brother | ナノ

※臨也が小学生


高校から帰ると、玄関の前でランドセルを抱えた臨也が泣いていた。

「うえっ、ひっく、どたちいぃいん」


足音に気がついたのか、がばりと顔を上げて駆け寄ってくる。勢いよく抱き着かれて衝撃が走った。どれくらい泣いていたのか、擦りすぎた目元が赤くなっていて兎のようだ。


「あーよしよしどうした」


ガラス玉のような瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちて、Tシャツに染みを作った。にねんいちくみ、と書かれた名札が揺れる。よしよしと頭を撫でてやると大きくしゃくり上げた。

「あのね、先生がね、にんじん食べなさいって、すっ、すききらいすると、大きくなれないんだって」
「ああ」
「そしたらみんながね、だからっ、いざやはいつまでもちびなんだって、ほんっ、ほんとは、女の子じゃ、ないかって、」
「そうか」

子供特有の熱い真っ赤な頬を涙が滑り落ちていく。服の裾を掴むちいさな手が震えていた。

一年前。両親が共働きで、いつも一人でいた臨也の遊び相手をして以来、俺はどうにもこの子供から懐かれている。どう接してやれば良いのか狼狽えたこともあった。それでいて、とことこ後ろをついて来る姿と「あのね、」から始まる言葉。まあるい頭、ほそい首、風に流れる真っ黒な髪。気が付けば俺はすっかり骨抜きにされている。

「臨也はすぐに大きくなるからな、ほら泣くな」

しゃがみ込んで目線を合わせると、長い睫毛の上に雫がきらきら乗っかっていて、ああ本当にこいつは女の子みたいだと思った。
もともと内向的な性格なのか、おとなしくて小さい臨也は同級生達のからかいの対象になっていて、たまにこうやって泣かされて帰ってくる。本人は「どたちんがいるからだいじょうぶだよ」といじらしい事を言ってくれるのだが、やはり兄気取りの俺としては非常に心配だ。

ドアを開けようと立ち上がれば右腕に素早く臨也の左手が乗っかってくる。ここ最近臨也は俺の家で夕飯を食べていた。

「きょうは、なに?」
「オムライスにしようと思ってるんだが…」
「ほんとう!?」

きらきらきら。途端にまだ濡れている目が光った。急に元気になって、なかば飛び跳ねるようにして廊下を歩く臨也の、たん、たん、という足音に苦笑いがこぼれる。こんなにも軽やかな音を、俺は一体いつ忘れたのだろうか。臨也はいつ失うのだろうか。

リビングに入ってアップルジュースをいれてやる。なんでもオレンジジュースは酸っぱいから飲みたくないらしい。泣き疲れて喉が渇いたのか、椅子に座った臨也はプラスチックのコップの中身を一気にを飲み干した。

「どたちんー……」

俯きがちの声。半ズボンから伸びる足が柱時計の振り子のように控えめに揺れている。次の言葉は簡単に予想がついた。

「どうした?」
「グリーンピース、食べたくないなぁ…」
「…野菜は食べなきゃだめだぞ」
「えー…」

臨也は好き嫌いが激しい。やっぱり多少嫌がっても、本人の為になるのだから無理矢理にでも食べさせた方がいいに決まって「どうしても、だめ?」……今回だけだからな。うるうるした上目遣いに白旗があがった。我ながら甘やかし過ぎである。臨也はさらに口を開く。

「それからね、ごはんのあとに、アイスが食べたい」
「…じゃあ買いに行くか?」
「行きたい!」

言うやいなやさっき歩いて来たばかりの廊下を玄関へと駆け戻っていく。駄目だ、完全にペースに乗せられている。後に続いて外へ出ると、涼しい風が吹いていた。太陽は家の向こうへと姿を落として、西の空に居残る橙だけが臨也の睫毛を染める。涙はいつの間にかすっかり渇いている。ぼうっとしているとシャツの裾が引かれた。

「どたちん」
「なんだ?」
「ずっと、いざやと一緒にいてね」


たん、たん、たん。アスファルトを踏む臨也のスニーカーが、小さなリズムを刻む。ずっといるよ、一緒にいるよ。薄闇に影が長くのびた。繋いだ手から滲むこの柔らかな純潔を、ほどく術を俺は知らない。




Dear my brother!