「現実って、どんな味がするんだろうね」
不思議そうに呟いた彼女は首を傾げて手を止めた。現実の味。そんなこと、考えたこともなかった。彼女は不思議なことを思いつくものだ。俺もペンを置いて、彼女の話に耳を傾けた。
「甘いのかな、苦いのかな」
「案外酸っぱかったりしてな」
「ほろ苦くて甘酸っぱいとか」
楽しそうに想像を膨らませる彼女が愛おしくて、指を伸ばして頬をつつく。
「もちもちした食感かもしれないぞ」
「私がもちもちしてるっていいたいのか!このやろーっ!」
怒る彼女を横目にぷすぷす頬をつつく。ころころと表情を変える彼女はみていて飽きるどころかむしろ愛おしく感じられる。嗚呼、食べちゃいたいくらいに可愛い。
「硬いのかな、柔らかいのかな」
「案外スープみたいだったり?」
「ふわふわしてるかな?」
「外はカリッと中はとろっと」
「それは美味しそうだね」
ふわふわした彼女の髪を梳くように撫でる。彼女は気持ちよさそうに目を閉じた。時計の秒針の音だけが聞こえる。
「お前は、食べてしまいたくなるくらいにかわいいな」
「…それ、私以外に言っちゃダメだからね」
子供のように頬を膨らませて拗ねる彼女に微笑みかけた。
嗚呼、俺はきっと彼女が好きで好きで堪らないのだ。愛おしくて可愛くて堪らないのだ。可愛い可愛い俺だけのもの。何処かに閉じ込めて私だけしか見れないようにしてやりたい。
「カラ松、ねぇ、カラ松」
「なんだ?」
「私以外に、優しくしないでね?」
「あぁ、分かってるよ」
硝子玉みたいにかわいい丸い目を大きく見開いて、そして嬉しそうに笑った。カランコロン。窓際の風鈴が、涼やかな音を立てた。

ーーそうして、俺は思い出す。
「カラ松」と呼ぶ声も、コロコロ表情の変わるその顔も、どこにも無いということを。
「カラ松」
「なんだ?」
「私がいなくなっても、泣いちゃだめだよ?」
ゆるく頷いて指を絡めた。
彼女のシャーペンが机から転げ落ちる。
「カラ松、おやすみ。」
心地よい声に体温に、思考回路が緩やかに止まる。夕焼けにぼやける輪郭は、一体誰のものだったのだろうか。
靡くカーテンには、風鈴なんて付いていない。足元で息を潜める骨壷が、カランと柔らかい音を鳴らせる。私の名前を呼ぶ彼女は、一体何という名前であっただろうか。
ーーあぁ、酷く眠い。

冷たい風が頬を撫で、俺は泣いていることを悟った。彼女は天使か、あるいは悪魔か。無機質に音を立てる壺はなにも語らない。腕の中で眠る骨壷だけが彼女はもう帰らないことを静かに語っていた。
「…おやすみ、なまえ」
靡くカーテンを茜色に染め上げる誰そ彼時。彼女の名前を喉の奥へと押し込んで、嗚咽を殺して泣いた。

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