Seconda Linea


02:Intersezione - 2

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招かれて初めて足を運んだ彼の居住空間は、こざっぱりとしていた。
ただ、カノンが想像していたよりも意外に生活感があった。
絨毯や寝具も大理石には微妙にそぐわないオリエンタルな装飾のものではあったが、暖色の繊細な柄は瞳に心地いい。
黒やら白やら無彩色のシンプルな家具ばかりを好むカノンの自室よりも明らかに温かみのある部屋だった。
部屋の隅にはあまり見慣れない真鍮の道具や数珠がかけられている。これには手を触れたりしない方が良さそうだと感じた。
そして至る所に飾られている花の数。
シャカが席を勧めたテーブルの上のものが特に目を引き、見た事のない品種の花にカノンの視線は釘付けになる。

「"極楽鳥"だ」
「・・・ん?」
「その花の名前はストレリチア。だがこの独特な形状から極楽鳥花と呼ばれている」
「・・・なるほど」

神仏と対話する人間が守護する宮に極楽鳥とは、ここに飾られるために生まれてきたような花だなとカノンは内心独り言つ。
閉じていた瞳を開いて、シャカは棚の中から二人分のティーセットと茶葉を持ち出して、テーブルの上に置く。
腕の中にいた黒猫がマァオと一声鳴き、身軽な動作で床へ下りた。
流石に四六時中目を閉じ切って生活しているわけではないのか、と頭の隅でカノンはふと思った。

「派手だし、言い得て妙な形をしているだろう。見れば見るほど鳥なのだ。この辺りが嘴≪くちばし≫で、これが羽だろうな」

だから面白くて昔から好きなのだ、と。
何でもない事のように楽しげにシャカは語った。

「(ああ…――)」

他意も表裏も深い意味すらも無いのだ、とカノンは僅かに瞳孔を見開いてシャカを見る。
他人の機知に敏感なはずの乙女座はその表情の変化には特に気付かなかったようで、ゆっくりとティーセットを広げながら茶葉の缶の蓋へ手をかけていた。
慣れきった手付きで指が缶の上を流れて行く。
何の引っ掛かりもなくするりと開いたそこからは芳香が漂う。
ポットと缶の上を白魚が泳ぐように手が動くのをカノンは呆≪ぼう≫と見詰めていた。
部屋の隅にあるキャストの上に置かれていたケトルから熱湯を注ぎ、カノンが座るテーブルの中心に置く。
そこまでして漸≪ようや≫くこの部屋の住人は向かい側の椅子を引く。
首の後ろに回した両手で長い金色の髪の毛を掬い上げる動作をし、目を見張るほど優雅にシャカは席に座った。
椅子に座るなど、普通に考えたら何のことはない動作のはずだ。
大して意識するような動作では無いはず。
だが何故こんなに目を惹かれるのか理由もわからぬまま、カノンの視線はその所作に確実に目を奪われていた。

「・・・どうかしたか?」
「い、いや・・・何でもない」

あまりにあからさまに見つめられている事に気付いたシャカに首を傾げられ、カノンは多少慌てて否定する。
それならばいいが、とシャカはテーブルの上のポットに手を伸ばし、中の茶葉を揺らすように静かに回した。
その指先にすらまた凝視しそうになり、カノンは部屋の中へ意識を逸らそうとする。
・・・が、大してできるはずもなく。

「そう言えば、貴方は砂糖を入れるのだろうか」
「ん?ああ、まあ・・・そうだな・・・珈琲はブラック派だが紅茶は入れるかな」
「そうか。私は珈琲には入れるが紅茶は入れない性質なのだよ」

真逆だね、とどこか楽しそうに笑みを浮かべながらシャカは席を立って戸棚からシュガーケースを取り出してくる。

「ムウは砂糖もミルクも入れたがる。ミロとアイオリアに至ってはそれはもう紅茶を冒涜しているだろうと言うくらい砂糖もミルクも入れないと気が済まぬらしい。あれらが飲んでいるのは砂糖水だな、恐らく」
「ミロが甘党なのは知っていたが、そうか…アイオリアもか。サガは珈琲は俺と同じでブラックが好みだが、紅茶には割と多めに入れたがるな。珈琲の苦味と茶の渋みは好みが別らしい」
「そうか。双子でも好みまで同じと言うわけではないのだね」

