫌なはずがなく、わたしは首を振る。自然にわたしの荷物と左手を取ったジャーファルは、早く部屋に行こうとわたしを促した。

あらゆる文化が異なる世界の中心地と海を隔てた南の孤島も、"ルフへの還元"の前では同じらしい。南国同様、クシテフォンの街もお祭り騒ぎだ。そんな賑わいの中心に手を繋いで向かう道で、気になっていたことについてわたしは問う。

「仕事はいいの?」

「うん。ルフに還る準備でシンは忙しいけど、商会の人間として私たちにできることはないから」

ルフに還るのも時間の問題で、仕事らしい仕事もないらしい。同様のことをわたしもドラコーン様にも言われた旨を告げると、ジャーファルは意外そうな顔をした。

「だけど、料理人は必要なんじゃ…?」

「うん。でも…同僚たちは家族みんなシンドリアにいるけど、わたしはそうじゃないから。みんなに言われたよ、"ジャーファル様と会って"って」

シンドリアを発って3年が経っても、国内における前八人将の人気は根強い。わたしの幸せだけでなく、ジャーファルの幸せも願う同僚たちの気遣いだ。わたし伝いの同僚の発言に、首をこちらに向けた恋人は後悔の念を滲ませていた。

「今まで…仕事を優先しすぎた。ゴンベエのほうがずっと大事なのに」

「ジャーファル…」

左手の指の間に絡む恋人の右手の指に、力がこもる。発着場でのキスと同様に、この右手だって、今までなら街中で繋がれることはなかった。ルフに還ることが恋人をここまで変えたのだろうかと考えていると、3日前の映像が脳裏をよぎる。

"みんなの考えがシン様に操られてる"と、中継越しに言ったのはアラジンくん。しかし、目の前の恋人が考えを操られているとは思えない。もし操られていれば、「ゴンベエのほうがずっと大事」なんて言わずに「ゴンベエより大事なものはない」くらい言ってくれるはずだから。

表だって口にしないにせよ、わたしよりシン様が大事というジャーファルの考えは変わっていない。シン様より下位と突きつけられることが、皮肉にも恋人の正気を証明していた。

「ゴンベエ、私の部屋に着いたら大切な話がある」

「わたしも。どうしてもジャーファルに言いたいことがあって来たの」



ジャーファルの部屋に着くと、わたしの荷物を適当なところに彼が下ろす。この部屋に足を踏み入れたのは、飛空艇のお披露目運航でクシテフォンに来て以来。約3年ぶりだ。

パルテビア宮殿での料理修行中わたしが住んだのは、ここから徒歩10分ほどの距離にある宮殿。わたしのような"一介の官職"の私費では頻繁に飛空艇には乗れず、転送魔法陣もない時代に徒歩10分で会えるとなれば、互いの睡眠時間を削ってでも会おうとしていただろう。

わたしたちは自分も相手もそうとわかっていたから、あえて修行中は会わないようにしていた。そのため、パルテビアで過ごした二月のうちゆっくり2人で過ごせたのは、出国前日からの1日ほど。あと1回、入国翌日に商会本部で昼食を一緒に食べただけ。

シンドリアに帰国後クシテフォンでジャーファルと会っても、この部屋を訪ねることはなくて。多忙な会長室室長とは数時間しか会えず、市街地の飲食店に行くことが多かった。記憶とほぼ変わらないように映る恋人の私室のソファーに並び、クシテフォンで獲れた豆のコーヒーを嗜む。

「ごちそうさま。ジャーファル、本当にコーヒーを淹れるのがうまくなったね」

「ふふ…そうかな?」

ジャーファルが淹れたコーヒーを、温くなる前にわたしは飲み終える。薄っすら底に渋が残るカップから視線を上げると、恋人と目が合った。その目はやけに真剣で、黒目がちな瞳に吸い込まれそうになる。2人して同時に「あの」と声をかければ、互いに先を譲り合う。

「前にもこんなことがあったね」

「?」

覚えていないと正直に告げると、わたしの右手に両手を重ね、左隣のジャーファルが説明を始めた。ウイスキーボンボン事件でわたしが倒れ、1週間後に目覚めた病室でのこと。譲り合った結果、当時はわたしが先に質問した。

ジャーファルにわたしが尋ねたのは、"シャム=ラシュ"について。対して、わたしに政務官が問うたのは、告白の返事だった。

「あのとき、すごく嬉しかったな…」

当時を思い出すと、無意識のうちに身体全体が熱くなる。その直前まで膠着状態だったわたしたちは、一月以上まともに会話していなくて。両想いどころか、ジャーファルに嫌われたとすら当時のわたしは考えていた。

「あの日は付き合えた喜びより…ゴンベエが目を覚ました喜びのほうが大きかった」

そう口にした恋人に視線を移すと、再び視線が絡む。目を逸らせずにいれば、ジャーファルに身体ごと引き寄せられた。恋人との間を隔てるわたしの右手のひらから、規則正しく、でも速い彼の鼓動が伝わる。

「ジャーファルが助けてくれたおかげだよ。こうして今わたしが生きてるのも、全部ジャーファルがいてくれたから。本当にありがとう」

次の瞬間には唇が重ねられ、次第にソファーに倒されていく。肘掛けに頭が着地したと思うと、先ほどまで飲んでいたコーヒーの味とともに、約6年半前の思い出を2人で分け合う。

