積もる心は言うも言わぬも
2013/07/27 16:49

「……という、実にくだらん事があった」

 渋い顔で酒の入ったコップを煽る廻嶽を目の前にして、二条会蓮祇は何故俺がここにいるんだろうと自問していた。
 午後九時を回った居酒屋は、仕事帰りのサラリーマンなどで賑わっており、注文する声、仲間と和気藹々と語る声などで店内は活気づいている。中には女子会でもしているのか、私服姿の女性も何人かいて、そのおかげで同じく私服の蓮祇たちも、サラリーマンの多い店内であまり浮いてはいない。自分の隣には双角が座っており、机の上のつまみを手にしながらそれは大変だったわね、と廻嶽の話に苦笑しつつ相槌をうっていた。
 その様子を横目で見つつ、内心で蓮祇は、なんで俺まで呼び出されなきゃならないんだ、とため息をつく。しかし、その自問に対する自答は、既に自明だった。
 人間誰しも愚痴の一つや二つを他人に吐きたくなることがあるが、廻嶽の場合その愚痴を吐けるような相手が双角だったということだ。そう、双角。決して蓮祇ではない。双角の方も旧知の仲として、廻嶽の愚痴を聞くこともあれば逆に彼に愚痴を聞いてもらうこともあるらしい。そこまではいいのだが。
 それにわざわざ自分を加えないでほしい。
 俺のこの愚痴はどうすりゃいいんだ、と蓮祇はやけ気味に、自分のコップに入った酒を飲み干した。廻嶽の愚痴はまだ続いている。いつ終わるのかと憂鬱になったが、とはいえわざわざ呼び出されて出向いてきたのだ。つまみを二、三皿、酒を一、二杯程度飲んだだけで帰るのも確かに味気ないとは言える。それにこの場はいつも全員分が廻嶽の奢りだ、そのあたりは律儀な廻嶽らしい。ここに双角だけではなく、蓮祇まで呼び出されているのがその律儀な性格故でもあるのだろうが。
 廻嶽が双角を単独で呼び出さない理由は知っている、二人で会っているところをうっかり知り合いに見られて心ない噂をたてられたくないからだ。それでわざわざ蓮祇まで呼び出して、その予防に努めている。
 どうせなら俺じゃなくて七姿呼べよ七姿、と蓮祇はもう一人、廻嶽とも旧知の仲である知り合いの顔を思い浮かべたが、……まあないか、とすぐに打ち消さざるを得なかった。彼を呼んだら茶々が入り通しで、愚痴を発散するどころか更に苛立ちが募るだろう。そもそも、香狩でよければ廻嶽と香狩の二人で飲んでおけばいいだけの話だ。蓮祇を呼ぶ羽目になる双角を選ぶ必要はない。最初から蓮祇と一対一で飲む、という選択肢は言うまでもなく、ないだろう。
 それとも、とアルコールがやや回ってきた頭で、ぼんやりと蓮祇は考える。例え恋敵まで交える必要に迫られようと、好きな女と飲みつつ愚痴を話した方が、気の紛れ具合がいいのだろうか。
 見ていると、双角は廻嶽の愚痴に相槌をうったり、フォローを入れたりと彼の愚痴に対する手際が良い。廻嶽もそれで、愚痴を吐いているとはいえ苛立つ様子もなく、双角がなにか提案したりすると真摯に受け止めて考えていたりもする。実に建設的で、しかも息の合った会話だった。
 ──ほんとなんで付き合わないんだろうな、こいつら。
 空になったコップを眺めながら、そんな事を思う。昔から廻嶽は双角のことが好きだった。彼女に告白して断られてからも、潔く身は引いたが、今でも好きだということには変わりはないだろう。
 双角も、その告白を断ったのは蓮祇が行方不明になったまま帰ってこないのが心残りだったからで、今となっては廻嶽と付き合わない理由などないだろうに。こうやって阿吽の呼吸で愚痴に付き合うくらいだから、嫌っているのでも当然ない。
 だが、双角から言い出さなければ廻嶽は双角に再度告白を試みることはないだろうし、双角もきっと言い出すつもりはないのだ、きっと。それがもったいないような、安心するような、なんともいえない気分になる。

「──蓮祇、帰るわよ」

 双角の声で、いつの間にか思考の海に沈んでいた蓮祇は我に返った。見ると、廻嶽も双角も席を立って、帰り支度を始めている。遅ればせながらそれに続いた蓮祇を見て、廻嶽が顔をしかめた。

「おまえ、完全に話を聞いていなかっただろう」
「話というか愚痴だろ、聞く気になると思うか」
「ただ飯ただ酒の分くらいは聞け」

 まあ一方的な呼び出しだったとはいえ、自分が金を出さなくてもいいという点は事実なので蓮祇は黙って言い返さなかった。廻嶽もそれ以上苦言を呈することはなく、レジへと向かう。

