事実(130)
アリババ様の葬儀から1夜が明けた午後。夕方にバルバッドを発ち、シンドリアまで紅明様に送り届けていただくことになった。帰国前に話がしたいと紅炎様に呼ばれたわたしは、紅明様と3人で昼食を摂っている。
「ジュダルも、ですか」
アリババ様の最期の戦いについて、食事中に紅明様から説明していただく。そのなかで、アラジンくんと戦ったジュダルが遠くに吹き飛ばされ、この世界には戻れないと知った。大切な人たちの悲しい話に、久方ぶりの煌帝国の料理の味は感じられない。
「何より、白龍様が"堕転"したなんて…」
ムスタシム王女・ドゥニヤ様と同様の、干からびた黒炭のような姿になってしまう、とわたしは口にする。それに反応したのは紅明様で、どういうことかと逆に問われた。
わたしの知る情報を伝えると、誤解だと第二皇子が仰る。干からびた黒炭のような姿になるのは"アル・サーメン"が作る"闇の金属器"の影響であり、"堕転"の影響ではない。そう紅明様は訂正した。
「そうだったんですね」
誤解を解かれたわたしは、"闇の金属器"や"堕転"について一部の情報を国王たちに伏せられたことに気づく。"一介の官職"であるわたしに詳細を知らせる必要はない、と判断したのだろう。4年以上一緒にいても掴みどころのなさを感じさせる国王だが、ある程度なら彼の考え方はわかる。
「ゴンベエ、申し訳ない」
勘違いが正されたところで、突然わたしに謝罪したのは紅炎様。
「俺たちは白龍の首を取る。すでに国は割れ、8割以上の兵が白龍に従う意思を持たん」
「…」
心のどこかで、それが避けられないのはわかっていた。玉艶様を白龍様が討った、と会談で聞いたときから。紅炎様の発言が本当ならば、戦わずとも結果は見えている。
「俺たち同様に白龍を大切に思うおまえには、先に伝えておきたかった」
「…同じなんかではありません」
動揺を抑えて、2人のほうをわたしは向く。
「白龍様をわたしが大切に思うのは…大切に思う一番の理由は、白雄様が命懸けでお守りした弟君だからです。でも、紅炎様と紅明様がお辛いのは、血を分けた従弟だからでしょう?お二人の辛さは、わたしの比ではありません」
わたしの言葉に、2人は口を噤む。初めてわたしから彼の名前を聞いた紅明様は、色々と考えてらっしゃるようにも見えた。
「紅炎様と白龍様、どちらかの首を取るまで終結しない戦など、決して起きてほしくないのが本音です。しかし、それでは中原、いえ…世界から戦がなくならないのでしょう?」
「…その通りですが」
箸を持つ手を紅明様は止める。彼と視線が合うと、箸を置いてわたしは拱手した。
「わたしだって、かつて練家に忠誠を誓った人間です。今は別の王宮で働いているだけで、大帝や白雄様たちの志は理解しているつもりです」
煌帝国の料理を食べながら2人の皇子と話し、シンドリアに帰る時間が迫る。モルちゃんたちやバルカーク殿には簡単に挨拶したが、アラジンくんが見当たらない。とはいえ、西の空に日が沈みつつあった。「時間です」と短く仰って、わたしを紅明様が急かす。
「紅炎様。アリババ様とのお別れの機会を設けていただき、ありがとうございました」
そう言って、拱手とともに頭をわたしは下げる。おもむろに懐から剣を取った紅炎様は、下げたままのわたしの頭の下に柄を差し向けた。意図を図りかねたわたしは、第一皇子の顔を見上げる。
「この剣は、生前の白雄殿下から授かったものだ」
「!」
両手を差し出したわたしは、そっと柄を握った。ずしりと重いこの刀を手にした生前の白雄様を、わたしは知らない。それでも、いい思い出も悪い思い出も、一気に刀越しに蘇る。
「あっ、女を炎兄が泣かせて…って、ゴンベエ?ゴンベエじゃん!」
顔を上げれば、紅覇様。生活物資を運ぶ船でこの地に送り届けていただいて以来、会談で不在だった第三皇子とは8年ぶりの再会だった。
「アリババにも仕えてたから、か…」
わたしの目から涙が引くまでの間、紅覇様に紅明様が事情を説明する。その間も、わたしの手には白雄様の剣が握られていた。一度紅炎様に返そうとしたが、それを彼に拒まれたのだ。
「で、なんで炎兄の"アシュタロス"の剣をおまえが持ってるわけ?」
白雄様への言及の是非を判断しかねた紅明様は、紅炎様とわたしの顔を交互に見た。わたしが説明しようとすれば、「俺が話す」と第一皇子が仰る。
「ゴンベエ。事実を紅覇に告げてもいいか?」
「もちろんです」
わたしが頷くのを確認し、遠い昔の話を紅覇様に紅炎様が説明した。
「…そういうことだったの」
