Seconda Linea


01:Orizzonte

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聖域には幾箇所か景色を眺望できる場所がある。
それは古来から敵勢を見渡す砦としての役割であったのか、はたまた自然が作り出した物であるのかは分からない。
だが今宵のように、自分が時折夜中に通っていた其処は後者であればいいとカノンは思っていた。
双児宮の正規の十二宮ルートからはずれて、海側に面した方向へ獣道をしばらく進んだ所へその岬は在る。
否、あって欲しいと思う。
聖域中がことごとく傷を負うまでの聖戦を終えて、十二宮以外の場所でも爪痕が残っていないと言う保障は無かった。
されど己の名前と同じ名のついた小島を一望できるその場所は、兄の影として物心ついた時からカノンが唯一心安らげる場所の一つだった。
古来から時折噴煙を上げて麓≪ふもと≫の民を脅かすその島は、一方で硫黄のもたらす源泉を称えられ癒しの地とされてきた。
その二面性をどこかで己の宿す星へ重ねていた。
こんな自分でもいつかは己の力で他人を救えるようになれるのかと、一度は閉ざされた幼い頃の葛藤は今思い出してみれば馬鹿らしいことではあったが。
ただ何も言わず常に白煙と黒煙を上げ続けるあの島を、今もう一度眺めたい思いに駆られてカノンはこの夜更けに一人足を進めている。

「(無くなっていないといいんだが、どうだろうな)」

栓の無い事と分かってはいるが、思い入れのある場所はせめて変わらずにあって欲しかった。
十数年の時を経て様相としては大分変ってしまってはいたが、道の幅や生えている樹木は変わりない。
どうやら此方側は破壊の手を免れたようだと察して、カノンは少なからず安堵した。
しかしようやく辿り着いた懐かしの場所へ、ただ一つ想定外の事象があった。

「(誰かいる・・・?)」

茂みの間から見えたのは夜の闇には相容れない、月光で青みを帯びた金色だった。
きらきらと輝く光の流れでそれが真直ぐに伸びた金色の髪であることはすぐ分かった。
同時に、ここまで美しい金髪を持つ人間は一人しか思い当らず、カノンは両手で茂みを掻き分けて岬へと臨む。

「・・・・・・シャカ、か・・・?」

はたしてゆっくりと振り返ったその人物はカノンの予想通り、普段は瞼と睫毛で覆い隠しているはずの瞳を晒した同じ黄金聖闘士・・・乙女座であった。
こんな瞳を持っていたのか、と一途最初にカノンは思う。
兄は昔から同じ年頃のムウやミロなども含めて面倒を見ていたようだったが、カノンは彼とこうしてしっかりと邂逅したのは初めてだったと言う事を今更思い知る。
とは言え傲慢だ自己中心的だのと評価される乙女座の噂は聞き及んでいたため、もっと眦≪まなじり≫が尖ってともすれば人を見下すような目の形を想像していた。
けれどそのけぶるような睫毛の下に隠されていたのは、海の色と空の色をはめ込んだようなブルーで、どこか儚さを感じさせながらも此方の胸を見透かすような大きく円らな瞳だった。
ひとたび瞳を晒した面相はともすれば年相応よりも幼さを感じさせて、そのアンバランスさがまた目を離せない。
呼びかけたっきり何も言えずに立ちすくんでいるカノンを不思議に思ったのか、夜風になびく髪の毛を少し片手で抑える動作をして、その青色を案ずるように瞬かせた。

「・・・お前もこの場所、知っていたのか」

我に返って問いかけると、ふっと水面が揺らぐような微かな笑みをシャカが浮かべる。
それに何故かひどく心を掻き乱されるような気がして、カノンは息を呑んだ。

「・・・成程、此処は貴方の居場所だったか」
「・・・・・・いや・・・」

こんな隠れ家のような岬に自分の物も誰の物もないのだが、今まで自分一人だけが知っていたと思い込んでいただけに強く否定は出来ず、カノンは年不相応に口ごもる。
普段着なのか夜着なのかは分からないが、シャカは薄手の長い布のようなものをシャツの上から巻き付ける格好をしていた。
夜風を受けて棚引くそれは寒そうにも思えたが、金色の髪の毛と縺≪もつ≫れ合って夜を透かす薄い布は目の前の人物に怖い程に合っている。

「そうか。あの島は貴方の名前と同じ呼称がついていたなと思い出したら、そう思えてしまったのだ」
「・・・・それ故に俺自身も特別に思っていた節はあるから、否定はできないな」
「私も幼少の砌≪みぎり≫より、時折ここを訪れていた。景色の見晴らしが良い」

いつの間にか隣に来てそう呟くシャカに、カノンも頷く。
景色の素晴らしさ以上に思う事があったと言う事実は、この者の前では言うまでもない事だろうと考えて伏せ置く。

「・・・アイオロスが逆賊の烙印を押され、アイオリアが貶され、サガが消え、ムウが去った。カミュも程無くして弟子の育成のため聖域を発った。慈悲も愛想も無ければ人らしい感情の起伏からも遠い人間であった私も、今思えば淋しいと言う感覚はあったのやもしれぬ。それまで見えていたはずの未来があの頃から急に不鮮明になって、不安を抱いた事もあった。私がこの場所を見つけたのはそんな時だ」

