「卒業したら、実家のある方に帰ろうと思う」
 学生が一人で暮らすには少し広い部屋の真ん中、彼女は書きかけのデータから顔を上げず思い出したかのように口を開いた。急なことに言葉が出てこなくて、言いたいことは山ほどあるのに、ゴムで栓でもされたかのように息も吐き出せない。かろうじて押し出した「そうですか」という掠れ気味の声は酷くみっともないもののように思えた。
「……就職の関係ですか」
「うん」
「こっちの方じゃ、ダメなんすか」
「配属先が、ここからだと通いづらいんだよね。だから、帰る」
「……そうですか」
 カタカタとキーボードを叩く音だけが時折止まって、しばらくしてから再開する。手に持っていた雑誌の続きは目が滑ってもう頭に入ってこない。一月の頭。春がくるまで、あと三ヶ月もない。
「とりまるくんはさぁ」
「はい」
「次はちゃんと、年相応の女の子と付き合いなね」
 この部屋の主は一度も顔を上げることもなく、声を振るわせることもなく、エンターを押してからデータを上書き保存して、ぱたりとノートパソコンを閉じた。

「どこにもいかない、普通の女の子と付き合いなね」

 そう言ってなまえさんはふにゃりといつものように笑ってみせた。そんな顔をされたらもうなにも言えない。俺はこくりと頷いてみせた。
 それが、それだけが、この部屋にある、いつかこの部屋にあった俺たちの真実なのだ。


アネモネにくちなし



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -