毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


危惧(159)


大きな事故やトラブルもなく、十月ぶりのパルテビアに飛空艇が着陸した。我先にと飛空艇から下りようとする同乗者たちが降りるのを、席に座ったままわたしは待つ。

前回飛空艇にわたしが乗ったのは、1年以上前。世界に飛空艇がお披露目されたときのことだ。そのときの同乗者は、"国際同盟"理事やシンドリア商会のお得意様といった、超上流階級ばかり。しかし、今回の同乗者の客層は前回とは大きく異なっていた。

身なりや身のこなしで、目にした人の身分や階級をある程度正確にわたしは判断できる。この特技は、生涯のほとんどを王宮で過ごした賜物だろう。今回の飛空挺の客層は、大半を商人が占めていた。

世界にお披露目されて1年以上が経ったものの、依然として飛空艇は金持ちの乗り物だ。まだ簡単に各国を自由に行き来できるほど、搭乗券の価格は下がっていない。つまり、現段階で飛空艇に乗れる人物とは、一定以上の社会的成功を収めた者なのだ。

もっとも、わたしの搭乗券はシンドリアの国費から捻出されているだけで。飛空艇に2回も"一介の官職"が乗るなんて、身分不相応だ。

パルテビアに向かう豪商たちからは、エネルギーや自信をひしひしと感じる。そんな社会的成功者たちが一堂に会する場所は、たった1年半で世界の中心地になった。この地をそうさせたのは、私の知っている人たち。彼らの経営手腕には、舌を巻かざるを得ない。

「お客様、どうかされましたか?」

「あっ…すいません、今降りますから」

どうやらわたしが最後の乗客らしく、船内を確認しに来た添乗員に声をかけられてしまう。空席だった右隣に置いた荷物を手に取り、世界一熾烈な経済競争が起きている地にわたしは降り立った。



「あなたが…ゴンベエ・ナナシノ様ですね」

飛空挺から降りてすぐわたしに声をかけたのは、シンドリア商会の従業員。修行予定地はパルテビア宮殿だが、まずわたしはシンドリア商会に行くことになっていた。まだパルテビア宮殿での料理修行の許可を得ておらず、明日シン様と一緒に皇帝に謁見する予定だ。

そんなこともあり、今日と明日の2日間はシンドリア商会本部内に宿泊先を用意してもらっている。今回わたしを迎えに来てくれた人たちとの面識はない。しかし、1年以上前に会った恋人と似た服装をしていたため、すぐ商会の人だとわかった。

「わたしがゴンベエ・ナナシノです。本日はよろしくお願いいたします」

わたしを迎えに来てくれた彼らに頭を下げ、さっそくシンドリア商会本部に向かう。本部までの道中、わたしは頭を左右に振りっぱなしだった。たった十月とは思えないほど、大きな変化をパルテビアは遂げていたから。

飛空挺や通信器を短期間で開発したシンドリア商会を擁するとはいえ、この変化はあまりにも大きい。しかも、衰退しつつあった国家が下地だ。同等の発展を他国が遂げるのとは訳が違う。数年前と現在のパルテビアの振り幅には、誰もが驚かずにいられない。

「驚いたでしょう?シンドリア商会ができてから1年半で、クシテフォンはすっかり別の場所になりました」

「私なんて、生まれも育ちもクシテフォンなんですけどね。こうなるなんて思いもしませんでしたよ」

「…」

国際情勢の書かれた巻物で、帝都が大発展を遂げた事実は知っていた。そんなわたしですら、クシテフォンの街を目の前にすると言葉を失ってしまう。予備知識があったところで、その変貌ぶりは予備知識を遥かに超えてくるのだ。

「でも、こんなに発展したのはクシテフォンだけなんですよ」

「そうそう。近郊の漁村や地方なんかは、昔のままなんです」

彼らは故郷を懐かしむように口にするが、ちょっとした恐怖をわたしは覚える。急激に発展を遂げて大都会になったクシテフォンに地方の民が集まり、地方都市は廃村と化しているのではないか。

わたしの勘違いならそれに越したことはない。しかし、もし見立てが正しければ。この現象がパルテビア帝国の外に伝播するのも、そう遠くない未来の出来事に違いないのだから。



「これがシンドリア商会の本部…?」

今までも大変貌を遂げたクシテフォンの街並みには驚かされてばかりだった。しかし、シンドリア商会の本部の変貌っぷりには、今までの比でないほど驚かされている。

1年前に訪れた際も、立派な建物だったのに。この1年で建てられた新社屋は、全面が硝子張り。わたしの記憶に残っている旧社屋に比べて、高さは倍近くある。米粒大にしか見えない人たちのなかにいるであろう恋人に、密かにわたしは想いを馳せた。

「すごいですね…」

「半年後には、さらに増改築する予定なんですよ」

「えっ?さらに増改築するんですか?」

わたしの問いに笑顔で頷いた商会の人は、懐から設計図らしきものを取り出した。それには、キノコのような形が描かれている。今まで見てきたどんな建物とも違っていて、建物の設計図と言われてもピンと来ない。

「滞在中に使用していただく入館証です」

手渡された入館証には、首に提げるための紐がついている。失くさないようすぐに入館証を首に提げたわたしは、見よう見まねで入館手続きを済ませた。

世界一の商会の玄関口とあり、高級感のある床材や壁材、調度品などにも超一級品が使われていて。小規模国家なら、王宮ですらお目にかかれない希少品もある。シンドリア商会の経済力を思い知らされるには、入口だけでも十分すぎた。



