春に吹く風がいちばんつよい

 バイト中の、昼時を過ぎて客もまばらに落ち着いてきた頃合いだったと思う。いくつか上の先輩(4つ上だったと思う、つまり彼女は成人したてだ)と他愛もない話をぽつぽつと交わす中で、どういう流れだか思い出せないのだけれど、先輩は俺が長男だと知って驚いたように目をまんまるにした。
「烏丸くん、お兄ちゃんなんだ!?」
「まぁ、下に4人ほど」
「きょうだいとは仲良いの?」
「人並みには」
「スーパーお兄ちゃんだ……」
「そうですかね」
「そうだよ! 私も弟いるけど全然お互いに関心ないし……しばらく会ってないけど」
 まぁ元気にしてるでしょ、なんでからりと先輩は笑った。
「そっかそっか、お兄ちゃんなんだ。でも確かに言われてみたら烏丸くんがお兄ちゃんなのすごいしっくりくるなぁ。仕事中も細やかな気遣いとかすごいよねぇ」
「……そうすかね」
「もー、謙遜しなくていいんだって! 烏丸くんはすごいんだから、自信持ってよぉ」
「先輩の教え方が上手いおかげです」
「そんなことないって。烏丸くんのほうが私よりずうっとしっかりしてるもん」
 それは、どうなんだろうか。先輩は俺の気遣いが細やかなところまで行き届いている、と言いたいのだろうけれど、それは全部先輩をみて学んだことだ。グラスの水がさんぶんめくらいになったらピッチャーを持っていくところだとか、先に小銭を手渡ししてからレシートとお札をまとめて渡すところだとか、雨の日には「足元お気をつけくださいね」と送り出すところとか。俺よりも先輩のほうがよっぽどすごくて、でもなんだか先輩はそれを素直に受け止めてくれない気もして、なんとなく飲み込んでおいてみる。先輩は相変わらずにこにこしていて、それからあっ、と声を上げていそいそと従業員用のマグカップをふたつ持ってきた。
「寒いしあったかいお茶淹れるね」
「いいんですか?」
「だいじょーぶ、これ私の私物だから」
 へらりと笑った先輩が隅の方の棚にちょこんと置いてある箱からふたつ、小さな包みを取り出す。少しいいものなのだろうな、というのはなんとなくわかった。
「烏丸くん、紅茶好き?」
「……好きか嫌いかで言われれば」
「んはは、そうだよねぇ」
「先輩は、好きなんですか?」
「うん、好き。職場に持ち込んじゃうくらいには」
 ぴり、と破かれた封からティーバッグがちょこんと顔を出す。先輩はそれぞれのマグカップに一つずつ落として、ケトルからとぽとぽとお湯を注いだ。ほわ、と立ち上った湯気からはうっすらと紅茶の香りがする。別の棚にあった小皿がふたつのマグカップをふさぐ。
「おうちでもお兄ちゃんで頑張ってるんだね」
「頑張っては……いないと思うんですけど」
「五人きょうだいのおにいちゃんは頑張り屋さんだよぉ」
 店内に流れている落ち着いたジャズのリズムに合わせて先輩がのんびりと体を小さく揺らす。マグカップに目を落としながら彼女はたった今思いついたように口を開いた。
「ここではお兄ちゃんしなくていいからね」
「……えぇ、と」
「あ、や、変な意味じゃなくて……なんて言えばいいんだろ……ほら、私にとって烏丸くんはかわいいかわいい後輩だからさ。ここでは私のこと頼って、めいっぱい甘やかされてよ」
 ふにゃ、と笑った先輩の顔は照明のせいかほんのり赤らんでいて、どきりと胸が跳ねた。固まっている俺を見て慌てて先輩が手をわたわたと振る。
「ちが、ちがう、なんかこう変な言い方になっちゃった、その、先輩だからなんでも聞いてねってことで、いや私もそんなにたくさんのことできるわけじゃないし、頼り甲斐ないかもしれないけど、」
――このひとは、俺に詳しくないから。後輩としての俺しか知らないから。
「……いつも頼りにしてます、眞白先輩のこと」
「へぁ、」
「俺の憧れです」
 先輩はまた目をまんまるにした。その目には店内の照明がきらきらと瞬いていて、俺はなんとなく、冬の朝みたいだな、なんて思う。それから先輩はぽかんと開けていた口をきゅっと結んで、ぽぽぽ、なんて音がしそうなふうに顔を赤くして、いじらしく目を伏せた。
「……そっ、か……」
 なんだか照れたような声がどうしようもなく愛しくて、きゅうと胸のあたりがすこしだけ苦しくなる。先輩がマグカップに乗せた小皿を外す。陶器が擦れてかちゃ、と小さく音を立てた。かこん、とシンクに小皿が置かれる。ふたつめのマグカップに手をかけようとしたところで店のドアが開いた。からんころん、とドアベルが音を立てる。先輩はぱっと顔を上げてぱたぱたと入口に向かった。
「いらっしゃいませ! 二名様ですか?」
 先輩の溌剌とした声が店の中に響く。俺は、目の前に置かれたマグカップの湯気がたちのぼっている方になんとなく目を落としながらぱちくりと瞬きをして、それから、ほんのりと漂ってきた紅茶の香りに誘われて、ぱちん、と胸の内の何かが弾けたような気持ちになった。

 俺が、この人のことが好きだと思った日のことだ。




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