毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


正体(184)


あらゆる国との交渉が頓挫した。そう夏黄文から聞かされたのは、サヘルさんとのお茶会の翌週。わたしの懸念通り、世界中に出回った煌帝国再軍備の噂が理由だった。噂を撤回すべく、シン様に助言を求めにシンドリア商会本部にアリババ様が向かっている。これも夏黄文から聞いていた。

サヘルさんとのお茶会で噂の発信源がパルテビアだと知ったわたしからすれば、少なくともシン様が噂を流したのはほぼ確実で。わたしの知るシン様なら、自ら流布した噂を請われて撤回するとは到底思えない。よくも悪くも自分が決めたことに向かってまっすぐ突き進む人だから。

目標のためなら、シン様がそれなりに手段を選ばないことだって、わたしは知っている。そうでなければ、煌帝国の内戦に"七海連合"を介入させなかったはず。すぐに仲介していれば、多くの命が失われずに済んだのだから。



「みんな…すまねぇ。噂を撤回できなかった。"転送魔法陣"のための商館は、どの国にも建てられねぇ…」

翌日の非番で、禁城をわたしは訪れた。到着すると、文官たちの前でパルテビアから帰国したアリババ様が話している最中。近くにいた文官に到着前の話を聞くと、やはり噂を流したのはシン様だったらしい。

「どうするんだ…?借金が返せなければ、煌帝国は解体されてしまう…」

「大丈夫です、アリババ殿。予備の輸送手段があります」

みんなが落胆するところに挙手したのは軍師殿。ほとんどの者が知らされていなかったのか、周囲の視線は軍師殿に集中する。

「…えっ?予備の輸送手段って、なんですか?軍師殿…」

わたしと検証した予備の輸送手段について、軍師殿は説明した。遠く離れたシンドリアまで1型と2型、3型の八卦札の効果が持続した旨を伝えれば、周囲の人たちの不安の色は若干薄らぐ。

「これらはアリババ殿の交渉中に、ゴンベエ殿に協力を仰いで検証済みです」

その言葉に、アリババ様はもちろん、紅玉様もこちらを向く。さすがに皇帝陛下はご存知だろうと思っていたが、彼女にさえ軍師殿は説明していなかったのだ。

「そうなの?ゴンベエちゃん…」

「ええ。かつて練家に忠誠を誓った人間として、今は別の国で働く"一個人"の料理人として、できることをしたまでです」

わたしの言葉のあと、冷静になるよう周囲に軍師殿が促す。他国に転送魔法陣の利用を拒否されても、貿易自体を禁止されたわけではない。それに、煌帝国内なら規制なく転送魔法陣を利用できる。国境ぎりぎりまで商品を転送し、従来通りの陸路や海路で近隣諸国まで行こう、と提案するのは軍師殿。

「どうです?これでも以前よりは、格段に楽に商売ができるはずです」

「そういう案は、早く言えおまえー!」

軍師殿に夏黄文が突っかかるものの、仮面の奥の表情はびくともしない。こうなることを予見してたのか、と軍師殿に問うのはアリババ様。しかし、否定の意を軍師殿は示す。

「ただ過去の歴史から…煌が商売をすると言っても、簡単に受け入れてはもらえまいと、予感があっただけです」

軍師殿の発言に、少しの間沈黙が流れた。しばらくして、数年前まで戦争相手だったマグノシュタットやレームが警戒するのは無理もない、と誰かが口にする。

軍隊で煌帝国が侵略したのは事実だ。しかし、信頼を取り戻すための努力をして、商業で世界と対等に関わりを持つべきだ、とアリババ様は言う。商業を通じて世界と対等に煌帝国が関わり合っていきたいなら、という条件を加えて。アリババ様の発言に考え込む従者たちと対照的に、すぐ賛同したのは紅玉様。

「私は"皇帝"として、煌帝国をどんな国にしたいのか、みんなに示せていないわ。"国際同盟"に借金を返し終わったあとも、世界は続くのに…。なのに私は、お兄様たちの真似ばかり…」

ため息をつく紅玉様の姿に、亡き"炎帝"の名を誰かが口にする。その失言に気づいた者が、すぐに軍師殿に謝罪した。しかし、その謝罪には何も返さず、皇帝陛下の前に軍師殿は出る。

「軍事によって世界を一つにする。それを志した者たちは…死にました。これからはどうか、あなた自身の夢を描き、みなにお示しください。あなたならできます」

軍師殿の言葉に、煌帝国の誰もが涙を堪えた。目頭を手で覆う者もいれば、頬を伝う涙を拭わない者もいる。他国の官職であるわたしに泣く資格なんてないとわかっていても、頬を涙が伝う。軍師殿の前に、先ほどまで煌帝国の未来を憂いていた紅玉様はいない。兄の言葉に涙を流す姿は、兄弟を思う1人の妹だった。

「お兄様…」

ただ1人、例外がいる。軍師殿の正体に気づかずにいた夏黄文。

「お兄…お兄…えっ、えっ?ええっ?」



「失礼いたしま…す」

アリババ様と軍師殿は、アリババ様の部屋で話していた。2人にお茶を差し入れるため、部屋の扉をわたしは2回叩く。部屋の主の声に扉を開けると、軍師殿は仮面を外していた。

