毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


破綻(178)


朝番が終わり、1人わたしは食堂にいる。窯のそばで仕事をしていたため汗だくだったが、湯浴みすら待てないくらいお腹が空いていた。かといって、汗だくのまま食堂に行くなんてできないわけで。私室で水を含ませたタオルで身体を拭き、着替えてから食堂に戻っていた。

ビュッフェ形式の食堂で、残飯が出ないように料理を選択して皿に盛る。自分の食べたい物より残飯処理を優先するのも、王宮料理長の仕事の一つ。そう両親から教わっていた。

空席が増えはじめたテラス席の適当な場所に腰を下ろすと、通信器が鳴る。発信者はジャーファル。この時間なら急用に違いない。そう判断し、料理を乗せたトレイを机上に置いてから応答した。

「どうしたの?急用?」

「いえ…今朝の巻物をゴンベエは読んだかなと思って」

奥歯に物が挟まるような恋人の言葉に、違和感をわたしは覚える。普段のジャーファルなら、ここで簡潔に用件を伝えてくれるはずだ。

「ううん、まだだよ」

わたしが口にするのは、質問に対する回答だけ。胸で燻る違和感の正体を探る真似はしない。国際情勢の書かれた巻物は、未読のまま手元にある。休憩時間中に買ったはいいものの、読む時間がなかったのだ。

なんなら、昼食を食べながら読もうと思っていた。その証拠に、トレイには昼食とともに巻物が乗っている。今朝の巻物がどうかしたのか。それをわたしが問おうとしたタイミングで、通信機越しにジャーファルの声が届く。

「そっか、それなら大丈夫。…朝番終わりでゴンベエが疲れてるときにごめんね」

そう言って、わたしの返事を待たずにジャーファルは通信を切った。こんな風に一方的に通信を切られるのは初めてで。左手の通信器に視線を向けたまま、わたしは呆然としてしまう。恋人にしては珍しく、本題の見えない会話だった。

似たような会話が一月前にもあったのを思い出す。そのときも「ゴンベエの声が聞きたくなった」などと言って、通信の目的を濁されてしまっていた。

ジャーファルが話す気にならなければ、わたしが心配したところでどうしようもなくて。話す気になるよう促す策は思い浮かばないし、無理に喋らせようとして喧嘩するのは本望ではない。そう思いながら、買ったままだった巻物をめくった。

「えっ」

その見出しの内容に、わたしは言葉を失う。紅徳帝の崩御や玉艶様の即位など、今までも東国の記事には驚かされてきた。しかし、今回の驚きは過去の比ではない。

<煌帝国、財政破綻寸前か?>

料理修行で煌帝国に行ったとき、帝都の衰退をわたしは実感している。両親と禁城に暮らしていた頃からあった店は、どこも料理の質がワンランク落ちていて。料理店以外も閑散としていたし、人気もなかった。

しかし、財政破綻など想像していなくて。内戦からたった3年ほどで煌帝国ほどの大国が消えるなんて、異常事態にもほどがある。皿に盛った昼食を完全に放置し、貪るように記事をわたしは読み進めた。



記事を読み終え、ため息とともに書物を卓上に置く。大きな絶望感が全身にのしかかる。たった5年しか禁城に住んでいないわたしですらそうなのだから、煌帝国民の胸中は計り知れない。

「こんなの…」

国の再建費用として、"国際同盟"から煌帝国は多額の借金をしていた。その返済期限が来月に迫っている。しかし、返済の目処は立っていない。煌帝国ほどの大国の完全破綻は、"国際同盟"設立以来初だ。

この記事の信憑性は高い、とわたしは見ている。長年同じ版元から巻物を購入し続けていて、誤報の少なさは織り込み済み。国家の破産なんて誤報を打てば、版元だってただでは済まないわけで。

そうした事情を鑑みても、煌帝国の財政危機はほぼ事実と断定していいだろう。何より、非常に具体的かつ詳細に、負債の額や借金の使い道が記されていた。こんな情報を握れるのはごく一部で、かなり中枢に近い人物が情報源に違いない。

「こんなことをリークして、一体煌帝国に何の得が?」

いくら考えても、それはわからなかった。煌帝国の再建を信じている取引先も、この報道を見れば手のひらを返しかねないわけで。東国に損はあっても、得などないのに。

「…いや、そんなわけない」

頭をよぎった可能性を打ち消すように、わたしは首を振る。一瞬でもかつての仲間を疑った自分が嫌になり、アバレウツボの酢漬けを頬張った。酢の酸味はなく、今のわたしに感じられるのは噛み応えのある食感だけ。

アバレウツボの弾力を感じながら情報を整理していると、不自然だった恋人の通信の意図が見えた。煌帝国がこうなる運命と、シンドリア商会の会長室室長は知っていたのだ。しかし、煌帝国の破綻をわたしにジャーファルが喋るのは守秘義務違反。だから歯切れの悪い話し方しかできなかった。

たとえ報道が出回っていたところで、債務者の情報を債権者から部外者に告げるのは問題があるわけで。もう一度大きなため息をつき、空腹を埋めるためだけに味のしない食事を口に放り込んだ。



