毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


失恋(193)


アリババ様の結婚式の婚礼料理を考えはじめて数日。やはり"ファナリス兵団"からも、芳しい答えは得られなかった。

期待に沿えない結果で申し訳ない、とムー様から通信があったのは今朝の出勤直前。ダメ元で依頼していたため、残念な結果とはいえ想定の範囲内で。元々そのつもりでいたが、バルバッドと煌帝国の形式を重んじた婚礼料理の準備を本格的に始めることにした。

昼番を終えて自室に戻ったとき、貴重品入れで通信器が鳴る。通信の相手は新郎。緑色の通信器を取り出したわたしは、すぐに応答した。



「アリババ様、どうしたの?」

「ゴンベエ、俺…もうダメだ…」

通信器越しでも、アリババ様の憔悴具合がわかる。解体寸前の煌帝国でも紅玉様たちを励まし続けたアリババ様がこんなに憔悴するなんて、ただごとではない。一度深呼吸をしてから事態を説明するよう求めると、返ってきたのはあまりに弱々しい声。

「俺、モルジアナにフラれた…」

「…ん?」

事態が飲み込めず、思わず聞き返す。しかし、壊れたラジオのように「モルジアナにフラれた」とアリババ様は繰り返すだけ。落ち着くよう新郎を諭すと、涙交じりの声が聞こえた。

「結婚式はもうダメだ…。せっかく婚礼料理を引き受けてくれたのに、ごめんなゴンベエ。ジャーファルさんとゴンベエは、俺の分まで幸せに生きてくれ…」

「一体何があったの?」

事情を問うと、"ついさっきのこと"と前置きして経緯が説明される。事の発端は、自宅でのモルちゃんとの食事後。紅玉様たちのことを婚約者に話したことだった。

アリババ様曰く、煌帝国の"国際同盟"離脱に陛下は不安を覚えはじめているらしい。その件について、毎日のように紅玉様や夏黄文たちは話し合っている。離脱への賛同をアリババ様が口にしたところ、彼に婚約者が異を唱えた。

主な理由は、煌帝国の身勝手な行為が世界の和を乱すことへの懸念。具体的にいえば、煌帝国に続いて"国際同盟"を離脱しようとする国が現れるのではないか、ということだ。

新しい経済圏をレームと煌帝国が構築すれば、力は分散される。そうなれば、また悲惨な争いが起きるだろう。3年前に煌帝国は国を割ったばかりなのに、なぜ"国際同盟"離脱を紅玉様は決めたのか。そう婚約者にモルちゃんは苦言を呈した。

内戦を機に煌帝国の在り方を考え直した結果が、"国際同盟"離脱。婚約者の言葉に、そうアリババ様は反論した。しかし、その一言がモルちゃんを怒りを買ったという。なぜシン様を挑発する真似ばかり、アリババ様はするのか。戦争のない豊かな世界が実現されているのに、今の世界の均衡を壊す真似をするのか、と。



「モルジアナが突然キレ出すから、"この先やってけねー"って怒鳴っちまって」

一通り話し終えたアリババ様のすすり泣きが、通信機越しに鼓膜を伝う。泣くほどの出来事とは思えず、返答にわたしは詰まる。しばらく黙っていると、わたしをアリババ様が呼ぶ。

「ゴンベエ、何か言ってくれよ…」

ただの口喧嘩でしょう、と思ったままをアリババ様に伝えた。わたしの返答に、再びすすり泣き交じりの声が通信器から響く。

「どうせ口喧嘩だよ…。こんな喧嘩、ジャーファルさんとゴンベエはしたことないんだろうな」

「ううん、そんなことないよ」

煌帝国の内戦平定に向けて"七海連合"が動いたとき、わたしたちは大喧嘩した。仕事上のジャーファルの立場と個人としてのわたしの立場が衝突し、発生した喧嘩。小さな喧嘩もしてきたが、大喧嘩と呼べるのはあれが唯一だ。

世界平和のために大局を見据えていたジャーファルと、"大帝と太子たちを紅炎様が謀殺した"嘘に耐えられなかったわたし。ジャーファルや八人将、シン様たちをどうしても当時のわたしは許せなかった。

しかし、今となってはわたしが未熟だったと思う。わたしたちの死後の遠い未来まで、平和な世界を"七海連合"は築こうとしていたのに。当時のわたしは私情にまみれ、ジャーファルたちに当たり散らしてしまった。

「このこと、アラジンくんたちには相談したの?」

「いや。ジャーファルさんとのことで色々経験してそうなゴンベエに、まずは話を聞いてもらおうと思って」

アラジンくんとアリババ様の絆は、"王の器"と"マギ"で簡単に括れるものではなくて。そんなアラジンくんより先に相談してくれたことに、わたしは嬉しくなる。



「それで、ゴンベエはどう思う?俺は悪くないよな?」

アリババ様の問い方は、わたしが彼の味方だと信じて疑っていない。そんなアリババ様に内心がっかりしつつ、自分の意見をわたしは口にした。

「…違うよ、アリババ様。モルちゃんが正しいよ」

「えっ…ゴンベエ?」

通信器越しに、アリババ様の戸惑いが伝わる。どうしてモルちゃんが正しいのかと問われたわたしは、一呼吸置く。まずはアリババ様の考えを確認すべく、彼に質問を返した。

「煌帝国の"国際同盟"離脱に、アリババ様は賛成なんでしょう?」

「え?…そうだけど」

その理由をわたしが問おうとすると、「ちょっと待った」とアリババ様。

「"国際同盟"離脱そのものには賛成でも反対でもないんだけど…」

数十秒前の自分の発言を翻すアリババ様に、どういうことかとわたしは問う。

「…煌帝国のために考えて、煌帝国の人たちが決めたことだから。脱けようと残ろうと、紅玉たちが決めたことを応援したいだけだよ」

回答の内容や口調から、間違いなくアリババ様の本心と実感した。それと同時に、やはり自分の意見は間違っていない、とわたしは確信する。正しいのはモルちゃん。アリババ様は間違っている。

「紅玉様が治める煌帝国はそれでよくても、この先の煌帝国や世界の平和はそれで守れるの?」

「ゴンベエは知らねーかもしれないけど、紅玉たち、たくさん話し合って"国際同盟"離脱を決めたんだぜ?確かに理事会は混乱してたみてーだし、一時的に不安になるのはわかるけどさ…」

わたしの問いに、アリババ様は答えを示さない。小さくため息をついたあと、アリババ様にわたしは意見する。

「ごまかさないで。"国際同盟"を離脱しても、未来の平和は守れないんでしょう?百年後や千年後の平和のために、皇族は動くべきだよ」

「百年後や千年後…?」

アリババ様の問いに、肯定の意をわたしは示す。

「レームと煌帝国の新しい商業圏と、シンドバッド様の商業圏の力が拮抗したら?それが原因で、かつての煌帝国のように争いが起きたら?あの悲劇を繰り返さないためには、遠い未来までシンドバッド様が力を握り続けるべきなの」

わたしの言葉に、アリババ様は強い抵抗を見せた。百年後や千年後ことは、その時代に生きる者が心配すべき、と。

「煌帝国の内戦のとき、アリババ様は死んでたから…。だから、あの悲惨さをアリババ様が知らないだけだよ」

「そんなこと言うなよ、ゴンベエ」

「…何で?どうしてアリババ様はわかってくれないの?」

アリババ様にまったく意見が通じない悔しさから、わたしの頬を涙が伝う。通信器越しにわたしの涙に気づいたのか、アリババ様は慌てているようだ。

「みんな同じ煌帝国の仲間だったのに殺し合う世界なんて…もう嫌だよ。白龍様か紅炎様の首が取られるまで終わらない内戦なんて、どっちに転んでも辛いのに…もうあんな思いしたくない」

あの内戦さえ起らなければ、ジャーファルとの大喧嘩だってせずに済んだわけで。内戦が起こるような、頼るべき光が分散している現状に問題があるのだ。

「たとえ国家や王家が商会に取って代わられても、平和な世界には代えられない。…アリババ様、わたし、何か間違ったこと言ってる?」

「仲間が殺し合うところなんて見たくないのも、平和な世界が大事なのも、俺は否定しない。それはむしろゴンベエに賛成だよ…でもさ」

「"でも"じゃない!」

アリババ様の言葉を遮るように声を荒げれば、彼の発言は止まる。バルバッド時代はキラキラと目を輝かせ、シン様の冒険譚に夢中になっていたのに。何がアリババ様を変えてしまったのだろう。10年以上前からアリババ様を知る身として、そう思わずにはいられない。



「世界平和をシンドバッド様に委ねるべき…もっと早くそれに気づいていれば、紅炎様たちだって処刑されずに済んだのに…」

「…ゴンベエ」

亡き"炎帝"の名前に、明らかに強い反応をアリババ様は示した。しかし、再びアリババ様は持論を展開する。煌帝国のあり方が正しいかどうかは、煌帝国の人たちが決めること。他国の人間であるシン様が、まして彼の独断で決めるべきではない、などとアリババ様は言う。

「わたしの伝え方が悪かった、もっとわかりやすく言うよ。アブマド様と"カシムくん"たちが戦ったときのような…王政末期のバルバッドみたいな世界に戻ってもいいの?」

アリババ様の母国を引き合いに出せば、明らかに狼狽える様子が通信器越しに伝わる。"カシムくん"とわたしに面識はない。彼らの抗争については、シンドリアで再会したアリババ様から聞き齧った程度で。

しかし、アブマド様も"カシムくん"も、アリババ様にとって大切な存在なのは知っている。そこまで言えばアリババ様もわかってくれるだろう、という期待も心の奥にあった。

「ゴンベエ、おまえ…さっきから聞いてれば何だよ?そんなこと言うやつじゃないだろ?」

「ううん。アリババ様と出会った頃から、わたしの考えはずっと変わらないよ。出会った頃どころか…煌帝国時代から、"唯一の王が世界を支配すべき"って思ってた」

「何で変わっちまったんだよ、ゴンベエ…」

わたしの根本をなす考えは、煌帝国時代から何一つ変わっていない。白雄様が亡くなり、彼からシン様に理想とする"唯一の王"が代わっただけ。変わってしまったのは、わたしではなくアリババ様だ。

「アリババ様がいなかった3年間で、これだけ世界が平和になったのは、シンドバッド様のおかげ。他に未来の世界を守れる人がいると思う?」

わたしが問うと、通信器越しにため息が漏れ伝わる。その吐息からは、諦めに近い何かが滲んでいて。最後までアリババ様はわかってくれなかったのだと実感する。

「…俺にはまだゴンベエの言うことがわかんねーけど、アラジンにも話してみるよ。忙しいのにありがとう」

「うん…モルちゃんと仲直りしてね」

アリババ様との通信を終え、大の字に四肢を広げて寝台に背中から落ちる。大きなため息をついたあと、夕食を食べる気になれないわたしは重力に従って瞼を閉じた。



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