「ゴンベエ…今回は先に私が伝えてもいい?」

離された唇から紡がれる恋人の問いに、身体を起こしながらわたしは首を振った。ジャーファルが言うことは察しがつく。恋人にわたしが伝えたいことと、わたしに彼が伝えたいことは、おそらく同じだから。

しかし、どうしても自分の口からそれを伝えたかった。6年半前のジャーファルが、勇気を振り絞ってわたしに好意を告げてくれたように。



「嫌だ、わたしから言いたい。…ジャーファル、結婚しよう」

譲歩もなく勝手に用件を伝えたわたしに、ジャーファルは放心状態になる。

「ルフに還るから夫婦でいられる時間は短いけど、ルフに還る前もルフに還ったあとも、ジャーファルと一緒にいたいの。今はただ、ジャーファルと一緒にルフに還れれば、ほかには何もいらない…」

言いたいことを言い終えたわたしはジャーファルの両頬を手のひらで包み、自分から唇を重ねた。恋人の返事を聞くために顔を離せば、彼の顔には怒りと悲しみが混在していて。

「私だって、同じことを言いたかったのに!パルテビアに私が来てから寂しい思いをゴンベエにさせた分、こういうときくらい私から求婚させてください…」

「でも、それはわたしが遠距」

遠距離恋愛を強いたから。言い切らないうちに、今度はジャーファルから口づけられた。後頭部と腰両腕を回され、きつく抱きしめられる。

しばらくは恋人にされるがままで、彼の胸を何度か右手で押して、ようやく身体が離れた。唇が離れても、鼻が触れる距離からジャーファルは動かない。酸素を取り込もうと大きく吐いた息が口元にかかる状態で、一度だけわたしをジャーファルは呼んだ。

「練白雄にも他の男にも、誰にもゴンベエを渡しません。ルフに還るまでのゴンベエのすべてを私にください。ルフに還る前もルフに還ってからも、百年後や千年後も。私の妻として隣にいてくれる?」

「…もちろん。遠い未来まで、ずっと一緒にいようね」

どちらからともなく、口づけを交わす。そのあとのことは、あまりよく覚えていない。ルフに還る前の互いをすべて分かちあうように、翌朝までジャーファルと離れることなく一緒に過ごした。



「昨日のわたしの話聞いてた?ジャーファルと一緒にいられれば、わたしは何もいらないの!」

「私は嬉しいけど、ゴンベエはシンドリアに戻らなきゃ」

クシテフォンの飛空艇の発着場。ジャーファルに抱きついたわたしは、泣きながら駄々をこねる。とても33歳とは思えない、子供じみたことをしている自覚はあった。

「ゴンベエ…」

端から見れば、シンドリア商会の会長室室長が女性を泣かせてるように見えるだろう。ルフに還る直前にもなって、ようやく"本物の婚約者"になったところで、ジャーファルを困らせている自分が情けなくて仕方がない。南国の厨房に戻らなくてはいけないとわかっていても、涙が止まらないのだ。

「王宮で暮らす人がいる以上、ゴンベエの仕事は必要不可欠でしょう?いくら私といるよう同僚に言われていても、ゴンベエは料理長なんだから。それに、もし"ルフへの還元"に反対する輩がパルテビアやシンを襲ったら、従者として私がシンを守らないといけないから」

確実にわたしがルフに還るためにも、より安全なシンドリアにいるべきだ、とジャーファルは口にする。子供を宥めるように頭を撫でられれば、これ以上わたしがわがままを言うわけにはいかなかった。

本当はルフに還る瞬間もジャーファルと過ごしたかったのに。それでも、2人でルフに還ることが何よりも大事なのは、わたしもわかっている。ジャーファルとわたしのどちらか片方でもルフに還れなければ、意味はないのだから。

「ゴンベエ、ルフに還る前にもう一度会おう」

「うん…今度こそ、二度とわたしを離さないでね。ジャーファル」

到着したとき同様、人目を憚らず口づけを交わしてから飛空艇に向かってわたしは歩き出す。飛空艇の入口に着くまでも、窓際の席に腰を下ろしてからも、何度も何度も恋人に視線を向ける。

何百回わたしが視線を送っても、一度たりともジャーファルと目が合わなかったことはなくて。離れたくないのはわたしだけじゃないと思わせてくれるだけでも、十分すぎるほど幸せだった。

とはいえ、転送魔法陣がないクシテフォンに行くには飛空艇が不可欠。タイミングが悪ければ、ルフに還る瞬間をジャーファルと過ごせないかもしれない。それでも、わたしの口元は緩んでいた。まだ籍を入れていないものの、ルフに還ってからも夫婦でいられると思うと、嬉しくて仕方がなくて。

しばらくすると、飛空艇が動き出した。窓の外にいるジャーファルが、わたしに手を振っている。笑顔で手を振り返すものの、ルフに還る前に会うのは最後かもしれないと思うと、離陸しようとする飛空艇の振動に合わせて涙が頬を伝う。

泣き顔こそ相手に見せないよう努めたが、それは陸地の恋人も一緒らしい。あんな風に目頭を押さえていれば、その原因なんて想像に難くないわけで。その姿が見えなくなるまで、飛空艇の窓からジャーファルをわたしは見つめていた。



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