大久保さんが私の事を名前で呼ぶようになってから、何か変わったのかと聞かれたとしても、たぶん私は何も変わってないって答えると思う。
相変わらず私は女中さんにならって藩邸の中を忙しなく動いているし、朝だって誰よりも早く起きて朝食の準備を手伝ってる。
でも別にそれに不満なんて無いし、暇をもて余すよりこっちの方が落ち着いて生活出来ると思う。
そんなこんなで私は、今ままで通りの薩摩藩邸での生活に満足してる。
だからこそ。
藩士の人達には、私の事を特別扱いだなんてして欲しくはないんだけれど。
時たま見せる大久保さんの行動を見ていると、そうされるのも仕方ないのかなって思う。
たとえば、今がそうだった。

「どうしてこんなに買っちゃったんですか!」

朝も早くから藩邸に、私の叫び声にも似た声が響き渡る。
目の前にはうんざりする程の洋服を、腕に抱えた大久保さんが立っていた。
どう見てもその洋服は色合いからして、彼が着る物とは到底思えない物ばかりで。決して私の思い上がりなんかじゃなくて、きっとそれは私に着せようと買い込んだ物なのだろうと一目でわかった。

「朝から騒がしいぞ。これぐらいで驚いて貰っては困る」

そう言って彼は、ふんと鼻を鳴らして、どこか誇らしげに胸を張って見せた。

「これは、第一弾だ」

一体、第何弾まであるんですかと思いながら、私は力無く肩を落とした。
それから私の部屋まで、大久保さん直々に続々と運ばれた洋服の山は、結局第五弾まであった。
たとえば一ヶ月の間、毎日違う洋服を着たとしても、十分に事足りることだろう。
一体、彼はこの無駄遣いにどれだけの金額を使ったのだろうか。
それを考えると、なんだか頭が痛くなってきた。

「よし、一番気に入った物に着替えて来るがいい」
「……こんなにあったら選べません」
「そうか、ならば私が選ぶのを手伝ってやろう」

もちろん着替えも手伝ってやるから安心するといい。
そう、冗談とも本気とも分からぬことを言って彼は笑った。
ため息を吐きたくなる気持ちってこう言う事なんだなと思いつつ、彼の言葉を無視して、一番動きやすそうな洋服を手に取った。
この時代の洋服は、童話に出て来るドレスみたいな物ばかりで、一番動きやすそうな洋服にも沢山のフリルやらレースやらが付いている。
ちゃんと上手く着れるかなと、洋服をまじまじと眺めていると、大久保さんの視線がこちらに向けられていることに気付いた。
その視線には何だか良からぬ物が見て取れたので、私はニッコリと笑ってから、彼に向けてこう言ってあげた。

「一人で着れます」

くしゃりと顔を歪ませて、大久保さんは渋々と言った様子で部屋を後にした。
ぽつんと一人、大量の洋服で溢れかえった部屋の中。
私は早速、自分で選んだ洋服に腕を通すことにした。ずいぶんと複雑そうな造りに見えたけれど、何てことは無い、普通の洋服だ。
普段、私が身につけていたものよりも、いくらか手順が増えただけで、物の数分もしないうちに着替え終えることができた。
鏡台で自分の姿を確認してみると、なんだかおとぎ話の世界にでも入り込んでしまったかのような気になる。
着替える際に乱れた髪をクシでとかして、こんなものかしらと鏡を覗き込む。
するとその鏡越しに、赤茶の瞳と視線があった。

「つまらん。もう着替え終わったのか」

叫ぶのも忘れて口をパクパクとさせていると、大久保さんは金魚の真似かと憮然とした態度で言ってのける。
そう言う問題じゃない。
いつからそこに居たのかは知らないけれど、まさか部屋の中に無言で入ってくるなんて、誰が思うんだろう。

「きっ、着替え終わってなかったらどうするつもりだったんですか!」

そう言って後ろを振り返ると、わざとらしいまでにいやらしい笑みを彼は浮かべる。

「どうするも何も手伝ってやるまでだ。それ以外に、何かあるのか?」

意地の悪い笑みを浮かべながら、大久保さんはとぼけてみせた。
そして私の腕をそっと掴むと、そのままひょいと立ち上げさせる。
その拍子にふわりとスカートは揺れて、やわらかく広がり弧を描いた。
引き寄せるようにして立ち上げさせられたものだから、目の前には彼の顔が。
浮かべられた笑みはいつにも増して、不敵で、したたかだった。

「悪くない」

そう言ってから、大久保さんは私の姿を頭のてっぺんから爪先までじっと眺めてみせる。
その視線にむず痒さと恥ずかしさを感じながら黙っていると、突然、彼の視線が冷めたものに変わった。

「……ふん、やはり洋装はいかんな。今度は呉服屋でも呼び寄せるか」

まるで、玩具に興味を無くした子供のような、そんな言葉だった。
そのあまりの豹変ぶりに、どこか私に変な所があったのだろうかと、急に不安になる。
この人は、たまに、猫のような気紛れを見せるのだ。そしてその気紛れが、私の心をどれだけ揺るがすかなんて。この人には、きっと一生わかりっこないんだろう。
私は、そっとうつむいて、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。

「……もう、買って貰わなくて、大丈夫です」

このお洋服で十分です。
そう言おうとしたところで、胸元のボタンをとんと指先で突かれた。
咄嗟のことに顔を上げると、赤茶色の整った瞳が綺麗な笑みの形を作って、私を穏やかに見据えている。
そして息も触れ合わん距離で、彼は一言こう囁いた。

「どうもこれは、着物に比べて脱がせにくい」

怒っていいのか、笑っていいのか。
分からぬまま、彼の頬をめがけて飛び出た右手は、いとも容易く掴まれて。
その指先をなだめる様な優しい口付けに、私の心は全部持っていかれてしまった。
そうして一瞬で湧き出た攻撃的な感情は、一瞬で消え失せてしまったから。
あとに残ったのは微かな恋慕。





咲いて咲いて切り裂いて





20110130


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