毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


同情(088)


「兄ぃ、ジャーファルさんをどうにかしてよ〜」



子供たちを白羊塔の施設に送り届けた午前中。茶菓子とともに嗜む紅茶を淹れながら、俺に愚痴をこぼすのはピピリカだ。彼女曰く、最近ジャーファルが羽根ペンを折る回数が増加の一途を辿っている。妹の上司に何があったのか、滅多に上司の愚痴を言わない彼女に尋ねた。

「…あくまで私の憶測だけど、ゴンベエちゃんと会えてないと思う」

ピピリカ曰く、ここ数日は王宮副料理長が政務室に姿を見せないという。今までは、少なくとも夜番明けは必ずゴンベエが政務室に立ち寄っていたらしい。妹の推測に、俺は少し前の出来事を思い出す。緑射塔のアラジンたちの部屋で、アリババと王宮副料理長が再会した頃のことだ。

親友の死から立ち直れない前任国の元王子を心配するあまり、ゴンベエはしばらくの間彼氏を放置していたらしい。もっとも、再会前のアリババがほぼ絶食に近い状態だったわけで。王宮副料理長の仕事柄、元主を気にかけずにいられなかったのもあるだろう。

そして当時も、政務官が苛立ちから羽根ペンをへし折っていた。そうマスルールから聞いている。

「今までは"数分でもいいから"って、ジャーファルさんに会いにゴンベエちゃんが来てたんだけどね」

「ゴンベエの仕事が忙しいとか、疲れてるとかじゃなくて?」

「そこなんだよ兄ぃ」と、疑問をぶつけた俺にピピリカは語気を強めた。ジャーファルがゴンベエの部屋を尋ねても、近頃は留守がちらしい。留守中のゴンベエの足取りも、まだ掴めていないという。

「…本当に会えてないんだな」

「それとなく他の八人将にも聞いているけど、食堂以外ではゴンベエちゃんを見てないって。"一週間前にゴンベエちゃんとお茶会をした"ってサヘルさんが言ってたけど、ゴンベエちゃんは普段通りだったみたい」

一週間前といえば、煌帝国の皇子と姫君の入国時期と重なる。確か王宮副料理長は煌帝国で働いていたはず。しかし、皇子たちとの関係はわからない。他国の事情はあまり話せないと言って、ゴンベエは過去を話したがらなかった。

東国のことになると、特にその傾向は顕著になる。他の国について同じことを質問したときは即答だったのに、煌帝国に話が及ぶとうまいこと回答をかわされてしまうのだ。

「あっ」

俺がゴンベエの行動に思考を巡らせていると、窓の外を覗くピピリカが声をあげた。

「どうしたんだ?」

妹の背後に近づいて、彼女の頭上から窓の外に目をやる。そこには、王宮に向かう道を歩く六人が見えた。煌帝国の従者四人が、中央の二人を護衛するように囲っている。囲われている二人は、練白龍皇子とゴンベエ。

王宮副料理長は正装に身を包んでいる。つまり、煌帝国の第四皇子と会うのは予定されていたのだろう。国事や就任式などの節目を除いて、シンドリアでは王と会うときすら正装する必要はない。これは堅苦しいのを嫌うシンドバッドの方針だ。

その一方で、王宮副料理長は皇子の横で大きな箱を抱えている。二人は楽しそうに談笑していて。端から見ればとても正装で国賓と会っているとは思えない。気づけば六人は王宮内に入り、俺の視界から消えた。

「皇子様とゴンベエちゃんか…」

「アリババのときと同じで、久しぶりの再会でジャーファルが疎かになったってところか」

「だね」

そう言って窓際から離れたピピリカは、ティーカップに残った紅茶を飲み干した。



「ヒナホホさん、今ご一緒してもいですか?」

食堂で昼食を摂る俺に声をかけたのは、皇子と一緒にいたときとは打って変わって軽装のゴンベエ。ジャーファルも皇子も不在で、一人のようだ。向かいに座るよう促すと、王宮副料理長はトマトパスタを乗せたお盆を卓上に置く。着席するなり、ゴンベエはパスタに大量の香辛料をかけた。

「さっき煌帝国の皇子と歩くゴンベエが部屋から見えたけど、あれは?」

「白龍様…皇子は料理が趣味なので、わたしが色々教えているんです」

今日は夜ご飯を一緒に作るため、午前中に食材の調達に出かけたとゴンベエは話す。

「シンドリアと煌帝国では、獲れる海産物が全然違いますから。ちゃんとした料理は晩餐会や宴で振る舞うので、今日はシンドリアの家庭料理を作るんです」

微笑みながらパスタに香辛料を足す王宮副料理長は、本当に楽しそうだ。思い返せば、書店で初めてゴンベエと会ったとき、夢中で彼女が読んでいた巻物は『シンドリア郷土料理辞典』。王宮料理人ながら、国の伝統的な料理だけでなく、家庭料理や流行の料理にもゴンベエは明るい。

