うさぎは夏に泣かない

※烏丸京介が黒トリガーになる話です。
捏造と自己解釈が過多に含まれます。また、太刀川慶の結婚を匂わせる表現があります。


 西暦20××年長期遠征報告。
 遠征参加隊員17名(オペレーター含む)、うちA級12名、B級5名。
 帰還隊員16名。未帰還隊員1名。

 黒トリガー1振。

◇◇◇

 A級ランク外玉狛第一所属の烏丸京介が長期遠征から黒トリガーとして帰還したという報告が上層部へなされたのは桜の花びらが舞い散り、青々とした若葉がすでに生い茂って朝顔の梅雨が煌めく夏に差し掛かった美しい晴れの日のことだった。
 一通り経緯の報告があり、参加した隊員への労いの言葉の後、B級やオペレーター含む隊員を退室させたのちにA級隊長および玉狛第一を席に交えて黒トリガーの扱いをどうすべきかという話し合いの場が開かれた。参加隊員は誰もが口を開かず、上層部のみが言葉を交わす。さしずめ葬式の如く、鉛のように重い空気が漂う。どの隊員に使わせるべきかという話に差し掛かったところでA級一位太刀川隊隊長、太刀川慶が思い切り机を叩き立ち上がった。誰しもが彼の方に視線をやる。部屋が一瞬にして静まり返った。まさしく水を打つという表現がぴたりと当てはまる状況。長身をゆらりと揺らし、煩わしげに頭を掻き彼は口を開いた。
「……眞白卯月−−烏丸卯月への報告は、どうするんですか」

 それ以上は、誰も、なにも言わなかった。
 否、何も言えなかったのだ。

 烏丸京介は高校卒業と同時に正式にボーダーへ社会人として籍を置く身となったが、それとは別にもう一つ肩書を得ていた。かねてより交際していた恋人との入籍を果たし、社会人という肩書きと同時に夫、という肩書きも手にしていたのである。俗的にいうならば所帯を持つ男であった。
 元来、遺品というものは配偶者の手に渡るものである。それに従うならこの「かつて烏丸京介と呼ばれていた黒トリガー」はその伴侶である烏丸卯月、旧姓眞白卯月の手元に渡るはずである。しかしながらここボーダーではそうもいかない理由があった。ここでは、未知の技術を扱う。外には持ち出せない情報を扱う。それが街の平和、ひいては世界平和に繋がるのだから。隊員はみな遠征へ向かうとき、誓約書と遺書を残していくという。自分の最後の言葉を記した手紙と、家族の手元に遺体が戻る保証はないという誓約書。それに従うならばこのかつて烏丸京介であった黒トリガー −−今は「八咫」と名付けられている−−は、正しくボーダーが所持することになる。
 烏丸卯月はメディア対策室所属の一般職員であった。ゆえに、隊員ほどボーダーの内情に精通しているわけではない。わけではないが、それでも最低限の知識は持っている。夫が帰ってこないことも承知の上だろう。しかしながら承知していることと、現実を受け止めることはまた別の問題なのである。
「……八咫の扱いをどうするかは、確かに現状考える必要がある。けど、最優先は眞白卯月への報告なんじゃないですか」
 太刀川の言うことは尤もだった。城戸は息を吸い、一瞬間を置いてから口を開く。
「林藤支部長」
「はい」
「烏丸卯月への烏丸京介の未帰還、並びに八咫に関する説明を一任します」
「承知しました」
 林藤は少しだけ肩をすくめた。部下の妻を泣かせることになるのは、流石に心が痛むものだからだ。

◇◇◇

「……ウサチャン、入るぞ」
 返事を待たずにドアを開ける。目を真っ赤にさせてそれでもまだ目は腫れていなかった。泣かなかったのか、泣けなかったのか、それすらも尋ねられないほどに痛々しい姿がそこにあった。
「あ、……太刀川、なに、どうしたの?」
 友人の姿を認めるなり呆然とした表情を取り繕って笑顔を貼り付ける様子に、見ていられない、と太刀川は思った。こんな姿、今までだって一度も見たことがない。裏返りそうな声を必死に押さえ込んで、努めて明るく、目を合わせないように。
「あ、そうだ、遠征、終わったんだよね! お疲れ様、今回はどこまで−−」
「京介のこと、聞いたんだろ」
「…………きいてない」
「聞いたんだろ」
「きいて、ない、……!! 聞いてない、聞いてない、の、」
「卯月」
 は、と我に帰ったように顔を上げて、ごめんなさい、と呟く。まるで叱られた子供のようだった。
「……聞いてなければ、京介くんがかえってくるって、信じていられるから」
「見ただろ」
「違うかもしれないじゃんか、京介くんは京介くんなんだよ、あんな、よくわかんない武器じゃないんだよ、京介くんは、京介くんは、京介くんはッ、」
「卯月、京介はもう帰ってこない。……八咫は、京介なんだよ」
 しばらく部屋は静かだった。それから、卯月はめいっぱい涙を浮かべて、唇をかみしめて。ひく、ひく、と引き攣り始めた喉につられるように、両手で顔を覆って俯いた。実に静かな泣きかただった。まるで、誰にも見つけられたくなかったとでも言うような、静かな泣き方だった。
「わ、わかんない」
 指の隙間からぼたぼたと大粒の涙をこぼす級友に果たしてどんな言葉をかけるべきなのか太刀川には分からなかった。なにせ彼は伴侶を亡くした経験などなかったからだ。彼はただ、かける言葉も探せずにじっと小さく啜り泣く女を見ていた。
「わたし、京介くんに出会ってようやく、この人のために生きていようっておもったの。わたし、京介くんのためにいきてたの。……京介くんが、いきてたから、わたしも、生きてたの」
 そこに至るまでの背景を、太刀川はきっとおそらく、彼女の伴侶よりもよく知っていた。知っていたからこそ、さらに何も言えなかった。
 俺のために生きろとか、生きていればどうにかなるとか、そんな月並みな言葉を吐いたとてこの女に響くはずもない。どうにもならないことをこの女は自分よりもよく知っているし、なにより、太刀川は俺のために生きろなんて言葉を言えるほど身軽な存在でもなかった。彼にもまた生涯を添い遂げる相手がすでにいたのである。
「わたし、もう、いきられないよ……」
 まるで広い遊園地の真ん中で迷子になった幼子のように卯月はわんわんと声をあげて泣いた。果たして太刀川は、指一つ触れることさえできなかった。




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