「こんなときに限って、次の非番が6日後なんて…」

私室で仕事の予定を確認したわたしは、愕然とする。今日は13連勤の折り返し。この連勤中は5日間宴の準備があり、料理長として注力せねばならない。今すぐにでも紅玉様の元に飛んでいきたいのに、トラブルで帰国できなくなる可能性を考慮すれば、日帰りの訪問も憚られる。

煌帝国のために何かしたい気持ちはあるのに、何もできなくて。やるせなさと不甲斐なさから、湯浴みしていないのを忘れて寝台に身体を沈める。

「…」

煌帝国は、わたしにとって特別な国だ。宝物のような思い出も、記憶から消したい思い出も、たくさんある。個人的な思い出だけでなく、わたしの大切な人たちが命に代えて守りたかった国。その復興のためにできることがあれば、何でもしたかった。

もちろん、今のわたしが洛昌に行っても、他国の人間にできることはないに等しいだろう。財政破綻は料理で解決できないし、料理で解決できるなんておこがましい。

しかし、煌帝国が"国際同盟"のものになれば、わたしが守りたい煌帝国でなくなる。愛した人や大切な人の守りたかった国の解体など、我慢できるはずがない。いても立ってもいられないわたしは、すぐに湯浴みを済ませて身支度をした。



すぐに洛昌に飛べればよかったが、仕事の都合上それはできない。わたしにも王宮料理長としての矜持があるわけで。それを捨ててまで、他国の情勢を窺うことはできなかった。

洛昌の代わりにわたしが向かったのは、黒秤塔の王宮図書館。王宮図書館には、各国のローカルな時事情報が掲載された巻物が置かれている。

他国のローカルな巻物は、個人では入手できない。しかし、入手できなくても閲覧はできる。船便によって数日遅れで届く各国のローカルな巻物は、シンドリア国民なら王宮図書館で自由に閲覧可能。シンドリア王宮にある最新版は、3日前のものだった。

「何これ…」

そこに記されていたのは、今の煌帝国のめちゃくちゃな政策。色んな政策を出しては引っこめ、出しては引っこめを繰り返しているようだ。その政策は、部外者から見ても的外れだ。パルテビアやレームを踏襲したと見られる政策もあるが、煌帝国ではうまく機能していない。

"国際同盟"から借金してまで捻出した費用は、無駄になっている。最初に"国際同盟"から借りた金額を、現在の利子が上回っていて。借金を返済するどころか、雪だるま式に借金は膨らんでいた。

「あいつ、何してるの…?」

思い出すだけで腸が煮えくり返り、わたしの顔は引き攣ってくる。頭をよぎるのは、わたしが煌帝国を去る原因を作った男。紅玉様つきの従者になった彼と親しくなったのは、大火のあとだった。

自身の将来像が明確で、それに近づくためなら辛酸を舐めるのも厭わない。今でこそ忌み嫌うが、そんな彼を当時のわたしは尊敬していて。理想の姿を目指して正直に生きる彼は、わたしにとって城内で最も信頼のおける同僚の1人だった。

「立派な煌帝国の宰相閣下になるって言ってたじゃない…」

煌帝国をわたしが去った原因を作るだけなら、まだいい。しかし、歴史上から煌帝国が消える原因を作ったら、一生彼をわたしは許せないだろう。

とはいえ、自分の主の御代に国が滅びれば、図太い彼とて落ち込むはずだ。剥き出しの野心の内側にある、煌帝国や練家に対する彼の忠誠心は偽物ではない。数年間近くにいたからこそ、彼のいいところも悪いところも知っているつもりだ。

国を思う気持ちに嘘はない彼なら、今も禁城内を駆けずり回っているに違いない。財政破綻しても、そんな彼をわたしは責められないだろう。

「…紅玉様か」

懸念点があるとすれば、いわゆる帝王学を紅玉様が修めている可能性が低いこと。国政や経済を勉強したと断言できるのは、白雄様から紅明様までだろう。紅覇様と白龍様に関しては、判断が難しい。

兄君たちがどうであれ、皇位継承順位最下位の姫君だったのは事実で。自らが帝位に就かれるなどと、白龍様の即位後も思っていなかっただろう。少なくとも、白龍様の後を継ぐ可能性は考えていても、こんなにすぐお鉢が回ってくるとは思っていなかったはずだ。

かつての煌帝国には、一流の学者がいた。彼らが皇子たちに帝王学を教えていたのだ。その学者たちが今も禁城にいるかどうかはわからない。

「…どのみちダメかもしれない」

帝王学を紅玉様が修めていたところで、無意味かもしれないとわたしは気づく。東国お抱えの学者が知る帝王学は旧世界のものだから。商売が力の新世界では、煌帝国の帝王学など通用しない可能性が高い。

悪いほうにわたしの予想が的中すれば、頼りになるのは彼女の従者だけ。無力感に苛まれたわたしは、大きなため息をつく。それでも、一縷の望みをあの男に託さないわけにはいかない。憎くて仕方のない男にわずかな期待を残し、王宮図書館をあとにした。



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