愛しいとおもうすべての熱

 歳の割には達観していて大人びて見える私の年下の恋人も、誕生日一週間前からそわそわし始める年相応の可愛らしさを持ち合わせている。プレゼントには何をあげようかな、最近うちに来る回数も付き合い始めより多くなってきたしマグカップもいいな、お揃いのやつとかだったら喜ぶかな、でもさすがにそれは重いかも。人のためにプレゼントを選ぶというのはどうしてこうも浮き足立ってしまうのだろうか。ふんふん鼻歌でも歌い出したいほどの上機嫌でお気に入りの雑貨屋さんの店内をぐるぐると見て回る。何をあげたら一番喜んでくれるかな。とりまるくんのこと、まだよく知らないことばっかりだ。でも、悲観しなくてもいいって言ってくれたから別に落ち込んでいるわけでもない。知れることがたくさんあるのは、悪いことではないから。まだ誕生日までは時間があるし、もうちょっと考えてからでもいいかな。
――なんて考えていたのがずっと前のことのように思える。誕生日という今日の日もどうやらとりまるくんは忙しいみたいだった。アルバイトは二人揃って休みで提出して、とりまるくんは他のお仕事(ボーダーのシフトまで!)調整していたから、本当は丸一日のはずだったのだけれどどうやらのっぴきならない事情が発生してしまったらしく。悔しそうに「夜は、絶対に行きます。夕方までには、絶対」と念押ししてくるものだからなんだかこっちの方が申し訳なくなってしまって、「頑張って揚げ物するね」なんて言ってしまったくらいだ。とりまるくんは食い気味で「帰る頃が分かったら絶対すぐに連絡します」と私の両手を握りしめた。可愛いって言ったら怒るかしら。
 そんなわけで帰宅連絡を受けた今、じゅわじゅわ鳴る油を見下ろしながら私は彼氏様のご帰宅を待っているのである。同棲しているわけではないけれど、「今から帰ります」という文面を見たときドキドキしてしまったのはナイショだ。私は彼の帰る場所のひとつになれているのだろうか。そうだといいのだけれど。
とりまるくん用の二枚目のロースカツを油きりにあげたところでインターホンが鳴る。コンロの火を止めて玄関に向かい鍵をあけた。
「おかえりなさい!」
「……ただいま?」
「おかえりぃ、あのね、いまちょうど上がったところだよ。手洗いうがい終わったらご飯食べよ!」
 とりまるくんは目をまんまるくしてぱちぱち何度も瞬きしているから、不安になって顔の前で手を振ってみる。はたと気づいたように動いて、ちょっぴり不服そうにつん、と目を逸らした。
「……卯月さんが確認しないでドアを開けるから叱ろうと思ったのに、おかえりなさいなんて言われたから怒れなくなったじゃないすか」
「えぇっ、ごめんなさい……?」
「なんか……あぁ、もう、これはいいんで。手、洗ってきます」
「うん?」
 勝手知ったるといった様子で部屋に上がり、迷いなく洗面所に向かう背中を見送りながら私はといえばキッチンに戻り、千切りキャベツとミニトマトを盛ったお皿へいい感じにとんかつを盛りつける。二人分のグラスを用意してテーブルに運ぶ間、洗面所から戻ってきたとりまるくんがキッチンに立ってぐるりと上半身だけ私の方を向いた。
「油、どこにいれますか」
「えっいいよ、私がやるよ! とりまるくんバースデーボーイなんだから座ってていいって!」
「卯月さんこぼしそうなんで」
「そんなにポンコツじゃないやい!」
「嘘です、俺が心配なんで。それに何もしないで手持無沙汰なままただ待ってるのも落ち着かないんですよ。あ、このポットですか?」
 てきぱきとこなしていく彼の背中を見ながらぽけっと数秒突っ立っていたものの、慌てて引き出しからお箸を二膳だして並べる。グラスには何を注ごうか迷っていると油の処理を終えたであろうとりまるくんが近づいてきた。
「鍋はシンクに置いときました」
「ありがとう! 助かっちゃった。ね、何飲みたい?」
「お茶でいいすよ」
「えっ、コーラもジンジャーエールもオレンジジュースもあるよ!?」
「食事の時に甘いものあんまり飲まないんで……あ、じゃあ風呂上りに貰ってもいいですか」
「うちの冷蔵庫の中身好きにしていいっていつも言ってるじゃん」
「気が引けるんですって。卯月さんはどうするんですか?」
「どうしようかなぁ……」
「別にお酒でもいいですよ」
「えっ、いや、流石に高校生の彼氏の前で飲むのは人間としてどうかと思うっていうか」
「俺がいいって言ってるのに?」
「う……」
「ほんとにいいですよ、そういうの気にしなくて。こっちもその方が都合いいんで」
「都合いい?」
「なんでもないです」
