He's armed with whim

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(彼は気紛れを武装している)



やあ、と。
かけられた声の方向へまた来たか、と振り向いたデフテロスは目をひん剥いた。

「ア・・・アスミタ!?」

常日頃からふらりとやって来るその人物自体に驚愕したわけではない。
デフテロスが素っ頓狂な声を上げたのは、そのアスミタのボロボロと言っても過言ではない格好からだった。
応急治療は成されているようだが、腕、足、肩口からも包帯のようなものが見える上に、頬にも塞がりかけてはいるが薄い切り傷が一筋走っている。
特に足が一番酷いようで、怪我の様相もよく分からずに袈裟を纏ったのだろうか。乾ききっていない血がこびりついているし、若干引き摺るような歩き方をしている。
それなのに本人はいつもと同じ・・・、いやむしろいつもよりも上機嫌そうな笑みを口元に浮かべたまま立っていた。

「お前ッ・・・!お前、その怪我は・・・!?」
「多少手のかかる任務があってな。今さっき教皇への報告が終わった所だ」

神に近い男と目され、小宇宙の強大さでいけば聖域でも他を圧倒するアスミタがここまで酷い怪我を負う任務など、多少手がかかるどころではないであろう事はデフテロスにも認識できた。
慌てて彼のもとへ駆け寄り、その手を取る。
訝しがるアスミタへ、飛ぶぞ、とだけ告げてデフテロスは異次元の口を開いた。

「・・・お前の目が啓けていたなら、その状態でこんな所まで来ようなどと絶対に思わないはずだ」
「成程、そこまで情けない状態に見えるかね。今の私は」
「情けないのではない。危なっかしいのだ」

僅かに亜空を切り裂く音と共に、木材の匂いが漂う。
カノン島における彼の居室だとアスミタにはすぐわかった。
唐突に抱きかかえられ、ベッドの上へ下ろされる。
そのまま袈裟の裾をめくったデフテロスが舌打ちをした。

「・・・良く此処までのこのこと歩き通せたものだな。完全に傷が開いている」
「何故君が怒る」
「怒っているのではない。呆れているのだ」

似たような問答の後に、ぶっきらぼうに大きく溜息を吐いたデフテロスはその場を立ち上がって離れる。
やはり怒っているではないかとアスミタは思ったが、口に出せば面倒な事になりそうなのを察してその台詞は胸中へ留めた。

「・・・大体、お前ほどの小宇宙の持ち主であればいつもなら傷など自前で治癒してしまうだろう。流石にこのレベルの傷は完治は無理なのかもしれんが、それでも傷を塞ぐ事くらいは出来るんじゃないのか」

ぬるま湯を張った桶に足先が浸けられ、皮の張った大きな手のひらが湯と共に傷口を洗い流していく。
患部が沁みる感覚に時折息を呑みながらもアスミタはデフテロスのされるままにしていた。

「・・・確かに小宇宙を使えばこのような傷はすぐに治せる・・・と言いたい所だが、生憎今は燃料切れ状態でね・・・。瞑想するにも覚束ない始末なのだよ」
「燃料切れって・・・、お前ほどの男がか?」
「状況と相性が違えばこういう事態もあろう」
「・・・冥王軍か?」
「さてね。すまないが任務の内容はいくら君と言えど教える事は出来ぬ」
「・・・・そう・・・だったな」

ここ5〜6年ほどを境に、各地で起こる事件や闘争は明らかに規模と勢力を強めていた。
黄金聖闘士自らが駆り出される事も少なくは無く、聖戦が近い事を予感させる。
兄が・・・アスプロスが反旗を翻した事も衝動的とは言えその歯車の一環だったのではないかとデフテロスは薄々思っていた。
未だにデフテロスは兄の事を吹っ切れずにいる。聖戦が近いのではないかと言う予感とは反比例した己の自我の未熟さに焦りを感じ始めていた。

「それに、私も一つ"知った"のだよ」
「・・・"知った"?」
「私は大概の事なら小宇宙を介して事を成せる。物の位置を知るのも、怪我を治癒するのも、君の心を探るのも」
「・・・・・・・」
「だが、それが全てでは無いのだよ。人が人である以上、たまにはこういう事も必要なのだ。全てを為そうとするのではなく、時に委ねる事も必要であると」

患部を清める手を止め、デフテロスはアスミタの顔を見上げた。
見えてはいないのに、まっすぐ視線を投げかけてくるアスミタは矢張り機嫌が良さそうだった。

「私には私の役目がある。時が来れば、私はそれに全力を尽くす。デフテロス、君には君の役目があるはずだ。君が命をかけて向かい合わなくてはならないものが」
「・・・・・・・」
「そしてまた、己では成し得ないそれ以外を委ねるべき者も何処かに必ずいるはずだ」