話を聞き終えた紅覇様は、色々なことの合点がいったと仰る。
「だからゴンベエに炎兄は目をかけていたし、あいつの監視を掻い潜ってまでバルバッドにゴンベエを連れ出すよう、僕たちに命じたんだね」
紅炎様は頷く。紅覇様の言葉で思い出したと言わんばかりに、両親について紅炎様はわたしに尋ねた。
「2年以上前にシンドリアに来たので、そのときに会っただけです。子供じみていると思われても仕方ありませんが、紹介状を書いただけの両親がまだ許せなくて」
「"紹介状を書いただけ"?何を言ってるんだ、おまえは」
呆れ顔の紅炎様の口から、8年間知らなかった事実が紡がれる。金槌で頭を殴られたような衝撃が、わたしを襲う。
「うそ…」
さらに眉間の皺を深くして、事実だと紅炎様は即答なさる。一通り話を終えると、背後からわたしの肩を紅明様が叩いた。陽が西に沈みはじめていて、「そろそろ行きますよ」と告げた彼は魔装姿になる。
「紅炎様、紅覇様、ありがとうございました。お元気で」
転送魔法を繰り返してシンドリアに向かう道中、少し踏み込んだ話をわたしと紅明様はした。
「…"アルバ"さえ玉艶に憑かなければ、今頃は同胞だっただろう。あなたにそう言った兄王様の気持ちは、なんとなくわかる気がします」
「そう仰ってくださるのは、素直に嬉しいです。ただ、わたしたちは契りを結ばなかったので。白雄様がご存命でも、練家の籍にわたしが入ってたかはわかりません」
紅明様の背中でそう言えば、「殿下とあなたは想い合っていたんでしょう?」と返される。
「想い合っていたのは事実です。でも、彼の真面目な性格上、"第一皇子の自分"と"一介の官職のわたし"の結婚が、必ずしも歓迎ばかりでないのはわかってらっしゃったはずですから」
「まあ、他国の王族に比べて"一介の官職"は、側室ならまだしも皇太子妃としては不相応ですからね。あくまで一般論ですが」
「仰る通りです。白徳大帝と玉艶様を踏襲して、側室を置かないおつもりだったでしょうし。もし側室だなんて白雄様が仰ったら…当時のわたしは嫌がったと思いますが。当事者のわたしは交際だと思っていても、端から見れば"お手付き"と何ら変わりないのに」
そこまで言ってから、"側室は嫌"だなんて、いくら正室の息子相手とはいえ、紅徳帝の子息への失言だったと気づいた。急いで非礼を詫びれば、「いいから続けてください」と紅明様はつぶやく。
「周りの誰よりも煌帝国の未来を真剣に考えてらっしゃったから。わたしを想う私情よりも、高貴な練家の血を継ぐことを優先されたはずです。だから、無責任に永遠を誓うことは、白雄様も仰りませんでした」
「…"血筋に尊卑の差などない"という白雄殿下の考えは、ゴンベエもご存知でしょう?」
紅明様の問いに、わたしは頷いた。
「それも…白雄様をわたしがお慕いした理由の一つですから。それでも、自分の意思より国民の期待を彼は優先なさったと思います。何より、一国の皇子の婚儀となれば、当人だけの問題ではなくなるでしょう?」
「それはそうですけど」
「それに…王宮料理人として、数年でわたしは煌帝国を離れるつもりでしたから。もっとも、当時のわたしなら仕事より白雄様を選んだかもしれませんが」
白雄様との関係をジャーファルに話し終えたあと、わたしに彼が尋ねた唯一の質問を思い出す。
<もし練白雄が生きてたら、仕事を捨てて練家にゴンベエは籍を入れた?>
ジャーファルに返した答えは、"わからない"。今ほどの大国ではなかったにせよ、当時の煌帝国にも今と変わらぬ勢いがあった。そんな国の皇后や皇太子妃になれば、料理人として厨房に立てなくなるのはわかりきっている。
婚儀と仕事を両立できるなら、迷わず練家にわたしは籍を入れただろう。しかし、それは不可能な話で。婚儀と仕事のどっちを優先するかなんて、当時も今もわからない。相手が白雄様でもジャーファルでも、わたしの答えは同じだろう。
再び2日間をかけ、わたしと紅明様はシンドリアに到着。彼が転送先に設定したのは、偶然にもわたしの部屋だった。
「紅明様、1時間ほどお待ちいただけますか?」
紅明様の背中から降りたわたしは、アバレヤリイカの燻製を急いで三つ用意する。燻したてのそれを一つの袋に束ね、魔装を解いた紅明様に持たせた。
「送迎していただき、ありがとうございました。紅明様、どうかご武運を」
小さく頷いて再び魔装姿になった紅明様は、転送魔法陣に吸い込まれた。
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