紙パックのネクターを思い切り吸い上げる。空になりかけたそれからは空気のズズッ、という汚い音がした。
目の前がふっと真っ暗になる。タバコの匂いがした。
「だーれだ」
おちゃらけた声に笑った顔がやすやすと想像できる。
「松野君」
「何番目の?」
「一番目」
「せーかーい!」
ぱっと視界が明るくなり、右側からにたりと笑ったよく知る顔が覗き込んできた。私には認識できないけれど、多分そのパーカーは赤色だ。
「ちぇーっ、いけると思ったんだけどな」
「分かり易すぎるよおそ松、声は変えられても匂いは誤魔化せてない」
「えっ、俺臭い?」
「違う、タバコ」
すんすんと自分の学ランに鼻を寄せるおそ松のおでこをぺちんと叩く。ヘラヘラ笑いながら「いってぇ」と言って、彼は私の横に腰掛けた。
「いい加減禁煙しなよ」
「これは俺のアイデンティティーですーやめませーん」
「じゃあ私のことは一生騙せないね」
「へへ、結構結構。俺を認識してもらえるならなんだって」
「……その口説き文句は、私以外に使ったほうがいいと思うよ」
「じゃあいつか俺に彼女ができたときに使うことにするわ」
そんな機会くるのか、と問おうとしてやめた。世の中何があるかわからないし、これを言っておそ松が拗ねたらあとが面倒臭そうだ。誤魔化すようにして足をぷらぷら揺らす。暖かい陽射しにとろりと意識を溶かしてしまってもそれは幸せだろう。
「赤とピンクって、ほとんど一緒じゃん。それでも認識できねぇもんなの?」
「どうだろう、物によるかも。でもおそ松のパーカーの色は私にはわからないな」
「じゃあ俺が青のパーカー着ててもんかんねーってことか」
「そうだろうね」
「ふーん」
ローファーの爪先で小石を蹴り飛ばす。勢いよく飛び出したそれは五メートルほど飛んでからマンホールの穴に落ちた。
「何飲んでんの」
「ネクター。桃のやつ」
「一口くれ」
「いいよ、あげる」
ほとんど空になりかけたパックを手渡す。げ、とおそ松が顔を歪めた。
「入ってねーじゃん」
「うん」
「なんだよー!ゴミ渡すなよー!」
ぐしゃり。潰されたパックがゴミ箱に向けて投げられる。綺麗な放物線を描いたそれは吸い込まれるようにゴールへを落ちていった。
「よっしゃ、我ながらナイッシュ」
「あれ、パックじゃなくてペットボトル用だけど」
「えっマジか……まあいいや、ゴミだから変わんねーだろ」
「いや変わるでしょ」
お互いに言い合いながらもどちらも取りに行く気はない。だって、ゴミ箱に手突っ込みたくないし。そのままぽつりぽつりと他愛のない会話を続けていると、おそ松が声のトーンを落とした。
「なまえ」
「なに?」
「……トド松には、伝えてないのか」

ひゅっ、と、息の詰まる音がした。心臓が握りつぶされたのではないかというくらい、強く痛む。あまりにも真剣すぎる眼差しに思わず視線を下げた。

「ーー言えるわけ、ないじゃん」

トド松は、松野毛六兄弟の末っ子だけあって自分が愛される方法をよく知っている。だから女の子から人気があるのだ。それに本人も気づいているだろうし、だからああなのだろう。
おしゃれして可愛く着飾る女の子たちと、がさつで男っぽい私。彼がどちらを選ぶなんて、そんなの言うまでもない。
詰まるところ私はただ怖いのだ。彼のそばに居られるならと自分で築き上げたこの居場所と目の前にある高い壁を、自分の手で崩し倒すことが。そんな無謀なことをしてこの場所を失うくらいなら、私は一生このままだって構わないのだ。
「私は、臆病なんだ」
コンクリートの地面にぽつりぽつりと歪な水玉模様が描かれる。
おそ松の手が背中を緩く撫でる。時折ぽんぽんと頭に触れる手が、苦いタバコの匂いがどうしようもなく優しくて、嗚咽を堪えながら泣いた。

「俺は、大丈夫だと思うんだけどなぁ」
おそ松が小さくそう零す。そんなことはない、なんて返すのは野暮な気がして、「ありがとう」と呟いた。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -