或る変態の話 | ナノ



信じられない。そう言って臨也はベッドに倒れ込んだ。指先の疲れを逃がすように両手をぶんぶんと振って、ずり落ちたシーツを引っ張り上げる。

「俺があんなに力込めてもびくともしないとかさあ、君ってほんと化け物だよね」

「散々鞭打ちになって鍛えられてんだよ。ガキの頃にな」

「どうしてその時に死ななかったのかなあ」

ついさっきまで自分は臨也に首を絞めさせていた。別にマゾヒズムに目覚めた訳じゃない。ただ臨也が結構な頻度で首を絞めろとせがんできて、しかもそれをあんまりにうっとりした顔で受け入れるものだから、一体どんな感覚なのか知ってみたかったのだ。
自分の場合は少し息苦しくなるだけで臨也が音を上げてしまったが、それでも何となく視界が歪んで肺が酸素を求めるのは理解できた。しかしその行為からは、自分は快感のはじっこさえ掴めない。あれのどこが気持ち良いのだろうか。人の性癖にとやかく言うつもりはないが、やはり奴の神経はどうかしている。

はあー、と息を吐く臨也を尻目に鏡を覗き込んだ。首をぐるりと回って、うっすら赤い跡がついている。いつもは人のベッドを占領して服も着ずにだらりとしている彼がつけているものだ。見様によっては質の悪い首輪にも見えなくはなかった。どちらが主人かは考えたくもない。どちらでも厭だ。部屋を横切り、いい加減服を着ろという意味を込めて彼を殴りつける。ぼすん。マットレスに拳が埋まる。もう一度やったがこれも当たらない。そう広くはないベッドを上手く転がって躱す臨也が小憎たらしくて、いっそ足枷でもつけてやろうかと思った。

「でも前から思ってたんだけど、シズちゃんって首絞めるの下手過ぎ。指長いのだけは合格だけど他は全然駄目。喉仏押さえるから後々気持ち悪くなるし、単に力入れるだけじゃ中途半端に締まって苦しいだけなんだよね。あと絞めすぎ。俺が何回意識飛ばしたと思ってんの。目覚め最悪なんだけど」

「…はあ?」

緩慢な動作でシーツに包まりながら臨也が言う。おい手前なに勝手に寝る態勢に入ってるんだ。自分が貶された事はとりあえず流して後ろからシーツを引っつかんだ。が、彼の薄い布では思うように彼を持ち上げることが出来ずに裸の肩があらわになるだけだ。諦めて短い襟足を引っ張る。

「ちょ、痛い痛い!痛いってば!」

「痛いのが好きなんだろ手前はよお」

手を離して舌打ちをすれば、臨也は後頭部をさすりながら迷惑そうにこちらを睨んだ。物分かりの悪い生徒に、試験を返却する教師の顔だ。

「君は俺を被虐趣味か何かと勘違いしてるようだから言っておくけど、俺は別に首絞められて感じたりとかはしてないから。普通にリラックスしてる時に一番やってもらいたいんだよね。だから間違っても突っ込んでる時に絞めたりしないでよ。そりゃ君の方は相当気持ち良いらしいけど、俺はそんなマニアックなプレイは望んでないし、セックスの良さとは違うんだって。ほっとするって言うのかなあ、あれは。ねえシズちゃん分かる?」

「分かんねえ」

面倒臭そうな表情のまま講釈を垂れる口がうっとうしくて、俯せの肩を掴んで仰向けに転がす。抗議しようとする鼻と口をまとめて片手で塞いだ。臨也は一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに暴れ始めた。両手で俺の手を引きはがして大きく息を吸い込む。

「ちょっ…と!苦しいって」

普段自分に酸素を奪われている時とは大違いの反応である。本気で嫌そうな顔をして睨み上げるのに拍子抜けして、肩に掛けていた手も離した。少し赤くなっていた。そういえば、自分の首に付いた跡はもう消えてしまったのだろうか。

「あー俺もう眠い。疲れた。シズちゃんちょっと首絞めて。ただし意識は飛ばさない程度に」

首輪が消えたならもう彼と自分は対等だろう。或は残っていたとしても、犬が主人を噛む事だってある。
口角が吊り上がるのを感じながら、彼が絞めろというそこには目もくれず唯一纏うシーツを剥ぎ取った。白よりも黒の良く似合う、被虐趣味の体があらわになった。

「ちょっと何考えてんの?俺寝たいって言ったでしょう聞いて無かったの」

「手前を喜ばせるのは癪だからよ、もう頼まれても絞めてやんねえよ」

嫌だ離せともがく肩を今一度強く押さえ付けて、鼻がくっつきそうな距離まで顔を近づける。この口さえ黙っていれば、彼には満点がつくのだ。

「信じられないんだけどねえ君今自分がどんな顔してるか分かるねえすっごい楽しそうな顔してるんだよシズちゃん、ねえ」

「そのかわりといっちゃ何だが、なあ臨也くんよお」

マニアックなプレイを試してみねえか。そう言って、唖然とする白い喉に手を伸ばした。




サディストとマゾヒスト