静かに語る乙女座の姿は、それまでカノンが思い描いていたものとは随分とかけ離れていた。
もっと荘厳で、何事にも偉そうで、口を利かずとも全てを分かり切ったような貌で切り開いた道を独歩する、そんな人物だと思っていた。
否、それも恐らく当たらずとも遠からずな面もあるのだろう。
だが少なくとも今自分が目の当たりにする彼は、己の弱さも隠さず口に出して語れるような儚さと強さを持った一人の人間だった。
サガの一件に関してはカノン自身も省みるべき部分があるため、同時に申し訳なさも感じてしまう。

「・・・俺もこの場所を、俺と同じ名を持つあの島を丸っきり見渡せるこの景色を愛していた。だが過去の俺は・・・こんな自分の拠り所でもあった場所すら海の藻屑と消えてしまえばいいと、思ったのだ」
「過去とは偉業であろうが罪であろうが消せるものは何一つ無い。それでも過去の貴方が一度は憎みすらしたものを今一度愛する事が出来たなら・・・、現在≪いま≫はそれで良いのではないかと私は思う」
「・・・・そう言ってくれるか」
「人とは皆、過去の上へ現在を積み重ねて生けるものだ」

そう言ってシャカは遠く夜空に霞む水平線に視線を移す。

「・・・故に人は強いのだ」

次に返ってきた眼差しは強かった。
上から押し付けるような強さではない。ただひたすらに誇り高く、真直ぐにカノンの瞳を一線で繋いで貫くような強さ。
傲慢だの、自己中心的だの、そんな噂など何であったろうか。
それを流した輩が今この瞬間の彼を一度でも目の当りにしたなら、同じ台詞は二度と吐けぬだろうとカノンは感じる。
強いのはお前だろうと、出しかけた言葉を喉奥へ仕舞い込んだ。

「・・・・・・そうだな」

たった4文字の返答に全てを乗せて、カノンは僅かに笑みを浮かべながら絶対強者の瞳を貫き返す。
満足そうに踵を返したシャカは、岬に背を向けた。

「私は去ぬとしよう。今宵の貴方と岬の間に割り入るには無粋な客のようだ」

薄いサンダルの音を鳴らして、足取りも軽く乙女座は横を過ぎる。
その空気の流れが、風の動きが消えぬうちに、咄嗟にカノンは振り返った。

「・・・・、良ければ・・・!今度は互いに、此処で酒でも」
「・・・・・・楽しみにしていよう」

気付けば薄い背中にそう呼びかけていた。
カノン自身何を言っているんだと自問したくなるほど衝動的な誘いだったが、シャカは悠然と笑んで了承の意を伝えると、木立の中へその姿を溶けて込ませて行った。
頭から爪先まで、出会いから別れまで幻想のような男だとカノンは思った。
シャカと言う聖闘士が、その強大な小宇宙故に最も神に近い者と呼ばれている事は知っている。
二度に渡って神に仕え時に神を欺いた男の目には、彼は神に近いと言うよりはあらゆるボーダーラインが曖昧であるように映った。
現実と夢想の境界、西洋と東方の境界、男性と女性の境界、人と人ならざるものとの境界。
シャカと言う人間はそのあらゆる境界線に於いてことごとく曖昧な印象を与えるのだ。
あの二つ名はエイトセンシズに目覚めていると言う本来の意味以上に、凡人がそういう不明瞭なものを一目見た時、化け物に区分するか神に区分するかと言う話であろう。
生まれつき強大な小宇宙と人間離れした能力を持っている黄金聖闘士の中で、彼が殊に見た目にも異質な存在であることはカノン自身も脇目から見て感じていた。

「(それでも、あいつは人間だった)」

無論ただの人間ではない。自分自身も兄も一度はこじらせて諍いを招くまでに至った感情――"己の弱さ"を受け止められる人間だった。
またそう言った弱さもすべてを重ねて歩む者の"強さ"も知っている人間だった。
弱冠二十の齢にしてあそこまで悟るに至っている彼の過去とはどれほどまでに壮絶だったのだろうかと、漠然と思う。
考えた所で邪推にしかならぬのだろう、と思い至りカノンは首を振った。
そして、昔慣れ親しんだ景色を見たいがためにやって来たはずのこの場所で、考えているのは先程ほんの少し言葉を交わしただけの乙女座の事ばかりだったと気付く。
微かに自嘲めいた笑みを零した。

「全く・・・、これでは月を思って袖を濡らす三文ロマンスの類だな」

そう、それは兄であれば夜毎に読み耽って感動に身を委ねる話であったかもしれない。

(―お前はどう思う、カノン島よ)

自分と同じ名前を持つ眼下の島へ、カノンは心中で語りかける。
投げた所で答えるはずもないその島が返したのは、とめどなく夜風に流れる噴煙と静寂のみだった。


[fin.]


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