「どうしました?」

「…い、いえ」

久々に見た軍師殿の素顔に釘づけになっていると、怪訝な顔でわたしを凝視する彼と視線が合う。思わずごまかしてしまったわたしは、軍師殿の視線から逃れるように2人の近くの卓にお茶を置いた。

「つまりは椅子取りゲームなのですよ。最後の勝者にすべての富と権力が集約する…」

「シンドバッドは、新世界で自分が勝者になれるように、長い時間をかけてさまざまな下準備をしていたのですね」

お茶を置いたあとも、立ち去るよう2人から言われることはない。どんな話を2人がするのか気になったわたしは、彼らの中間地点の壁に背中をつける。軍師殿の興味深い話に、思わずわたしは聞き入ってしまった。

軍師殿曰く、"七海連合"の結成や煌帝国の内乱平定だけが下準備ではない。旧世界で初の"迷宮攻略者"として、自身の伝説を作ったことも。新世界の中心にいる"七海連合"諸国の現国王を、"八人将"として自らの配下に置いたことすら布石。そう軍師殿は口にする。

「この恐ろしい男を相手に、我々は戦っていかねばならない」

情報の流布は戦の常套手段。軍人や戦士ですらないわたしですら知っていることだ。根も葉もない噂や事実無根の話に嫌な思いをするのは、戦でなくてもあるのだから。

シン様を責められないという軍師殿の発言に、アリババ様は俯いてしまう。せっかく国民の士気を高めて商会として再始動したのに、ようやく成果が実を結ぶ手前で芽を摘み取られてしまったわけで。アリババ様が落ち込むのは無理もない。

「フフッ…」

しかし、そうではなかった。険しい顔の軍師殿とは対照的に、アリババ様は笑っている。

「"おもしろいですね、新世界!"情報"が金属器"より強え武器になるなんて」

新世界の仕組みがアリババ様にはしっくりきているようだ。アリババ様なら、何かすごいことを成し遂げる気がする。根拠はないものの、そう強くわたしは感じた。



「アリババ殿は、折れない人ですね」

アリババ様の部屋を出て、軍師殿と廊下を歩く。2人で向かう先は、禁城の正門前。今日中に煌帝国を発つシンドリア行の飛空艇は、あと3便ある。しかし、明日が朝番のわたしは、一番早い便で帰国しなければならなかった。

「昔から、アリババ様はそういうお方でしたよ」

わたしの言葉に、視線だけをわたしに軍師殿は向ける。

「バルバッドの第三王子として城にアリババ様が来たときからわたしは知っていますが…最初は冷遇されていたんです。専用の世話人ではなく、片手間の料理人が宛がわれるくらいには」

「…」

一国の王子であれば、専属の付き人がつくのが慣例だ。かつての第二皇子に忠雲殿がついてらっしゃったように。

「でも…折れず腐らずアリババ様は努力を重ね、あれだけのお方になったんです。今でもバルバッドでアリババ様が民衆から高い支持を得ているのは、軍師殿もご存知でしょう?」

「ええ、そうでしたね」

そんな話をしていれば、わたしたちは正門前に着いた。流刑に処せられた手前、"軍師殿"としても彼は城外に出られない。つまり、軍師殿によるお見送りはここまで。

「ここで結構です、ありがとうございました。陛下やみなさんにもよろしくお伝えください」

拱手とともにわたしが頭を下げると、後頭部に宛がった左手で頭を掻きながら軍師殿がわたしを呼んだ。

「そういえば…ゴンベエ。検証でシンドリアに輸送した魚、どう調理しました?」

軍師殿の質問に、寝る前に野菜とともに酢漬けにしたと返す。

「酢漬けですか…なるほど」

「それが何か?」

「いえ、私も作ってみようと思いまして」

信じられない回答に、先ほどの夏黄文張りの大声をわたしはあげた。その拍子に腰を抜かしたわたしは、正門前に崩れ落ちる。悲鳴に似たわたしの叫び声に、真っ先に正門まで駆けつけたのは夏黄文。

「ゴンベエさん、どうしたんです?」

軍師殿と元第二皇子が同一人物だと気づいたからか、軍師殿に対する宰相補佐の威勢のよさはない。

「だって、生活力皆無の紅め…軍師殿が"魚の酢漬けを作ろうと思った"なんて仰るから…」

「身の回りのことは自分でするよう…私が命じましたから」

わたしの回答に、ぶるりと夏黄文は肩を震わす。現在は罪人とはいえ、元皇子相手にいかに不遜な態度を取っていたかに、夏黄文は気づいたようだ。

「それは関係ありません。今まで誰かにしていただいていたすべてを、"島暮らし"では自分たちで済ませる必要がありましたから」

腰を抜かしたわたしに説明しつつ、起き上がるよう手を差し伸べてくださるのは軍師殿。彼の手を取ったわたしは、何とか自力で立ち上がった。

「そうでしたか…次に禁城に来るときは、レシピをお持ちしますね」

そんな話をしているうちに、飛空艇の離陸時間が迫る。夏黄文と軍師殿の見送りに一礼し、飛空艇の発着場にわたしは向かった。



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