prologue + Pisces

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「・・・えーと・・・・・・、とりあえず・・・初めまして」
「・・・・・あ、ああ。初めまして」

真昼の聖域、しかも黄金聖闘士が管理する十二宮と言う厳粛な場にはおおよそ似つかわしくない、微妙な空気がそこかしこで流れている。
此処は十二宮の中でも最も後方に位置する双魚宮。
アフロディーテと言う魚座の黄金聖闘士が主であるそこには、彼の容姿に良く似たもう一人の麗人が対面して立っていた。


****************


「・・・先代の黄金聖闘士を聖域に・・・、ですか・・・?」
「うむ」

珍しく12人の戦士全員に教皇宮への召集がかかり、何事かと集ったその場で真っ先に口を開いたのは、12人の中でも最年長かつ実質のリーダーポジションの一角である双子座のサガだった。
アテナ直々の提案を示された後であったが、確認を求めるようなサガの言葉に教皇シオンが代わりに頷いてみせる。

「ひとまず聖戦が終わり平和な地上へ戻ったのは良いのですが・・・、今の聖域は破損箇所の修復、書類処理、慰安訪問、各地での状況視察、言い方は悪いですけど各々の後始末が同時進行で行われているでしょう?貴方がたの働きは目を見張るものがありますし、一人一人の活動の成果も私はちゃんとわかっています。でも、私の目から見ても人手が足りないのは明らかに思えるのですよ。・・・例えばほら、サガ貴方だって」
「は、はい・・・!?」

人一倍生真面目で献身的な上に過去の所業と言う鎖のような重荷を背負っているサガは、聖戦後も誰よりも多く働いて貢献しなくてはと言う、ある種の強迫観念に近いものを抱きながら、心の底から寝る間も惜しんで各地を飛び回ったり政務に勤しんでいた。
だがアテナに名指された事で、その働きが足りなかったり綻びがあったのかと持ち前のネガティブ思考が彼を焦らせる。
何を言われるのかと断頭台の前に立たされた虚構の王のような心境を今再び味わっていたサガだったが、アテナは自分の目の下を指差して困ったように笑っただけだった。
呆気に取られた顔でぽかんとしているサガに、アテナは苦笑しながらも口を開く。

「隈ですよ、隈。ここから見たって分かるくらい濃いんですもの。・・・あまり寝てないのでしょう?」
「あ・・・いえ・・・、私は・・・これしきいつもの事ですから・・・」
「残業と不眠を日課にしてはいけません。黄金聖闘士だからと言って、そのような体調管理では心身に障ります。アテナである私だって日本にいる間は何度か経験がありますもの」

もっともな事を言われて、サガもそこで初めて自分の目の下を指で撫でてみる。
意識すればこめかみにズキズキと頭痛が走る。確かに徹夜が過ぎたのかもしれない、と心の底で感じていた。

「それと、カミュ」
「・・・!?・・・はい」

サガはそんなに頑張っていたのかと、他の者たち同様列の端の方でしみじみと思っていたカミュは、突然名前を呼ばれて明らかに一瞬冷静さを欠いて動揺した。

「貴方もです。先日と一週間前、それぞれ一日ずつ休暇があった筈ですが・・・どちらもキャンセルしていますね?」
「あ・・・、はい。ミ・・・・・・いえ、同僚の書類整理が滞っていましたので手伝いをしていました」

