blind lovesickness

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細波の音が耳に遠い。
海岸や火山からは程遠く草木も茂り、カノン島という活火山の地の中には比較的穏やかな小高い丘がある。
柔らかな芝の上で岩陰に背を預けて、デフテロスは麗人を腕に抱いていた。
その麗人はと言えば、先程から小枝か白魚のような細い指でデフテロスの顔のあらゆるパーツをなぞっている。
こういった行為の意図を知っているデフテロスは特に驚く事も無く、愛おしげに金糸のごとき髪の毛を梳いて撫でる。

「・・・また急に、一体どうした、アスミタ」

アスミタと呼ばれた麗人の彼は、それでもデフテロスの顔を弄る事をやめない。

「君の顔立ちを覚えている。触っていないと忘れてしまうから」

盲人である彼にとって『触れる』と言う行為は『視る』事に直結する重要な過程であった。
彼曰く、常人よりも大きな小宇宙を持つデフテロスはたとえ目が見えぬ彼にとっても、小宇宙の輝きによってぼんやりと輪郭はたどえるらしい。
デフテロスだけでなく、他の人間や聖闘士の位置を掴むのも嗅覚や聴覚、そして小宇宙の放つオーラが大部分を占めるそうだ。
それはむしろ人や聖闘士としての技能と言うよりは、魚や獣などを起源とする森羅万象一系譜としてのセンスに近い。
ただアスミタは、デフテロスだけはそのような輪郭のみで彼を捉える事を良しとしなかった。

「人の顔を“視る”のはどうも難しい・・・。こうして触れて君の眼や鼻や口の位置はわかるのに、それを脳内で組み立てようとすると途端に上手く行かぬ。君の口を重点的に思い出そうとすれば、そのすぐ上の鼻が疎かになる。いけないと思って鼻に意識をやれば、今度はその他の部分がぼやけて消えてしまう」

こうしてすぐ触れて確かめられる所に君の顔はあるのに、と彼らしくもなく元気を無くした様子でそう呟く。
憂いを帯びた表情にすら見入る。
この夕暮れに沈む黄金の太陽が恥じらい、姿を消すのを速めてしまうような美しさだった。
愛しさを感じてしまえばきりがない。
男の、ましてや聖闘士の頂点に立つ者とは思えないこの繊細な指や、その先端の細長い少女のような乳白色の爪。
2本束ねてようやく己の指1本と並立するようなかの指で撫でられる度に、デフテロスの理性の糸が少しずつ軋むのを彼は知らない。

「ただ一瞬だけでいい、君の顔をまるっきりこの瞳に映せる光が欲しい。ただの一瞬だけでいい、その一瞬さえあれば私は一生覚えて生けるから」
「・・・そんなに俺の顔が大事か?この世に二つとあった、こんな顔が」
「私は他の誰よりも君の内面や性格や考え方を知っているつもりだ。けれど只一つ、君の事を何一つ知らぬ者でも知る事ができる、君の顔だけがわからぬのだ」

屈辱とでも言いたそうな表情だった。
こんなに近くにいて声も聞こえる、小宇宙も手の感触も感じるのに、相手の顔が、表情がわからない。
そんな状況を今更ながらデフテロスは自分自身へ置き換えて考えてみた。

「・・・成程、俺だったらそんなのは耐えられないな」

そのままアスミタの腰を強く引き寄せると、感情が爆ぜたかのような狂おしい接吻をその唇へ落とした。
顔を撫でていた手は咄嗟にデフテロスの胸を押し戻そうとする。
しかしもともと有り過ぎる体格差と筋力差、後ろから見ればアスミタの姿などかき消えてしまうほどに抱き込まれた状態での抵抗など、あって無きに等しかった。

「・・・っ・・・、デフテ・・・・・・・」

一瞬だけ離れた舌が生き物のように絡み呼気を奪って行く。
言いかけの言葉も苦しげに飲み込んだ声すらも喰らうかのような勢いと熱だった。
そしてその激しさとは全く裏腹に、唇はまどろみを残しながら至極ゆっくり離れて行く。
ままならない呼吸から解放されたアスミタは、力の抜けた身体をデフテロスの胸に預ける。
デフテロスもまたそれを当たり前のように抱き締める。
もう数えるのも数え切れぬほど繰り返してきた行為だが、それより先の領域には未だ二人足を踏み入れてはいなかった。




