休職(140)
シンドリアをジャーファルたちが去って2週間。ヒナホホさんと彼の子供たちを見送り、港から王宮に引き返す。
「八人将もあと半分だね」
ぽつりとつぶやいたのは、ヤムちゃんだ。ジャーファルとマスルール様は、前国王とともにパルテビアにいる。ヒナホホさんも、今シンドリアを発ったばかり。第二代シンドリア国王になったドラコーン様は、すでに新しい暮らしを始めていた。
「スパちゃんと私は週末に出国だし、シャルも来週中には出国でしょう?寂しい!」
わたしの右腕に絡みつきながら、ピスティちゃんがむくれる。酒だ男だと自由気ままに過ごしてきたピスティちゃんの現在は、母君との引継で忙しい。近頃はあまり眠れてないらしく、「肌荒れが気になる」と鏡を見ては落ち込んでいる。
「おまえはいつ出国すんの?」
ヤムちゃんに、シャルルカン様が尋ねた。回答の前に、ちらりとわたしをヤムちゃんが伺う。その視線に気づいたわたしは、ヤムちゃんに代わってシャルルカン様の問いに答えた。
「シンドリアをヤムちゃんとわたしが出るのは、2週間後だよ」
ヤムちゃんとわたしは、一緒にシンドリアを発つ。その理由は、わたしの目的地がミスタニア共和国だから。わたしの両親が住むミスタニア共和国は、マグノシュタットの北に位置する。そのため、途中までヤムちゃんと一緒に行くことになっていた。
「ごめんね、わたしのせいで出国が遅くなって」
いち早く戻って自国に尽力したいのに、わたしのせいで帰れないヤムちゃんに謝る。
「謝らないで!ゴンベエちゃんの人望の賜物なんだから」
ヤムちゃんの言葉に、少し心が軽くなるのをわたしは感じた。シンドリアをわたしが発てない理由は、連日開催される送別会。市街地の飲食店から声がかかり、毎日のように送別会に呼ばれている。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「毎日飲み歩いてるんだろう?ゴンベエ殿の体調が心配になるな」
スパルトス様の指摘はもっともだ。市街地での送別会に加えて、王宮で働く人たちとの送別会もある。20代のときほどお酒を浴びないにせよ、いつわたしの肝臓や胃が悲鳴をあげてもおかしくない。
「心配してくれてありがとう。薬師に胃薬をもらってるから、大丈夫だと思うんだけど」
そんな話をするうちに、わたしたちは王宮に到着した。2週間も経てば、みんな離ればなれになる。そう思うと、形容しがたい寂寥感がわたしを襲った。
ヒナホホさんを見送った晩は、王宮料理人の送別会。例によって、全員の非番は重ならない。そのため、2回にわたって送別会を同僚たちが開いてくれた。今日の送別会は、2回目の送別会だ。
「ゴンベエさん、絶対に帰ってきてくださいね!」
「もちろん。みんなこそ、そのときまでシンドリアにいてね」
代わる代わる、後輩たちが挨拶に訪れる。4年以上をシンドリアで過ごしたうち、一番古株の後輩とは、一緒に働いて2年半近い。シンドリアにわたしがいた期間の半分は、彼と一緒に働いた。そう思うと、体感以上にシンドリアで長く過ごしたと実感する。
「ゴンベエ」
後輩たちと飲んでるところに、同僚の1人が声をかけた。彼は、ジャーファルと付き合う前に告白された同僚。なぜかピスティちゃんとヤムちゃんは彼を疎むが、決して悪い人ではない。
「2人で話したいんだけど、ちょっといいかな?」
会場の部屋の角へと、彼に誘われる。蜂蜜酒を置き、言われるがままに向かった。
「話って何?」
単刀直入に用件を尋ねる。わたしは休職扱いになるため、新しい副料理長への引継はない。代わりに、副料理長の仕事を部下たちに分散させる。この時点でも、てっきり仕事の話とばかり思っていた。
「ゴンベエ、ジャーファル様と別れたんだろう?何年経ってもゴンベエが来るのを俺は待ってる。だから、ゴンベエが帰ってきたら…シンドリアで結婚しよう!」
「ごめんなさい。わたし、ジャーファルとは別れないから」
間髪容れずに断れば、膝から彼が崩れ落ちる。たとえ目の前の彼でなくても、ジャーファル以外は考えられない。
「いつシンドリアに戻るかわからないし、わたしのことなんて早く忘れて」
初めて彼に告白されたのは、シンドリアに来て1年も経たない頃。今までわたしを想っていてくれたとすれば、それはあまりに申し訳ない。ジャーファルから心変わりする気はないし、万が一彼に何かがあれば、今度こそ二度とわたしは恋愛できなくなるだろう。
