毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


胸中(189)


洛昌で夜ご飯をシン様とともにした3日後。年中温暖な気候のシンドリアでも例を見ないほど、今日の日差しは強い。まるで今日南国を訪れる国賓を、太陽が歓迎しているかのよう。

そんな好天なのに、朝からわたしは王宮厨房に引きこもっていた。国賓たちを招く晩餐会の準備で慌ただしく、窓辺での日光浴すらままならない。

国賓の来国時は港で出迎えるのが、かつての料理長と副料理長の慣例だった。しかし、交通手段としての船が廃れた現在は、王宮に一番近い飛空艇の発着場が港の代わりになっている。

発着場には飛空艇の到着直前に魔導士に連れて行ってもらい、挨拶してすぐ厨房にとんぼ返りしたくらいには忙しくて。会いたくてたまらなかった恋人の顔だって、ほんの一瞬見ただけだった。

すぐ厨房に戻ったわたしと対照的に、国賓を歓迎する国民たちはなかなかその場を去ろうとしないようだ。窓の外から聞こえる賑やかな声や楽器の音がその証拠。

もっとも、厚い歓迎を受けるような目的でシンドリアに彼らが来たわけではない。シン様たちの入国目的は、旧シンドリア建国の英霊たちの記念碑に手を合わせること。



「お茶菓子と紅茶、持っていきます」

同僚たちに声をかけたわたしは、お茶菓子と紅茶を乗せた台車を押して王宮の廊下に出た。台車を押して廊下を歩くなんて、数えきれないほど繰り返している。しかし、久々の緊張感にわたしは包まれていた。

目的を終えたシン様たちは、ドラコーン様夫婦とお茶会中。ドラコーン様たちがいると聞く部屋の前に着き、2回扉を叩く。サヘルさんの声のあと、彼女が扉を開けるのを待った。

「…ジャーファル」

扉を開けたのは、サヘルさんではなくジャーファル。シンドリアで彼と会うのは、わたしの誕生日祝いで会いに来てくれたとき以来だった。恋人の背後に視線を移すと、ニタニタしてわたしたちに視線を向ける顔ぶれに気づく。ジャーファルに扉を押さえてもらう間に台車を室内に入れ、彼らの元にお茶菓子と紅茶を運ぶ。

「ゴンベエちゃん、会いたかったよ〜!」

そう言ってお茶菓子と紅茶を出し終えたわたしに抱きつくのは、ピピリカちゃん。今日シンドリアに入国したのは、この国の創始者だけではない。元政務官をはじめとする八人将の古株3人とスパルトス様も、1年ぶりに南国を訪問している。

ピピリカちゃんとはパルテビアでたまに会っていたが、最近は顔を見ていなかった。シンドリアにいた頃はヒナホホさんの妹の印象が強かったのに、この数年で兄君の色はすっかり薄まっている。

「ヒナホホさん、お久しぶりです」

ピピリカちゃんと一緒に来たイムチャック首長に、わたしは一礼した。真っ先にわたしが尋ねたのは、"極北の秘境"で一度会ったきりの孫について。わたしの問いに、妹や息子たちに向けたことのない表情で、孫についてヒナホホさんは話す。

「兄ぃ、すっかり"おじいちゃん"って感じでしょう?」

そう笑うピピリカちゃんとの談笑後、エリオハプト以来のマスルール様とスパルトス様と顔を合わせる。シンドリアにわたしが帰ったあとも、シャルルカン様とヤムちゃんに進展がなかった。そう聞いたわたしは、わざとらしくため息をつく。

「…ピスティちゃんから連絡がない時点で察してたけど、前途多難だね」

「ヤムライハに彼氏ができそうになれば、さすがにシャルルカンも焦ると思うんだが…」

「男と出かけても2回目に繋がらないって、ヤムライハさんが嘆いてましたよ」

つまり、シャルルカン様を急かすスイッチすら押せる段階にない。今度は3人揃って、大きなため息をついた。

「ゴンベエ料理長!」

お茶菓子と紅茶を出してしばらく雑談してると、わたしの同僚が姿を見せる。わたしを探してここに来た、と彼は言った。シン様たちをもてなす宴の準備中に抜けてきたのを、同僚の姿でわたしは思い出す。

「…ごめん、そろそろ戻るね」

「ゴンベエ。晩餐会の料理、楽しみにしてるよ」

去り際にそう声をかけたのはシン様。3日前の洛昌で会って以来で、どことなく気まずかった。しかし、何もなかったように前王は微笑む。室内の彼らに頭を下げ、同僚と厨房に戻った。



「久しぶりのゴンベエの手料理、おいしかった」

「そう言ってもらえてよかった。3年前まで一緒にご飯を食べてたみんなをもてなすの、すごく緊張したんだよ」

来客にもかかわらず、緑射塔ではなく紫獅塔のわたしの部屋で宿泊するジャーファル。その理由は、例によって"王妃命令"だった。しかし、"王妃命令"のおかげで、こうしてソファーで恋人とコーヒーを飲んでいる。

他の宴に比べ、今晩はわたしの心理的ハードルが格段に高かった。この3年で、王宮料理長にわたしは昇進している。料理長になると、料理以外にも気を配ることが多い。先代料理長たちの手際のよさを知る相手だからこそ、わたしは緊張していた。

それだけでない。今晩もてなしたのは、各国に料理修行でわたしが飛び回っていたのをを知る人たちばかり。つまり、わたしの料理の腕が上がっているのは、彼らにとって当然だった。

「そういえば、ゴンベエ。3日前に煌帝国でシンと会ったんでしょう?」

触れられたくなかったことをジャーファルに触れられ、マグカップを持つ手が止まる。"ルフの書き換え"について、あのあと恋人とシン様が意見を交わしたかはわからない。

「うん、会ったよ。シンドバッド様…わたしのこと何か言ってた?」

わたしの問いに、ジャーファルは首を横に振った。香辛料を両手いっぱいに抱えるわたしに驚いたと仰っていた、とだけ付け足して。

「ゴンベエ。逆に聞くけど…何か変なことをシンが言ってなかった?」

「…"変なこと"って?」

咄嗟に、わたしは知らないふりをした。"ルフの書き換え"は、わたしにとっては"変なこと"だ。しかし、シン様に強い忠誠心を持つジャーファルにとってもそうとは限らない。

「いえ…何も聞いてないならいいんです」

そう言ってジャーファルは微笑む。しかし、胸の内に何かを恋人が隠しているように見えた。シン様のことで悩んでいるのだろう、と話の流れから察しはつく。しかし、"ルフの書き換え"が悩みの種とは限らない。それを思えば、必要以上に詮索するのは憚られる。それでも、どこか元気のない恋人を放ってはおけなかった。

「ゴンベエ…?」

コーヒーカップを恋人が置くのを待って、身体ごと彼のほうを向く。胸に引きよせたジャーファルの頭を、そっと撫でた。少しだけ身体を預けられ、表情は見えないが呼吸や体重、体温が伝わる。

「今すぐとは言わないし強制もしないけど…わたしに話してジャーファルが楽になるなら、そうしてほしい」

シンドリアの政務官に、世界一の商会の会長室室長。シン様のためにジャーファルが背負うものは、あまりに大きい。何でもそつなくこなす器用な恋人も、1人で抱えこむことはあるはずで。わたしに話して負担が軽くなるなら、ジャーファルの負担を対等に背負いたかった。

「ありがとう、ゴンベエ。その気持ちが嬉しい。でも、今は私の話を聞いてもらうより…目の前のゴンベエといたい」

頭上を動くわたしの右手を制したジャーファルは、わたしに唇を重ねる。そのまま体重をかけられ、背中からわたしはソファーに沈んだ。

「ねえ…真剣に心配してるんだけど」

唇が離れた一瞬で左手を額の上にかざし、再び唇が重ねられるのを阻む。わたしの言葉に、ジャーファルの動きがぴたりと止まった。

「…さっきから、心当たりでもあるの?」

「そ、れは…」

"ルフの書き換え"について話すなら、今しかない。しかし、"金属器使い"でも眷族でもないわたしに、シン様の意図を正しく伝えられる自信はなかった。しかも、3日前の洛昌では、肝心なルフを書き換える方法を聞きそびれていて。わたしの説明で誤解を生むくらいなら、沈黙を選ぶべきかもしれない、という考えが芽生える。

言葉にわたしが詰まっているうちに、額の上の左手をジャーファルが取った。先ほどから掴まれたままの右手と一緒に、左手も頭上にまとめられてしまう。

「ちょっと!」

「…へへっ、うかうかしてるゴンベエが悪いんだよ」

いたずらっぽく歯を見せるジャーファルは、いつもと変わらないように見える。先ほどの表情は、わたしの思い過ごしだったのかもしれない。そう思っていると、続きをジャーファルが始める。抵抗手段を失ったわたしは、されるがままで。ジャーファルの胸の内を、その晩にもう一度わたしが問うことはなかった。



忙しい立場の者ばかりの彼らは、翌日の午前中にシンドリアを発つ。今日のわたしは非番で、朝から飛空挺の発着場でみんなを見送っていた。昨日に続いて今日も非常に日差しが強く、鍔が大きめの麦わら帽子をかぶっている。

早い時間に転送魔法陣で帰ったのは、一番シンドリアと距離がある"極北の秘境"の首長兄妹。普段クシテフォンで暮らす妹は、甥の顔を見てからクシテフォンに戻る、と言っていた。ヒナホホさんたちに続いて、自国行の飛空艇にスパルトス様とマスルール様は乗る。

「ゴンベエ、また来るね」

「…うん」

別れの挨拶を終えたジャーファルは、ちらちらと周囲の様子を窺う。恋人の視線の先には、少し距離を隔てた位置でニタニタしているドラコーン様夫妻とシン様。要するに、彼らの目を気にしているのだ。

「…ゴンベエ、ちょっと眩しくなるよ」

「えっ」

わたしの返事を待たず、麦わら帽子をわたしの頭から取ったジャーファル。3人の視線を遮るようにジャーファルが帽子を持ったと思えば、数秒間だけ唇にキスが落とされた。いくら顔を隠しても首から下は丸見えなわけで、わたしたちを囃し立てる会長と王妃の声が聞こえる。

適当にわたしに帽子を被せた恋人は、そそくさとシン様の元に戻ってしまう。日射しのせいかキスのせいかわからないが、わたしの頭はクラクラしていて。落ち着くのをその場で待って、4人の元にわたしは戻った。

「じゃあな、ゴンベエ」

「シンドバッド様も、お元気で」

国王夫妻やわたしと握手を交わしたあと、クシテフォン行の飛空挺に2人は乗る。飛空挺が青空に消えるのを待って、ドラコーン様夫妻とともに王宮に向かう。

シン様とわたしが会ったのは、これが最後だった。



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