「なまえ、こっちこっち!」
「ちょっと待って!」
いそいそと嬉しそうに前を行くピンクを追いかける。いい席を見つけたのか、どこか気分良さげで鼻歌混じりの声が聞こえた。
「見て、すごいいい席じゃない?」
「どこもさして変わらないんじゃ」
「いいから!!外!!」
「……あ、すごい。きれい」
窓の外には近くの海岸が広がっていた。波が打ち上げられては白い泡を立てながら引き、また打ち上がり、を繰り返している。私の目には無彩色な世界にしか思えないけれど、きっと彼の目には色鮮やかな美しい世界が広がっているんだろう。そしてなにより、そんな単調な世界を見ている私でさえこの光景を美しいと感じた。
彼が言うには、なんでこここは海が見えることで割と人気のあるカフェらしい。休みの日なんて連日長蛇の列になるそうだ。しかし今はちょうどテスト期間、学校は早く終わる。そんなわけで私を誘ったらしい。
「へー……なんで私を誘ったの」
「なまえなら断らないかなって。それに、暇そうだし」
「ハイハイ、私は万年帰宅部の暇人ですよーだ」
……正直、期待しなかったと言ったら嘘になる。本当は私だから誘っただなんて言われてみたかった。でも彼は私以外にも誘う相手なんていくらだっている。
「暇そうだから」、「断らなさそうだから」。そんな相手なら誰でもよくて、一番近くにいたのが私だっただけなんだろうな。それが悔しくて、ちょっとだけ悲しくて、でもそんなのばれたくなんてないから海を眺めているふりをした。
「それでね、それだけじゃないんだ。ここ、なんでもケーキの種類がいっぱいあるみたいで、しかもどれも美味しいんだって。だからそれが食べてみたくって!」
「……トド松って、たまに私よりもずっと女の子みたいなこと言うよね」
「だって僕、可愛いからね」
「……腹立つなぁ」
「もう、こんな話がしたくて誘ったんじゃないよ!ほらほらとりあえず先に行ってきて!荷物、見ててあげるから」
「はーいママー」
「僕はなまえのお母さんじゃありません!」
カバンから財布を抜き出し、のそのそと席を立つ。カウンターの方に行けばそこには大きなショーケースがあって、中にはたくさんの種類のケーキが所狭しと並べられている。しかし私にはどれがどれだかわからない。かろうじて、あれはイチゴが乗ってるからショートケーキかな、とか、あれは形的にフルーツタルトとアップルパイだ、みたいに分かるだけで、全部が全部の種類が分かるわけではない。
どうしたものか、と首を傾げているとカウンターのお姉さんが笑顔で話しかけてきた。
「お決まりですか?」
「あっ……ええっと、これで」
咄嗟に指差したのは少し色の薄いケーキ。上にはちょっとだけ粉がかかっている。色的にはココアクリームのチョコレートケーキだろうか。飾りクリームの装飾が見事で思わず選んでしまったけれど、まぁなんとかなるだろう。
笑顔のお姉さんがショーケースからケーキを取り出す様をボーッと眺める。無駄のない手つき。もう何十回と何百回と繰り返した動きなのだろう。ぷかぷかとそんなことを考えていると、いつのにかケーキがお皿の上に鎮座していた。お姉さんがこちらを見てまた口を開く。
「セットでお飲み物をお付けできますが、どうしますか?」
「ホットロイヤルミルクティーをお願いします」
テキパキと用意されるコップに茶葉をただただ他人事のように眺めていた。気づけば注文したものはもう全てトレーの上にあって、あわあわとお金を支払ってトレーを受け取った。
少しだけ重いそれを落とさないように席に戻る。トド松はスマホに目を落としていた。
「ただいま」
「おかえりー……あれ」
「なに?」
「なまえ、抹茶食べるんだ」
「えっ」
スマホをポケットにしまい込んだトド松が私のケーキを見つめてポツリと呟く。まっちゃ。抹茶。確かに彼は今、そういったはずだ。
「えっ、違うの?」
「いや、ううん、そうじゃなくて……私が抹茶食べるの、意外?」
「うん、前に抹茶はそこまで得意じゃない、みたいなこと言ってなかった?それに、いつもチョコ系のお菓子食べてるし。違った?」
「……全、然、まちがって、ないけど……」
どうしようもなくて視線を下に逃がすと、トド松が席を立ってカウンターに向かっていった。そうか、私が頼んだこれは抹茶のケーキだったのか。
抹茶は嫌いってわけではないけど、そこまで好きというわけでもない。むしろココアとかチョコレートの方が好きだから、ケーキを頼む時は専らそちらを頼む。惜しいことをしてしまった、なんて考えながらミルクティーに口をつけた。アールグレイの香りが口に広がる。紅茶に抹茶だなんて、少し無粋なことをしてしまったかもしれない。
帰ってきたトド松はフルーツタルトとカフェラテをトレーに乗せていた。二人でいただきます、なんて声を合わせてフォークをケーキに差し込む。口に運んだ抹茶のケーキは思っていたより美味しくて、でも私が求めていた味ではなかったから少しだけ眉を潜めてしまった。
「……なまえ?」
「なに?」
「美味しくなかった?」
「なんで?美味しいよ?」
「眉間にしわ寄ってる」
「えっうそ」
「考え事?」
「……そんなところかもしれない」
もう一口、口に運んで、ミルクティーを流し込む。抹茶と紅茶の香りが混ざり合って、なんとも言えない味がした。私の恋心もこういう味がするんだろうか。視線を逃した先の海はただただ広くて美しくて、でもなんだか少しだけ悲しくなった。
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