「金を払っておくから先に帰っていいぞ。長々とすまなかったな」

 後半は双角へ向けての言葉だ。いーえ、と双角は暖簾をくぐりながら軽く手を振った。

「また何かあったらいつでも言ってよ。こっちこそ奢ってもらっちゃってごめんね、ごちそうさま」
「……じゃあな」

 蓮祇も一言だけ別れの挨拶をして、店を出る。帰る方向は一緒なので、自然と双角と並んで歩くことになった。

「しかし幻岳奏団も大変そうよね、というか煌哉が生真面目すぎるから大変そうなのもあるかもしれないけれど」

 店からやや遠ざかった所で、くつくつと笑いながら話す双角に、蓮祇は気だるく返す。

「あいつの愚痴に付き合わなきゃならん俺は余程大変な気がするんだがな……」
「付き合うったって聞き流してたじゃない蓮祇は。ちょっとは手助けしなさいよ、一人で対応するの大変なんだからね」
「……わりとスムーズに対応できてたと思うけどな」
「そのスムーズさを維持するのにどれだけ気を使うと思ってんのよ」

 まったく、と双角は一つ息を吐く。

「煌哉の生真面目さは直るもんでもないし一概に悪癖とはいえないから、厄介なのよねー。まあ愚痴言うのはお互い様だから、いつでも相談には乗るけども。これがあんた相手だったらスムーズとか考えずにまず体を四つ折りにする所から始められるから話は楽なんだけどね」

 ……何気なく恐ろしいこと言ってくるなこの女、と蓮祇は冷や汗が流れるのを感じる。玄関の扉を毎回蹴倒してくる彼女ならやりかねない、愚痴を言っただけで骨や靭帯、筋肉の限界など無視して人体四つ折りを敢行しかねない。

「……なんで俺だけスムーズな対応じゃなくて無茶な対応を取られるんだ……」
「うーん、なんか蓮祇は無茶な対応の方がイメージに合ってるじゃない。なんとなく」

 イメージの問題で処理されていた。
 しかもなんとなくだった。

「あはは、冗談よ流石に。三つ折り程度よ」
「……それは正座して前屈した状態という意味での三つ折りなんだろうな」

 いやそれにしても何故愚痴をこぼしただけでそんな措置を取られなければいけないのかという疑問で悩んでいるうちに、双角の家の前についた。簡素なアパートだが、玄関にはオートロック機能がついている。

「じゃあね、また今度」
「ああ」

 アパートのエレベーターホールに消えて行く彼女の背を少し見送ってから、自宅へと向かって歩き出す。少し歩を進めてから、ああ、今のは家まで送っていったことになるんだろうか、とふとそんな考えが頭をよぎった。
 そういえば、廻嶽に呼び出される時はいつもあの居酒屋だ。単純に双角に気を使って彼女の家に近い場所を選んでいるのかと思っていたが、他にも同じような距離の店はそう少なくない。中には廻嶽が帰るのにも不自由しない距離の店もあるだろう。だが蓮祇の家からの最短コース、その途上に双角の家があるのはあの店くらいだ。

「……気ィ回しすぎなんだよ」

 ぼそりと独り言を呟く。
 おそらく、ただの偶然ではないだろう。廻嶽が、わざわざそれを組み込んであの店にしているのだ。自分と双角が付き合っていると思われないよう蓮祇を呼んで、帰りは蓮祇が双角を送っていけるように店を選んで。
 昔から、廻嶽は双角が蓮祇を好きなのを知っていた。双角の幸せを願う彼は、断腸の思いで身を引き、蓮祇と双角が少しでも近づくよう尽力していた。それも蓮祇が完全に双角への興味がないのならそこまでもしなかっただろうが、蓮祇が彼女を本当はまだ好いていて、むしろ好いているからこそ遠ざけていることまで理解していて。
 ──確かに、愚痴の一つ二つは聞いてやるべきだったかもしれないな。
 いらない気遣いを、と考えるより先に、そんな感想が出てきてしまうあたり、自分も彼女への想いを断ち切れていないことを自覚して、蓮祇は大きくため息をついた。
 今度、自分が愚痴吐きと称して廻嶽に奢ってやるべきか。奢ってやるのが目的だからこの際サシでも構わないだろう、七姿を呼ぶのは面倒だし、双角に声をかけるのは嫌味に思える。なに、建前だけとはいえ実際に愚痴の種は尽きない、気苦労ばかりかけてくる居候の話やこちらをからかっては楽しんでいる幻術の師匠の話などいろいろある──おちゃらけた魔術師の話はうっかり口を滑らせてはまずい情報も含まれるので、迂闊には言えないのが残念だが。
 また適当に空いてる日を探さないとな、と頭の中で近日中の予定をそれとなく確認する。どのネタをどれだけ愚痴ろうか、店はどこにすべきか──そんなことをつらつら考えながら、蓮祇は家路を辿って行った。



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