ふふ、とシャカが微笑みを漏らす。
思いがけないその表情にまた視線を奪われかけたカノンの意識は、シャカの足元でマーオ、と鳴く黒猫によって取り戻された。
抱きあげて欲しいのか、後ろ足で立って袈裟の裾にしがみついている。
飼い猫ではないと言う話だが、主人と楽しそうに会話するカノンに対して嫉妬したのかもしれない。
それを追い払うでも文句を言うわけでもなく、シャカは静かに手を伸ばして膝の上へ抱き上げる。

「名前はつけないのか、そいつに」
「勝手に居付いているだけなのだから、名を与えて縛る必要はないだろう」
「・・・そこまで懐いて生活してるなら最早飼って面倒みてやるのが筋だと思うぞ・・・」
「・・・そういうものかね?」
「俺個人の見解としてはな。飼うのは嫌なのか?」
「・・・一つの生命を賄う事を厭う訳では無い。ただ・・・これの森羅万象としての道を閉ざしてしまうのではないかと」
「いや・・・・・・そこまで重く捉えなくても・・・いいと思うが・・・」

若干気が遠くなりながらカノンが助言すると、シャカは膝の上に行儀よく座る黒猫に視線を落とす。

「見るとまだ子猫のようだし、親猫ではなくてお前に四六時中ひっついているんだろう?もしかしたら親とはぐれてしまったんじゃないか?」
「・・・ふむ。確かに寝ても醒めても私にくっつき回っているようではあるからな・・・」
「なら、親が見つかるまで飼って面倒見てやればいいんじゃないか。一匹くらいなら支障無いだろう」
「・・・・・・・」

膝の上の子猫をもう一度抱き、シャカは視線を交わらせるように顔の目の前に持ち上げる。

「・・・わかった、君の面倒は今後このシャカが見てやろう。光栄に思いたまえよ」

言われた方はわかっているのかいないのか。どちらにしても心なしか嬉しそうにマァオ、と黒猫が鳴き声を上げた。
なかなかどうして、この乙女座と猫と言う絵面は良く似合っているとカノンは頷く。
恐らくシャカ自身の着の身着のまま己の思考回路に基づいて行動する気まぐれな部分が、猫と共通するように感じられるせいだろう。
女心と秋の空は移ろい易いと言うが、果たして乙女座の人間にもそれは適用されるのだろうかとぼんやりと頭の隅で愚問を展開する。

「名前はどうするんだ?」
「・・・・・・・猫」
「・・・名前になってないだろうが・・・。せめてもうちょっと・・・」
「・・・ふむ。では、君はどう呼ばれるのが良いのだ」

膝の上の猫にシャカは問いかけるが、無論猫がその言葉に答えられるわけもなく。
先程と同じようにやけに間延びした声でマァオ、と鳴くだけだったが、シャカはそれを聞いて満足そうに微笑んだ。

「成程、マオか」
「・・・何だって?」
「貴方も聞いただろう。本人は“マオ”がいいそうだ」
「・・・まぁ呼ばれたがっているかどうかは別として、マオマオ鳴くからマオか。いいんじゃないか。わかりやすいし可愛くて」
「よし。君の事は本日を以てマオと呼ぶ事にする。それで異論はないな?」

単に額を撫でられて“マオ”は嬉しそうにマァオ、と鳴く。
本当に今まで飼われていなかったのが嘘にしか思えないほど懐いている。
猫と言う生き物は構い過ぎると逆に鬱陶しく思われるため放置するだけ放置して、擦り寄って来た時だけ構うようにしてやると良く懐くものだと言う話をどこかで聞いたような気がして、ぼんやりと思い出す。
見たところシャカは邪険にするような素振りは無いし、かと言って文字通り猫かわいがりするようなタイプでも無さそうだ。それ故に自然とこの猫は懐いていってしまったのだろう。