「そうか。いい経験になるといいな」

「ええ、いつまで彼らがシンドリアにいるかはわかりませんが」

白龍皇子の留学期間は、はっきりと決まってない。帰国日のわからない皇子との時間を優先した結果が、ジャーファルの一件だろう。そう俺は心のなかで結論づけた。

「そういえばさ、ゴンベエ」

ジャーファルが荒れていると伝えようとしたとき。王宮副料理長を探す煌帝国の従者が、俺たちの元にやって来る。それに気づいたゴンベエは、すっと席を立つ。間もなくして従者たちが到着し、俺たちの席から少し離れたところで話し始めた。

「ゴンベエ殿、大変申し訳ありませんが…」

謝罪以降は小さい声で聞き取れない。しかし、従者の一人から説明を受けたゴンベエは、すんなりと彼らの説明を受け入れた。煌帝国の従者たちが食堂を去ったあと、王宮副料理長は俺の対面に腰を下ろす。皇子との料理を心待ちにしていた先ほどと一変して、ゴンベエは寂しそうな顔を見せた。

「…皇子との夜ご飯作りは中止になりました。明日、白龍様がシンドリアを発つらしくて…今夜は小規模な宴が開かれるみたいです」

いくらなんでも突然の留学中止は急すぎる。皇子がこの国を発つ理由を、ゴンベエに聞いた。

「先ほどの方曰く、皇子は"迷宮攻略"に向かわれるみたいです」

ただし、シンドバッドが"迷宮攻略"を命じたのはアリババたち。あくまで皇子は"同行"らしい。

"迷宮攻略"の危険性は、この世の誰よりも"七海の覇王"がわかっている。煌帝国の皇帝から預かる子息を安易に危険に晒していいはずがない。もちろん練紅徳帝の許可は必須だろう。しかし、皇帝に掛け合うなら、シンドバッドにも何かしらの思惑があるはずだ。

「ヒナホホさんは"迷宮"に行ったんですよね?」

ゴンベエの質問に、俺は頷いた。いくつかの"迷宮"に行ったのは、シンドバッドと冒険していた頃だ。

「初めて俺が"迷宮"に行ったときは、まだジャーファルはシンドバッドを狙う暗殺者だったよ」

「…そんなに前なんですね」

俺が恋人の名前を出すなり、"迷宮"について詳しく知りたいとせがむゴンベエ。『シンドバッドの冒険書』を思い出せばいい。そう俺は返したものの、意外にも王宮副料理長は自国の王の著書を読んでいないと返す。

「『シンドバッドの冒険書』を読む時間があれば、料理のことを勉強したくて」

いかにもゴンベエらしい答えに、思わず笑いが込み上げてくる。それにあの冒険譚は脚色も多く、史料として不適切な部分があるのは否めない。笑いが収まると、王宮副料理長の要望に応えて俺は遠い昔の話を始めた。



後半の"迷宮"に話が及ぶと、俺の話を聞くゴンベエの表情が変化する。

「…久々にジャーファルに会いたいな」

「最近会えてないのか?」

何も知らないふりをして、俺は尋ねた。ゴンベエは小さく頷く。やはりピピリカの推測通り、政務官の苛立ちの原因は王宮副料理長と会えていないことにあるようだ。ゴンベエ曰く、最近は政務室に顔を出せていない。仕事の合間を塗って、皇子に料理を教えるため彼の部屋に通い詰めていたという。

「ジャーファルとの時間を取れないくらい通い詰めるなんて、随分と熱心だな」

「熱心か…そう、ですね」

否定で返されると思いきや、王宮副料理長から返ってきたのはまさかの肯定。どういうことかと問えば、ゴンベエは少し考えてから口を開く。

「白龍様が熱心な御方なので」

すでに皇子はかなりの料理上手。生半可な知識を教えられない、と王宮副料理長も準備に熱心らしい。

「ゴンベエは寂しくないのか?ジャーファルと会えなくて」

「寂しくないといえば嘘になりますが、わたしが政務室に行かなければジャーファルは仕事に集中できますから。邪魔者がいない分、ジャーファルの仕事が捗るならいいかなって」

満面の笑みを浮かべながら、ゴンベエはコーヒーに口をつける。まったく逆効果なのに。自身の不在がジャーファルに与える影響に、ゴンベエは気づかない。政務室の羽根ペンにその皺寄せが行っていることなど、王宮副料理長は知る由もなさそうだ。

「あっ、そろそろ行かなきゃ」

壁時計を見たゴンベエは席を立った。次の予定を尋ねると、銀蠍塔でスパルトスと約束しているという。ゴンベエが槍術の弟子入りをした旨は、彼女の師匠から聞いていた。

「もう槍術には慣れたか?」

「実は今日が初回なんです」

皇子といた午前中と異なる軽装は、鍛錬のため。それがわかれば俺も納得する。

「じゃあ、行ってきますね」

ひらひらと俺に手を振り、ゴンベエは食堂の外に消えていく。近いうちに政務官の心配事がなくなるのを祈り、俺は冷めたコーヒーに口をつけた。



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