毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


三音(081)


よく晴れた日の昼。官服から私服に着替えた朝番明けのわたしは、首を左右に捻って目当ての人物を探す。頭に思い描く姿が見えずため息をつくと、遠くに3人分の人影が見える。そのなかで先頭を歩くのは、四月ぶりの主だ。

主に挨拶すべく小走りで彼らの元に向かうと、3人で最も長身の赤髪のファナリスの視線がわたしに向く。その動きに釣られるように足を止めたのは、緑色のクーフィーヤを被った政務官。

遠くからは恋人に隠れて視認できなかった小柄なファナリスとの話に夢中だった国王も、ようやく顔を上げて視線をわたしに向けた。顔の動きに合わせて揺れる紫色の髪に、"一介の官職"、いや一国民としての安堵を覚える。

「ゴンベエ、ただいま」

「…お帰りなさいませ、国王。ご無事のご帰還、何よりです」

緑射塔の廊下で、先ほど帰国したばかりの国王に拱手した。洛昌からの長期の船旅にもかかわらず、わたしの1歳上の主はケロリとしている。さすが船乗りの息子、と感心していたわたしに声をかけたのは、国王の隣にいたジャーファル。

「誰か探してるの?」

どうやらマスルール様がわたしに気づく前から恋人はわたしに気づいていたようで、人探ししていたところを見られていたらしい。目当ての人物をわたしが伝えると、ちょうど彼らの元に行くところと政務官は続ける。

「シンが帰ってきたから、会談の結果を伝えに行くんだ」

どうせ目的地は一緒なのだから一緒に行かないか。そう国王に問われれば、わたしに断る選択肢はない。頷いたわたしが横並びになっていた4人の列に加わると、緑射塔の廊下を塞いでしまう。

自ずと男性陣3人が前を歩き、モルちゃんとわたしが彼らの後ろをついていく形になる。昨日の昼に会って以来のファナリスに視線を向けると、大きな瞳を彼女もこちらに向けていた。

「どうしてゴンベエさんはお2人のところに?」

「来週のおやつのリクエストを聞こうと思って。モルちゃんも食べたいものがあれ」

「シンドバッドさん!お帰りなさい!」

ずっと探していた人物の声がするほうに、わたしたち5人は振り返る。タタタと足音を廊下に響かせながら走ってくるのはアリババ様。廊下を走るなと普段は注意する政務官も、今回はにこやかな笑みを浮かべてアリババ様を見守っていた。

「おお、アリババくん!久しぶりだな!」

「四月前、シンドバッドさんが国を発って以来で!それからずっとこんな豪華なところで…お世話になってしまって…」

アリババ様の接近につれ、国王からは再会の歓喜が消えていく。逆に濃くなっていくのは困惑の色。

「それはいいが、アリババくん…。君…太った?」

「えっ?そうかな?」

体型の変化を指摘され、自身のお腹をアリババ様はさする。

確かに、再会したときに比べてアリババ様の身体は丸みを帯びた。それは紛れもない事実だ。しかし、アリババ様は17歳の男の子。食べ盛りの男の子なら、食べただけ身体が吸収するのは無理もない。

それに、シンドリアに来た当初とアリババ様のお召し物は同じ。つまり、多少ふくよかになったものの元の服が着られないわけではないのだ。入国当初と同じ服を着られる以上、決して太りすぎとはいえないだろう。わたしたち料理人や医務官は、そう判断している。

「そういえば少し…。いや、ここで頂く食事がどれもすごくおいしくて」

「ふふふ…」と、アリババ様の答えにジャーファルとわたしは揃って笑みを零す。毎日顔を合わせる度に、王宮食堂で提供する料理をアリババ様は褒めてくださる。ちらりとわたしに視線を向けた元第三王子は、キラキラと目を輝かせていた。