 当の本人が言うなら、まぁ、罪悪感はあるけれど酒飲みとしては有難いというか。戸棚からお気に入りの梅酒のパックを取り出すととりまるくんは「飲むんですね」なんて念押しするものだから開き直って「飲むよ」と返した。冷えた炭酸水の蓋を開ける。小気味いい音と空気が開け口から部屋に広がる。
「炭酸開けるときってちょっと怖い」
「こぼれるかもしれないから?」
「おっきい音するから」
 炭酸水を注いだグラスに少し多めに梅酒を後から注ぎ入れる。どっちが先なのが正解なんだろう。軽くなっていた梅酒のパックの中身はこれで空になった。小さく折りたたんでゴミ箱に押し込む。とりまるくんは自分で冷蔵庫から麦茶を取り出していた。
「あぁっ、またバースデーボーイを働かせてしまった」
「なんなんですかそのバーズデーボーイって呼び方」
「バースデーボーイはバースデーボーイだよ」
「そうすけど」
「今日の主役だから」
「だいぶ遅刻しましたけどね」
「ヒーローは得てして遅れてやってくるものだよぉ」
「それってもう街壊滅してません?」
「じゃあボーダーのとりまるくんは遅刻しちゃだめだよ」
「肝に銘じます」
 テーブルに向かい合って座り、グラスを手に取る。そう高くないものだけれどお気に入りの食器だ。かちん、と軽くぶつけると少し重い音がした。
「烏丸京介くん、お誕生日おめでとうございまーす」
「ありがとうございます」
「あのねぇ、冷蔵庫に箱あったでしょ」
「ありましたね」
「ちょっとちっちゃいやつなんだけど、ホールケーキなんだよね」
「えっ」
 途端に嬉しそうに目が輝く。そうそう、その顔が見たかったのだ。多少痛い出費ではあったけれど、彼のこの顔が見られたならば十分元が取れるというもので。
「切り分けないでそのままフォークで食べるの、いいと思いませんか」
「最高だと思います」
「でしょお。他にもプレゼントあるけど、いまがいい? あとがいい?」
「……今でもいいですか」
「いいよぉ、誕生日だから何でも我儘かなえたげる」
 あらかじめテーブルの下に置いていた紙袋を引き寄せる。
「大と小どっちから見たい?」
「選択肢があるんですか」
「あるんです。雀のお宿方式だよ」
「……選ばなかった方はもらえないんですか?」
「いや、あげるけどさ」
「じゃあ小さい方から見たいです」
「よろしい」
 紙袋の中からさらに小さい紙袋を取り出す。私の手のひらにも収まるサイズのそれをはい、と手渡した。ちらりと私の顔を伺ってきたものだから、なんだかそれが可愛くて開けていいよと先を促す。口を封していたテープを丁寧に剥がすのを見守るのはむず痒かった。こと、と小さな音を立てて中のものが机に置かれる。
「……箸置き?」
「兎の箸置き、可愛いなって思って……白はよくあるけど、黒ってなかなかないなぁって思ったから買っちゃった。うちに置いておくように、と、思ったんですが……」
「あの」
「まって、何にもいわないで、いまめちゃくちゃ恥ずかしくなってるから」
「卯月さんのそれ」
「言わないでって言ったじゃん!!」
「すみません、嬉しくてつい」
「もぉー……嫌じゃない?」
「ないです。めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます。……あの」
「うん」
「箸置きもらえたってことは、箸とか茶碗とかも置いて行っていいってことですか」
「……とりまるくんがいいなら?」
「わかりました、じゃあ来年はそれがいいです」
「来年で良いの?」
「……じゃあ記念日とか」
「あはは、じゃあ記念日は二人でお揃いの食器探そっか」
 こくりと頷く姿からは楽しみで仕方ないという雰囲気が満ちていて、クールで落ち着いているだなんて言われがちな彼もやっぱり年相応のオトコノコなんだな、と少し嬉しくなる。もう一個のプレゼントも取り出してずい、と差し出した。
「今日から使えます」
「今日から?」
 ふかふかした表面を訝しみながら包装を剥がす姿を見守る。冷静になったらこれ夫婦茶碗より恥ずかしいかもしれない。まぁでもさっきの今だから喜んでくれるはず。たぶん。中身を結んでいたリボンが解かれる。
「……部屋着ですか?」
「そうなんです。でもただの部屋着じゃないんだなぁ」
「えっ」
「……男女ペアのやつなんですけど」
「うわ」
「えっ嫌だった!?」
「イヤじゃないです、逆です」
「ぎゃく」
「……すいません……」
「ウワ耳赤ッ」
「めっちゃくちゃ嬉しいんで、あんまり顔見ないでください……」
「……とりまるくん、かわいいね……」
「卯月さんの方がかわいいです」
「なんで急にスンッてなるかなぁ!?」

