うでいっぱいのほしくず

 しれっとこの日にシフトが入らないようにしていたのは私だけの秘密だ。それとなく探りを入れてみたものの、京介くんの5月9日は、私が思っていたよりかなり忙しいみたいだった。学校に行って、バイト先に向かって、ボーダーの人たちと会ってから家に帰る、らしい。そんなに忙しいなら時間を取ってもらうのも申し訳ない気がしてしまって、でも私は京介くんと付き合ってるわけで。楽しんできてね、と言いたくなったのをぐっとお腹のなかに押し込んで、できるかぎり声が震えないように気をつけた。
「……ちょっとだけ会えたりしたら、嬉しいなって、思ってるんです、が……」
 じわじわと言葉尻が弱くなって、釣られるように視線が落ちる。手に持ったお皿を拭う布巾はずっしりと水分を含んでいて、もう役目を果たせそうにない。ずるい聞き方したかも。断れない言い方しちゃったな。言ったあとに後悔ばかりがつのる。それでも、忙しかったら気にしなくていいね、とは言いたくなかった。少なくとも気にしてほしいと思うのはやっぱりずるいだろうか。
「会ってくれるんですか?」
「えっ」
「卯月さん、忙しいかなって思ってたんで」
「……いそがしくは、ない、けど……大学生だし……」
「大学生って忙しいものじゃないんですか」
「……ひとによるんじゃない?」
「そすか」
「うん」
 水道の音だけがキッチンに聞こえる。ラストオーダーはもう過ぎていて、可能な限りのバッシングはもう済ませてある。シンクに残っている食器を洗えば、今手をつけられる仕事は全て片せるだろう。京介くんが緩慢にスポンジを握った。手のひらから泡が溢れる。
「……わがまま言ってもいいですか」
「うん」
「誕生日、祝ってほしいです。……会ってくれるなら」
 ひどくかわいい我儘だと思った。顔を上げれば、京介くんはじっと私のほうを見ていて、それからふいと顔を背けた。耳が赤い。
「……卯月さんが、いいって言ってくれるなら」
「い、いわう……いっぱい、いわう」
「はは、いっぱい祝うってどういうことすか」
 京介くんは嬉しそうに肩を揺らして、洗い終わっていないグラスを一つ拾い上げた。
「会えないと思ってたから、嬉しいです」
 その言葉を聞いて、私はなんだかむずむずするような、嬉しいような恥ずかしいような、どう言い表したらいいかよくわからない気持ちになって、誤魔化すように手に持っていた布巾を使用済みボックスに投げ込んで新しいものを引っ張り出した。洗い上げられた食器がかごにかこかこ積み重ねられる。手に取ったグラスに照明の光がきらきら反射した。ちゃんと言えて、よかったな。ちょっとだけそれが誇らしかった。

◇◇◇

 いつの間にか太陽が昇ってから沈むまでの時間が随分と長くなっている。図書館での資料探しと授業の予習が一段落ついたころ、スマホの通知が浮かんだ。テキストを詰め込んだトートバッグと小さな紙袋を携えて建物を出る。大学の敷地の境目を踏み越えながら返事を送った。
 待ち合わせ場所の公園に着くと京介くんが鉄棒に寄りかかりながらスマホの画面に目を落としていた。じゃり、と私の足が砂を踏みしめた音に反応して伏せられていた目が上がる。絵になる、とはこういう人のことを言うんだろう。日の落ちかけた夕空はオレンジと青のグラデーションがはっとするほどに美しい。いつかの展覧会で見た絵画を思い出した。
「待たせちゃったね、ごめん」
「ぜんぜん、待ってないです。いまきたところなんで」
 公園と道路の境界を踏み越えて、京介くんに並ぶように鉄棒に背中を預ける。春の名残の風が芽吹いたばかりの新緑を撫でて去っていった。息を吸い込んで、一拍。
「おたんじょうび、おめでとう」
「ありがとうございます。うれしいです」
 もう半歩横にずれれば腕が触れ合うだろう。ざり、と靴底に砂が擦れる音がした。
「いろんな人にお祝いしてもらった?」
「はい。……みんな祝ってくれました」
「そっか」
「でも、卯月さんに祝ってもらえたのが、一番うれしいです」
 京介くんは私のなんでもないことばのひとつひとつを全部を拾い上げては嬉しそうにするものだから、いつも私はなんだか許されているような気がしてしまうのだ。顔を上げると京介くんがじっと私のほうを見下ろしていた。このひとって、いつも私を見るとき、好きだなぁってかおしてる。欲目なのかもしれないけれど。
「あのね」
「はい」
「……ぷれぜんと、選んできたんだけど……よかったら、受け取ってほしい」
 片手に持っていた紙袋を差し出す。京介くんは壊れものでも扱うかのようにそれを受け取った。
「開けてもいいですか?」
 こくりと頷く。紙袋の底に座り込んでいる箱は少しだけ重みがあることだろう。遠くでよいこに帰りを知らせるチャイムが鳴った。紙のスリーブから中身が引き抜かれる。京介くんは目を丸くして箱の中身を取り出した。
「いろんなところで使うかなって思って、シャーペンにしたんだ。……ちょっとだけいいやつ。京介くんのために選んだから、使ってもらえたら嬉しいなって……おもって、います」
「……これ、もらっていいんですか?」
「もらってくれなきゃ、こまる……」
「困るんですか」
「こまる。……こまるし、おちこむ……」
「返せって言われても返しません」
「言わないよ」
「じゃあ、もらいます」
 京介くんは取り出したシャーペンを丁寧に箱に戻して紙袋にしまい込んで、さっき私がしたみたいに半歩横にずれた。腕が触れ合う。
「……ずっと、だいじにしますね」
 永遠とかずっととか、あんまりそういうのは信じていないけれど、なんだか京介くんは本当にずっと大事に持っていてくれる気がして、またむずむずした気持ちになりながらこくりと頷いた。
「俺、卯月さんに誕生日祝ってもらえるの、本当に嬉しいんです。……今日祝ってもらった中で、一番うれしいです」
 手の甲が擦れて小指を掬われる。京介くんは私の肩へ凭れるように頭を預けてくすくす笑った。私はそれに応えるように頬を寄せた。たぶん、愛しいってこういう気持ちのことを言うんだろうな。



2023 0509 烏丸京介くんお誕生日おめでとう!




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -