毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


乗船(133)


煌帝国の"七海連合"正式加盟を、洛昌で白龍"陛下"と済ませた。

「白龍くん…いや、白龍"陛下"。あとは打ち合わせ通りに進めるだけだ」

書類に調印を終えた白龍"陛下"の耳元に顔を寄せ、他者に聞こえない声量で話す。煌帝国の"七海連合"加盟を白龍"陛下"がどう思っているかはわからないが、比較的落ち着いているように見える。

「練紅炎を倒して戦争のない世界を作るためには、君のお姉さんにも協力してもらわなくてはいけない」

「!」

うら若き皇帝陛下が表情を変えたのは、姉の存在を口にしたとき。シンドリアに白龍"陛下"が来たとき、母代わりに練白瑛が彼を育てたと聞いた。偉大な父と2人の兄を失い、実母を憎み続けて殺した白龍"陛下"にとって、今もなお姉君は最大のアキレス腱だと確信する。

「練白瑛殿は、今どこに?」

「おそらく天山山脈でしょう。本来の姉の拠点は天山西部ですから」

天山山脈なら、すでに洛昌に到着したシンドリアの船で数日だろう。もうじき正式に内戦を始める白龍"陛下"の邪魔をするわけにいかず、すぐに俺は禁城をあとにした。



禁城を出て他の"七海連合"加盟国と軽い打ち合わせをし、すぐにシンドリアの船に乗り込む。真っ先に向かうのは操縦室。

「王よ!お帰りなさいませ」

「ああ…ただいま」

可能な限り急いで天山山脈沖に向かうよう、操縦士に依頼した。ここまでの航海について操縦士と情報交換していると、部屋の外で聞こえる足音がバタバタと大きくなる。

「シン!いつの間に戻られたんですか?」

船の出航で俺の乗船に気づいたジャーファルが、操縦室に駆け込む。長い付き合いも手伝い、そのあと政務官が言わんとすることはわかっていた。

「天山山脈だ」

「そこに練白瑛が?」

ジャーファルの問いに俺が頷くと、隣で彼は大きなため息をつく。

「どうした?」

「あ、いえ。会談から船旅が続いてるので、少し疲れただけで…」

シンドリアの頭脳らしからぬ、見え透いた嘘だ。最近でこそ回数は減ったが船旅経験は豊富で、数日の徹夜はお手のもの。暗殺組織出身で見かけによらず体力は人並み以上のジャーファルにとって、"疲れ"は縁遠い言葉のはず。

「揉めたのか?」

「…」

ここでのジャーファルの無言は、肯定を意味する。その理由は、一つしか考えられない。

煌帝国の者たちと、会談会場で親しげな様子を見せたゴンベエ。あのときの王宮副料理長を見れば、"七海連合"の目論見へのゴンベエの考えは、だいたい見当がつく。ジャーファルの様子からして、予想通りだったのだろう。

「卑怯だ、とまで言われました。それに…泣かせてしまいました」

ジャーファルの表情から、"卑怯"の一言も恋人を泣かせたことも、かなり堪えていると察した。"卑怯"も涙も"七海連合"に向けられたのであり、政務官個人に向けられたわけでないにもかかわらず。



ゴンベエの煌帝国時代は、謎に包まれている。わかったことがあれば共有するよう、以前から八人将にも依頼していた。1歳下の"友達"を疑うわけではないが、情報を収集しておいて損はないのだから。

会談で明かされたのは、練兄弟とゴンベエの相互の信頼関係だけでなく、煌帝国の男との過去の恋仲。俺は直接耳にしていないものの、その場にいた八人将からの報告で把握している。もっとも、以前からその可能性を疑ってはいたが、会談で確信に変わった。

依然として"煌帝国の男"の正体はわからない。しかし、おおよその目星はついている。他国の面前で"足元に及ばない"と第一皇子・練紅炎が断言しうる男など、限られているのだから。

「ジャーファル。煌帝国時代について、ゴンベエから何か聞いてないか?」

幾度となく俺たちの間で繰り返された質問だが、ジャーファルの反応は初見だった。いつもは「本人から何も聞いてない」と即答する政務官が、今日は沈黙を貫く。"煌帝国の男"の正体や恋人の過去をジャーファルが知っていると悟ったのも、長い付き合いの賜物だ。

「俺には話してくれないのか?」

「…ゴンベエと約束したんです」

俺と行動をともにして以来、誰よりも俺に忠誠を誓うジャーファル。今もそれは変わらない。

"世界平和のため"とはいえ、政務官に汚れ役を担わせたり、多くの犠牲を強いたりした自覚はある。しかし、俺の頼みでもジャーファルが口を割らないのは、今回が初めてだ。

「俺たちが目指す平和な世界に、ゴンベエが必要なんだ。万が一…煌帝国に彼女が寝返っては困るだろう?」

かなり煌帝国寄りの考えを持つであろう恋人をちらつかせ、揺さぶりをかけた。各国の王族・皇族と良好な関係を築くゴンベエが必要なのは、決して耳障りのいい嘘ではない。

煌帝国のように俺自身が苦慮している相手とも親しい王宮副料理長は、むしろ必要不可欠。それを知ってるからこそ、目の前のジャーファルの瞳は細やかに揺れている。

「すいません」

「…俺こそ悪かった。ゴンベエとの約束を破らせるような真似をして」

そう言って、ジャーファルの肩を俺は抱いた。会談以降かなり煌帝国に傾いたゴンベエは、今回の"七海連合"の目論見を知ってシンドリアから離れる可能性もある。しかし、ゴンベエを俺に繋ぎとめる材料として、ジャーファルの存在は大きい。

友達として俺が、男としてジャーファルが、シンドリアにゴンベエを繋ぎとめる。予想以上に、この策略はうまくいっていた。

無理にジャーファルに口を割らせて2人の仲が修復不可能になるのは、俺としても本望ではない。練白雄だろうと練白蓮だろうと、過去のゴンベエの相手なんてどちらでもいいわけで。こんなところで計画が破綻しては、世界平和が遠のいてしまう。



操縦室から出たあと、政務官から聞いた情報をマスルール相手に裏取りする。ゴンベエの反応は予想通りで、数日経った今もジャーファルが引きずる"卑怯"発言も事実のようだ。"卑怯"発言は、ゴンベエの本心から出た言葉だろう。

しかし、"一介の官職"としてさまざまな事情を汲める王宮副料理長のこと。ジャーファルが嫌われ役を買ったのは、ゴンベエとてわかっているはずだ。時間はかかるかもしれないが、2人の仲を裂く致命傷にはならないと踏む。

「でも、ゴンベエさんの取り乱し方は予想以上でした。それに、ジャーファルさんが言うには…」

もし紅玉姫に仕込んだ"ゼパル"をゴンベエが知れば、ジャーファルとの仲もわからない。ジャーファルに限らず、シンドリアや八人将をゴンベエが拒絶する可能性すらある。そこまで取り乱すゴンベエを俺は想像できないが、マスルールが言うならそれほどなのだろう。

「大丈夫だ。アリババくんも死んだし…俺たちが口を滑らせなければ、"ゼパル"は隠し通せる」

紅玉姫に"ゼパル"を仕込んだ事実を知るアリババくんの死は、ゴンベエに知られる可能性を減らす意味では不幸中の幸いだった。もしアリババくんが生きていれば、自身の親友に仕込まれた"ジン"について、旧知の仲であるゴンベエに相談する可能性はゼロではなかったはず。

アリババくんの元世話係は、"金属器使い"でもなければ眷族でもないし、魔導士でも"マギ"でもない。だからこそ、アラジンやモルジアナとも違う視点を求めてゴンベエに相談する可能性があった。

今のところ、煌帝国の者たちに"ゼパル"は知られていないようだ。八人将で内密にしているつもりだが、アラジンやモルジアナに生前のアリババくんが伝えた可能性はある。アラジンたちからゴンベエに"ゼパル"の情報が漏洩しないためにも、早いうちに内戦を平定しなければならない。

「そういえば、ゴンベエは?全然見かけないが」

「"卑怯"発言のあとから、仕事以外は部屋に籠ってます」

マスルール曰く、乗船員の食事や間食を作るタイミングで厨房に出入りするだけ。厨房に出入りするゴンベエからは、日に日に覇気がなくなっているらしい。

「では、俺が行こう。ゴンベエは俺の話なら聞いてくれそうな気がしたしな…」

「多分逆効果ですよ。普段あれだけ公私の区別をつけるジャーファルさんですら、今回はかなりきてるみたいですし」

「…そうだよな」

これだから、特定の女性を娶りたくないのだ。ゴンベエとは婚姻関係にないにもかかわらず、こんなにもジャーファルは心を痛めている。誰かを"シンドリアの王女"にしてしまえば、その女性の笑顔を守ることが第一になってしまう。

特定の女性のために一国の王たる男が揺らぐなんて、あってはならない。王にとっての最優先は、いつだってシンドリア国民一択なのだ。

「このあとゴンベエに頼む"任務"については?」

「…まだ話していません。とても話せる状況じゃないです」

そう答えるマスルールは、小さくため息をつく。

「"七海連合"の内戦介入だけであんな顔をされたら、片棒を担ぐような任務なんて」

俺たちの食事を作るだけなら、ゴンベエ以外の王宮料理人でもよかった。しかし、ゴンベエにしか任せられない"任務"を頼みたいがために、彼女を待ち続けたのだ。

それは、天山山脈にいる練白瑛の世話。ゴンベエの部屋にピスティのバッグを置いているのは、カモフラージュだ。このあとピスティが乗船することはない。

弟君の命を守るためにササン軍を素通りさせてほしいと練白瑛に頼み、そのまま彼女をこの船に引き込む。そこで、元煌帝国従者で女性のゴンベエを同室に宛がい、世話を頼むつもりだ。白龍"陛下"と煌帝国時代から顔見知りのゴンベエが、姉君と面識がないとは考えにくい。

「…わかったよ。任務については、頃合を見て俺から話そう。だからマスルールは心配しなくていい」

俺の不在のなか、ゴンベエだけでなくジャーファルにも気を遣ってくれたであろうマスルールに、改めて感謝の言葉をかける。ぽん、とマスルールの肩を叩いたあと、甲板の端までゆっくり歩く。視界には、青い海と青い空だけ。

「あと少しだ」

俺に見える運命が導く、次の大きな改革まで。



洛昌を俺が発った翌日、白龍"陛下"率いる東軍と練紅炎率いる西軍が揃って挙兵。のちに"華安平原の戦い"と呼ばれる内紛の火蓋が切られる。それから数日後、俺たちを乗せたシンドリアの船は、天山山脈沖に到着した。



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