誕生日、彼氏に「一緒に過ごそう」と言われた。寡黙であまり自分の意見を言いたがらない彼からそう言ってもらえたことが嬉しくて嬉しくて、思わず恋する女の子のようにはしゃいでしまった。前日は嬉しさのあまり、すぐには寝付けなかった。
いつもより少しだけ気合を入れておしゃれして、電車で二駅。時計を見るとまだ待ち合わせにはちょっとだけ早い。ベンチに腰掛けてぷらぷらと足を揺らした。柄じゃないことはわかっているけど、それでも嬉しいものは嬉しい。爪の色を変えたことに、彼は気づいてくれるだろうか。

「なにしてんの」
頭上から降ってきた声に思わず肩を揺らす。恐る恐る視線を上げれば、気怠げな眼差しと口を覆うマスク。今日はどうやら珍しくスーツのようだ。時計を見れば待ち合わせの時間ぴったり。律儀だなぁ、と感心した。
「一松くんを待ってたの」
「……いつから」
「さっき来たところ」
「嘘つき」
鼻、赤いよと指摘されて慌てて袖で顔を覆う。だって、早く会いたかったんだもん。そう呟けば一松くんはきょとん、とした表情になったあと、「あーっ…」と呻き声を上げて頭を掻き毟った。
「……寒かったでしょ」
すっかり冷たくなった手を拾い上げられ、ゆっくりと指を絡め取られる。私よりもひと回りほど大きな手に、性の違いを実感した。
「ほら、行くよ」
「今日はどこに行くの?」
一松くんが、少しだけ考えるそぶりをしてから私の方を見て口を開く。
「……家」



手を引かれて辿り着いたのは何度も来たことのある彼の家。玄関を開けた一松くんに続いて、「お邪魔します」と声をかけて敷居を越えた。
何度も来たことがあるのに、この瞬間だけは妙に慣れない。緊張する、けれどとてもくすぐったいような、そんな気持ちになるのだ。
私が体を強張らせているのに気づいたのか、一松くんはマスクを人差し指でずり下げてこう言った。
「今、家に誰もいないから」

靴を揃えて家の中にお邪魔させていただく。一松くんが襖を開きながら、ちょいちょい、と手招きをした。足音を立てないように駆け寄る。
「あったかいもの入れてくるから、炬燵であったまってて」
「そんな、気を使わなくてもいいよ!」
「いいから」
押し込まれるように背中を押され、襖が丁寧に閉ざされる。こわごわ炬燵に足をいれた。……あったかい。
腕に頭を乗せて、机に寝そべる。一松くんも、いつもこんなことしてるのかな。そう考えるとちょっと嬉しくなってきて、また一人でふふっと笑ってしまった。

襖が開く音がして後ろを振り向く。お盆には湯のみが二つ乗っていて、どちらからも白い湯気が薄く登っていた。
「ありがとう、一松くん」
「どーいたしまして。……なに笑ってたの」
「ないしょ」
机にお盆を置いて、一松くんが炬燵に体を滑り込ませる。隣同士で炬燵に入るのはなんだかこそばゆくて、でも幸せな気持ちだ。
「一松くん」
「なに」
「私、幸せだなぁって」
一松くんが鳩が豆鉄砲を食ったような表情をする。さっきも同じような顔をみたなぁ、なんて思った。しばらくして、一松くんは額を抑えながら盛大に溜め息を吐き出した。
「……あんたって人は、本当に」
瞬きをしたら視界には苦々しい表情の一松くんと木の天井。一瞬のことにびっくりしていたら、一松くんが私の頬に手を伸ばした。
「……本当は、今日はあんたの行きたい場所に連れて行こうと思ってた」
「……一松くん?」
「……だけど、そんな格好見たら、他の男に見せたくなんてなくなるに決まってるだろ」
大好きな手が私の頬を撫でる。
「俺だけのものにしたくなる」
「……一松くんの好きにしていいよ」
今日は私の誕生日なんだけどなぁ、と心の中で小さく笑う。でも、一松くんにはいつもたくさんのものをもらってるからこれでちょうどいいのかもしれない。
一松くんがびっくりしたように目を見開く。あ、三回目。今日はびっくりしてばっかりだね。手を伸ばして頬を包めば、「あぁ、もう!」と一松くんが声を荒げた。
「今日は優しくしてやろうと思ったのに、なまえが煽るのがいけない」
「うん、だって一松くんの好きにしてほしいから」
「……あんたって人は……!!」
一松くんが空いた手で自分のネクタイを緩める。その仕草が格好良くて、思わず見とれてしまった。
「誕生日プレゼントは、俺ってことで」
ニヤリと笑う彼に、きゅんと胸が高鳴る。オトコノヒトの顔だ、何て思ってしまった。
伸ばした手を絡め取られる。あとは二人で溺れるだけだ。
せっかく入れてくれたお茶が冷めてしまうことを少しだけ残念に思いながら、彼に身を委ねた。

「なまえ」
一松くんが私の名前を呼ぶ。口を開くのがなんだかもったいない気がして、代わりに視線を返す。

「……爪、似合ってる」
その一言だけで私は充分幸せになれるのだ。

◎title by さよならの惑星

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