 そんなわけで、プレゼントは大喜びしていただけたのですが。
 食事も粗方済んだ頃、とりまるくんが箸をおいて神妙な顔をしながら私の方を向いた。
「……あの」
「うん?」
「俺、今日誕生日なんですけど」
「知ってるよ?」
「……我儘言ってもいいですか」
 かしこまった言い方に何となく私も姿勢を正してしまう。正座して背筋を伸ばし、どうぞ、と促すと、少しだけ、ほんの少しだけ躊躇ったような表情を見せたあと、ゆっくりと口を開いた。
「もう一つ、どうしても欲しいものがあるんです」
「私にかなえられるもの?」
「はい」
 キャラメル色の両目が真っ直ぐに私の方を見ている。

「――卯月さんが欲しいです」

 そうだろうなぁ、とは薄々感づいていた。私は愚かではあるが、しかし馬鹿ではない女だ。恋人の向けてくる視線の意味くらい察することは出来る。むしろ、男子高校生がよくここまで我慢できたものだなぁ、なんて私の方が関心さえしてしまうほどだ。愛という言葉はいけ好かないが、いやしかし、彼なりの誠意であることは私にもわかる。
 この一年、私だって何もしなかったわけじゃない。実のところ、成人と未成年であっても恋愛関係にあり合意の上での行為ならば犯罪にはならないのだという。常識的に考えてそれはそうだ。なにせ恋人同士の合意であれば告発する理由なんて一つもない。
ただ、こびりついた倫理や道徳というものは簡単にどうにか解決できるものではない。法的に問題がなくても罪悪感や後ろめたさを持ったまま関係を結ぶことに私は抵抗があった。つまるところ、私だけの問題なのだ。彼は何一つ悪くなどない。私の、それも気持ちの問題の話だ。
 返事をしない私をどう思ったのか、キャラメルが宙を泳ぐ。あぁ、大方マイナスのことを考えているのだろう。私ならばそうする。マイナスの思考回路なら手に取るように読み取れた。

 多分、許してやるのも年上の特権なのだろうと思う。許す、がどこまでのことを言うのか分からないけれど。恋人同士のスキンシップに大義名分は必要なのかという問いに関して言うならば。

「――別に、誕生日にかこつけなくてもいいよ」

 答えはノーだ。大義名分無しに触れ合えるのが恋人同士というものなのではないだろうか。それが、理由もないと触れられないというのは、なんていうか、ずるいのではないかと私は思うのだ。
「ッ、それって、」
「いいよ、……って言い方もずるいか。しよう、うん。あげる、わたしのこと」

だから京介くんのことも、ちゃんとほしい。

 正しい交際ってなんだろう、そんなことをずっと考えている。答えが出ないことなんてわかりきっているけれど、考えずにはいられない。いつも思うのは、果たして私は彼を悪路へ連れ込んでいないか、そればかり。勿論舗装された道ではないのだろうとも思う。でも、交際しているなら、多分私たちは対等だ。変に優位に、先に立とうとするのはそれはそれで不誠実な気もしてくる。誰に許されなくても、君が許してくれるならそれでいいか。
「もらってもいい?」
「……その訊き方は狡いと思います」
「あはは、そうかも」
 だって誕生日だもんね。君はもらう側だ。こういう時に吐く在り来たりなセリフを私はよく知っていた。

「私のこと、貰ってくれる?」



◎20210509 Happy Birthday!




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