急く事は無いのだろうが、とデフテロスはジレンマに悩む。
拒否こそせぬものの、斯様に深い接吻にすら幾許かの抵抗を催す彼には恐らく人並みの羞恥心や不安感なども存在するのだろう。
その精神は大凡自分よりも大人びているが、未だ二十の齢にも達していないと言う。
デフテロスからすれば彼は若く、ひどく清廉である。
色欲の類は捨て去ったと言うよりも、元よりその手の煩悩に惑わされるような環境に居なかったのではあるまいか。
若しくは人一倍清廉なればこそ、処女の名を冠する黄道の聖闘士たり得たのではとも。
アスミタが望まぬ限りはこちらが無体を強いる気にはなれない。だが、この状況がいつまでも続くのは生殺しに等しかった。

「・・・お前は美しいな、アスミタ」

抱きとめた体がぴくりと反応するのを感じる。

「目の見えぬお前は己の容姿など毛ほどの興味もないのかもしれんが、少なくとも俺が今まで見て来た人間の中では一番美しいと思う。容姿だけじゃない、お前の小宇宙も言葉も、俺にとってお前は光そのものだった」
「・・・過去形か?」
「当たり前だろう?お前は人間だ。光は、こうして抱きしめる事もキスをする事もできない」
「・・・・・・私は、・・・わからぬ。己の容《かたち》について考えた事など、今まで一度も無かった」
「お前はそれでいいさ」

デフテロスはアスミタの手を取る。
浮き出た手首の尺骨を指先で撫で、そのまま甲を下り、二本の指の腹を人差し指で撫で上げる。
そのまま手を口の方へ近付け、細く滑らかな爪に口付けを落とした。

「今は俺だけが知っていればいい・・・、この指も、この鼻筋も、この髪も・・・この耳も、」

挙げる箇所全てに優しく唇を触れ、デフテロスは愛おしげに呟く。
耳に唇を這わせた時、びく、と大袈裟にアスミタの肩が跳ねた。
そこまで素直な反応を返した事にデフテロスは一瞬目を瞬かせるが、すぐに悟った。

「・・・耳、弱いのか」
「し・・・知らぬ」

目の見えない人間が最も頼るのは聴覚だろう。
その例に洩れず、彼もまた人より敏感な部分は比例して決まっているらしい。
唐突に弱点を突かれてらしくもなく狼狽える姿が愛おしく思えて、もう一度耳に顔を寄せようとすると首を振られた。
その拒否行動によってサラサラと揺れる金色の髪の毛にまた瞳を奪われる。
本当にここまで美しく成形された人間を知らぬ、と思う。

「じゃあここは・・・?嫌か?」

すらりとしたカーブを描く鼻筋の下の、薄い色をした唇が僅かに触れる距離で囁く。
一瞬顎を引くような動作をしたままでアスミタは固まった。

「・・・・・・嫌、・・・ではない・・・」

たっぷり10秒は間を置いて紡がれた意外にも肯定的な言葉に、デフテロスは目を見開く。
全身から滾々と沸き上がる熱を感じていた。
そのままその唇を喰らうのには数秒と時間はかからない。

「・・・っ・・・・・・ん・・・」

喉を絞ったような高音がアスミタから漏れる。
逃げる舌先をようやく絡め捕れば、容赦ない水音が体内に響いて鼓膜を犯すだろう。
掌を頭の後ろへ固定したまま口付けていると、徐々に彼の体の力が弱まり背を仰け反らせるのがわかる。
デフテロスは羽織っていたマントの金具を外し、口付けを止めぬままに芝生の上に器用に片手であおり敷く。
腕の力を緩めると自然にアスミタの体はマントの上に背を下ろす形となった。