「お口に合いますか?」

「はい!昨晩のパパゴラス鳥の丸焼きは絶品でしたよ!」

恋人の問いに、満面の笑みでアリババ様が返す。パパゴラス鳥はアリババ様の好物。シンドリアの森に生息するパパゴラス鳥は、保護を理由に頻繁に提供できない。そのためパパゴラス鳥を調理するときは事前にアリババ様にわたしが教え、わざとお腹を空かせた状態で彼は食堂に向かうのだ。

「あれはね、24時間かけて低温でじっくりローストしてるの。昨日出したのはわたしが絞めて下味までやったんだ」

「さすがゴンベエ」

おいしさの秘密を横から教えると、政務官とアリババくんが声を揃えた。ちなみにアリババ様への呼称と敬語は、マスルール様たち同様の措置を取ることで落ち着いている。つまり、敬称は"様"のままで敬語は使わない。この着地点にアリババ様は不満げだったが、これがわたしにできる最大限の譲歩だった。

「…ん?アリババくんとゴンベエは、すっかり仲よしなんだな」

わたしたちの距離感に疑問を持った国王は、なぜか視線をジャーファルに向ける。その意図がわからずアリババ様と揃って首を傾げるわたしと主を交互に見た政務官は、ややオーバーにため息をつく。眉間に皺を寄せたまま顔をこちらに向けた恋人は、目尻を下げてニタニタする国王への説明をわたしに求めた。

「実は…」

バルバッド時代のアリババ様とわたしの関係を、簡潔に国王に説明する。煌帝国にいる間に八人将たちからは何も聞いてなかったようで、わたしの話に"七海の覇王"は目を丸くした。

「そうだったのか…しかしバルバッド時代の話は聞いていたが、世話を焼いていた王子がいたなんて初耳だな」

今まで隠していたことを指摘する国王に、苦笑いを浮かべるのでわたしは精一杯。もっとも、アリババ様のことを隠していたからと国王に責められることはない。他国の王族の事情…さらに言えばバルバッドの第三王子は"隠し子"と噂された存在。たとえ仕える主や恋人だろうと、アリババ様の話などできるはずがなかった。

「それよりシンさん。ジャーファルさん、アリババにまで嫉妬してたんすよ」

アリババ様とわたしから話題を逸らしたのは、ここまで無言を貫いていたマスルール様。小さな声で爆弾を投下するファナリスを政務官が下から睨みつけるものの、悪びれる様子はない。ジャーファルは必死の抵抗を見せるが、それを聞いた国王はぐっと口角を上げて再びニタニタしはじめた。



アラジンくんを探しながら、再びわたしたちは緑射塔の廊下を進む。道中の話題は、シンドリアを国王が留守にしていた間のアリババ様で持ちきりだ。

「最初の頃は喉も通らなかったんですけど…。でも、カシムのためにも立ち直らなきゃって、そう思ったんです!」

"カシムくん"のことは、わたしもバルバッド時代にアリババ様からよく聞いている。もっとも、仕えた王子の親友と直接の面識はなかった。つまり"カシムくん"について知ってるのは大雑把な人物像だけで、彼の姿も声もわたしは知らない。

その気になれば知ろうとすることもできただろうが、わたしは"カシムくん"を知ろうとしなかった。"一介の官職"としてどうあるべきかを幼少期から両親に叩き込まれて育ったわたしにとって、スラムは未知の領域。世間一般のスラムのイメージと"カシムくん"が違うのはわかっていたが、20年以上前から教え込まれたイメージを覆す勇気を持てなかったのだ。

故郷の海洋国家をアリババ様が去って以降、すっかり彼の親友のことなどわたしは忘れていた。そして、この度の元第三王子との再会を機に、"カシムくん"のことをわたしは思い出したのだ。

アリババ様との再会からしばらくして彼から聞いた、"カシムくん"の最期。先王によってバルバッド城にアリババ様が引き取られたことで、2人の関係に溝ができたところまでは容易に想像がつく。しかし、"カシムくん"をほとんど知らないわたしですら涙せずにいられないほど、彼の最期はあまりに壮絶で辛かった。

「バルバッドのような戦乱をもう起こさせないためにも、"世界の異変"と戦う覚悟はできています!」

「そうか!」

元王子とはいえまだ17歳の少年にすぎないアリババ様の健気さに感心するうちに、わたしたちは目的地に到着。先刻までここでアラジンくんと一緒に食事を摂っていた、とアリババ様が先導してくださったのだ。

「アラジンはまだ食事中なんです。おーいアラジン、アラジン!」

給仕と食事を楽しむアラジンくんを、大声でアリババ様が呼ぶ。しかし、返事はない。その代わりにアラジンくんがいるであろう位置からは、得体の知れない音が聞こえる。咀嚼音のようで違う、何度耳にしても聞き慣れない異音だ。

その音にびくりと肩を震わせるのは国王。彼がシンドリアを留守にした間にこの音に聞き慣れたわたしたちは、表情一つ変えずにいて。そんなわたしたちに視線を向ける国王は、ごくりと唾を飲む。きゅっと右手の握り拳に力を込めた"七海の覇王"は、意を決したのかゆっくりと左足を前に出した。

「おいしいねえ、みんなおいしいねえ」

空けた皿をうず高く積むアラジンくんは、わたしたちに視線すら向けずにモリモリと食べ進める。出会った当初のアラジンくんの少食ぶりはどこにもない。

ここ最近のアラジンくんの食べっぷりはマスルール様以上。10代前半と思われる男の子でも、かなり食欲旺盛な部類だと思う。むしろ過食気味が気になるものの毎回すべての皿が空で返却されるため、料理人としての自尊心を満たしてくれるアラジンくんをわたしは注意する気になれない。

「あっ、おかえりなさい!シンドバッドおじさん!」

わたしたちの到着から数分。ようやく振り返ったアラジンくんは意気揚々と左手を挙げた。右手には、かぶりついた跡のあるパパナップル。アリババ様に比べるとアラジンくんの太り方はすさまじく、乳房を自給自足している。

「ああ、ただいま」

国王を一瞥してすぐ食事を再開したアラジンくんの背中に、国王の声が弱々しく響いた。



食事を終えたあと、アリババ様とアラジンくんを国王が呼び出す。理由はわからないが彼らとともに国王の部屋に来るよう、わたしも命じられていた。

まず国王が呼んだのは、アリババ様とアラジンくん。2人の一歩後ろに下がったわたしは、3人の様子を無言で伺う。小さくため息をついた国王がアリババ様たちに下した命令は、たった3音。

「走れ」

命じられるがままに中庭に飛び出した2人を、じっとわたしは見つめる。たくさん運動したらお腹が空くだろうし、おやつを用意しなきゃ。そういえば来週のおやつのリクエストを聞いてないな…なんて思いながら小さくなる2人の背中を眺めるわたしを、国王が呼んだ。

「ゴンベエ、おまえは2人の減量に協力してくれ」

わたしを国王が呼んだ目的は、彼らへの食事制限と減量食の提供命令。国王に命じられた以上、"一介の官職"であるわたしに拒否権はない。つまり今日の運動後のおやつを用意できないのはもちろん、来週のおやつのリクエストを彼らに尋ねる必要性もなくなった。

「シン、どうしました?…あれ、どうしてゴンベエがここに?」

国王の命令をわたしが受け入れたところに現れたのは政務官。彼は何も聞かされていないようで、わたしの存在に戸惑いを隠さない。そんなジャーファルの様子を意に介さない国王は、わたしの隣に並ぶよう彼に命じる。

「ジャーファル…いや、ゴンベエも。おまえたちはアリババくんとアラジンを甘やかすな」

国王からジャーファルが叱られる珍しい場面として、この光景はわたしの記憶に刻まれた。



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