「ゴンベエ様。会長も会長室室長も、本日は商談が立て込んでいます。そのため、大変申し訳ないのですが…まだ貴殿のお相手をできそうにありません」

"昇降機"と呼ばれた機械に足を踏み入れると、商会の一人がそう告げる。窓の外から見える陽は、すでに地平線に沈みかけていた。

「わたしのことでしたら…心配には及びません。市街地で時間を潰しますから」

「会長と会長室室長のご友人とあらば、市街地で時間を潰させるなんて真似はできません!」

"会長室室長のご友人"に、思わずわたしは反応しそうになる。シンドリアでは、恋人との関係は国中の公認状態だったから。

市街地を歩いていれば、"あの人がジャーファル様の…"と面識のない人たちに指をさされた機会も少なくない。そんな状態で3年近くをシンドリアで暮らしていれば、わたしたちの関係を知らない人のほうが新鮮に映る。

「ですが…彼らを待つ間、みなさまに気を遣わせるわけにはいきません」

「気になさらないでください!シンドバッド様のご友人となれば、私たちの責任も重大なのです」

そう言って昇降機を彼らが操作すると、ふわりと昇降機ごと昇っていく。予想以上に速く上昇する昇降機に、市街地の探索をわたしは諦めた。昇降機も硝子張りで、クシテフォンの街がどんどん小さくなる。

「それに何より…ゴンベエ様にご挨拶したい、と最高顧問が申しておりまして」

「…そういうことでしたら」

初めて聞く、"最高顧問"の肩書き。"最高顧問"の正体をわたしは知らないが、商会の人たちの手前、知らないなどとは口が裂けても言えない。

"最高顧問"の正体を知らないだけでなく、心当たりもないわけで。視線は昇降機の外に向けたまま、"最高顧問"の正体にわたしは思考を巡らせる。シン様やジャーファルは"会長"や"会長室室長"で、"最高顧問"ではない。

"最高顧問"候補として、3人の顔がわたしの脳裏に浮かんだ。

一番可能性が低いのは、ピピリカちゃん。シンドリア商会の立ち上げに同行したヒナホホさんの妹なら、"最高顧問"の肩書きを得ていてもおかしくはない。しかし、シンドリア時代と変わらず、ピピリカちゃんはわたしの恋人の部下と聞いている。

それに、実権はともかく、"最高顧問"の肩書きは"会長室室長"の上位だ。肩書きを気にするような恋人でないのはわかっているが、あの2人の立場が逆転するような人事をシン様が発されるとも思えなかった。

次は、セイラン・ディクメンオウルス・ドゥ・パルテビア氏。明日宮殿で謁見予定の、第32代パルテビア皇帝だ。世界最大の商会の"最高顧問"を皇帝が務める可能性は、十分にある。発足から半年足らずでの飛空挺と通信器の開発も、国家の資金援助と後ろ盾があれば納得だ。

しかし、セイラン帝が"最高顧問"だとすれば、"皇帝"ではなく"最高顧問"としてわたしに会う理由がわからない。セイラン帝が"最高顧問"なら、宮殿で料理修行を望むわたしの存在は会長づてに耳に入っているはず。

なにより、シンドリア商会の"最高顧問"とパルテビア帝国の"皇帝"として、わざわざ2日続けて"一介の官職"に会う時間を設けてくださるとは思えなくて。たとえそれが、自身の帝位の後見人であるシン様たっての依頼だとしても。皇帝は病弱な御方とも聞くし、形だけの謁見だろうと公務は少ないに越したことはないだろう。



「…」

そして、もう1人の候補がいる。アラジンくんと白龍様、モルちゃんにマスルール様。彼らの話が本当なら、シンドリア商会の"最高顧問"を彼女が務める可能性は十二分に考えられた。

<シンさんの隣には、今別のやつがいる>

マスルール様の発言は、ジャーファルを指すものではなかった。"シンさんの隣"にいるのが"最高顧問"なら、マスルール様の発言とも辻褄が合う。それに、煌帝国の内戦平定後のシン様と彼女の距離の近さは、わたしも疑問に感じていた。

「この扉の先で、最高顧問がお待ちしております」

「…ここまでありがとうございました」

発着場からわたしを案内し続けた商会の人たちは、そう言ってそのまま昇降機で下っていく。彼らの乗る昇降機を見届けたわたしは、正面の扉に向き直した。

扉の奥に誰がいても、決して思考を顔に出してはいけない。たとえ"最高顧問"が3人の誰かでも、違う人でも。深呼吸をしたわたしは、扉を2回叩く。返事の代わりに、ガチャリと音をたてて分厚い扉が開いた。

扉の奥にいたのは、3人のうち最も対面を危惧した人物。彼女に"アルバ"が憑依したという、アラジンくんたちの発言は事実だ。にわかに信じられなかったアラジンくんたちの話も、今なら確信を持てた。

"アルバ"の憑依をわたしは知っている。この事実を、"アルバ"に悟られてはいけない。思考の出やすい顔が平静を装えていることを祈りつつ、わたしは目を細める。わざわざ扉を開けてわたしを出迎えた彼女と握手を交わし、久方の再会を喜ぶふりをした。

「ゴンベエ、久しぶりですね。はるばるマグノシュタットからご苦労さまです」

「ご無沙汰しております。煌帝国時代と変わらぬお心遣いに感謝いたします、白瑛様」



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