「っ・・・・・・ぁ・・・、デフテロス・・・・・よせ・・・、これ以上は・・・」

唇を離れて、首筋をなぞり始めた舌先にアスミタは肩を跳ねらせ、その厚い胸板を申し訳程度に押し返す動作をした。
軽いながらも拒否を示されたデフテロスは、素直に体を離す。
眼下に広がる金糸の海の中で、アスミタは普段から閉じられている瞳をほんの少し開けて、動揺した様子で視線を脇へ落としていた。
肌が紅潮している。白から淡い紅色に。
何と言う生殺しか、と理性と欲の狭間で葛藤するデフテロスは眉間に皺を寄せて唇を噛んだまま、唾を嚥下した。
彼が纏う雰囲気が色を変えたのがわかったのか、アスミタは小声ですまぬ、と一言呟いた。

「何故謝る・・・?」
「・・・怒っただろう、君の小宇宙が一瞬だけ張り詰めた気がしたから」
「・・・いや・・・、その、怒ってはいない。断じて。負担がかかるのはお前だし、拒むも嫌がるもしょうがないと承知しているからな」
「・・・・・・・、嫌では・・・」
「ん?」

殆ど息のような音量で呟いたアスミタの一言をデフテロスは聞き逃してはいなかった。
もう一度言ってくれと言わんばかりに純粋に顔を近付けて来た彼の仕種に動揺したのか、アスミタはその顔から逃げるように体ごと横を向く。

「・・・嫌では、ないのだ・・・」
「・・・・・・それは本心か?」
「・・・君に嘘など吐かぬ。君にされて厭な事など、私には一つも無い」

さらりととんでもない事を言われた気がするが、それなら何故、と尋ねかけたデフテロスの口はアスミタの言葉に閉ざされる。

「・・・このような行為の意味を考えた時、君にとって良い事とは思えぬのだ・・・。俗世との関与などとうの昔に捨てた私と違って、君は心の奥で他者との共存を望んでいるだろう。なれば、あえて私と交わる事に君にとって何の意味が、」

そこまで言い述べたアスミタの声を、今度はデフテロスが横顔から強引に口付けて切り離した。
先程までとは違って唇はすぐに離れたが、打ち切られた科白の行き場を無くしてアスミタは言葉に詰まる。

「そんな杞憂をしていたのか?」

『カノン島の鬼』と言う二つ名を持つ男とは思えないほど、デフテロスは優しい声で金色の髪を撫でる。
薄い両肩を掴み、拒むように逸らされていた体を自分と向き合わせる。

「良いか悪いか意味があるかないかなど、理屈付けようとするな。ただ、ただ一つ意味を持たせるとするならば・・・アスミタ」

弱いと知った耳元で名前を囁くと、息を飲んだのが視界で捉えずとも伝わる。
彼が自分で告白したことも事実であり本心だろう。
されど、それだけではない事もデフテロスは感じ取っていた。

「俺がお前を欲している、それだけだ」
「・・・・・・、しかし・・・」

僅かに声が震えていた。
不安なのだ。
一体何をするのか、一般的な知識としては持ち合わせているようだが、知識とは只ひたすらに知識である。経験ではない。
この清らかさと純潔の塊のような人間をたった一人の色欲で解そうとしている。それはデフテロス自身深く心に刻みつけている。
だが、嫌ではないと彼が本心から言っていると知った以上、デフテロスもここで引き下がる訳にはいかなかった。

「お前が全てなんだ、俺にとっては。俺自身に俺の存在を根付かせてくれたお前が。・・・それが理由じゃ、不足か?」
「・・・・・・いいのか、私で、・・・君は・・・」
「お前でなくては駄目なんだ」

何も映せぬ瞳に視線を外すことなくデフテロスはハッキリと告げる。

「・・・私も今、生まれて初めて・・・人が欲しい」

下から腕が伸びて来て愛しげに抱き付かれる。
嗚呼、思いが伝わっている、とデフテロスは心底感ずる。
この華奢な腕から伝播する温もりが愛おしい。

「・・・君と共に在ろう」

そう弧を描いて呟いた唇に、この世の全てを抱き込むような口付けをした。




[fin]


  

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