カミュは咄嗟に言い直したが、最早遅い。
その場にいたアテナとカミュ以外の全員の視線が見事なまでに一気に蠍座のミロに注がれ、それをコンマ1秒で逃げるようにミロが後ろを向く。
『アホ』だの、『脳筋』だの、聞こえるか聞こえないかくらいの罵倒の囁きが各所から湧く。
元よりミロはデスクワークと言うものを得意としない。それはアイオリアやアイオロス、デスマスク、アルデバランなども同様なのだが、ミロの場合は仕上がりの遅さが群を抜いているのだ。
幼少の頃から字を書くより体を動かす、ペンを持つより外で鍛錬する、本を読むよりカミュと遊ぶ、そんな日常を過ごして来た上に元来の直情的な単細胞っぷりも手伝って、頭の中であれこれ先走って考えては後でイモヅル式に間違ってやり直したりなど、とにかく箆棒≪べらぼう≫に要領が悪い。
少し頭の中で計画を立てて段取り通りに取り掛かれば済む事なのに、ミロはその過程をどうしてもすっ飛ばしてしまう。
それでもこれまでは書類の量も多くない上に他の仕事と掛け持ちになる事も少なかったし、この要領の悪さが目立って躓くような事はなかったのだ。
しかし今は次々と印鑑を押せだのグラフを作れだの、特にパソコンの手を借りなければ難しいような仕事が誰彼関係なくどんどん回って来る。
こういう状況になればミロの手を持て余してしまうのも、当然と言えば当然の事であった。
そして、幼少からそんなミロの面倒を見て共に手を取り合い育って来たのが、親友のカミュである。
ミロを以て培われた面倒見の良さを評価されて、二人の幼子の弟子まで取って育てるまでに至った彼には、最早人の手伝いをする言う事には一切の躊躇も面倒も感じない。
現に、アテナにそれを指摘されても一体何が気にかかっているのかと本人は首を傾げている始末である。

「でも、貴方がそうなると言う事は、ミロ。貴方だって休みを返上して片付かないやりたくもないデスクワークを一生懸命こなしているのでしょう・・・?」
「・・・や、やりたくもないとは・・・思っておりません、決して!!」

最早誰が原因かはわかりきっているこの状況下。そこだけはわかって欲しい、と懇願するような眼差しをミロが送る。

「確かに、適材適所と言うものがあるとは思いますね。そこのそういう人達はそれだけ頑張っても大雑把で内容も穴だらけ、紙はインクだらけで、良くもこんな書類を上に提出しようと思うなと感じる事は多々ありますから。そんな人達にまで構わず多種多様な仕事が降って来る今の状況は、芳しくないとは思っておりました。私はアテナのご提案に賛成します」

棘だらけを通り越して有刺鉄線を巻き付けた釘バット並に心に刺さる賛同の台詞を言ったのは牡羊座のムウ。
それに喰ってかかろうと何か言いたそうにしているのを隣の兄に制されているのが獅子座のアイオリア、射手座のアイオロスの兄弟。
ムウの隣で地味に傷付いているのが牡牛座のアルデバランである。

「まあでも確かに、人手が足りねぇとは俺も思うな。増えて困るとも思わないし。アテナ、俺もその提案賛同致します」

蟹座のデスマスクも飄々としながらも一歩前に出て、アテナに向かって礼を取る。
それを見て頷くと、アテナは言い聞かせるように口を開く。

「確かに貴方がたはこの聖域を司る、聖闘士の中で最も重要な位置に就く黄金聖闘士です。けれど、神である私にとっては貴方たちもかけがえのない人々の一員・・・、各々が各々らしく働いて、笑って生きられる、そんな世界であって欲しいのです。冥界との健全な交わりを図る手段でもあると私は思っています。先代である戦士達と語らう事は人生の調味料ともなるでしょうし。いかがですか、皆。」

その問いかけに無論全員が出した答えは、全員が一様に取った礼のポーズで明らかだった。



****************


そういう経緯もあって、今日がその顔合わせの日と言うわけである。

「教皇よりお話は伺っています。魚座(ピスケス)のアルバフィカ様。当代魚座(ピスケス)のアフロディーテと申します。よろしく」
「・・・よろしく、アフロディーテ」

にこやかな笑みと共に握手を求めて差し出された手を、アルバフィカと言う名の魚座は片手を差し出しかけて躊躇する素振りを見せる。
結局引っ込めてしまった右手をアフロディーテは一瞬きょとんとした顔で不思議がったが、すぐに合点がいったように今度は両手でアルバフィカの手を包んでみせた。

「・・・!?よせ!」

アルバフィカは咄嗟に振り払おうとするが、アフロディーテは微笑んだまま離さない。
それどころか、突然その指を自分の口元に持って行ったかと思うと、アルバフィカの白い指先に犬歯を立てて噛んだのである。
一瞬だけの小さな痛みと共に、指の皮が切れたのを感触で悟る。
息が止まるかと思うほどアルバフィカは驚いて、青冷めた。

「やめろ!!何を・・・!!」
「アルバフィカ様」

動転して血の気が引いているアルバフィカを宥めるようにアフロディーテは少し血の垂れた指先をもう一度包み込んだ。
そこで漸く、アルバフィカも気付く。
たった1滴2滴己の血を注がれただけで目の前の人間が命を失うのを多く見て来た。
けれど、目の前に立つ人間は何事もなかったかのように立っている。

「・・・何とも、ないのか・・・?」
「ありませんよ。至って普通です」
「痺れ、などは・・・」
「全く。鉄くささは無いようですが、私からしてみれば普通の血です」
「・・・何故・・・?」

安堵か精神疲労か、全身の力が抜けたようにアルバフィカは問う。
傷付いた指先へ軽いヒーリングの小宇宙をかけながら、アフロディーテは苦笑する。

「突然あのような事をして申し訳ありません。けれど、前もって貴方の血の事は知っていました。それ故に貴方が生前どれほどまでに気を使って過ごしていたのかも、今回此方にお越しになる機会にと教皇からお聞きしました。少し強引で、貴方の心を傷つけてしまうかもしれないと思いましたが、この方法が一番私の言う事を分かって貰えると思ったんです」
「・・・・・・」
「私も魚座を冠詞に持つ黄金聖闘士。貴方と同様、耐毒の血を持っています。ただし私の場合は同じ耐毒でも分解作用に特化したもので、過去にいくら努力しても貴方のように己の血を武器に変える事は出来ませんでした」
「分解・・・、つまり・・・解毒と言うことか?」
「ええ。差し詰め貴方が最強の耐毒体質なら、私は最強の解毒体質と言う所でしょうかね。ええと・・・どう言えばいいかな。つまり最強のアルカリ性と最強の酸性が出会ったら中和されてゼロになったみたいな・・・、いや、品がないかなこの例えは・・・」

先程までの優雅さからは若干かけ離れ始めたアフロディーテの態度に、恐らく先代と言う人間に会うに中って彼も緊張していると言う事を何となく察したアルバフィカは、思わず口元に手を当てて笑い出してしまった。

「・・・アルバフィカ様、どうせ笑うなら思い切り笑い飛ばしてくれた方が潔く開き直れるんですけど」
「・・・・・・っふ・・・す、すまない」
「でも原理としては理解して頂けましたよね?」
「ああ。・・・うん。安心したよ、有難うアフロディーテ。改めてこちらこそ、よろしく頼む」

今度はアルバフィカの方が手を差し出す。
アフロディーテは無論何の躊躇もなく手を差し出し、やはり男としては柔らかい白い手を握り返した。

「・・・そうだ、アルバフィカ様。お見せしたいものがあるんです」
「私に・・・?」
「ええ、ちょっと待っていて下さいね。・・・えーと・・・確かこの辺りに仕舞って・・・・・・あ、どうぞそこのソファーにお掛けになって下さい」

元は自分の宮であるのだが、どうも他人行儀になってしまうアルバフィカはきょろきょろと辺りを見回しながらソファーに腰掛ける。
彼の私物であるそれは彼と同じ香りがした。
部屋を眺めてみると、かなり内装に気を使っているのがアルバフィカの目にも見てとれる。
シンプルながらも白と暖色をメインに揃えられた家具と、所々に飾ってある薔薇に限らない様々な色の花。
生前にあまりそう言う物に気を回さなかったアルバフィカだが、そこは魚座の気質と言うものだろうか、美しい物は素直に美しいと享受できる人間でもあった。
本来無機質な宮の空間も、飾ろうと思えばここまで瀟洒な佇まいに出来るのかと感心していた。

「あ、ありました。これです」

しかし、そんなほっこりした気分もアフロディーテが心持ち嬉しげに持って来た一冊の本で数秒で瓦解した。
本日・・・否、現世に甦って早二度目の心臓が止まりそうなほどの衝撃を胸に受ける。

「魚座の聖闘士になるに中って、私の全ての教本になったとも言えるものです。これが無ければ魔宮薔薇の存在も知りませんでしたし、ピラニアンローズもブラッディローズも恐らく私は会得出来なかったでしょう」

懐かしさと感慨深さを込めて語るアフロディーテの横で、その本を見下ろすアルバフィカは完璧に硬直していた。

「これ、表紙に記名があるんです。ギリシャ文字で。“アルバフィカ”と。先代様、貴方のことですよね。私はずっとこの本を頼りに己の技に磨きをかけて来ました。これを書いた貴方にもし出会えたら、もし直接教授して頂けたらと幼い時分に何度思った事か・・・。当時の聖域の状況も知る事が出来る、今となっては本当に貴重な資料なんですよ」
「・・・ア・・・フロディーテ・・・。それを一体、どこで・・・」
「・・・え?あ、えーと・・・魔宮薔薇の園を端に進んだ辺りに、今はもう薔薇の塊になってしまっているんですが小屋がありまして。私が初めて双魚宮に来た時に・・・、何分幼い頃だったので隅から隅まで探検してやろうとね。扉の中も外も薔薇のツルで雁字搦めになっていて開けるのに苦労したのですが、中には本なども沢山残っていて、読めない程に朽ちている物も多かったのですが幸いこれだけ保存状態が良好だったので持ち帰ったんです」

アルバフィカは頭を抱えた。
何で。確か他に師が読んでいたような高価な本も沢山あったはずなのに、何故これだけ残っているのかと。
恐らくは若くして散ってしまい、後継者を育む余地すらなかった魚座に対して神がかけてくれた情けだったのかもしれない。
師からの技の伝授はほぼ口伝と実技のみで、それを書き記したような書物は一切なかった。
そう。
この。
アルバフィカ自身が当時毎日毎日欠かさず、その日の出来事を書いていたこの日記帳を除いて他には。
書かなくなってしまったのはいつ頃からかももう覚えていない。
だが少なくとも、確かにアフロディーテが言うようにロイヤルデモンローズも、ピラニアンローズも、ブラッディローズも、そして自らの毒の血を繰り出すクリムゾンソーンの事も、この日記には事細かに書いた事を覚えている。
・・・日々の拙い、そう、今思えばあまりに拙すぎる雑感と共に。

「・・・読んだのか、それ・・・全部・・・」
「?ええ。もう必死でしたからね。特にピラニアンローズが難しくて、出来なくて何百回も読みました。多分今でも諳んずる事ができると思いますよ。えーと確か・・・」
「やめっ・・・!!い、いい!いらないから!!言わなくていいから!!むしろ忘れてくれ!」
「・・・そんなに?そんなにアレですか?何度も言いますけど私にとっては本当に教科書みたいな物なんですよ、この本」
「私としては子供の頃に書いたどうしようもない落書きを大人になって押し入れから発掘して燃やしたくなるような気分だ・・・」
「(あ、そういう感情はやっぱり200年以上前の人にもあるものなのか…)」

そう言われると何か悪い事をしたような気分になってしまうアフロディーテだが、純粋にお世話になった本を書いてくれた人間に会えた嬉しさと感謝を伝えたくて出して来た物なのである。
これがいかに過去の自分にとって有益であったかを伝えたくてしょうがなかった。

「・・・いいじゃないですか。可愛らしいじゃないですか。誰だって子供の時分はそうですよ。先生に頭を撫でられて嬉しいとか、また撫でて欲しいとか、先生が柔らかく煮てくれて苦手なニンジンを食べられるようになったとか!私だってニンジン苦手だったんですけど柔らかく煮れば美味しい事を知って克服したんですから」
「やめてくれ本当にやめてくれ金輪際そのへんのフレーズは記憶から消してくれ」
「あ、そう言えば今日の夕食はオニオンスープにしようと思っているんですけど、ニンジンは入れても」
「大丈夫だからもう引きずり出さないでくれその話題は!」

本当に切羽詰まった様子でアルバフィカが言うので、少し残念に思いながらもアフロディーテはアルバフィカに取っては黒歴史と言う名の日記帳を、元通り書棚の奥へと仕舞い込んだ。
アルバフィカは心なしかさっきよりもぐったりしてソファーに凭れている。
流石に少し悪い事をしてしまったかと、いやでもそこまで恥ずかしがるような事でもないと思うのに、と見た目によらず色々と割り切った性格の今代魚座は思うのだった。
けれども、お陰で一気に打ち解けられた気もしないでもない。

「(他の皆はどうしているだろう?上手いことやっているのだろうか)」

お茶入れますね、と一言アルバフィカに告げて一旦キッチンへ引っ込んだアフロディーテは未だ顔を見ていない他の先代黄金達と、彼等を接待しているであろう同僚達へ思いを馳せた。


[fin.]


  

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