デフテロスの視線が床に落ちる。
困惑の色を乗せた深い海のような瞳は、半月前と変わらず未だ迷いを見せていた。

「・・・・・・・・・・良く・・・・・・わからん・・・。俺には、未だ・・・己自身に己を落とし込む事すら出来ていない、それに精一杯で俺自身の役割を考える余裕など・・・」
「考えるのではない。君の思う先に、君の道はあるのだ」
「だが・・・・」
「アスプロスのように万一君が道を違えそうになったならば、私が傍に居よう。デフテロス。君は迷わず君の想いの先へ邁進したまえ」

傷だらけの体でアスミタは瞳を開いて微笑んだ。
いつものようなアルカイックスマイルではない、人が人を慈しみ包み込むような、春の光のような笑顔だった。
一瞬その表情に瞳を奪われたデフテロスだったが、直ぐに口元を崩すと困ったような笑顔で返した。

「自分の怪我の状態も良くわからずのこのこ歩き回る奴に、背を預けろと?」
「・・・君に会いたいから来たのだ。そうで無ければ足が痛いのにこんな場所までやって来たりしない」
「・・・・っ・・・お前はな・・・・・・」

億尾も無くそう告げる乙女座に、デフテロスは呆れと照れが入り混じった何とも言えない心境で、熱が昇った顔を片手で覆い隠して溜息を吐く。
その様子を何が言いたいのか全く意味がわからないと言いたげにアスミタは首を傾げた。
何でも無い、と恨めし気に呟くと、デフテロスは湯を替えるために立ち上がる。

「デフテロス」
「・・・・何だ」
「今夜は此処に泊まっても良いかね?」
「・・・はぁ!?」

ばちゃん、とデフテロスが小宇宙で熱していたはずの水が勢いよく床にぶちまけられた。
凄まじい剣幕で返されたアスミタは流石に驚いたように目を見開いて体を引いていた。
どうしてこうこの麗人は言う事に欠いて唐突なのだろうかと、デフテロスは額から滲み出る汗と動悸のように打ち付ける心臓を押さえつけてアスミタの前に立った。
鬼と呼ばれるに相応しい威圧感と気迫を持って両肩をがしりと掴まれ、アスミタも一瞬怯む。

「駄目だ」
「・・・・何故、」
「勘弁してくれ」
「・・・何が」
「いや・・・お前、その、泊まると言ってもだな、こんな暑苦しい男と狭い寝台を共にするんだぞ、寝苦しいとかいうレベルではないと思うぞ」
「ああ、案ずるな。私は床で寝る」
「させられるかそんな事!!」

好意を抱く、しかも怪我人である人間を地べたに寝かせて己は悠々とベッドで寝るなど、そんな事をする輩がいたら己でなくとも頭を引っ掴んで顔面からマグマの底に沈めてやりたい。
対してアスミタは理解に苦しむように眉間に皺を寄せてデフテロスを見る。

「地面だろうが狭かろうが暑苦しかろうが私は気にならぬ。・・・君が私を邪魔だと感じるなら、諦めて帰るが」
「邪魔なわけがあるか!」
「・・・それなら何も問題ないではないか」

しまった、とデフテロスは目を閉じてつい口をついて出てしまった己の言動を悔やむ。
否、しかしアスミタが邪魔だなどと例え嘘であっても言いたくはなかった。
言いたくはなかったがそれ以上に夜を共にする事もまずいと思った。
そもそもこの恩義しかない人間相手にそういう劣情を抱いている時点で相当まずい上に、現在まで一度もそのような思いを露わにした事が無いのも拍車をかけてまずい。
向こうは会いに来たいと思えるほどある程度好意を持って接してくれているようだが、己のそれは明らかに行き過ぎた好意であるとデフテロス自身自覚があった。
友愛よりも先に劣情を自覚するなどと。
混乱を来して再び温めていた湯が沸騰寸前になっている事に気付き、無言で窓の外へ捨てた。

「(これは試練かもしれないな・・・、俺自身の自己統制力を試すための)」

最早そういう意識にすら至ったデフテロスは、覚悟を決めてアスミタの元へ戻った。

「・・・わかった。俺が床で寝るから、お前がその寝台を使え」
「・・・・良いのか、それは」
「良いのだ。怪我人に暑苦しい思いなどさせられるか」
「・・・・・・君がそう譲らないのであれば、甘んじるが」

互いに妥協した形で何とか話はついたようだった。
今晩は夜通し精神統一でも図ってみるか、と思いながらデフテロスはもう一度アスミタの傷口を湯で清める。

「・・・っ・・・・・・!」

気の迷いがそのまま手の動きに出てしまったのか、指で直接患部を擦ってしまい、アスミタが苦しげな表情で息を詰める。

「・・・・デフテロス・・・?」

アスミタがもう一度気配を探る頃には、デフテロスは壁に両手をついて項垂れていた。
訝しげに思いながらどう声をかけていいか分からずにその背中を見守るだけに留まっているアスミタは首を傾げる。
その一方で当のデフテロスはと言えば。

「(駄目だ・・・!駄目だ俺には・・・!)」

精神統一でも図ってみるかどころかアスミタの苦悶の表情に一瞬欲情を催してしまい、猛烈に自己反省を繰り返していた。
彼の夜は長い。
おそらく、凄まじく長い。


[fin.]


  

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