「・・・因みに、貴方は中国語で猫を何と言うか知っているか?」
「・・・・?いや。何と言うんだ?」

唐突な問いかけを訝しく思いながらもカノンは正直に首を捻る。

「“マオ”と言うのだよ」
「・・・・お前な・・・」
「呼びやすくていい名前だろう?」

シャカはまるでいたずらが成功した子供のような微笑みを浮かべていた。
聞かなきゃ良かったと憎まれ口を叩こうとしたカノンは思わず口を噤んで、こんな表情も取れるのかと暫しの間釘付けになっていた。
シャカが手を伸ばし、十分煮出されたであろうアッサムを両方のカップへ注ぐ。
その動作でようやく視線を外したカノンは、またしても挙動不審になってしまった己の後ろめたさを隠し切れず、遣る瀬無さげに頭を掻いた。

「・・・『お前は角が取れた』、と言われるようになった」
「・・・ん?」
「ミロや、アイオリアに。そう言われたのだ。私が以前に比べて気質が丸くなったと」
「・・・・・・ふむ」

また唐突に一体何の話をされているのかと戸惑ったが、少なくとも先程のような冗談の気配は感じられず、カノンは紅茶を口にしながら相槌を打つ。
先程のようないたずらめいた笑みとはまた違う、普段と同じアルカイックな笑みを口元に漂わせてはいるが、常と全く同じかと問われると少し違うようにも感じた。

「私自身は・・・己が変わったとは思わない。一方で万物流転と言う言葉もある。人や自然が生きて世界を廻している限り、それに付随するものも総てを巻き込んであらゆる物は変動する。それを恐れる訳ではないが、実感の伴わぬ変化を指摘されるのは少々・・・・肩身が狭くも思う」
「・・・・そうか。俺はその、以前のお前と言うものを全く知らないからどうとも言えないが・・・」
「・・・だからだ」
「ん?」
「・・・貴方は皆が言う“以前の私”を知らないから、何と言ったらいいのかわからぬが・・・・・・貴方といると居心地が、良い」
「・・・・・そうか。それは・・・まあ・・・、俺としては嬉しい限りだな」

彼らしくもなく語尾の音量が尻すぼみになっていたのは、言っている内に恥ずかしくなったからなのだろうか。
思いがけないシャカの自分に対する好感度を示す言葉と、内心を吐露しようと思うほど彼の中でカノンの位置がそれなりに良い場所にあると言う事実を示された気がして、カノンは平常心を取り繕いながら出来るだけ兄のような笑顔を浮かべるよう努めた。

「・・・すまない、今のは少し自分でも何が言いたかったのか良くわからぬ・・・。忘れてくれ」
「いや、そんな事はない。俺も今は徐々に聖域から信頼を取り戻すまでになったが、一生裏切者のレッテルを貼られて後ろ指を指されながら生きていく覚悟はしていた。だから純粋に好意を向けて貰える事はこの上なく幸福に思うのだ。いわんや同じ黄金聖闘士であるお前からなど。忘れられるわけがあろうか」

それは紛れもない本心であり、場を取り繕うと出た言葉ではなかった。
誠実な言葉は乙女座の心に明瞭な音声で響き、戸惑いを払拭する笑みを貌へ浮かばせる。
生涯虚構ばかりを吐き続けた己がこんな心からの感情を口に出す日が来るなど、あの頃の自分は思いもしなかっただろうとカノンはふと過去を振り返る。
消し得ぬ罪は己が内、くすぶる悪も今は消え。
ただ美しい物を美しいと思う。歓びを歓びと表現できる。
長い間忘れていた純粋なものを教え受け入れてくれた今の同胞達に感謝は尽きない。

「俺もお前と居るのは心休まる。あの夜に、お前と逢って話をする事が出来て本当に良かった」

面と向かって言った台詞に、心なしかシャカの頬が常より赤らんで見えたのは気のせいだったかもしれない。
彼は何も言わない。言葉などはいらなかったのかもしれない。
ただそれでも彼は、カノンのカップの中へそっと角砂糖を一つ落としてくれたのだった。


[fin.]


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