本当に、ただの気まぐれだったのだ。
湯気でも出るんじゃないかと思うくらい真っ赤な顔で、震える声で好きだなんて言われてしまったら、そりゃあもう誰だって舞い上がるに決まってる。
そんなことを殆ど経験したことがなかった俺は、それ故に後先考えずに頷いてしまったのだ。
気付いた時にはもう遅くて、だからもう、童貞を捨てられたら別れてしまおう、と。焦りに焦った俺は、そういう結論に辿り着いたのであった。



俺に告白してきた女の子はみょうじなまえという名前らしい。好奇心で「俺のどこを好きになったの?」と笑いながら聞いてみれば、顔を真っ赤にして「一目惚れなんです」なんて返してきた。ますますわけがわからない。自分で言うのもなんだとは思うけれど、俺はそこまで整った顔をしているわけではないと思う。醜くは……ないとは思っているけれど、だからそこ一目惚れなんてされるような顔をしていないはずだ。多分。どういうことなのだろう。ぐるぐると頭の中でその言葉を反芻する。駄目だ、こんがらがるばかりだ。手元にあった日本酒を一気に煽った。

全くもって彼女のことがわからない。
気まぐれにデートに行こう、と言って居酒屋に連れて行けば嬉しそうに「ありがとうございます」なんて微笑む。普通そこはなんで居酒屋なんだと怒るところではないのだろうか。デートで居酒屋に連れて行かれて喜ぶだなんて、よほどの物好きではないかぎりありえないと思う。俺が「生二つ」と注文すれば、みょうじサンは嬉しそうに目を輝かせた。生ビールで喜ぶオンナノコも、割と珍しいとは思うけど。
それから3時間ほど飲んで、居酒屋を出た。支払いは彼女持ちだったと思う。

「今日はお誘いありがとうございました、楽しかったです!」
「ならよかったけど…」
「……友人の前でビールを飲むと笑われてしまうので、松野君と飲めて嬉しかったです」
ほんのりと頬を赤く染めるみょうじサン。きゅう、と胸の奥が痛くなった。なんだこれ、なんだこれ。
「それじゃあ」と踵を返そうとする彼女の腕を咄嗟に掴んだ。
「……松野君?」
「……あの」
「なんでしょう?」
掛ける言葉を必死で探す。よくわからないけれど、今帰してしまうのはなんだかもったいない気がした。
「……今日は、帰したくない」
なにを言っているんだ俺は。



午後11時半、ベッドの縁に座ってシャワーの音に耳を傾ける。どうしてこうなったのか自分でもわからない。
何気なく目に止まったテレビのリモコンに手を伸ばして、引っ込めた。場所が場所だ、おそらく俺の選択は正解だと思う。多分、テレビをつけてもこの感情は収まらないし、むしろ状況は悪化する。振り回されてばかりだ。どうしてこんなに、しかも彼女に限って。

がちゃり。
「……出ました」

果たして彼女はそこにいた。
ぽたりぽたりと垂れた髪から滴る水滴。高く一つに結い上げられた髪と白い首筋。華奢な手足。力を込めたら壊れてしまいそうだ。
女の子とは、こんなに儚げなものだったのだろうか。
近づいてきた彼女の華奢で白い腕を、無意識のうちに引いた。ぽすんと倒れてくる軽い体。やわっこい。そういえば、初めて彼女の顔をしっかりと見たかもしれない。先ほどまで白かった肌はみるみる赤く染まっていく。目にはうっすらと涙が溜まっていて……涙?
「なんで、泣きそうになってんの」
一瞬体が強張る。交わった視線をふいと逸らされ、彼女の涙がわずかに溢れる。
「だって、これが終わったら、松野君は私のことを捨てるでしょう?」
「え」

「……松野君は、きっと私のわがままで私と付き合ってくれているから、だから、これが済んだら私は用済みにされちゃうから」
顔を覆って泣きじゃくるその姿は、いつだか見た絵画によく似ていた。目尻を伝って流れる涙はどうにも止まることを知らないらしくて、ただただ布団に吸い込まれていく。場違いだとは思うけれど、その光景は今まで見たどんなものよりも美しく思えた。
ぎゅっと胸の奥を鷲掴まれたような苦しさが襲いかかってくる。嗚呼、逃げられないな。
ずっと蓋をしていた感情は思いの外簡単に開けてしまえるもので、自覚した途端すんなりと受け入れてしまうことができた。泣かないで欲しい、笑顔が見たい。そう思わせる感情はきっとずっと前から持っていた。

「……ね、泣かないでよなまえ」
「えっ」
するりと頬を撫でる。そういえば、名前を呼んだのはこれが初めてかもしれない。受け入れてしまえばあとは簡単で、言いたいことが口からスラスラと出てくる。力の抜けた手を退かせばきょとんとした顔。可愛いなぁ、なんて思ったらすこしだけ笑ってしまった。
「なんで、なまえ、」
「彼女の名前呼ぶのがそんなに不思議?」
「かのじょって」
「だってなまえは俺の彼女だろ?」
しぱしぱと瞬きをするなまえ。どうやら状況をまだ飲み込めていないようだ。おでこに音を立ててキスをした。茹だる顔。俺色に染まってる。あー本当にかわいい。
あんな始まりだったけど、さっき気づいたばかりだけれど。この感情は嘘偽りなんかじゃないはずだ。
もう逃がしてなんてやらない。離してなんかやらない。今までの分、目一杯どろどろにして甘やかして。そうして、あんたも俺だけしか見れないようになればいい。

「俺をこんなにさせたこと、後悔するなよ?」

◎title by さよならの惑星

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