そんなことを考えていれば、部屋の中心で飲む同僚たちに名前を呼ばれる。未だに床にうずくまる彼に申し訳ないと思いつつ、置き去りにして仲間たちの輪に戻った。
「あの男、まだゴンベエちゃんを諦めてなかったの?」
「ああ…あの"10人目"だろう?」
スパルトス様とピスティちゃんが、シンドリアを発つ前夜。ヤムちゃんやシャルルカン様とともに、がらんどうのピスティちゃんの部屋で送別会をしていた。
「ジャーファルさんとゴンベエちゃんはずっとラブラブで、どこにも入る隙なんてなかったのに。往生際悪いよね〜」
ヤムちゃんに同意するように、彼の文句をピスティちゃんが言う。ジャーファルと付き合いはじめて3年近くが経った。それでも面と向かって第三者にラブラブと言われると、未だに照れてしまう。
「はあ…早く私もいい人見つけたいな〜」
そう口にするのはヤムちゃん。こういうとき今まではマスルール様にひっついていたものの、もう彼はシンドリアにいない。マスルール様の代わりにヤムちゃんが絡みつくのはスパルトス様。
「また始まった」と、ヤムちゃんをスパルトス様は軽くあしらう。とはいえ、好きな女性が他の男性にひっついていれば、心中が穏やかなはずがなかった。密着する2人を見て、ピスティちゃんとわたしはシャルルカン様に哀れみの目を向ける。
「ふっ、2人とも、そんな目で見るな!…おいバカ女、お前には俺が…」
シャルルカン様の言葉に反応したヤムちゃんは、スパルトス様の胸から顔をあげた。想い人の潤んだ瞳に、シャルルカン様はノックアウト寸前だ。
「ありがとう、シャルルカン…。あんたのことは弟のように思ってる。でも、今の私に必要なのは生涯をともに過ごしてくれる男性なの」
ヤムちゃんの口から飛び出したのは、まさかの弟宣言だった。別の意味でノックアウトされたシャルルカン様。ショックからか、シャルルカン様の顔からは血の気が引いていく。
「シャルー!死んじゃ嫌ー!」
「それくらいで死ぬな、シャルルカン!」
失意のどん底から、早くシャルルカン様を救わなければ。そう思ったわたしは、慌てて彼らへの頼みごとを切り出す。
「ねえ、みんな!わがままだし迷惑なのは承知の上で、一つお願いがあるんだけど…」
用件を伝えれば、「そんなことか」とスパルトス様。
「ゴンベエちゃんに頼まれたって、ヒナホホさんが言ってたよ」
「そうそう。だから、俺たちもその気でいたんだけど」
ピスティちゃんとシャルルカン様も、すでに受け入れてくれるつもりだ。
「ぜひぜひ。私だって、ゴンベエちゃんに協力できるなら喜んで力を貸すから」
ヤムちゃんも協力を表明してくれれば、シンドリアにわたしが来てからの八人将との日々が頭をよぎった。色々な国でさまざまな人と出会ったが、シンドリアでは本当にいい友達ができたと実感する。
「みんな…本当にありがとう。離ればなれになっても、みんな大好きだよ」
シンドリアを発つ日が、ついにやってきた。シンドリアに来たとき、わたしの荷物はかなり少なかったはず。しかし、4年半近くをシンドリアで過ごし、すっかり荷物は増えてしまった。
ドラコーン様の厚意に甘え、将来はシンドリアに戻ることになっている。そのため、衣類など持ち物の一部は、シンドリアに置いていく。
「…」
必要な手荷物だけを持ち、ぐるりと部屋を眺めた。この部屋で過ごした日々の思い出が蘇り、思わず泣きそうになる。自室に一礼したわたしは、ヤムちゃんとの待ち合わせ場所である王宮の入口に向かった。
「ゴンベエちゃん、気をつけてね」
振り向けば、王妃として多忙な日々を送るサヘルさん。王宮の入口まで、わざわざ見送りに来てくれた。
「帰ってきたら、また一緒に働こう」
シンドリアに来てから、仕事面で一番お世話になった料理長。休憩時間外なのに、厨房を抜けて彼も来てくれたらしい。
「ゴンベエ、お主について心配はしてない。シンドリアの代表として、無事に帰ってきてくれ」
「仰せのままに、王よ」
まだ慣れないものの、拱手とともに新国王に頭を下げた。国王となったドラコーン様は、ヤムちゃんにも一声かける。
「将軍、いままでお世話になりました」
「ドラコーン様、サヘルさん、料理長。行ってきます!」
寂しい気持ちもあるが、笑顔でわたしとヤムちゃんはシンドリアを発った。
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